其の拾肆 終章
今日も今日とて、ある日の事、リーンを貪るようにしながら快楽の渦に漂い、
(……やべ……癖になりそう……)
俺はそんな事を思った。経験人数もそれなりにある方だとも思うのだが、リーンとの結びつきには今まで経験した事もない「何か」が其処にあって、それが今までの女性の経験にはなかった「年齢差」から来るものなのかは、全く解らなかったにせよ、もう、そんな事もどうでもよかった。ただ、性に溺れる俺たちは、まるで禁断の果実を食らったアダムとイブのようで、
「ナーモ君……かわいい、ナーモ君、いらっしゃい……」
すっかり妖艶でいながらも 聖母のような微笑みで囁く、眼前の、愛しい人の生まれたままの姿は、女性らしく既に成熟していると言え、この小さい体のどこにあるのかというほどのの大きな母性の存在があり、俺の体中、更にまるで電撃は走るようだったのだ。
あの日のライブハウスの帰り道、とげとげしすらあった赤毛の長い髪の後ろ姿が、目の前で屈服するように四つに這い、女の歓喜の声をあげる頃、今や俺は、それまでの自分の女たちの時と同様な性の衝動すらとっくに爆発させていて、それは、時に、かつての相手によっては受け入れてもらえなかった要求でもあったのに、獣のように目をランランとさせ懇願する俺に、リーンは驚いて目を見開く事はあっても、拒む事は一切せず、しばらく考える風に沈黙し、間をおいた事はあっても、全てに頷き、受け入れていた。きっとこれは本人の若さゆえの無知と勢いと、そして自身が兼ね備えた健気さが成せる技だったのだろう。
まるで、玩具のように弄り、幼児のように求め、野獣のように迫る怒涛の衝動の前で、あまりに耐えかね、当初こそ苦悶を浮かべる事はあっても、結局、全てを受け入れながら、リーンは、目の前で嬉々として体を跳ねらせ、俺は、その目の前のあまりの美しさに、更に彼女に溺れていった。
(………………)
もう、何度愛し合ったかもわからないほどの絶頂の瞬間、ふと、俺は拙宅の天井を見上げていて、この、あまりの心地よさに、自らが死んで、天国とかいう世界にでも、とっくに辿り着いてしまったのではないかと錯覚したりした。そして、そんな快楽は三時間で満足する事など決してなく、更なる延長戦を生み出す事などたやすい事であったのだ。
いつものように事を終え、リーンの腕の中にいる、ある日の事、高円寺には、走り梅雨が降り始めていて、窓に当たる雨音と、リーンの心音を聴き比べるようにして目をつぶっていると、
「私……ずっと前から、ナーモ君なら、って思ってたんだよ?……やっぱ子供だから、ね。魅力、ないのかな?って、悩んでたんだから……!」
リーンは囁くように語り掛けてきたので、驚愕の事実に驚いたのは俺で、
「え。いつから?」
「……教えてあげない……!」
見上げて訪ねると、自分の胸で窒息してしまえとばかりに強く抱擁されれば、
(やべ……かわいい……)
思わぬ反応にクラッとし、それは新たなラウンドを告げるゴングであったりした。
春はすぎ、外では蝉も鳴きはじめると、夏の強い日差しが窓から入り込んでくる光の世界の中、万年床の上では、今や夏服の半そでの制服姿のリーンが胸をはだけて、俺の膝の上に乗っている。先ずはその大きさを確かめるように、俺が頬ずりを繰り返していると、彼女はそっと額に口づけで返す。やがて口にふくみ嬉しそうに見上げると、まるで赤ん坊の頭でも撫でてやるようにしながら、心地よさげに、愛おしげに、リーンは微笑みかけていた。この一連の流れは、まるで俺たちだけの儀式のようだ。そんな繰り返しの最中、すっかりヨダレまみれとなった自らの胸元を見つめながら、
「あーあ。ナーモ君のせいで、また大きくなっちゃったみたい。今日、友達に言われちゃったっ」
リーンは世間話でもするかのように話しだし、
「そうなの?!」
俺は、ハタと気づくようにして、目の前に広がる絶景を眺めるのである。
「うん。ブラも買い直さないと……」
(…………)
いくら令嬢であるとはいえ、学生にイタい出費をさせてる気がしてどうしていいか解らずいると、リーンの手がそっと頭に触れた。
「ふふっ。いいの。ナーモ君は、いいんだよ。ほら、いらっしゃい」
(………………!!)
