第3話 夫の秘密
「毒を盛られたそうだな。大丈夫か?」
昼食の席でのレアンドロの言葉に、私の心臓が止まるかと思った。今まで、気遣いの言葉を掛けられたことはなく、初めての言葉に心が躍る。
「……大丈夫です。ご心配下さりありがとうございます」
たった一言が胸を熱くする。嬉しくて溢れそうな涙をこらえて微笑むと、レアンドロは視線を逸らしてしまう。
運ばれてきたすべての料理は毒見が行われ、騎士クレトが確認の為に控えている。レアンドロはクレトに精霊の毒についての説明を求め、精霊の毒は液体にしか入れられないことと、現時点では防ぐ方法がないことを確認していた。
「何が原因なのか判明するまで、精霊の姿が見える者を付ける。今後も注意を怠るな」
冷たく突き放すような言葉の裏に、レアンドロの心配があると思うと私の心は温められた。私に冷たく接するのも、何か理由があるのだろう。
「ええ、注意致します」
私の微笑みを見ることなく、レアンドロは食事を続けた。
レアンドロは政務に戻り、私は自室で外国の女王や王妃からの祝いの手紙に返事を書く。各国の文化や風習に合わせた返礼品を選ぶことは、重要な外交の一つだ。通常は婚礼から三日後に始まる公務を私は前倒しにすることにした。
◆
夜になり、またレアンドロは寝室の隠し扉から出て、替わりにレジェスが現れた。
「レジェス? 髪が短くなっているわ。どうしたの?」
腰まで伸ばしていた金髪が短く切られ、顔色が冴えない。
「ああ、ちょっと気分を変えてみたくてね。似合わないかい?」
「いいえ。似合っていて素敵よ。でも、子供の頃からずっと伸ばしていたでしょう? 突然のことだから驚いてしまったの」
昔のように髪に手を伸ばし掛けて、大人になったのだという寂しさに手が止まる。幼い頃は私と身長が変わらなかったレジェスも、今では頭一つ分、私よりも背が高い。
「後で、昨日できなかった話をしようか」
「ええ。お願い」
レジェスは私を抱くつもりは全くないようだ。安心した私はレジェスとカウチに並んで座った。用意されていた毒見済みの果物を口にする。
「良かった。食欲はあるんだね」
「食べたいとは思えないのだけれど、頑張って食べて、元の体型に戻したいの」
レアンドロが初めて私の心配をしてくれたことが、とても嬉しい。私が健康的に戻れば、レアンドロも昔のように愛してくれるかもしれない。
「どうしたの? レジェス」
レジェスの苦笑が気になって、私は手を止めた。
「……いや。何でもないよ。……これをもらってくれないかな」
そう言ったレジェスは、濃い緑色の小さな巾着袋を取り出した。
「それは何?」
「護り袋だ。毒や悪意のある魔法、害意のある術、そういったものから護ってくれる」
「精霊の毒は、防ぐ方法はないと聞いたけれど……これで防げるの?」
「毒を入れられることは防げない。精霊の毒に限らず、毒が入っていることがはっきりとわかるようになるはずだ」
手を拭いて護り袋を受け取ると周囲の空気が澄んだような気がした。私の親指二本分程の小さな巾着袋の効果に驚くしかない。
「中に何が入っているの?」
巾着袋の紐は固く縛られていて解けそうにない。指先で探ると硬い石のような物が入っていることがわかる。
「護り袋の中身は人目に晒すと効力を失ってしまう。だから絶対に開けないで身に付けていてほしい」
「ありがとう。大事にするわね」
レジェスの瞳は真剣で、何故か胸が高鳴る。どこか甘い空気に包まれていく中、私の心はレアンドロに助けを求めた。
「あ、あの、レアンドロが何を考えているのかを教えて」
かろうじて口にした言葉を聞いて、レジェスが大きく息を吸って視線を逸らした。柔らかな雰囲気が一気に引き締まる。
「本当は僕の口から言うことじゃない。……リカルダに自分で説明しろって何回も言ったんだけど、昔から僕の言うことは聞いてくれなかった」
レジェスの口が重い。確かにレアンドロはレジェスの意見を聞いたことはない。……私の意見も聞いたことはなかった。それは未来の王としての教育を受けているからだと思っていた。
「……兄は……行方不明になっていた三年間、記憶を失っていたそうだ」
「え? 怪我をしていたと聞いたのだけれど」
「ああ。魔物に襲われて酷い怪我をした時に記憶を失って〝黒い森〟の魔女に助けられた。自分が王子であることを忘れていて……魔女との間に子を儲けたらしい」
