第6話 愛人の裏切り
早朝に視察旅行から帰って来たレアンドロが、手が付けられない程に泥酔しているという知らせで私はレアンドロの私室へと向かった。
「ベロニカ、騎士クレト、騎士ベルトラン、ここで待機していて下さい」
王の醜態は見せられないと判断した私は、全員を廊下へと留め置く。
一人で入った部屋の中は酷い状況だった。壁際には壊れた椅子が倒れ、テーブルの脚は折れ、カーテンは引き裂かれていた。床には書類や本が無残に散乱している。
「レアンドロ!? どうしたの!?」
「……触るな! 酒を持ってこい! これは王命だ!」
レアンドロが扉の向こうへと叫び声を上げる。この国では、王が王命だと言えば従僕は従うしかない。せめてということなのか、ガラスや銀ではなく木のカップに入った酒が部屋へと運ばれてきた。
「一体、何があったの?」
浴びるように飲むという表現は、本当にあるのだと思うような姿だ。床に座り込んでお酒を飲み干す姿は恐ろしい。
「うるさい! 出て行け!」
投げつけられたカップは、私の頬を掠めて壁にぶつかった。
「理由を伺うまで出て行きません。レアンドロ、今の貴方は王なのよ。貴方のその姿は、国民を導く王の姿なの?」
幼い頃から私が王妃としての教育を受けてきたのと同じように、レアンドロは王となる為の教育を受けている。
「理由? 愛していた女に裏切られた! それだけだ!」
慟哭する姿は激しく、初めて見る姿に不安を感じながらもどう言葉を掛ければいいのかわからない。
愛する者の裏切り。この1年、私が感じていた思いをレアンドロも知った。そのことが何故か私に安堵をもたらす。それがどれだけ悲しくて苦しいことなのか、理解してくれただろう。
「裏切られても、愛することはできるのよ」
それは私の正直な気持ちだった。他の女性を想っている夫を見ながら、裏切られたと思いつつも支えてきた。
「そんなことができるか!」
激しい言葉が浴びせられても、私の心は喜んでいた。今、レアンドロは私と話をしている。魔女に裏切られ傷心したレアンドロを受け入れて、やり直したい。
「近づくな!」
怒鳴られても私の心は怯まなかった。愛する人が苦しんでいるのだから、寄り添って癒したい。床に座り込むレアンドロの手を両手で包む。
「……リカルダ……」
見つめ合うとレアンドロの口から私の名前が零れた。最後に名前を呼ばれたのは、行方不明になる直前。お互いに愛し合っていたあの頃に戻れるという期待に胸が震える。
「大丈夫よ。私が貴方を支えます」
魔女のことは忘れて戻ってきて欲しい。魔女を愛したのは間違いだったと、気の迷いだったと言ってくれたら、私の苦しみは報われる。
目を伏せてしまったレアンドロは、彼の手を包む私の手を見ている。この一年、体型を戻すことを心掛け、昔の私に随分近づいていた。レアンドロも愛し合っていた頃のことを思い出しているのだろうか。
「…………しばらく一人にしてくれないか」
レアンドロから返って来た言葉は、私が望んだものとは異なっていた。それでも、感情の昂りは鎮まったことがわかる。
「わかったわ。何かあったら、いつでも声を掛けて」
私を愛してくれていた昔のレアンドロが戻ってくる。期待に胸を膨らませ、私はレアンドロの部屋を後にした。
◆
いつもよりも念入りに準備をし、政務を終えて寝支度をしたレアンドロと寝室へと入った。
「レアンドロ? どこへ行くの?」
「……一人で静かに考えたい」
今日こそは愛してもらえる。そんな期待の気持ちは裏切られ、レアンドロは隠し扉から出て行ってしまった。
魔女に裏切られ、私の所に戻ってくるのだと思っていた。そうは言っても、すぐには忘れられないのかもしれない。
隠し扉が開き、レアンドロが戻ってきたのかと顔を上げるとレジェスが立っていた。
「レジェス……」
「僕が出掛けている間に、大変なことがあったようだね」
レジェスの指が、化粧で隠した頬の傷をなぞっていく。ふわりとした温かさを感じた後、ひりひりとした痛みが消えた。
「顔に怪我をさせるなんて……痛かっただろう?」
「いいえ。痛くはなかったわ。治癒してくれてありがとう」
心の痛みに比べれば、本当に大したことのない痛みだった。
「どこに出掛けていたの?」
レジェスは滅多に城の外にはでない。王の代理として常に政務に携わっているのに、戻って来たレアンドロと入れ替わるようにして出掛けて行った。
「帰ってきたレアンドロの様子が気になってね。今回の視察に同行していた者たちに事情を聞いてきた……それで……神官長に無理をお願いして精霊を使って調べてもらったんだけど、辺境の町で魔女イネスは確かに結婚していたよ。ケイラという男と婚姻式を挙げていて、届も正式に出ている。子供は女の子だそうだ」
魔女が他の男性と結婚していたという事よりも、生まれたのが女の子と聞いて私は安堵の息を吐く。男の子だった場合は、正統な王位継承者を名乗って国を転覆させる企みが起きても不思議はない。
「魔女は、レアンドロが戻るまで待てなかったのね」
「……兄は……もしかしたら、何も説明せずに出てきたのかもしれないよ」
あり得る話だと咄嗟に思った。レアンドロは自分が良い思い付きをしたと考えた時、他者に説明することを煩わしいと思う傾向がある。
魔女が結婚したというのは、私にとって朗報だった。離縁しない限り、第二王妃として迎えられることはない。自分がレアンドロの不幸を喜ぶ嫌な女になっていると思っても、これが私の正直な思いだ。
「兄が落ち着いたら、今後の話をしてみるよ」
レジェスは、何故か寂しそうな笑顔を見せた。
◆
三日が過ぎ、私はレアンドロに呼び出されて王の私室の一つへと入った。王城庭園が窓から見えるこの部屋は、主に商人や平民と面会する為の場所だ。
小さな部屋の中には先客がいた。王家御用達の宝石商の夫妻だ。
「……陛下、何故私をお呼び出しになったのです?」
宝石商の挨拶を受けた後、私はレアンドロに尋ねた。
「君に指輪を贈りたい。寸法を測らせてくれ。好みの宝石があれば何でも言って欲しい」
レアンドロは目を伏せたまま私に告げた。きっと私に指輪を贈るのが気恥ずかしいのだろう。
「陛下、ありがとうございます」
喜びに胸が高鳴る。世継ぎを作る為に何人もの王妃を娶ることのある王は、たった一人に〝正妃の指輪〟を贈る。それは真実の愛を捧げる相手という意味を持つ。
魔女が裏切った今、レアンドロは私の所に戻ってこようとしているのだろう。その贈り物なら大歓迎だ。
宝石商の婦人に手を委ねると何故か十指の寸法を測られた。好みの宝石を聞かれて、レアンドロの瞳の色である緑柱石と答える。
「……手を」
宝石商や他の人目のある中で、レアンドロは私の左手を握る。観察するように指の一本一本を握っては放し、手を撫でていく。
羞恥が頬に集まって、熱くなっていくのがわかる。昔のレアンドロも人目も気にせず私を抱き寄せ、手を握り、口付けてきた。久しぶりに触れられる手は優しさすら感じる。
私の中指を何度も握った後、唐突にレアンドロは手を離した。
「……後は私が頼んでおくので、戻っていい」
レアンドロの冷たい言葉の中に、昔と同じ私への愛が隠されているような気がして、私は心から喜んだ。
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