そして、飼い主に許可を与えられた動物は、再びご褒美に食らいつくのであった。
許可を与えられた野獣は今日も留まる事を知らない。
(へへ……やっぱ、俺、変態だ)
今や、台所にすがりつくようにしながら喘ぐリーンの後ろ姿を楽しむように眺めては、完全に開き直る自分がいた。
(………………!)
ただ、我が欲望の餌食とさせながらも、それ以上の愛おしさがこみ上げてきては、彼女にキスを迫り、振り向くようにしてリーンは応え、やがて、切なげに見つめあう二人は一つとなったまま、いつものように絶頂を迎える事となる。
一度、味わってしまえば、病みつきとなってしまった感は否めない事実だったが、俺たちは決して体だけの関係なわけではない、確かな恋人同士である。夏生まれのリーンの誕生日には、秘密裏にレコーディングしていた、彼女への想いを詰め込んだ歌のCDと、細やかながらプレゼントも準備したし、相変わらず互いのサブカルチャーの貸し借りは行われていたし、共に、鑑賞を楽しんだり、その感想を述べあったりする事も少なくなく、ただ、互いの時間に三時間しかいれない「制約」は、更に、二人にとって、最早、切なさを超える「苦しみ」とすらなっていた。
その日、俺たちは、大日本帝国側にある多摩川にきていた。景色はすっかり夕焼けを形作っていて、河川敷には、一際鳴き続ける蝉の声がこだまし、つい、去年、あれだけ距離をもって共に座っていた事が嘘みたいに密接し、肩を並べて座っていると、
「あの日、ここにきて、ほんとによかった……」
ふと、リーンは呟き、俺の肩にそっと自分の頭をくっつけ、
「ほんと、それな……」
俺も呟くように返して、優しく彼女の長い髪を撫でた。
「ずっと、こうしてたいな……」
そのまま、いつしかの俺のような事を彼女が口にしたので、
「まじな。……てか、一緒に旅とかしたい。たまに路上ライブとかしてさ」
ふと、思いついたように言うと、
「え! それ、すごい、素敵!」
リーンは、パッと明るい笑顔をこちらに向け、
「……だべ?」
俺はひと際に笑って返すのであった。きっと、俺たち二人なら、まるで見た事もない更なる世界でも、どこまでも冒険できる相棒同士にすらなれる風に思えた。ただ、時間とは、今日も無情で無常だ。
「あ……」
「あ~あ。まじかよ~も~う」
その日も俺は光りだし「タイムリミット」は始まってしまったのだ。そして、まるで、今生のお別れであるかのようなキスのお別れは、お互いの胸が張り裂ける思いへと変わる。ただ、夏休みを迎えたリーンは、膨大な時間をもて余すようにしていたのだ。
夜更けの自宅にて、ギターをつま弾きつつもまんじりともせずにいると、耳鳴りは、ピーン…………! と響き、俺が驚く間もなく、光の彼女は眼前に現れていて、
「来ちゃった……」
と、恥ずかし気に肩をすくめるようにすれば、そんなリーンを俺が歓迎しないわけがなかった。ただ、こちらは、同じ日本とは言っても、彼女の住む世界とは違い、いくら互いの気持ちが本物でも、年齢差のある異性交遊に関しては法律がうるさきお国柄である。ましてやリーンは身分を証明できるものがこちらでは通用しないのだ。と、なれば、二人の時間の過ごし方の選択肢は限られ、ましてや、こんな夜更けに現れようものなら、彼女はわざわざ俺の欲望に襲われるためにやって来るようなものだった。
真夜中の高円寺でも、あちらの世界と同じように、蝉たちは狂おしいほどに鳴き続け、その間を縫うように、リーンの可憐な声が部屋の外へと漏れいでていた。今までこんな事はなかったと言ってもいいくらい、すっかり彼女のとりことなっていた俺は、いつのまにか、時に、避妊具が足りなくても彼女を抱き続けてしまうほど、リーンからもたらされる快楽に取り憑かれていたのだ。ただ、純粋な思いすらも生まれていたが、その真価が問われる日は、とうとう、やって来る事となる。
