其の拾弐 告白
この日、何の約束もしないままに、あんな事をやらかして、俺たちは再会するタイミングを見失ったのかもしれない。少なくとも俺はそんな風に思えた。とてもじゃないが、まともに顔を会わせられるような心境ではないままに、リーンからの来訪もプツリと途絶え、そして、バイトとライブという日常に戻っていった。
(…………)
ただ、「タイムリミット」寸前の最後のライブでは、客席のその中に、幻の赤毛碧眼の少女の姿を無意識に重ね合わせる自分がいて、でも、時間は容赦なく刻一刻と過ぎていき、プロダクションサイドからの連絡すらないまま、とうとう二十代は終わろうとしていた。
一ヶ月前のその日は異世界にいるお姫様の部屋を訪れたりした事もあった、そんな夜の事。まるで何事もなかったかのように、今日という日を俺は迎えてしまったのだ。
(…………)
壁によりかかるようにして万年床に座り込んでいた俺は、まるで死刑執行のカウントを待つ囚人のような心境をしていて、今までの人生、とりわけ、二十歳を過ぎてからの十年間が走馬灯のように駆け抜けていた。
俺は、もがいて、もがいて、もがきまくった。それでも夢は叶わなかったのだ。
走馬灯の中にリーンの姿は微塵もなかった。否、むしろ、考えないようにしていただけで、最早、万策つきた俺が、呆然とスマホの画面を眺めていると、とうとう、機械的に、日付は嫌でも変わり、
(……三十に……なっちまった…………)
最初によぎった事は、ただ、事象をなぞる事だけだった。お前が年を一個食うだけ位の事で、世の中なにも変わらんぞと誰かがせせら笑っているかのように、冬の部屋の空気は、ただ、静かに佇み、そのまま何もできずに小一時間ばかしが経った頃合だろうか。
(…………!)
軽い耳鳴りと共に体に軽い電流がはしる感覚を覚えると、途端に目の前は光だし、それは少女の姿を形作っていったのだ。
(…………)
俺は、ひどく冷静に、それをぼんやり眺めていたように思う。まるで女神でも舞い降りたようなタイミングであったのに、気持ちはひどく冷めきっていたのだ。
つい、この間も会ったばかりの少女は、はにかみながら、肩にかかる髪をかきあげてみせたりしていたのだが、
「こんな夜更けにごめんなさい。……でも……! 誕生日、おめでとう……!」
そう言うと、ラッピングされた紙包みを俺に渡し、
(…………)
受け取った俺が、無遠慮に、その包みを引きちぎると、バラバラと中から出てきたのは、カポタストや、クリップチューナー、そしてギター弦のセットのバージョンの箱のものがいくつかで、そのどれもが、楽器屋の店員なんかではおよそ及ばないようなリボンで、コーティングされていたりすれば、
(…………)
俺は、無表情に、目の前にばらまいたそれらのものを、もう一度、眺めてみた。確かに、そのどれもが、今あるものが壊れていたり、調子が悪くなっているのをだましだましに使っていたり、いくらあっても困らないような、かゆいところに手が届いているギターアクセサリーの品々ばかりで、それこそ、つい、昨日までの俺なら、踊るように喜んだに違いない。だが、
「フッ……」
今の俺が最初にした事と言えば、謝意をのべるわけでもなく、それらを鼻で笑う事だったのだ。そうしてから、肩をがっくし落とすようにしてうなだれると、
「リーン……何もかも終わったんだよ……何もかも……終わっちまった……」
俺はうつろげな表情で呟いたのだ。
ただ、今宵のリーンは一味違った。
「いい加減になさいっ!」
(…………?!)
