第4話 義弟の秘密

「〝白猫の呪い〟? とても可愛らしい名前ね」

 結婚から一月が過ぎても、夜の寝室にはレジェスがいる。王妃であることから逃げることのできない私は、この状況を受け入れるしかない。


「名前は可愛くても内容はそうでもないよ。何しろ、心から愛する相手を白猫にして、自分も死んでしまう呪いだからね。無理心中の呪いとも言われてるんだ」


 ベッドの中でレジェスが手にしているのは、王家に伝わる四百年以上昔の古い書物。正式に王家の一員となった者しか見ることができない本だ。


 王家にまつわるお伽話の中、さまざまな呪いの方法や薬の作り方が書かれている。


「白猫があるのなら、黒猫もあるのかしら?」

「あるよ。〝黒猫の呪い〟も怖い。指輪や首飾りに掛ける呪いなんだけど、着けた者が一番愛している者の命を黒猫の姿をした影が奪ってしまうという呪いでね。もしも呪いの相手が自分を一番愛していた時には、自分が死んでしまうんだ」


「どちらも自分の命を賭けた呪いなのね」

 お伽話だとわかっていても、恐ろしい呪いだ。


 最近のレジェスは私に本を読み聞かせてくれている。まるで幼い子供のようだと思いながらも、心が躍る。昔、難しいと読むのを止めた物語も、レジェスの声で聞かされるとすんなりと物語の世界に入ることができる。


「こうしていると、昔に戻ったみたいね」

 幼い頃、レアンドロとレジェスと私は一緒に行動することが多かった。夜は王城の子供部屋のベッドで三人で並んで眠る。眠りに入る前には、王や王妃、神官長や宰相、さまざまな人々が童話や寓話を語り聞かせてくれていた。


「そうだね。あの頃、一番怖い話をしたのは神官長だったな」

「女神が愚かな国を静かに滅ぼしてしまったお話でしょう? 私は乳母の話が怖かったわ」

「騙してさらった王子を魔女が頭から食べてしまう話だろう? リカルダが泣くのを我慢している顔は可愛かったよ」


「今、思い出しても怖ろしいのよ。震えてしまうもの」

 暗い部屋の中、ぼんやりとした魔法灯が壁や天井に乳母の影を長く伸ばす。ゆらゆらとゆれる影が不気味な魔女のようだった。


 三人で一日を過ごして学び、一緒に眠ることが許されていたのは、レアンドロが十歳になるまでだった。それ以降は、各自の教育を受ける為に離された。


「少し早いけど、そろそろ眠ろうか」

「そうね。眠りましょう」

 私はまだレジェスに抱かれていない。レジェスも私を抱こうとしない。同じベッドで眠るうち、仲の良い兄妹のような感覚が育ちつつある。


 私は仕方なく王妃にされたのだと思うと虚しく苦しい。


 レジェスが私に魔女の事を話したと知ったレアンドロは私を避け続けていて、食事の時間さえ別になった。共に行うはずの公務さえ、私は外されている。


「……お飾りの王妃なら、そう言ってくれればいいのに」

 闇の中、溜息と同時に愚痴がでてしまう。私が弱音を吐くことができるのは、レジェスの前だけだ。


 自分の考えを直接話してくれたら、私は迷うことなく王妃を演じることができると思う。レアンドロの心の中に他の女性がいて、いつか入れ替わるのだとしても、今は妻として支えたい。


 レジェスは何も言わずに、手探りで私の手を握りしめた。何の言葉もなくても、愚痴を聞いてくれているだけで心が緩む。


「ありがとう、レジェス。おやすみなさい」

 優しい手の温度を感じながら、私は目を閉じた。


     ◆


 手にしたカップのお茶が褐色に変化した。

「……ベロニカ、何か入っているわ。取り替えて」

 レジェスから貰った護り袋を身に着けてから、毒が混入されていると見えるようになった。他の者にはこの変化は見えないらしい。


 精霊が見えるという神官が一時付いていたものの、役に立っていないとベルトランに判断されて外されてしまった。


 護り袋のお陰で、毒見の必要がなくなったことは密かに嬉しい。これまでは飲むことができなかった熱い飲み物や料理を楽しむことが出来る。


 茶器をすべて取り替えて淹れられたお茶は淡い紅色。瑞々しく華やかで甘い果実の香りがふわりと広がる。

「これは初めてのお茶ね」

「はいっ! 僕がヴァランデールから取り寄せましたっ! 王妃様がもっと美人になるお茶です!」

 壁際で子供のように挙手をしたクレトが得意満面の笑みを見せている。隣に立つベルトランが苦虫をかみつぶしたような顔でクレトの頭に拳を落とす。


「あいたたたた! ちょっとは手加減してよ、ベルトラン!」

 大袈裟に頭を抱えるクレトの姿が可笑しくて笑ってしまう。無邪気な少年騎士の言動が、無味乾燥した生活の中で自然な笑いを誘う。


「騎士クレト、ありがとう。とても美味しいお茶ね。騎士ベルトラン、手加減はしなくてもよくてよ」

「ええっ!? 王妃様、それはないよ!」

 クレトの情けない叫びが可愛らしくて、堪えきれずに笑いが零れた。


     ◆


 この国では王妃になってから三カ月が過ぎると、月に一度の王妃主催の茶会を開くことになる。十八歳以上の貴族女性への招待状を出し、季節に合わせたお茶やお菓子を選ぶ。舞踏会や夜会と違って、昼間に行われる気軽な集まりだ。


「今回の参加者は百十四名ね……」

 先代の王妃と同年代の女性たちは先王の喪に服する為に欠席している。全員が出席するようになるのは一年後だ。それまでに失敗のないように慣れておかなければならない。


 お茶会の開催場所は王城庭園を中心にすることが多い。実際の場所を確認する為に、私は王城庭園へと向かった。


「何故、わたくしと結婚して下さらないの!?」

 突然聞こえた女性の叫び声に、体が強張る。庭園の木々の間から見えたのは、バランシエラ公爵家の娘アデリタ。輝く黄金の波のような髪、サファイアのように輝く瞳。〝花の中の花〟〝花の化身〟と呼ばれる美しい女性。レジェスの婚約者だ。


 アデリタは王族にも匹敵する強い魔力を持っている。レアンドロと私が幼い頃から親しくしていなければ、間違いなく彼女が王妃になっていただろう。


「理由は君が一番よくわかっているだろう?」

 レジェスの静かな声が聞こえてきた。姿は木々に隠れて見えない。


「どうして? わたくしは……わたくしは貴方の為に……」

「それ以上は口にしてはいけない。君を護れなくなる。……私の事は忘れてくれ」

 レジェスの言葉に何故か胸がちくりと痛む。


 進もうとしていた道を外れ、他の道へと歩いて行く。ベロニカが慌てて先導し、クレトとベルトランは後ろを歩く。


 レアンドロが城に戻ってきた直後、レジェスはアデリタとの婚約を解消していたと知ったのは昨夜のことだ。何気ない会話の中で知らされた。


 理由はわからないけれど、アデリタを護る為にレアンドロと何か取引でもしたのかもしれない。だから私と夜を過ごしているのか。これまでの優しい態度は私に好意があるからではないと身が引き締まる。


 レアンドロの心の中にもレジェスの心の中にも、他の女性が存在している。私だけを愛してくれる人はいないのだと突き付けられた事実が心に痛い。


 レアンドロと話がしたい。

 私の密やかな溜息が、爽やかな風に紛れて流されていった。

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