其の拾 冬休みの日々

 年の瀬のせまった大晦日の夜の事だった。ギターを構えたまんま、ぼんやりとPCを開いては動画なんて眺めていると、この日も約束通りの時間帯に、異星からの「来訪」を感じれば、途端に目の前は輝きだし、手には夫々、冬休みの課題に、帝国は横濱にあるスーパー袋の中には年越しそばの材料なぞも一式携えた、光の妹分が来訪した。

(…………)

 リーンの徹底的な研磨により、新品同様に見栄えが戻ったと言っても差し支えない、俺のちゃぶ台の卓上は、今や、地球における異星の少女の勉強机と化していたので、今日も俺は、苦笑ともはにかみともつかない顔で、置いていた自分のノートPCを閉じ、スペースを空けると、少女は、今宵は年越しそばの準備が先だと平然と言ってのけては、台所へと向かっていくのであった。

(…………)

 実家を飛び出してからというものの、ライブハウスで知り合った音楽仲間のほとんども上京組で里帰りしていたし、年末は、とりわけ一人で過ごす事が当たり前となって久しくなっていたので、俺は、そんな一人暮らしの年末を、まさか、こんな子供と過ごす事になるとは思いもしなければ、とりあえず、頬をかかずにはいられなかった。

(…………)

 思えば交際していた今までの彼女たちも地方出身者が多く、こんな夜は、皆、各自の故郷の空の下にいたものだし、とりあえず、俺は、台所に立つ赤毛の髪の後ろ姿をぼんやりと眺めた。


 蕎麦もすすって夜もたけなわといった所で「発光」ははじまってしまい、リーンは、カウントダウンにこちらの世界にいられない事をひどく惜しがっていたが、きっと、栄えある大日本帝国の方では見る事のできない年末の特別番組なんかに興味津々だからだろう、なんて思っていた。消えゆきながら本気で残念がる少女の姿をなだめているうちに、全てが光の粒子となって消滅すれば、残り香だけが空気に残り、

(…………)

 未だにテレビの中の喧噪は賑わっていて、俺は、食後の一服とばかりに、たばこを一吸いすると、蕎麦が入っていた椀を手に持ち、台所へと向かおうとした。すると、バサっと、なにがしかが、足元に当たった風に思えば、そこには、リーンが置いていった教材が顔を覗かせていて、

(…………)

 天然なのか確信犯なのかはいざ知らず、これでは明日の来訪がいつになるやらと、俺は白目を向きたくなった。


(……こりゃ、いまのうちに済ましておくが吉、だな……)

 苦笑まじりに蛇口をひねり、男子たるもの「日頃、お世話になっているものたち」を開くタイミングなんて考えながら、皿洗いをはじめると、やがて、荘厳な鐘の音は、ゴーン……ゴーン……と、換気扇の向こうからも、テレビの液晶からも、鳴り始め、

(…………)

 湯気立つ洗い場にて、俺は、この街に来てからの毎年、この除夜の鐘が鳴り響く中で過ごしてきた、一人の夜の事などを思い出してみた。いつもいつもそれは、淋しさという孤独の中に、未来への焦燥感と悲壮感をまぜこぜにさせたひどい真夜中ばかりだったものだ。で、特に、今年から来年にかけては、気が狂いそうなほどの焦燥を感じてもいいはずなのに、

(…………?)

 最終的には今宵も一人ぼっちで年を迎えたはずが、全く胸の重しを感じない事には、俺は、自らに首をかしげるのみで、すっかり我が家の台所の主となったリーンの残り香が、未だ、ほのかに漂っていたのであった。


 酒も飲んでやしないのに、驚くほど安らかに眠っているうちに、世間ではお正月を迎え、

「…………モ君…………ナー……………モ君!」

(…………?!)

 すっかり聞き慣れた声がすぐ間近で聞こえたりして、俺が漸く目を開ければ、覗き込むようにして、口をへの字にしたリーンの蒼き瞳がすぐ目の前だったりしたので、

(…………!)

