其の拾参 一線を越えて

 リーンとの交際がはじまった。主に外デートは、気風も大らかな大日本帝国で遊び、家のデートは、我が拙宅が多かったように思う。まだお互いの日本ともに、春まで時間がかかる冬空が広がっていたが、二人はこの世の春を謳歌するように、恋心の甘い空間の中を漂った。


 俺が、リーンの世界にある独自ジャンルである風歌に興味を持ったように、彼女もまた、こちらの様々なカルチャーに興味を持っていたので、レンタルショップでDVDなんて借りてくれば、俺の部屋はホームシアターに様変わりである。

(………………)

 ただ、大きな瞳を更に大きくさせるようにして、真剣に見入っている美女の隣で、自分が既に何度も見た映像を眺めていても、それは、何一つ、俺の中に入ってこないというものだ。

(………………)

 視線の先は、すぐ隣で、整えられたように女座りをしているスカートと、そこからのぞく、スラリとした足の白い肌だったり、もう幾度とその大きさの中で埋もれた胸元ばかりを、どうしても、ちらりちらりと覗いてしまう。

(………………!)

 かぶりをふるようにしていれば、察したリーンがこちらを振り向き、足を組み直すようにすると、両手をひろげ、さも、当然であるかのような、その顔つきは、

「ほら、いらっしゃい」

 と、無言で語り掛けるではないか。

(…………!)

 俺はまるで、飼い主に許可を与えられた飼い犬か猫だった。まっしぐらにリーンの膝に横たわると、またもや、そっと彼女の手はのびてきて、はしゃぐように喜んでいる俺を撫でまわすのである。ただ、相変わらず、視線は画面を食い入るように見つめていて、最早、彼女にとって俺をあやす事などは、造作もない事であった。


 万年床に、壁によりかかるようにして座るリーンの胸の中に抱きしめられながら、映画鑑賞の感想を述べあっていると、彼女の「発光」ははじまってしまう。キスによって、一瞬のお別れですら惜しみあうバカップル具合をお互い発揮させつつ、今度はギターを手にすると、俺が彼女の世界へと訪問するのだ。リーンは既にピアノの前に着席していれば、ものの数分の別れであったというのに、満面の笑みをこちらに向けて出迎え、俺も負けない程にやり返す。結局、暫くは、前いた世界でそうであったように、アホみたいにイチャコラしかしないところが、完全にありがちなアホカップルと化していたのだが、やがて、改めて互いの楽器に向き合うと、頷き合い、今日のセッションデートの開始である。


 俺は三十になってしまったが、リーンのおかげで完全に再奮起できていた。より本格的な練習を、と、自宅にあったマイクやアンプも、リーンの部屋に常設してもらう事にすると、言わば、俺の部屋が彼女のホームシアターなら、リーンの部屋は我がプライベートスタジオと化していて、俺たちは最高の関係を築きつつあった。


 時に、まるでバンドメンバーでもあるかのように、真剣なミーティングも有りのセッションも終われば、余韻に漂うようにしつつも、俺の居所は、またもやお気に入りのリーンの胸の中で、

(…………)

 見上げれば、世界でこれほどの優しさがあるのだろうかという微笑みで、じっと見おろし見守るリーンが、俺の頭を撫でているのだ。

(…………)

 俺は、そのまま深呼吸するようにしてみた。今や、二人は、リーンの天蓋のついた巨大なベッドの上に横たわっていて、俺は、この寝具の上でリーンに抱きしめられている時、一際に彼女の香りに包み込まれているようなので、このベッドの事が大好きだった。


 大きな窓枠の外では夕闇が迫ってきていた。

「……このまま、朝まで寝てたい……」

 奥底まで埋もれるようにしながら、俺が呟くと、更にその頭を撫でまわし、

「ねっ。……私も、そうしてあげたいな」

 リーンは囁くのであった。ただ、時間は無常で無情だ。六時間しかいれない事は、今の俺たちにとっては最早弊害でしかなかった。やがて「発光」をはじめる俺に、タッパーにはいった作り置きの料理が冷蔵庫にあるからと、きちんと食べるように促すリーンには、

(……母親かっ!)

 苦笑を浮かべつつも頷くと、

「じゃ! また明日!」

「うん……明日……!」

 互いにキス魔と化しつつあるかもしれない、いつもの、しばしのお別れであった。


 プロダクション側から、わざわざ連絡があって出向いたオーデションであったのに、結局、まるで何事もなかったかのように、結果の連絡はなく季節はすぎていく。好感触だった大規模なオーディションではあったけど、

(ま……そんなもんか)

 三十にもなると、二十代後半の時以上に達観できるようになった自分がいた。やがてSEが鳴りやめば、いつものライブハウスのマイクの前に立つ俺を、スポットライトが照り付け、

(…………)

 まばらな客席の方に目を凝らせば、じっと見つめる蒼い瞳があり、その手には、託したICレコーダーが握られている事だろう。

(…………!)