ぐらりと世界が回ったような気がした。衝撃で気を失いそうになりつつも、レジェスに支えられて留まる。
「子供が……?」
「まだ生まれてはいない。三カ月前、魔女が身籠ったことが判明した直後に兄は記憶を取り戻した。……兄が城に戻ってきたのは、王子という身分を捨てる為だったんだ」
王位継承権やすべてを放棄して平民として生きる。それは魔女と正式に結婚する為と聞いて、私の目の前が暗くなった。
「……それでは、私は……?」
涙が溢れてきた。
「他の方をお好きになったのなら、言ってくだされば……」
レアンドロを諦めることはできなくても、身を引くことはできた。私は王妃になりたかったのではなく、レアンドロの妻になりたかっただけだ。そのためだけに彼を待ち続けていた。
「……王子であることを放棄することは父の……先王に反対されて叶わなかった。それで……魔女を王子妃にしたいと望んでいた。魔女は古くから続く家の者で、公爵家が養女とすれば身分は問題ない。ただ、4つの公爵家すべての当主が反対した」
「レアンドロはそんなことを思っていたのね……」
戻って来てから三カ月、私は全く知らなかった。レアンドロが愛する女性は、どんな人なのだろう。
「黒い森に住む魔女は、人を食べて生きているという噂があってね。人の生き血をすすり、肉を食べ、魔物と同じ生活をしているから、魔物に襲われないのだと。もちろんそれは嘘で、強力な魔法を使う魔女だそうだ」
「兄はどうにかして公爵家を説得しようとする中で、父が亡くなった。兄は魔女を王妃にできないのなら、王位継承権を捨てると言い張ったんだ。……その内、僕を王にしようという派閥が出来始めた。兄は僕が王でいいと言ったが、宰相や大臣が許すはずはない。このままでは内紛が起きて国が滅ぶと兄を説得したそうだ」
「そうだったのね……何故、私と結婚したのかしら……」
私の呟きにレジェスの答えはない。理由はわかっている。この国では未婚者は王にはなれない。王になる為には妻が必要だ。今すぐに魔女を王妃にできないから、替わりに私と結婚した。ただ、それだけだ。
「魔女が男の子を産んだら、世継ぎにするつもりなのかしら……」
「それはできないよ。結婚前の庶子に王位継承権は認められていない」
「…………」
私を抱かないのは、魔女を深く愛しているから。理由を察した時、私の世界のすべてが崩れていくように思えた。レアンドロが行方不明になった時とは違う絶望が心を襲う。
「……力になれなくてすまない」
抱きしめられても抵抗する気力もなかった。レジェスの温かい腕の中、私は泣き続けることしかできなかった。
◆
十日が過ぎ、祝いへの返礼がすべて終わっても私の公務はなく、レアンドロだけが忙しく政務を行っている。何か手伝いたいという私の希望は受け入れられず、ただ、一日を過ごすだけだ。
誰からも必要とされないことが、私の気力を奪っていく。
王城庭園の東屋で、ぼんやりと本を読む。部屋で刺繍でもしようと本を閉じて立ち上がった時、目の前に白い薔薇が差し出された。
「騎士クレト、これはどういう意味ですか?」
差し出された白薔薇は瑞々しく、華やかな芳香を漂わせている。
「遠くヴァランデール王国では、男が女性に白い薔薇を贈ることは意味があります」
胸に手を当て、大袈裟な芝居がかった仕草と声でクレトが語る。
「〝貴女だけを永遠に愛している〟と」
跪いたクレトの突然の愛の告白に驚いて動けなかった。
「クレト! お前は何を!」
蒼白になったベルトランの声に、クレトが肩をすくめながら笑う。
「冗談ですよ、王妃様。驚いたでしょ? こいつ馬鹿だなって思ったら、笑って下さい。僕、王妃様の笑顔が見たいです」
じゃれつく子犬のような目が輝く。素直な少年の笑顔が、痛みに悲鳴を上げていた心を少しだけ癒した。
「……そうね。気持ちだけ頂いておくわね」
少年に気遣われてしまう程、私は酷い顔をしていたのか。これでは王妃として失格だ。飾り物だったとしても、私は王妃でいなければならない。
白い薔薇は受け取ることなく、私は無理矢理微笑みを作った。
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