夏も終わったある日の事、ギターを握りしめるようにしていた俺は、リーンの部屋で、ものすごい動悸と共に彼女が戻ってくるのを待っていたのだ。
ガチャリ……
やがてドアが開かれると、笑みを浮かべながらも困惑気な我が恋人が帰ってきたのである。そして、手にした妊娠検査キットを、おずおずと胸元に掲げるようにすれば、
「できちゃった、みたい……」
と、衝撃の事実を呟くように伝えてきたのだ。
(………………)
俺は、ガクリとうなだれるほかなかった。いくら快楽に取り憑かれていたとは言え、取り返しがつかない、とんでもない事をしでかした事が、今、此処で、思い知らされる感覚だったのだ。
(………………)
避妊は必須のマナーのようなものだ。それを怠ったは全て自分の責任である。ならば、堕胎なんて事は到底考えられなかったし、そもそも、俺たちは同じ国に住みながら、持ち合わせの通貨価値も全く異質の異国人同士でもあるのだ。費用なんぞ捻出もできないではないか。
(………………)
ただただ、自分の身勝手さを呪いたくなった。幾度も求め、抱いては、時に、自らに言い聞かせるように、実は、俺の答えは決めていたりしたのだ。気づけば、リーンといつまでも共にいたくて、ここまでの気持ちになるのははじめての事、と言って過言じゃなかったのだ。
(…………だけど、それは、俺の屁理屈だよ…………)
確かに俺たちは愛し合う関係となった。だが、いざ、目の前で現実を突きつけられた時、それがいかに自分本位で、甘い目算だったかを思い知らされた。なら、俺はリーンの立場で考えた事があったのだろうか。少なくとも彼女は未だ学生で、高等女学校なる学校の課程があまりある身ではないか。理不尽な大人の性のはけ口となったせいで、若者の将来をつぶしてしまうというのか。
「ごめん…………リーン…………」
そして、絞り出すように、俺の口からでた第一声は、先ずは深い謝罪の言葉がであったのだが、
「………………」
リーンはすっかり沈黙してしまっていた。
「俺…………いつからか……あーたとの……将来も……勝手に夢見てて……!
けどそれってさ……すげー自分勝手……だって、俺たち住む世界、違うんだし……どうせぇってな…………!」
やがて、後悔は涙をあふれさせてくるようだ。
「思った事あるんだ……リーンのいる、この日本で……いつまでも一緒にいれたらな…………とかさ。一緒にユニット組んでさ…………風歌歌手の人達と…………イベント…………したり…………」
「………………」
リーンは押し黙ったままだった。もう、どんな表情でいるかも解るのが怖くて、
「ごめん…………ほんとに…………けど…………ほんと、自分勝手、だけど…………子供…………産んでほしい…………! 俺たちの…………嫌なら、俺がこっちの日本で責任もって育てるし…………! 頼む…………! 後は…………賠償の…………」
俺はうなだれたままに、深い謝罪を続けながらも自分の意思は告げた、その時の事であった。
「…………なに、言ってるの?」
とうとう、リーンが言葉を口にすれば、俺はビクリと震えたのだが、
「私、産むよ! ナーモ君との子供だもん!」
と、言われた時には、思わず耳を疑い、俺はその顔を仰ぎみたのだ。瞳を潤ませた蒼い瞳の中には、強い決意がにじみ出ていて、俺を見下ろしていたのである。
「ナーモ君と! 私と! ナーモ君と私の子供の三人! かどうかはわからないけど……で、幸せになろ?! 私、ナーモ君を幸せにするんだもん!」
(…………お前こそ、なにを言ってるんだ…………?)