 俺は、今はそれが答えだとばかりに歌を奏ではじめた。ただ、

(風歌なんていう、独特のカルチャーもある場所で、どんだけの事ができるかな…………)

 なんて事も思い始めている自分もいて、リーンのいる世界に、更に魅かれはじめていたのだ。


 もう、俺たちにとって、あの「システムマイスター」なる老婆が口にした「保全システム」だとか「奇跡」だとかは、どうでもよくなっていた。ただ一つ、言える事があるとすれば、交際となると割と手の早いタイプの俺が、ペッティングしたい衝動すらも抑え、リーンに愛撫以上の事を求めないように努めている事が「奇跡」のようなものだった。矢張、そこは、遥か年上の男性として、まだ年端もいかない彼女を大事にしたいと思う俺なりの気遣いのつもりだったのだ。ただ、俺にとって、日増しに存在が大きくなっていくリーンとは、更に「女」としてしか見れなくなる事を意味していた事も事実だった。元がエロの塊である俺が厳重に自らに檻をかけようと、最早、抑えきれないところまできていた事も、まぎれもなかった。


 その日の俺は、魔が差した、その一言につきたと言える。

(………………)

 俺は、万年床に横たわっていて、ぼぉーと天井を眺めていた。元来がものぐさな俺は、二十九の頃までタイトにしていたスケジュールをゆるやかなシフトに切り替えていて、すると、以前よりもライブもバイトもない、完全オフの日が多くなり、日がな一日ずっと寝っ転がっていられるという、人生において一番に至福な時間を過ごす事が増えていたのだ。

(………………)

 ふと、スマホに手を伸ばし、おもむろに画面をなぞれば、やはり見入ってしまうのは、ここ、一、二ヶ月、蜜月な日々を過ごしている、遥かに年の離れた我が恋人の写真たちというものだ。

 俺が、もし、たとえばヤンキーにありがちなように早くに結婚し、子供でもこさえていたとしたら、娘といってもいいほどの年齢差かもしれないのに、当初こそ子供扱いしていたはずが、今では完全に「女」としてしか見れなくなっているのだから、男の感性なんてものは随分と勝手なものである。窓の外では、暖かくなりはじめた春の陽気のなかで、猫の恋鳴きたちが聞こえていた。


(………………)

 なんとなく画面をなぞり続けていると、こちらがカメラ機能を構えた際、本人は戯れにポージングで応えたにすぎないのであろう数枚が現れた。だが、その数枚を前にして俺の動きは止まってしまい、何かに憑かれて食い入るように、まるで視界には、それらのみしか目に入らない心境になりそうになった。


(………………)

 俺は自らに困惑し、一度は目を離して額を手で覆ってみたりしたのだ。布団とマットの間に挟み込まれてる「いつもの品々」だってある。スマホだって違う箇所にあるアプリを開けば、それで事足りるはずだった。

(………………)

 だが、この日、俺の中に巣食う「野獣」は、いつもの餌では満足しないと荒れ狂っては止まらなかったのだ。

(………………)

 春の日差し差し込む布団に、俺はティッシュなどの準備を終えると、スマホ画面をもう一度見つめ直し、「それ」をはじめてしまった。

「リーン……。リーン……!」

 切なげな中年の瞳は、天使のようにこちらに微笑みかける、恋人ながらも少女である相手の写真の名を呼びながら、息も荒くしていった。


 今まで交際してきたガールフレンドのようにはあってはならぬと、最新の注意を払ってきたから尚更の事、それは男としては完全に夢中となってしまうひと時で、何か、禁忌を踏み越えたような背徳に、男としてゾクゾクすらしてしまい、とうとう俺は、いつもの「異変」も、リーンがそっと玄関から入ってきて、こちらを覗き込んでいた事すらも気づかないまま、

「なに、してるの?」

 自分の名を呼ばれ続けていた制服姿の少女は、青ざめた顔でこちらに語りかけ、

「あ……」

 下半身を丸出しにした俺は弁解の余地もなく、実物を目の前に、時、既に遅しな事となっていた。


 慌てふためいた俺は、すっかり取り乱しては、バタバタとその場を片付けはじめ、

「ちょっ! え?! え?! 今、学校じゃ…………!」

 ジャージの下半身をしまいながら、問いかける。

「昼休みだから、ちょっとだけ、って思って……」

 そんな俺を、呆然と見つめながらリーンは答え、

「いやいやいやいや! 反則でしょ! それは! 意味わかんないんだけど! いや、意味わかんないのは俺か……いや、これは、その……ごめん……なさい!」

 完全に半狂乱だったのは俺だったが、終いには布団の上に正座し、哀願のように謝罪した。だが、

「…………」

 リーンからの視線は未だ無言で呆然とした無表情だったのだ。やがて何も答えずに「発光」を「発動」させられてしまい、部屋にはひとり、俺だけが残った。


(………………)

