第5話 呪いの重さ

 王になってから半年が過ぎると、レアンドロは頻繁に国内での視察旅行に出掛けるようになった。私は城に独りで取り残され、臣に下って公爵になったレジェスが王の代理として政務を行っている。王家主催の行事まで任されているのだから、異例のことだ。


 レアンドロは王としての功績を求めているのだと思う。国民からの人気を集め、実績を作り、宰相や大臣が何を言おうとも揺るがない地位を固めてから、魔女を第二王妃にしようと考えているのだろう。


「王は城で動かないものだと思っていたわ」

 レアンドロがいる時には入ることを許可されなかった王の執務室で、私は窓の外を見つめる。


「実際の現場と王が見る報告書との違いを知りたいそうだ。……三年間の平民の生活の経験が、元になっているらしい。何人もの人を介して綴られた報告書は、間違いが多すぎて無駄だと言っていたよ」

 レジェスが宰相や大臣たちの報告を受け、相談をしながら様々な案件をまとめ上げていく。時には私にも意見を求められるので、適度な緊張感が心地いい。この場では、私は王妃としての待遇を受けているという満足感が乾いた心を満たしていく。


 レアンドロは私と向き合うことを避け続け、何かあればレジェスや他者の伝言という形でもたらされる。魔女が王妃になるのなら、私は身を引くつもりだと直接伝えたいのに。


 王妃は離縁が許されなくても、離れることはできる。公務をすべて魔女に譲れば、私が隣に立つ必要はない。


 魔女が王妃として務められるかどうかはわからない。伝え聞く話では、解呪を得意とした稀に見る才能を持つ優秀な女性らしい。とはいえ王妃になる為の教育を受けてきた私と同じだけの仕事ができるのか。……そう考えた瞬間、自分が酷く嫌な女になっていることに気が付いた。


 誰かを侮蔑し蔑むようなことを考えるような女だから、レアンドロの心が戻ってこないのかもしれない。


 窓の外、青い空に輝く赤い月と緑の月を見ながら、私はそっと溜息を吐いた。


     ◆


 王妃になってから一年が過ぎようとしていた。先王に対する服喪が徐々に終わり、共に公務に出る行事も増えてきたものの、レアンドロとの関係は相変わらず。人目がある中では話せることでもなく、二人きりになると逃げるように去ってしまうので、ろくに話すこともできない。


 王城庭園の見える部屋で、二人の友人と共にお茶を飲む。月に一度、王妃が貴族女性を集めて開くお茶会の後、昔から親しい友人と意見を交わすことにしていた。


 出したお茶やお菓子の感想、聞き逃した話題を集めて、貴族社会で何か変化や異常が起こっていないか分析する。王妃である私には、貴族の女性たちを取りまとめる責務がある。


 今日のお茶会も無事に終了した。各地の特産品を使った目新しい軽食を取り入れ、話題の尽きない交流が出来たように思う。レアンドロが地方の活性化を模索していると聞いて、何かのきっかけになればと始めたことだ。


「リカルダ様、何か気になることがあるのではありませんか?」

 いつも微笑みを絶やさず、口数の少ないノエリアが珍しく先に口を開いた。私と同い年の彼女は十八歳でプリオネス公爵子息に嫁いでいる。


「……そうね。レアンドロは王としてどう評価されているのかしら」

 本当は苦しい胸の内をすべてさらけ出したい。心変わりした夫の心を取り戻すにはどうすればいいのか助言が欲しい。そうは思っても、言えるはずもない。


「わたくしには政治の事はよくわかりませんが、夫によりますと、とても勉強熱心で臣下の意見を広く取り入れていこうとされているそうです。何度か視察旅行に夫が同行しておりますが、平民の話もよくお聞きになり、直接意見を交わすこともあると。大臣も貴族も平民も皆、この国がさらに良くなっていくという明るい希望を持って陛下の為に働こうと思っているそうです」

「そう……。明るい希望……」

 私には明るい希望は見いだせない。平民と言葉を交わすことはあっても、私とは話してくれない。


「……リカルダ様。男性は皆、職務が一番面白いと思う時期が人生にはあるそうです。今はお辛いこともあると思いますが、リカルダ様とレジェス様が支えていらっしゃるからこそ、陛下は政務に集中できるのだと思います」

 沈む私の心を浮き立たせる為か、テオフィラが微笑む。彼女も私と同い年。17歳でペルニーナ公爵子息に嫁いでいる。


「そうね。しばらくの辛抱ね」

 日中レアンドロが私を避けるように行動していても、夜は私と寝室を共にしているということは知られている。実際はすぐにレジェスと入れ替わるのだけれど。


 王の職務として仕方なく王妃を抱いている。皆からはそう見えているのかもしれない。私がどれだけ笑顔で取り繕っても、レアンドロの冷たい態度がすべてを無にしてしまう。魔女を第二王妃に迎えるまで、偽りの王妃を演じる苦しみは続くのだろう。


