第17話 白猫の呪い

 愛する相手を白猫に変え手に入れて、一年後に共に死ぬ。それが〝白猫の呪い〟だ。


 恋焦がれ、どれだけ愛しても振り向いてくれない想い人を物言えぬ猫に変えて、ただ愛でる。一方的で独り善がりな恐ろしい愛情表現。私の想いを全く理解しようともしないレアンドロに示すには、それしかないのではないかと思う。


 私を置いて一人で逃げるなんて許せない。私の人生を踏みにじり、魔女と幸せになるなんて絶対に認めない。


 呪いの手順は難しくはない。王城庭園で花や葉を集め、王家の薬草園にしかない薬草を摘み、王家が所蔵する特別な石を削る。王妃である私は王城のあらゆる場所に入ることができ、すべての材料を揃えることが簡単にできた。


 集めた材料を細かくすり潰して水に溶き、飲み干してから白い薔薇七本分の花びらを食べる。水なしで花びらを食べることは想像以上の苦行だった。ほのかな甘味と苦味が混ざりあいながら喉を落ちる。口の中の水分が吸い取られ乾いていく。長い長い時間を掛け、私は花びらを食べきった。


 最後は中央神殿で女神に、私の愛を告白して祈るだけ。

 早朝の神殿へと赴き、侍女も護衛も外で待たせて祭壇へと向かう。人払いをされた神殿は静まり返っている。


 一人廊下を歩く中、柱の影から神官フィデルが姿を見せた。誰も近づかないようにとお願いしていたのに。挨拶を交わす気力もなく無言で通り過ぎた時、声を掛けられた。


「〝白猫の呪い〟は呪う相手を心から愛していなければ発動しないのです。私がお手伝い致しましょうか?」

「いいえ。結構よ」

 レアンドロは夫なのだから妻である私は愛しているに決まっている。それに、これは私一人が背負う罪。王を呪った罪で処刑されても構わない。私が王妃の称号を剥奪されても、次代の王マウリシオの母は第二王妃だ。それに、おそらくは隠蔽されて闇に葬られるだけだろう。


 レアンドロと一緒に死ねば、私の苦しみも終わる。


「そうですか。それは残念です」

 若々しいフィデルの声に違和感を覚えた。そういえば、この神官は私が子供の頃から神殿にいたような気がする。加齢を感じさせないというよりも、全く変わっていない。


 唐突に昔、仕えてくれていた少年騎士の言葉を思い出す。長く生きる者は魔力で人の記憶を操作して出自を隠すことがある。……神官は神力しか持っていないはずだ。


 そもそも、何故私が〝白猫の呪い〟を掛けようとしていることを知っているのか。独りで準備をしてきたし、誰にも見られていないのに。


 そういえば、アデリタに王妃になる運命だと信じ込ませたのは神官。小さな気付きが疑念になろうとしていく。


「王妃様!」

 強く呼びかけられて振り返った途端、目の前にいる神官の名前がわからなくなった。何故と思っても全く思い出せない。


「……貴方は?」

 紺色の髪に碧の瞳。真面目で優しそうな顔をした青年だ。白い神官服が妙に馴染んでいる。――そんなことよりも私は〝白猫の呪い〟を終わらせなければ。


「この度、新しく中央神殿に配属されました。神官フィデルでございます。以後お見知りおきを」

「そう。よろしくお願いしますね」

 私は独りで祈りたいことがあるとフィデルに告げ、足早に女神の祭壇へと向かった。

 

     ◆


 呪いを掛けた後も、レアンドロは白猫になる気配もない。本には三日から十日で白猫に変化すると書かれていた。


 十日が経った時、王城の裏手に広がる豊かな森で建設工事が始まった。


 寝室でお茶を淹れながら、レジェスに尋ねる。

「あれは何を建てるのかしら?」

「……兄が譲位した後に住む家、らしい」

 レジェスが深い溜息を吐く。レジェスはレアンドロの譲位に最後まで反対していた。


「え? レアンドロは魔女と〝黒い森〟で一緒に住むと言っていたのに……」

「まさかここに連れて来るつもりなのか!? ……何を考えてるんだ……」

 レジェスが頭を抱えてしまった。反対しながらも、貴族たちの意見の調整に奔走したことは知っている。


 二十日が経っても、レアンドロは白猫にはならない。しびれを切らした私は、連日レアンドロが通う森の家へと向かった。


 そこには見たこともなかったレアンドロの姿があった。シャツにズボンという軽装で泥と土にまみれ、レンガを運ぶ。平民の職人たちと冗談を交わして笑い合う。王として政務や公務を行う時とは全く違う表情は、生き生きと輝いている。