 しばし、一瞬の出来事に俺は理解が追いつかないような心境となっていたのだが、

(……最悪だ……マジ……最悪だ……)

 現実の波は間もなくして襲い来て、俺は頭を抱えて自己嫌悪に陥ったのだ。まさか、年ごろの子供に、異性の生理的現象であるとはいえ、とんでもない所をまざまざと見せつけてしまうという、こんな俺の醜態で、この恋が終わる事になるとは思いもせず、

「……終わった……」

 最早、それは鼻声の涙だった。 


 だが、間もなくして、ピーン……………! と、耳鳴りと電流が走ると、学生カバンを手にした光の少女の姿は、またもや現れ出でたのだ。

「リ、リーン?!」

 驚きのままに、その正体の主の名を俺が口ずさむ間もなく、その場で、ドサッとカバンを落とした彼女は、俯くようにしたまま俺に抱き着いてきた。俺が押し倒されるようになると、万年床のマットのスプリングは跳ね、やがて、耳元で語り掛けるようにしてきたリーンは、

「ナーモ君……男の子、だもんね……ごめんね……ずっと、我慢、してたんだね……!」

 なんて事を口走ってきたのだ。

「でも、ちょっと…………」

 そして、赤面しきった白い肌の主は、恥ずかしげに、碧眼をシャワーのある方向に向けていて、

(え…………?)

 俺は、ただただ、目を瞬かせただけだったのだが、何かを勘違いした彼女は微笑み返し、そっと頬すら撫でてくれば、

「待っててね……」

 と、勝手知ったる我が家の中を、ユニットバスに向けて歩きはじめ、しばらくすると、湯が静かにこぼれだす音が響きはじめた。


 まるでいつぞやの金縛りのように、何もかもがフリーズしていた俺だったが、

(今なら……まだ、間に合うぞ……)

 漠然と、そんな事は何度かよぎった。だが、最早、引き返す事すら叶わぬ事だったのだ。やがて、戸の開く音がし、バスタオルだけを巻いたリーンが目の前に現れた時には、その神々しさは眩暈すらするようで、理性ははるか彼方に遠ざかるのを感じた。

 ただ、湯気香る女神は、目を潤ませて少し震えていたかもしれない。

「私……あの……よろしく、お願いします……」

 言い淀み、そして深々と頭を下げ、

(………………)

 俺は、何かを確かめるように、全くの無言で手をのばしていき、彼女は、遠いところを見つめるようにしながら、何も抗う事はなかった。


 リーンの日頃からのこまめな掃除のおかげで、塵ひとつないフローリングに、パサリ………と、巻かれていたバスタオルは落ち、恋鳴きの猫の声の窓からの暖かな日の光の中、立ち尽くす彼女の全ての肌は、それを照り返し、

(………………!)

 とうとう、俺の中の野獣は咆哮をあげてしまったのだ。ただ、最初に俺がした事と言えば、その肌の前で跪いて、今の今までも散々、抱きしめられてもらってきた、その豊満な胸の谷間に、直接顔を埋めたりする事や、まるで赤子のように頬ずりを繰り返した後、それらを口に含み、出もしない乳を求めるかのような愛撫ばかりに執着する事で、欲望に埋もれていきながらも、今までにない自分の求め方に、我ながら疑問符も沸いたが、やがてそれもどうでもよくなるほど、どんどん溺れていくと、

「ん……ん……」

 リーンも、隠せない恐怖からは、俺の反応には少しの驚きとなった後、お馴染みの、愛おし気な表情へと戻っては見おろし、当初こそ、健気にも立ったままに、それら全てを受け、今まで体験した事のない快感に身をゆだねながら、我が頭をなんとかいつものように抱きしめてあげたり、撫でてあげようとする事で応えようともしていたのだが、

「……ナ、ナーモ君……? ちょ、ちょっと……」

 最早、足に力も入らぬと、まるでクラスメートから聞いた経験談とも少しばかり違うとでも言う風に、自分から俺を万年床に誘った。


 ただ、少しばかり違ったのは、お互いにここまでの事だったであろうか。


 俺は、リーンが食いしばるようにして、はじめて男性を受け入れようとした姿の可憐さや健気さを、生涯、忘れる事はできないだろう。いつぞやの誰かの姿とも重なれば、一瞬、ためらったりもしたが、

「…………」

 リーンは、苦悶で目を潤ませながらも微笑みかけると、俺の迷いを吹き飛ばすように首を横に振り、

(…………!)

 そして、一度、貫いてしまえば、最早止まらない俺の衝動の中、いつしかリーンは、今まで感じた事のない感覚に、歓喜の声をあげ続けていた。


 この日、リーンは生まれてはじめて学校を中途でサボったというのに、学校からも、そして母親からも、何故か、なんのおとがめもなかったという。










 
























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