「今日もお茶会にアデリタは参加していなかったわね。何故レジェスとの婚約を解消したのか、理由を聞いている?」

 どこまでも落ちて行きそうな意識を引き上げる為に、別の話題を口にした。レジェスに婚約解消の理由を聞くことはためらわれる。

 

「バランシエラ公爵家の方から婚約解消の申し出があったと聞いております。……噂では心の病になられたのではないかと」

 テオフィラが声を落とした。


「心の病?」

 それは初めて聞く話だ。

「……昨年、陛下がお戻りになった頃、誰もいない場所で空に向かって話をしている姿を目撃した者がおりますの。笑いながら庭園の花をちぎり捨てて回ったりという奇行の噂が出始めて……」


「それは……」

 貴婦人の中での噂の収集は行っていたのに、その噂は拾い損ねていた。

「わたくしも存じませんでした」

 ノエリアも驚きの声を上げる。


「お二人がご存知ないのも仕方がありません。噂をすると、どこでお聞きになったのかバランシエラ公爵様が直々に訂正して回られているので、誰もが口を閉じてしまいます。知っているのは貴族の中でもごく少数でしょう。わたくしもリカルダ様がお尋ねにならなければ、口にするつもりはありませんでした」

 バランシエラ公爵はアデリタの父。金髪に青い瞳の厳めしい方だ。直接注意されれば、大抵の者は震えあがるだろう。


「アデリタは公爵家の別荘で静養中だそうです。ただ……時折、王城庭園や中央神殿で姿を見たという者がおりますが、不思議なことに公爵家の馬車の出入り記録もなく、似た者がいるのではないかと噂になっております」


「あの美しさに似た者は、この国ではいないのではないかしら」

 〝花の化身〟と呼ばれるアデリタはそれ程までに美しい。


 心の病と聞いて気の毒に思うと同時に、私も何かのきっかけがあれば、病んでいたのではないかと内心震える。王妃の責任があり、レジェスや周囲の人々が支えてくれているから、こうして日々を過ごしているだけで。


「……アデリタのことは、そっとしておいた方が良さそうね」

 人一倍責任感の強いレジェスが、心の病が理由で婚約を解消したとは思えない。優しい人だから必ず支えようとするはずだ。


「早く良くなるといいわね」

 誰かに聞けばわかると思ったのに、ますます婚約解消の理由がわからなくなってしまった。私は内心の疑問が顔に出ないよう、次の話題へと切り替えるしかなかった。


     ◆


 早朝の中央神殿の空気は清々しい。王族が訪れる場合は人払いがされているので、神官や巫女たちから挨拶を受けてすれ違うだけだ。


 白い石で出来た建物の内部は、あらゆる方法で取り入れられた外光が壁や天井に反射して、魔法灯が無くても明るい。


 大きな木の箱を抱えた神官が前方から歩いてきた。箱のせいで前が見えていないらしく、まっすぐに向かってくる。ベロニカが声を掛けようとするのを止め、道を譲ろうとした所で、神官が何かにつまずいて箱を落としてしまった。


「しまった……! 申し訳ありません! これは王妃様に大変失礼を致しました」

 箱を拾い上げようとして私に気が付いた神官が顔色を変え、跪いて謝罪する。


「よろしいのですよ、神官フィデル。女神の前では誰もが平等です」

 顔を上げたのは紺色の髪に碧の瞳、ベルトランと同年代の神官だ。非常に博識で説話の種類も豊富。その声の良さも相まって、貴婦人たちからの人気も高い。魔力を持つ者ですら、説話を聞きに神殿へと通うこともあると聞いている。