聞いた事もない剣幕に驚いて見上げると、見た事もない厳しい表情で、碧眼は、こちらを睨むように見下ろしていて、
「…………!」
そして、長い髪を揺らすようにしながら、慣れた風に室内を移動し、CDラックから俺がリーンから借りている風歌歌手の音源を取り出し、ちゃぶ台の上にずらりと並べると、
「いいですか?! ナーモ君! この人は四十代になってやっとメジャーデビューできましたっ! この人に至っては六十を過ぎてからです……!」
一枚、一枚を手に取りだすと、各自アーティストのプロフィールを俺に紹介しはじめ、
「……売れない間、皆、苦労はあったみたいですっ! それでも、皆さん、諦めずに続けてきたんです! 私、そういう事が一番素敵だと思います! ナーモ君には、そういう人であってほしいです! こ、子供の私が言うのは偉そうだけどっ! ナーモ君なら、それができると思いますっ!」
(…………!)
剣幕に圧倒されて、俺が呆然と彼女を見つめ続ける中、尚、リーンは、俺に真っ直ぐな視線を送り続けていて、
「だ、だから! 三十になったくらいで、諦めちゃいけません! あなたの歌は素敵です! 私は大好き、です! 他にも、好きな人、いるんだから…………! …………ね?」
(…………)
次第に、元の、穏やかな口調へと戻っていくリーンは、最後は罰も悪そうに首をかしげてみせたりしたのだが、最初こそ、呆然としかできなかった俺は、彼女の一言、一言に、次第にふつふつと力が沸き上がっていくのを感じていった。
(……おっさん、子供に何言わせてんだよ……)
やがて充分に気持ちの伝わった俺は、自責と共に自らに苦笑した後、
「……ありがとう。リーン」
漸く、深い感謝を伝えると共に、大人として、また常識ある中年デビューとして、こんな時間なのだからと少女の帰宅を促す事にしたのだ。
それから、ある日の事だった。万年床にゴロリと横たわりながらギターをポロポロ鳴らし、
「や~、今日もこね~な~」
俺はぼやくようにして話しかけると、すっかり我がちゃぶ台で勉強する姿も板についたリーンが、学校帰りのセーラー服姿のまま、眺めていた教材からふと目を離し、一隅にある俺のスマホの方をじっと眺めて、
「ん~。……だね」
と、答えた。
オーディションを受け、手ごたえすらあったプロダクションからは相も変わらずウンスンだったが、あれほど、悲壮感にとらわれていた俺が、いざ三十という大台を迎えてしまうと気持ちは非常に晴れやかで、あっけらかんとしていた日々を送っていて、
(それというのも……)
俺は、今、目の前でペタリと座り込んで勉強している、日本人離れした赤い長髪の後ろ姿の女学生の方に、ふと、視線を送ってみた。
(…………)
俺にかつていた兄弟は男ばかりであったが、仲のいい兄妹というのは、もしかしたらこういうものなのかもしれない。今、改めて音楽に対して情熱を注ぎこもうとしている自分がいて、それはリーンという存在のおかげであった事は間違いなかったのだ。
「ねぇ、ナーモ君、ちょっと」
「あ~。ほいほい」
そして、リーンがこちらを振り向くようにすれば、俺はひょいと立ち上がって、側に座り、彼女が紙面を指さしながら口にする疑問に軽快に答えてみせるのである。本当に彼女の存在には今や感謝しているのだ。せめて、自分の持つスキルで叶うものがあるのなら、惜しみなくそれで恩義を返したかった。こんな時、流石に年の功もあるもので、学習に対する質問とは全く関係ないような、熱っぽい視線も感じたりしたのだが、思春期によくある麻疹のようなものだと、この時の俺は思っていて、我が人生も吹っ切れた事だし、後は、毎日のようにやってくる少女に、十代らしい青春を送ってほしいと、心の底から思っていたはずだった。
なんと、三十路最初のバレンタインは、なにひとつ予定が入っておらず、