俺が呆然と仰ぎみる中、
「私としては、一人じゃ淋しいと思うから、双子とかだと、いいな」
お構いなしと言った風に、リーンは自らのお腹を撫でるようにして、そこにある、はじまったばかりの生命に語り掛けるようにし、
「そうなると、おっぱいあげるのって、大変なのかな……あ! そっか。ナーモ君にもあげなきゃ、だもんね……! お母さん、大変、だね……?」
今度は、肩をすくめるようにして、俺たちだけにしか通じない会話すらはじめたのである。
「え……?」
喉を突っ返させるようにして、俺が問うと、
「ん……?」
その蒼い瞳は微笑みながらも、未だ潤んでいたであろうか。そして、
「いいの……?」
と、言う問いには、
「うんっ……!」
(……………!!)
頷く満面の笑みが返された。際に、何かの涙が彼女の頬を伝う、その姿に、何か、電撃的なものが、俺の全身を駆け巡った、其の瞬間だった。
「やれやれ、一時はどうなるかいなと思ったもんじゃが……」
いつの間にやら、聞き慣れたしゃがれた声が響き渡れば、水晶玉に乗りし魔法使いの老婆のような、「システムマイスター」が姿を現していたのだ。
「あら」
「なっ…………?!」
久方ぶりの謎の人物を目の前にしての反応は、お互いに違ったが、
「ふむ。これにて……『保全成功』じゃ」
「システムマイスター」は構わずに、そのしわだらけの顔を満足気にして俺たちを眺めて頷いているではないか。
「いやいやいや。突然、現れといて、それってどういう……」
「『機密事項』じゃ。これ以上は答えん!」
早速、俺は、食い下がろうともしたのだが、ピシャリと老婆は跳ねのけ、俺が欧米人のように肩をすくめ目を丸くするのを、リーンが苦笑して宥める姿をジッと眺めると、
「……ところで、ナーモや。『最終確認』じゃ」
今度は、自らが質問を投げかけてくるのであった。
俺たちにとって、その原因は未だ不明だが、二つに分かたれた宇宙は、これにて暫くは、その状態を維持できる事が可能になったのだという。それは同時に、今まで、一つになろうと近づいていたものが、再び、互いに離れていく事を意味する事になるのだそうだ。
「『世界越え』の力をもってしても、叶わぬほど彼方にの」
よって「対象者」はどっちかの宇宙の、地球か中球か、二者択一の生活の選択を余儀なくされるというのだ。
「……どちらにせよ、『保全成功』をもって、『対象者』の『特権』は剥奪されるのじゃが……」
老婆は、尚も付け加えた。要するに「システムマイスター」は、先ほど、俺がリーンに口走った彼女との未来への願いが、確固たるものであるかを問うていて、
(…………)
心配げにこちらを見つめるリーンのそばで、しばし、俺は沈黙したのだが、ふと、目に浮かぶと言えば、今まで出会ってきた数多くの仲間たちの顔と、そして祖母の姿であったりはしたが、親兄弟の事は一切、考えもしなかった。
やがて、強い意志と共に、俺が頷けば、システムマイスターは満足げに、「補足説明」をはじめたのである。
あれから何日かが過ぎた。
自室のドアを、キー…………と、か細い音で、まるで慎重そうに開け、今日も、トレイの上に食事をのせたリーンが、周囲を警戒するようにしながら、
「ナーモ君……」
と、小声で俺を呼ぶと、
(…………!)
呼ばれた俺は、隠れるようにしていた天蓋つきのベッドの裏から顔を覗かせ、音も立てない忍び足で彼女の元に近づき、なんと、こんな生活を数日も続けていた。
俺とリーンが互いの世界を行き来していた頃なんて、ほとんど家にいる事がなかったはずの、光野財閥現会長のリーンの母親は、突然、暇になったらしく、在宅している時間の方が圧倒的に多くなっていたのだ。たまに部屋の壁越しでは、豪放磊落げな母親の口ぶりに、普段はおしとやかなリーンも見事に打ち返しては、共に笑ったりしている親子の会話が聞こえてきたりしていて、それはそれで微笑ましかったりもしたものの、
「リーン! ちょっとー!」
二階への階段を登りつつ、その声が近づいてきたりすると、
(…………!)