 思わず、俺がのけぞるようにして飛び起きると、

「もぅ……!こんなことだと思った……!」

「……いま何時……?」

「もう、お昼だよ!」

 俺がスマホに手をのばすより早くリーンは答えていて、先ずはすっかり慣れた手つきでブラインドを開け、シャッという音と共に、部屋には初日の出もとっくに過ぎた日の光が差し込むと、次に、彼女は、ちゃぶ台の定位置に座り、なにやら持ち込んだ風呂敷を開きはじめるのであった。

(…………)

 俺が、未だ布団に埋もれたまま、ただただ呆然としている中、目の前に現れたるは組重だったりで、

「あけましておめでとうございます。本年、も、よろしくお願いいたします。」

 今度、少女は、赤毛の髪を深々と下げ、

「え……? あ、どうも……」

 漸く、事態を把握しはじめた俺が雑に返せば、

「おせち料理、一緒に食べよ……!」

 高円寺の片隅でしかない、一人暮らしのせまいアパートには明らかに場違いな、高級そうな重箱が開かれると、ここ何年もテレビやネットの画面でしか見た事ない、色とりどりな料理が顔をのぞかせ、その香しさに、途端に、グ~…………と、俺の腹は鳴り、リーンはクスリと笑っていた。


 俺の講義がリーンの冬休みの勉強にとってどれだけ貢献できているかは解らないにしろ、初詣もすませ、コンビニでたむろしたりしている俺たちの姿は、年の離れた、仲のいい兄妹くらいには見えたかもしれない。

(まぁ、こいつ、ハーフだし、腹違い、みたいな?)

 和やかに談笑しつつ、その赤毛碧眼をぼんやりと眺め、無駄に設定なんて考えているうちに毎日は過ぎていった。


 まるで通い詰めるかのように、日々、リーンは目の前に現れたのだ。しんしんと冷え込む夜は、久々に鍋を囲もうとした事すらあり、ともかく、驚くほどに彼女は料理の腕がうまかった。台所に立つ少女に感心している事を素直に述べると、

「こっちの日本ではね……こんな言い方が昔からあるんだよ……!」

 珍しく得意げな顔をして振り向いた碧眼は、

「妻をめとらば才長けて、見目麗しく、情けあり……!」

「ふ~ん……」

 なんとなく言い回しに古風な雰囲気を感じたので、

(……やっぱ、戦前の教育とか、まんま、こっちより残ってるのかもな~……)

 と、ぼんやり思いながらも返事をすると、

「……………!」

 さっきまで随分と得意げだった顔は、何故か一気に赤面して、再び、百八十度回転しては調理に勤しんだりしはじめ、

(…………?)

 突然、慌てふためくような背中に、俺は首をかしげる事しかできなかったりするのであった。


 住む日本は共に違えど、リーンの世界にも東北は存在していて、なんと、俺たちはルーツが同郷だった。

(あ~。この子のベースには秋田美人もあるわけね)

 きりたんぽと、製作者の赤毛碧眼の主の顔なんて見比べながら口に含むと、久々の温かみがいっぱいにひろがり、それは、実家には一切寄り付かなくなったある日の事、立ち寄った祖母の家で振る舞われた手作りと、おんなじ味を思い出させた。


 無論、食ってばっかりというわけでも決してなかった。


 先ずは、俺が入室し、パチリ……と、慣れた風に部屋の照明をつければ、そこにはドラムセットが飾られた、鏡張りの練習スタジオが現れ、そして、俺の後ろから、少女はひょこっと顔を覗かせれば、

「わぁ……」

 はじめて見た世界に、ただでさえ大きな瞳を更に大きくしてみせたりしていた。後は、マイクの設置と、クリスマスにもらったギターシールドを機材に繋げば、追い込みに向けた練習のはじまりである。


 いつもなら、黙々と、たまに独り言を呟きながらの個人練習だが、室内に設えられたソファに腰かけた少女が見守り、時に、会話も楽しみつつの練習は新鮮で、もしかしたら普段より質のいいものだった。


 三時間という時間は長いようで、実はあっという間だ。会計の際、入室時は二人であったのに、今や、いつのまにか一人となっている事に、多少でも受付のアルバイトスタッフは訝しく思ったであろうか。その不愛想で、かったるそうに仕事を続ける姿からはくみ取れないが、弾き語りの個人練習の料金は、二人まで同じ価格であるというのは強みである。やがて自室に帰れば、とるものもとりあえず、今度は俺が光り出すのだ。辿り着いた先は、リーンの住まう自室で、既に、蓋の開いたピアノの前では、おとぎ話から飛び出てきたお姫様のような容姿の少女が、着席し、スタンバイを終わらしていて、俺の出現を、ジッと待ってくれていたのであった。