 あれが、平民として生きていたレアンドロの姿なのか。


 立ち尽くす私に気が付いたレアンドロが近づいてきた。私の侍女と護衛を下がらせて、木の陰へと私の手を引く。

「何の用だ?」

「……いえ。あの…………魔女はいつ来るのでしょうか」

 恐ろしく冷たい顔をしたレアンドロに、私の本当の気持ちは言えなかった。この家で一緒に暮らしたい。


「イネスはまだ来ない。ここは私の家だ。君は一切関わらないでくれ」

 さらに不機嫌な表情を見せたレアンドロは、私に二度と来るなと命じた。


     ◆


 森の中、レアンドロの家が完成に近づいて行く。拒絶されてしまった私は王城の窓から眺めるだけだ。

「リカルダ様……わたくし、思うことがありますのよ」

 一緒にお茶を飲んでいたプリオネス公爵夫人ノエリアが静かに口を開いた。

「何かしら」


「王妃の務めを終えられることですし、そろそろご自身のお幸せをお考えになってもよろしいのではないかしら」

「……私の、幸せ?」

 それは一体何だったのだろう。王妃になり次代の王を育てる。それは貴族女性にとって最高の栄誉。それが幸せなのだと自分に言い聞かせてきた。


「ええ。その……申し上げにくいことですけれど、陛下のリカルダ様への仕打ちは見ていて辛くなる程です。夫とも常々話しておりますの。リカルダ様はフォルテア公とご一緒の方がお幸せなのではないかと」

「え?」

 フォルテア公――レジェスのことだ。


「……でも、私は……」

 レアンドロに〝白猫の呪い〟を掛けてしまった。白猫になるレアンドロと一年後には死ぬ運命だ。


「国民の目は、新しい王と王妃に向けられています。リカルダ様がフォルテア公とお過ごしになられても、問題はないでしょう」

 ペルニーナ公爵夫人テオフィラが口添えする。


「……夫とは別の男性と一緒になるなんて、国民には見えなくても、貴族の方々に示しがつかないでしょう」

「わたくしがこのお話をするのは、多くの貴族がリカルダ様に幸せになって欲しいと願っているからなのです。陛下は政治の面では優秀な方でした。貴族だけでなく平民からの意見も取り入れ、国は栄えた。でも、それはリカルダ様とフォルテア公の支えがあったからこそ」

 どうやらノエリアは、貴族代表としての意見を述べているらしい。


「私、不幸せな王妃と思われていたのね……」

 毎日必死で笑顔を作り続けてきた。何があっても、王を支える完璧な王妃の姿を目指して来た。


「誤解なさらないで下さい。こう申し上げると失礼になるとは思いますが、リカルダ様は理想の王妃として立派にお務めでした。まるで物語に出てくるような高潔で慈悲深いお姿は、わたくしたち貴婦人の目指すものでもありました。一方で陛下の心無い仕打ちも微笑んで受け流すお姿はご自分のお幸せを犠牲にしていると、貴族の多くが感じていたのです」


「……レアンドロは、悪気がある訳ではないのよ」

 ただ、魔女を愛し過ぎているというだけで。私と結婚したのは仕方のない結果だった。


「それは尚更悪いことですわ。悪気がないと言うことは、自分が悪いことをしていると理解できないということですもの。やはり、陛下からは距離を取られるべきです。大丈夫です。貴族は皆、反対致しません」

「……考えてみるわね」

 迷いと混乱の中、私は二人にそう答えることしかできなかった。


     ◆


 呪って二カ月が過ぎても、レアンドロは白猫にはならない。マウリシオの戴冠式も無事に終わり、完成した森の家へとレアンドロは籠ってしまった。


 この国では譲位した王や王妃に一切の権限を与えない。現王が権力のすべてを把握する。それが王の力になり、王命の強さの根源にもなっている。


 王妃の部屋を新しい王妃に譲る為、居場所のなくなった私はレジェスの屋敷へと招かれた。


 温かい日差しが降り注ぐ部屋で、私はレジェスとお茶を楽しみながら口を開く。

「……やっと理解できたの」

「何だい?」

 お茶を飲む手を止めて、レジェスが微笑む。何度も何度も繰り返してきた光景だ。レアンドロは私の話を聞こうともしなかったのに、レジェスはいつも私の話を聞いてくれる。


「私、自分が思っていた程、レアンドロを愛してはいなかったのよ」

 王家に伝わる〝白猫の呪い〟は、相手を深く深く愛する者にしか掛けられない。レアンドロが白猫に変化しないのは、私の愛が足りなかったということだろう。


 苦笑すると涙が零れる。私の想いは偽物だった。王妃であるのだから、王を愛さなければと思い込んでいたのかもしれない。


 そっと温かい腕に包まれる。この三十年、私の心はいつもこの腕に護られてきた。 


「今更だけれど、貴方を愛してもいいかしら?」

「ああ。もちろん」

 レジェスは私の涙を指で拭って立ち上がらせ、棚に置かれていた自鳴琴オルゴールの螺子を巻く。懐かしさを感じる音が部屋に柔らかく響き渡る。

 