「ありがとうございます」

 立ち上がり、箱を持とうとしたフィデルが持ち上げるのをやめてしまった。

「どうなさったの?」

「……箱の中身が重くなりました。……自室に行こうと思ったのですが、困りました」

 フィデルが眉を下げる表情を初めて見た。いつも柔らかな微笑みを浮かべている姿しか見たことがない。


「騎士ベルトラン、神官フィデルの荷物を運ぶのを手伝って頂けるかしら」

「はい。王妃様」

 ベルトランが箱に手を掛けて持ち上げようとして、こちらも止めてしまった。


「……一体何が入っているのですか? 私の力では持ち上げることもできません」

「はいはーいっ! 僕が運びます! 王妃様に格好良い所、見せたいです!」

 箱を持ち上げようと手を掛けたクレトの顔が真っ赤に染まっていく。血赤色の髪の色と同じになってしまうのではないかと心配してしまう程だ。


「騎士クレト、無理をしては駄目よ」

 声を掛けると、クレトは木箱に突っ伏してしまった。

「王妃様に良い所見せようと思ったのに! 何が入ってるんですか?」


 二人の騎士に問われて、神官フィデルが重い口を開いた。

「……あの……その…………呪物です」

「は? 呪物? 何でそんな危険物持ってるんだよ!」

 クレトの叫びが神殿の廊下に響き渡る。


「直接触れなければ、それ程危険ではありません」

 何でもないことのように言って微笑むフィデルは、止める間もなく木箱を開けた。中に何が入っているのか興味が沸いて覗き込む。


 中には素朴な形をした金の壺が入っていた。赤黒い模様が表面にびっしりと描き込まれている。呪物と聞いたからか、とても不気味な物のように感じてしまう。 


「……この金の壺は、とある村の湖から引き揚げられました。最初に見つけた漁師が自分の物だと主張して、他の村人に殺されました。手に入れた者がまた別の村人に殺され、ついには村の男全員が死んでしまったそうです。生き残った女性たちがこの神殿に持ち込みました」

 フィデルが淡々と語る内容は恐ろしい。


「調べた所、この壺には男だけを狂わせて殺す呪いが掛かっていました。……私も男ですので少々の危険はありますが、時間を掛けて浄化していくつもりでした」

「浄化に時間が掛かる程、重い呪いなのですか?」


「いいえ。いつもなら一瞬で浄化できるのです……お恥ずかしいことですが、只今体調を崩しておりまして、浄化する集中力が保てないのです」

 フィデルが眉を下げる。いつもと違う雰囲気を漂わせているのは、体調不良のせいなのか。


「他の神官には頼めないのですか?」

「……他の者では神力が足りないのです。王妃様のように強い神力をお持ちの方は、今の神殿にはほとんどおりません」

 フィデルの言葉はお世辞だろう。私の神力は、それほど強くはない。


「私の神力でお手伝いできるかしら?」

「王妃様! 呪物に関わることは反対致します。呪物の浄化は神官の役目です」

 ベルトランの言葉はもっともだと思う。それでも、何かせずにはいられなかった。


「騎士ベルトラン、心配してくれてありがとう。でも、今回は私の我儘を聞いて下さい。私は、国民の役に立ちたいのです」

 私の言葉を聞きベルトランは目を伏せて、言葉を飲み込む。ベルトランも私の焦燥に似た思いを感じ取っているのかもしれない。


「騎士様のご心配もわかりますが、この程度の呪物の浄化は力さえあれば危険はないのです。直接触れる必要すらありません。この箱の外に手を置いて、穢れを落とし清らかになれと祈るだけで良いのです」

「それだけで浄化ができるのですか?」

「はい。いつもは仰々しい儀式を公開で致しますが、あれは私たち神官が働いていることを人々に知って頂く為なのです」


 促されるままに木の箱の縁へと手を置くと、不快な何かに触れた感触が手のひらに伝わってくる。子供の頃に触れた泥のような、ねっとりと重い何か。

「清らかになれと口に出して頂いてもかまいませんし、心の中で唱えて頂いてもかまいません」


「〝どうか清らかに〟」

 目を閉じて唱えると、箱の中が綺麗な水で洗い流されていく光景が思い浮かんできた。手のひらに感じていた不快な何かが消えていく。


「うわ! さすが王妃様!」

 クレトの絶賛の声で目を開けると壺の赤黒い模様は消え去り、眩い金色に輝いている。フィデルも目を見開いて驚きの顔を見せながら壺を手に取った。


「これで浄化ができたのですか?」

「はい。これ以上になく清浄になっています。呪いのすべてが消えました」

 フィデルが金の壺を箱に戻し、クレトが箱を片手で持ち上げる。


「えー。こんなに軽くなる? 呪いって重いんだ?」

「人が呪う程の想いは、重くなるものです。ありがとうございました」

 フィデルの感謝の声に心が躍る。私が人の役に立てたという充実感が乾いた心にしみ込んでいく。ほんの些細なことかもしれない。それでも誰かに必要とされたことが嬉しくて仕方がない。


「一つだけ申し上げることをお許し下さい。呪物浄化の術は、必ず神官の立ち合いの下で行うようにしてください。王妃様がお持ちの神力量でも、浄化しきれない呪物というのもございます」


「浄化できないこともあるのですか?」

「はい。無理に浄化しようとすると、王妃様のお体に負担が掛かることがあります。命に係わることもありますので、呪物浄化をされる時には私か神官をお呼びください」

 穏やかで優しい笑顔を浮かべる神官フィデルの言葉に、私は何故か心のざわめきを感じていた。

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