思わず、俺の、食事にがっつく姿も固まったし、
「は、は~いっ!」
それはそれは、リーンの声も上ずったものとなった。
今日も一日を終え、俺たちは共に天蓋のベッドに横たわっていた。いつものように、俺はリーンの胸を枕変わりにしていて、当たり前のように、彼女はそんな俺を抱き留め、頭を撫でていてくれたのだが、
(………………)
「………………」
ただ、俺たちはそのままにして、いつものようなイチャコラは到底できない気分のまま、共に虚空を見つめていたのだ。
このままが続かない事はお互いに解り切っていた事だった。どちらが先に切り出すわけもなく、今頃、通路をはさんだ向かいの自室で豪快な大いびきをたてて眠っている、リーンの母親に正直に打ち明けねばならないという事は共通の見解だったのだ。
入念な小声の打ち合わせは深夜にまで及んだ翌日、
「……いってくるね!」
先ずは先遣隊となったリーンが真剣な表情でこちらを見上げた。目的地は、今も、いつかのようにお茶を楽しんでいるリーンの母親がおわす、大理石のキッチンテーブルだ。
「うむ!」
俺も応えるような表情で返すと、そして互いの気持ちを確かめあうように口づけを交わし、見つめあう二人は覚悟を決め、やがて、くるりと背を向けた、赤く、長い、綺麗な髪は、お姫様の部屋をでていくのであった。
(………………)
まるで侍の刀でもあるかのように、ギターを自らの側に置いた俺は、柄にもなく正座し、目を瞑って待機していた。もしかしたら、即、警察なんて事もありうるかもしれない。世間に明るみにでれば、俺の正体不明の出自の事で、メディアに見世物とされるかもしれない。
(…………かまうもんか)
ただ、気づけば静かに言い切れる自分がいた。
思ったより静かな時間が流れ、そして割と早い段階でドアが開き、なんだか少し首をかしげるようにしながら、やがてリーンは顔を覗かせ、少し、説明に困った風にすると、
「なんか……あの、お母さん、全部、知ってて……とりあえず降りてきなさい、って……」
(…………?)
思いもよらぬ展開続きで、俺は目を見開くようにしつつ、立ち上がったのであった。
流石に、いざ、対面ともなると、心臓の鼓動が早くならないわけがなかったが、俺たちはその長い道のりを寸前まで手をつないでやり過ごし、とうとうテーブルには、あの日のようにエプロンをし、新聞を広げている職業婦人の後ろ姿があり、俺は、ゴクリと一度は唾を飲み込んだりもしたものの、
「貴羽朋也です! ……職は、まだアルバイトで……! や、こっちだと、え? 俺? 無職?……で、ですが! てか、こんな年の差なんすけど!……けど、絶対、娘さんの事も子供の事も、俺、全力で頑張ります! 頑張らしてください! えっと、いろいろ訳が合って……! 具体的な頑張り方についてはこれから……!」
正直、こういう時に、堂々と「ミュージシャン」と言えないのが悔しくて、唇を噛むような気持ちにもなったが、「誠意」だけはしっかり伝えようとしていた、その矢先、
「やっと顔だしたかー! このドラ猫ー!」
唐突な大きな声に、直立不動のまま、思わず俺はビクリと目をつぶってしまった。だが、やがて開いた視線の先では、予想とは全く違う温和で穏やかな顔つきがこちらを見つめていて、
「……我が家へ、いらっしゃい」
と、語り続け、
「……あんたが、あの時のあの子、とはね~」
今度は、その成長ぶりに驚く風にしてみせれば、
「あ~あ、あたし、この年でおばあちゃまになっちゃうのね~」
などと、とうとう豪快に笑っていたりしたのだ。
(…………)
リーンの言う通り、彼女の母親は本当に全てを知っているかのようだった。