「この曲、覚えていないと思うけど一番最初に会った時、リカルダが歌っていた曲だ。……僕は君を子供の頃から、ずっと愛しているよ」


 王城庭園で幼い私が歌っているのを聞いたとレジェスが笑う。私はその曲すら忘れていた。懐かしいと思ったのは、それが理由だったのか。


 悲しさではなく、嬉しさで涙が溢れる。

 レジェスは独り身のまま、私を支えてくれていた。


「ごめんなさい。ずっと待っていてくれたのね」

 心の奥底にあったレジェスのへ愛に気が付いていても、王妃としては認めることはできなかった。王妃が王以外の人を愛することは、間違いだと思い続けていた。


「私の本当の夫はレジェスだったのよ」

 結婚してからずっと、レジェスに護られてきた。子を産み育てるのも一緒だった。


「愛しているわ。レジェス」

 正直に言葉にすると何かから解放されたような気がした。心の奥底で重く沈んでいた澱みが消え去っていく。


「僕も愛しているよ。リカルダ」

 静かに抱き合い静かに口付ける。激しい情熱はなくても、優しい思いやりに包まれるのは心地いい。


「この家の女主人になってくれるかい?」

「ええ。嬉しいわ」

 この屋敷で二度、お腹の子を育ててきた。レジェスとの優しい思い出だけが心に残っている。私は喜んで引き受けた。


     ◆


 私はフォルテア公爵家の女主人になった。王妃であった時とは違う、様々な仕事に驚きながらも興味深く楽しむ。レジェスの領地視察や外出に同行すると、国民から前王妃に似ていると言われることはあっても、同一人物だとは思われない。王妃の紋章を着けていなければ国民の認識はその程度だ。


 季節ごとに公爵家の窓布カーテンや布製品を替え、花を飾って家を心地よく整える。屋敷の隅々まで気を配り、毎日の食事の献立を考えるのも女主人の仕事だ。


 レジェスは新しい王を支え、日中は王城で政務を行っている。毎日屋敷へ戻ってくるレジェスが快適に過ごせるようにと心を砕くと、喜ぶ笑顔がとても嬉しい。


 王妃でいた頃のように、昔から決められたことを決められた通りに間違いなく行う必要はない。自分で考え、レジェスや使用人たちと相談しながら変えることができることが難しくもあり、とても楽しいと思う。


 親しい友人夫妻を招いて気取らない茶会や晩餐会を行えば、誰もが笑顔で喜んでくれた。

「リカルダ様、お幸せそうですわね」

「ええ。とても幸せだわ。ありがとう」

 ノエリアとテオフィラ、二人の友人が私の背を押してくれなかったら、この幸せに飛び込むことはできなかったかもしれない。


「それにしても、公爵家の女夫人はとても忙しいものなのね。王妃以上かもしれないわ」

 王城では意見を求められることはあっても自分で決めることは少なく、誰かが決めたことを受け入れることの方が多かった


「王妃様はその分、公務がありますでしょう? きっと同じくらいですわよ」

 この屋敷の中では人目を気にすることなく、声を上げて笑うこともできる。自由な空気が軽やかに流れて行く。


     ◆

     

「お帰りなさい、レジェス」

「ただいま、リカルダ」

 レジェスの帰りを出迎えて、笑顔で交わす挨拶がいつも嬉しいと思う。無事で帰ってきてくれたという嬉しさと、これからの時間を一緒に過ごせる嬉しさがある。


 今日一日の話をしながら食事をし、明日の予定を語らう。笑顔で食べる料理の味は、温かくてとても美味しい。


「来月、エルミニアが夫と一緒に五日程滞在したいって手紙が来てるよ」

「まぁ、それは大変。辺境伯は何が好物なのかしら。五日と言わず一月でも構わないわよ」


 息子や娘たち、四人はこの屋敷を実家のように思っているらしく、何かあるとやって来る。先日は公爵夫人になった次女が家出して来た。連れ戻しに来た公爵との喧嘩を、レジェスと目を丸くしながら見物したりもした。


「皆、仲がいいからね。僕たちみたいに」

「そうね。きっと私たちに似たのよ」

 

 いつもは静かな公爵家の屋敷も、時折賑やかになる。孫が生まれ、その賑やかさはさらに増していく。


 毎日が穏やかな幸せの繰り返し。それは愛する人と一緒なら、飽きる事がない。積み重なる思い出が、王妃だった頃の辛い記憶を塗りつぶしていく。


「何もかも、完璧でなければと思い込んでいたけれど、少しくらい失敗しても全然平気だったのね」

「そうだよ。それに、完璧な人間なんてつまらないよ。失敗して顔を赤くするリカルダは、とても可愛いよ」

 そう言ってレジェスは頬に口づける。年齢を重ねても、羞恥が頬を熱くしていく。


 子供の頃から王妃になる為に生きてきた。王妃になってからは、間違ってはいけない、完璧でなければと思い詰めていた。今から考えると、そこまで頑張らなくても良かったのではないかと思う。


「でも、リカルダがずっと頑張ってきたから、今があるんだ。頑張ってなかったら、貴族たちも僕たちがこうして暮らすことを許してはくれなかっただろう」

「レジェスだって、頑張っているじゃない。きっと二人で頑張ってきたからよ」


 この幸せは、きっとこれまで頑張ってきた私たちへの褒美なのかもしれない。微笑むレジェスに手を引かれ、私は明るい庭へと歩き出した。

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