「ま、そんなもんだわ」
俺は、自嘲して天井を眺め、ギターをポロポロ弾いていた。
(…………)
外は、いまだ夜の早い季節が続き、窓の外は夕闇というよりすっかり夜で、この時間帯ともなれば、いつもいるはずの赤毛の少女の後ろ姿さえないではないか。もしかしたら、俺は、何か、相当な勘違いをしていたのかもしれない。
「ま、そんなもんだわ」
そして、もう一度、本当に心の底から自嘲した、その瞬間だった。
ピーン…………という、耳鳴りと共に電流ははしり、
「え……」
俺は、半ば、うろたえるようにして、目の前の光を見つめていたのだ。もう、この時には、これから起こる事の何かを予期していたのかもしれず、やけに心臓の鼓動が早くなりはじめているのを感じていた。
「……………」
やがて、現れた赤毛の少女は、セーラー服姿のままに、カバンは持っていなかったのだが、その変わりに、手作りでラッピングされ、デコレートすらされた物を大事そうに両手で手にしているではないか。その白き頬はほのかに赤らめているようで、口を真一文字にしてこちらを見おろしている碧眼は、何かの強い決意を真っ直ぐに物語っているかのようでもあった。
「や、やぁ。リーンさんじゃ、あ~りませんか」
その若さも手伝っての圧倒的な凄みに、おいぼれは、どもるような冗談をくれる事で手一杯な中、
「お話が、あります…!」
リーンは、変わらず、真っ直ぐに俺を見つめていて、
「へぇ……」
返事にもならない返事で返す俺がいた。
「ナ……朋也さん、今、恋人は、いらっしゃいますか……?」
白い肌が、更に赤くなったようにしながら、リーンは話し続け、
「や~。わっかるでしょうが~。あーたにだって~。俺のこの女日照りがさ~、そ~んな短くもない事くらい~」
俺は、手の平をヒラヒラと、まるで、何処かの近所にいるおばさんの世間話であるかのような素振りで、作り笑いを浮かべ、まるでおねぇタレントのようであったが、リーンの顔は真剣で、
「なら…………!」
彼女は、一度、区切ると、
「ナーモ君っ! ずっと好きでした! 今も! 好きです! も、もしよかったら、私と、お付き合いをしてくださいっ!」
言い切ると、おずおずと、両の手にしたものを俺の前に差し出し、
「こ、これはね、一生懸命、作ったの…食べてくれたら、嬉しい、な」
未だ、呆然としたままの俺が何もできずにいると、ちゃぶ台のちょこんと置けば、まるで答えを待つかのように、上目遣いに両の目を泳がしつつ、こちらを見つめ、再び、立ったままにするのであった。
(…………)
漸くして、俺は、彼女からの贈り物に手を伸ばせば、既に、それが、チョコレートの香り漂う類のものであるのは、封をあけずとも直ぐに分かったのだが、一呼吸おいて口についたのは、
「……大人をからかっちゃだめだって……」
という、皮肉にも似た一言で、
「え……?」
リーンは戸惑うように問いかけてくるのであった。
彼女はまだ思春期であり、かつての自分がそうだったように恋に恋するお年頃なのである。だから、その感情は、恋愛感情と大人への憧れのようなものがごっちゃになっているだけなのだ。故に、
「……ちゃんと、近場で、いい男探せよ」
ましてや、俺たちは互いに異世界の人間だ。こんな事うまくいきっこがないのだ。云々、時に言葉を選ぶようにして、俺は諭しはじめた矢先、
「そんなこと、ありませんっ!」
普段おとなしいリーンが強い口ぶりになると、俺には止める術がなかった。
「ナーモ君……好き、です……!」
その潤んだ碧眼に真っ直ぐに見つめられては、俺は、石のように固まり、くぎつけになる他なく、
「はじめて、ここにきた時から……私、ナーモ君に会いたい! って思ったから、こっちの世界にこれたんだよ!」
リーンは更に畳みかけて想いをぶつけてくるではないか。
(…………!)