ただ、その理由は、大昔から、帝国やアメリカ等と深い関係を築いている光野財閥のその真相にあったり、俺の住んでいた世界の日本の方の、あの特別オーディションで、実は合格していたのにも関わらず、プロダクションサイドが連絡できなかった原因さえも、二人が知るのは、随分、後の事となるのである。とりあえず、大日本帝国で無戸籍だった俺は、財閥の力によって帝国人の戸籍を獲得し、光野朋也と名乗りはじめた。
ある日の秋の茜色の夜明けの時間に、とある閑静な住宅街の人気のない路上の一角は光り、やがてそれは、一枚の封書を手にした俺の姿を形作るのであった。
(…………)
そして、唯一、家族で心を許した、我が祖母の家がある、眼前のグリーンフェンスの向こう側を眺めると、
「……元気で」
俺は、少しこらえるようにしながらも笑みを作り、届きもしないメッセージを呟きつつ、封書をポストに投函すると、再び、光り輝いては、この世界に本当のお別れを告げた。封書の中身は、光野家の庭先で、ギターを手にした俺とリーンが笑う、ツーショットの一枚の写真と、リーンが宛先に「お義祖母様へ」と記した手書きの便箋の束であった。
「保全成功」を宣言したシステムマイスターは、「補足説明」として、「対象者」の、主に住居が移動させられる者に関しては、その後も一度だけ「世界越え」が許可されるなどという内容を話してきたのだ。俺は、しばし熟考し、赴こうと思ったのは、祖母の家だった。
リーンが、やたらと書き込んだ手紙を用意してきた時には驚いたものだったが、
「え、何、書いたの?」
「あっ! だめ! 女同士の秘密ですっ!」
俺が無遠慮に広げようとすれば、ものすごい剣幕だったので、俺は、その内容を一切知らない。
そして、ここからは俺も全く知らない物語だ。
その日の朝も、いつものように、我が祖母はゆっくりと玄関からでてくると、ポストから朝刊を取り出そうとし、ふと、見慣れぬレター封筒に目をとめたのだ。何か感ずるものを覚えながらも部屋に戻ると、封を開き、先ずは俺たちが映り込む写真を、目を細めるようにじぃっと眺めたりした後、リーンの書いた手紙を広げてみたそうだ。やがて頷くようにして読み終えると、その紙の束を頭上に掲げ、天に拝むような素振りを見せてから、
「元気にしてるのね……」
と、呟いた。事件となってしまった自らの孫の失踪沙汰で、メディアの前だけでは、いい人間を取り繕う愚息と義理の娘の二面性に今更気づいたり、ただただ愚純でしかない他の孫たちに複雑な心境をおぼえる日々を過ごしていた祖母であったのだが、写真とリーンの文でもって、晴れやかな気持ちとなると、窓の外の秋空を眺め、
「……ナーモちゃん、幸せにおなり」
遠い世界に行ってしまった愛孫に話しかけるようにした、彼女の見つめた空は、夏が終わり、冬の一歩手前の日差しが輝いていたそうだ。
同封するための写真のカメラマンを快諾した光野財閥現女会長は、さすが、現役バリバリキャリアウーマンとあって、こだわりが強く、娘にも、そして新たな息子となって間もない俺にも注文が容赦なかった(逐一、うるさかった)。
「な~によ~っ! その白々しい感じは~! もっと、こう、肩、寄せ合って~っ! 二人の愛は~! そんなもんじゃないでしょ~っ!」
秋の穏やかな青空の下、光野家の庭先では、帝国産最高品質の自分のデジカメまで持ち出した彼女の檄が飛び、まるでモデルの写真撮影の様相を呈してきていて、俺もリーンも、最早、苦笑するしかなかったのだ。
「…………」
そんな光景を遠巻きにじっと見つめる視線があったという。真っ黒い大きな帽子は、日差しをあびてもやっぱり真っ黒づくめで、皺だらけの口元は、満足気な笑みすら浮かべた「システムマイスター」の姿であったそうだ。ただ、やがて老婆はしゃがれた声で、俺たちに、
「パパ…………、ママ!」
と、呟き、消え去ったらしいのだが、それもまた、俺の知らない事だった。
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