第7話 黒猫の呪い

 レアンドロからの贈り物は、素晴らしく輝く緑柱石の指輪だった。〝正妃の指輪〟は金のみで作られて、獅子と百合の図案が彫られると決められている。


 それでも私は嬉しいと思う。この指輪の素晴らしい輝きは、古くから名のある宝石にも劣らない。


 レアンドロが視察旅行と偽って魔女を迎えに行ったと聞いたのは、指輪の採寸が行われた翌日。国内の視察旅行を繰り返していたのは、いつか迎えに行く為だったのかと静かに受け止めた。レアンドロは私の元へ帰って来たのだから問題にすることもない。


 指輪を贈られてから、毎日毒が盛られるようになった。お茶だけではなくスープやお酒に入っていることもある。食堂でも自室でも全く変わらない。


 騎士たちによる犯人捜しは行われていても犯人は不明のまま。毒が入っていないのは、晩餐会やお茶会、公式行事の時だけだ。


「……何故私に毒を盛るのかしら」

 また毒を盛られたお茶を取り替えてもらう中、つい愚痴を零してしまった。


「王妃様が美人過ぎるからじゃないかなぁ」

 クレトの答えの直後、ベルトランが拳を落とした音が部屋に響く。


「軽口が過ぎるぞ、クレト」

「あいったたたたたー。手加減してよ、ベルトラン! だってこんなに優しい王妃様が狙われるなんて、全然理由が思い浮かばないし! 犯人が精霊だったら美人の王妃様に嫉妬したっていうのもありかなって思わない?」

 精霊というものは、人間とは感性も考え方も全く違うとは物語にはある。


「精霊っていろんな姿のヤツがいるって子供の頃から聞いてるけど、王妃様みたいに銀色の髪に紫色の瞳なんて聞いたことないし」

「クレト、王妃様の御前だ。言葉を改めろ」

 ベルトランがクレトを静かに諫める。


「ありがとう、騎士ベルトラン。今だけクレトの自由な言葉遣いを許します。騎士クレト、どんな姿の精霊がいるのか、知っていることを教えて下さい」

 書物に書かれている精霊の姿は限られている。実際にはどういった姿なのか、私は興味を抱いた。


 クレトは紅い騎士服の隠しポケットから紙に包まれた棒を取り出した。

「騎士クレト、それは何ですか?」

「この前、王都の広場で行商人から買いました! 壁に落書きしても、一瞬で消せることができる魔法の白墨チョークです!」


 何をするのかと思えば、壁に絵を描いて説明してくれるらしい。

「えーっと。一番力の弱い精霊っていうのは、水玉とか小さな炎とかの姿をしていて、雨上がりに草とか葉っぱの上に乗っていたり、花の夜露に混じって隠れていることもあるそうです」


 淡い水色の壁にクレトが白墨で描いているのは、花……だと思う。おそらく。断言することはためらわれる。


「ちょっと力が増えると小鳥や魚とか蝶、動物や昆虫の姿に近くなるんですが、尻尾が二本だったり三本だったり、翼が四枚とか、とにかく普通ではない動物の姿になります」

 クレトが描く小鳥や魚の姿は、お世辞にも上手いとは言えない。気を緩めると漏れそうな笑いを噛み殺しながら、説明を聞く。


「さらに力を持つと、小さな人間だったり、蝶の翅や鳥の翼を持つ人の姿になります。特徴的なのは、目の白い部分がないっていうことです」

 控えていたベロニカが笑いを漏らした。長年の侍女としての経験もクレトの絵の破壊力には敵わなかったようだ。


「高位の精霊と呼ばれる強力な魔力を持つ者たちは、人間とほとんど変わらない姿ですが、やっぱり目の白い部分がありません。磨いた宝石のような瞳だって言われています」 

 人の顔を描いているのだとは推測できても、理解はできない。少年が得意満面の笑みを浮かべて描いているから尚更、その落差に口元が緩む。


「――以上、僕が知ってる精霊の姿でした!」

 観客に向かって礼をする俳優のような大袈裟な姿に、笑いながら拍手を贈る。


「まぁ、でも、どんなに強い精霊でも、魔性には全然敵わないんですけどねー」

 魔性というのは悪魔とも呼ばれる存在だ。魔物と違って、強大な魔力と知性を持つ。物語を読む限りでは、高位の精霊と同等程度に考えていたのに魔性の方が魔力が強いらしい。


「それでは、消去! ……あれ? 消去! え? 消えないっ!?」

「騎士クレト、どうしたのですか?」

「え、その、行商人のじーさんは、消去って描いた絵に向かって叫べば消えるって言ってて……消去!」


 少年は何度も自らの落書きが描かれた壁に向かって消去と叫ぶ。何度叫んでも絵は消えることがない。


「ええっ!? もしかして、俺、騙されたーっ!?」

 頭を抱えてクレトが叫ぶ。白墨1本に銀貨5枚を支払ったようだ。


「騎士クレト、精霊のことを教えて下さって感謝します。壁の絵は責任を持って消して下さいね」

 私の言葉を聞いたベルトランが噴き出して、壁を叩きながら笑い始めた。


      ◆


 寝室へと入った後、レアンドロは何も言わずに隠し扉へと向かう。その手には白い小さな箱が握られていた。レアンドロの気持ちが落ち着いて、声を掛けられるまで待つと決めた私は、就寝の挨拶を告げて見送る。