言われて、俺はハッとしたのだ。俺自身、はじめて「世界越え」を行ったあの日、思えば、今、目の前にいる彼女の姿を考えなければ、何もなしえなかった事だった。
「あの日だって………」
思いがシンクロしたのだろうか。未だ、頬を赤らめたままに、やがて、リーンは、俺が泥酔して自宅に訪れた夜の事を、ポツリポツリと語りだした。
あの夜、俺はリーンの家のリビングを我が物顔に占拠したところまでの記憶はあったが、気づけばタイムリミットは過ぎ、こっちの世界の昼下がりで、話題は、その「空白の時間」についてだった。
「私の膝で、眠ってたんだよ……」
とうとうリーンの口からは、衝撃の告白が飛び出し、
(……………?!)
俺は驚愕に口をあんぐりと、彼女を凝視する事しかできなくなっていた。
その日、カウチソファでしょげ切って眠ってしまった後、俺、ひどく魘されていたそうだ。
「ちくしょう……ちくしょう……」
と、寝言を言い続け、苦し気な俺の姿を目の前に、リーンはどうしてあげていいか迷った挙句、とうとう、そっと、自分の膝の上を俺の枕変わりにしてみたそうだ。すると途端に驚くほど、静かに寝息をたてはじめた俺がいたのだという。
「ちょっとお酒臭かったけど……すごい、かわいい、って思っちゃった……」
そして、俺の寝顔を思い出しながら、彼女は微笑みを作り、
「だからね……、あの時も、ナーモ君は辛かったんだと思うんだけど……私は、またかわいいナーモ君が見れて、ちょっと、嬉しかったの……」
話は一気に現代まで戻り、それはプロダクションサイドから全く電話もないままに、彼女の部屋に逃げ、とうとう足元に泣きついた夜の事を彼女は語りだすのであった。
(……それなら嫌ってほど、おぼえてる……)
俺は自分に呻くように頭を抱えた。だが、それでも、本当に俺でいいのかという迷いと、恐怖すらあったものだから、
「や…………でも………」
我に返るようにかぶりをふると、何かの反論を絞り出そうとした、その矢先だった。
「私、最初から、知ってるよ?」
遮るようにリーンの話は続いたのだ。
「お利口さん、って、誰かに誉めてもらいたかったんだよね?」
話は、また一気にアルコール漬けで、はじめてリーンのいる世界に飛び込んでいった夜の事と、
「けど、あの時は、ナーモ君、酔っ払ってて、ごにょごにょ言うからよくわからなかったんだけど、この前、話してくれた時、『あ、そうなんだ…』って……」
またもや、つい先日の事まで時系列は引き戻されるのであった。
「え……だから、ずっと俺に、『お利口さん』って……」
思わず、ハッとさせられると、俺はこの間で起きた彼女とのあらゆる場面を問い、
「うんっ!……誉めてたつもり、だったんだケド……」
リーンは、当然であるかのように頷いてみせた後に、少しはにかんだのだ。
(……なんていいやつなんだ……)
とりあえず俺は唸るようにそう思うと、ガクンとうなだれてしまった。同時に、もう、ここまでの途方もない「愛情」を目の前にして、あまりに自分が小さく思えてきた。だが、それでも、
「俺さ~、年甲斐もなく、甘ったれだぞ~?」
ヘラヘラと笑いかければ、
「うんっ。知ってるよっ」
彼女はにこやかに即答で、
(………それもそうだ……)
俺は、白目を向くようにして、もう一度、ガクンとうなだれた。ただ、とうとう答えは決まりきっていたのだ。それでも人生初の恋愛経験のケースに、やがて見上げ、上ずった俺の声は、
「幸せに、してください……!」
という、やけに頓珍漢な返事の内容で、リーンも目を丸くしたりしたのだが、やがて穏やかな微笑みとなると、
「……はい」
と、答えていた。
冬の最中、電灯が灯る六畳一間の部屋で、俺とリーンが、互いに目を瞑ったままに口づけをかわしていた。
リーンとの間に何かが始まろうとしていて、俺たちはそのスタートラインとなる踏切の前に、二人並んで立っていて、やがて電車は通りすぎると、踏切は開き、俺たちは、その向こう側へと歩き出そうとしていたのだ。
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