 隠し扉を抜けていく一瞬、黒い猫のような影がレアンドロの肩に見えたような気がした。ぞくりと背筋に冷たい何かが走り抜けていく。


 黒猫の影。記憶の奥底から、恐ろしい呪いの話が蘇る。〝黒猫の呪い〟は、指輪や首飾りに掛けて相手に贈ると聞いた。まさかと疑念を振り払っても、私の心は晴れない。


 自分ではどうすることもできない不安に襲われ、隠し扉から現れたレジェスに私は縋りついた。 

「レジェス! 私、どうしたらいいの!?」

「まずは落ち着いて。息をゆっくりと吸うんだ」

 レジェスの温かい腕が私を包むと、私の不安が和らぐ。しっかりと深い息をして、私はレジェスに打ち明けた。


「レアンドロが……〝黒猫の呪い〟を掛けようとしているの」

「まさか……どうしてわかったんだい?」

 黒猫の影が見えたことと、私には〝正妃の指輪〟を贈られなかったことをレジェスに話す。十指の寸法を測られたのは、魔女の指の大きさがわからなかったからではないだろうか。


「……それだけでは……」

「指輪が魔女の手に渡る前に確認できないかしら。私、呪いの浄化をしてみるわ。だからお願い、レアンドロが持つ指輪を私に見せて」


 レアンドロが何を贈ろうとしているのかどうかはわからないはずなのに、私は指輪だと確信していた。自分でも何をしたいのかわからない。とにかく、呪いを止めなければとレジェスに訴え続けた。

「……わかった。何とか手に入れてみよう」

 そう言ったレジェスは、とても寂し気な笑みを見せた。


      ◆


 翌日の夜、レジェスが持ってきた小さな包みは、茶色の蝋引き紙ワックスペーパーで覆われ麻紐で結ばれていた。辺境の町の住所と店名らしきものが書かれた札が付いており、イネス・ロルカ宛と書かれているだけで差出人の名はない。


「荷物便で送るつもりだったらしい」

 それは最近、平民にも使われ始めた遠方へ品物を届ける方法で、町や村の首長や信用のある店が差し出しと受け取りを担い、町や村を行き来する商人たちが運搬する。多少の時間はかかるものの、ほぼ確実に届くという評判だ。


「誰かに届けさせれば済む話なのに……」

「相手は既婚者だ。それでは受け取ってくれないかもしれないと思ったのかもしれない。差出人の名前も無いし、これは兄の字じゃない」

 

「……ご丁寧に封蝋に魔法が掛けてあるから、開封は難しい」

 開封するとレアンドロに知らせがいく魔法が掛けられているらしい。


「そのまま、試してみるわ」

「この包みはとても重い。僕は今、魔法を掛けて持ってるけど、男が両手で持たなければならない程なんだ。君には持てないよ」

 受け取ろうとすると、レジェスに止められた。レジェスはテーブルの上に包みを置く。


 包みに手を乗せると、先日の壺よりもどろどろとした何かを手に感じる。

「〝どうか清らかに〟」

 唱えた途端、心臓がずしりと重くなったような違和感が胸に起きた。手に感じる不快感は増し、肘まで泥に浸かったような重みがある。


 目を閉じると包みの中には白い箱。その中には黒い闇を纏う金の指輪が見える。


 心臓が誰かに握られているような苦しさが全身を痺れさせていく。息をすることさえ苦しい。箱の中が清らかな水で洗い流される光景を思い浮かべても、全く綺麗にはならない。指輪から黒い泥が湧いてくる光景しか見えない。


「リカルダ、止めよう。呪いなら神殿で浄化してもらえるだろう?」

「レジェス、これはどうしても私の手で浄化したいの。……レアンドロを死なせたくないのよ。他の人と結婚したと言っても、もしかしたら魔女はまだレアンドロを愛しているのかもしれない。もし、そうだったとしたら……」


 後は言葉にできなかった。レアンドロに心から愛される魔女がうらやましい。他の男性と結婚しても〝正妃の指輪〟を贈られて〝黒猫の呪い〟を掛けられる程、愛されている。


 涙が頬から零れ落ちた時、包みが白い光に覆われた。

「え?」

 禍々しい黒の重さが空気に溶けていく。もう一度光り輝いて、完全に消え去った。


「……消えたね」

「ええ。良かった……」

 これで指輪が魔女に届けられても、誰も命を落とさない。力が抜けて倒れそうになった体をレジェスが抱きしめて支えてくれた。


「レジェス、ありがとう」

「……これは送ってもいいのかい?」

「ええ。……だって、それは私の物ではないもの」

 中身は恐らく〝正妃の指輪〟。どれだけうらやましくても私の物ではない。


「わかった。必ず届けるように言っておくよ」

 レジェスが優しく微笑む。私は寒々とした気持ちを抱えながらも、レジェスの腕の中は温かいと感じていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る