 リーンが俺の作り出す音楽のファンとなってくれたから、というのは多分な要素ではあるけれど、元々の音楽の素養も高いのであろう彼女のピアノとのセッションは、気晴らしにもなったし、格段に新鮮で、刺激的な、いい練習でもあったりした。実際、俺が紡ぎ出すギターの弦とリーンの奏でるピアノの鍵盤は、世代を飛び越えたように驚くほど相性がよく、すっかり気分をよくした俺が、構想中の新曲なんてつま弾けば、すぐさま彼女はその場でアレンジングまでしてみせ、よりいい作品に仕上げたいとアドバイスすら求めると、鍵盤で採譜した俺のオリジナルのメロディをなぞりながら、しばらく考えた風にはした後に、

「そうだね……。ええと、ね。私が、この曲でおもうのは……」

 これまた、その助言が、目から鱗であったりすれば、まるで二人は昔から共に創作をしてきたかのような気にすらなっていき、俺は、真剣に、リーンとのユニットすら夢想してしまったりする始末であった。


 大手プロダクションの「特別オーディション」最終審査当日は、奇しくもリーンの冬休み最終日だった。

(…………)

 流石に引き締まる想いと共に、俺はギターケースを背負うと玄関に向かい、このひと時のためだけに「世界越え」を行ったリーンも、神妙な面持ちで後に続いてきて、そして背後で、突然、カン! カン! カン! と、聞き慣れぬ音がしたものだから、思わず振り向けば、丁度、両の手にもった火打石をリーンは叩いていたところで、そうしておいてから、その場で正座し、

「いってらっしゃいませ……」

 なんぞと三つ指をたて、深々と見送られてしまえば、こちらの日本とのあまりの時間錯誤感と、本人の終始徹底された真面目っぷりに、申し訳ないが滑稽さすら感じてしまった俺は、

「あ~。こりゃあ、ど~も。……夕方には帰るわ」

 つい、苦笑も禁じ得ずに答える事しかできなくなっていた。

「はい……! ご武運を……!」

 こちらを真っ直ぐに見つめ返すハーフの乙女は、今日もセーターにスカートまで着込んでいるというのに、この時ばかりは、どこまでも古風で、その本人が全く気づいていないアンバランスに、俺はもう一度、苦笑し、家をでた。


 JR駅まで向かう通りの空は冬晴れで、人に見送られて向かうオーディション会場なんてのも、随分と久方ぶりであったのだが、

「ま……。悪くはないもんだよな」

 行き交う街の人々には聞こえない音量で、ボソリと呟いてみては、俺は空を仰いだ。


 正直言って、俺は、オーディションで、自分のポテンシャル、言わば、「これがベストだ!」と、言える演奏ができた事がなかった。その後の質疑応答なんて、時に、言い訳のような返答の方が饒舌すぎたりする有様で、関係者達からは失笑ともとれる笑いと共に、

「君、ミュージシャンじゃなくて、お笑い芸人にでもなったら?」

 と、屈辱的な皮肉を放たれる事すらあったのだ。作り笑いでなんとか耐え抜いた帰り道、高架の向こうに流れていく街の灯りを見つめながら、

(もう、やめよっかな。めんどくせ…………)

 などと、何度、どこにももっていきようのない悔しさに飲まれた事であろうか。


 その日の俺はどこかが神がかっていた。会場として準備された、一階席だけで千人は収容できる巨大ライブハウスにて、マイクの前に立ち、リーンから贈られたギターシールドを差し込めば、それが合図であるかのようにスポットライトが当たった瞬間までも、全く何一つ動揺していない自分がいたのだ。

(……………)

 これは、今までとは違う練習方法を試してきたおかげなのかなどと、測りかねていると、

「……では、はじめてください」

 関係者席からは、普段、テレビやネットでしか聞いたことない、超有名音楽プロデューサーのマイク越しの声が漆黒に響き、

「はあ~い。ど~も~」

 我に返れば答える声音まで普段通りで、俺はギターをかき鳴らすと、マイクに向けて歌いはじめ、全ての俺の音と声がいつも通り、またはそれ以上の出来栄えである事を確信していったのだ。


 演奏後の質疑応答では、全てを取り仕切っているプロデューサー自ら、後、数曲聴かせてほしいという、申し出すら初めての事態に陥り、「月光」を含めた何曲かを披露すれば、その一曲ごとに、関係者席から楽曲の製作意図まで詳細に質問され、淡々と答える自分の姿があったりしたのであった。


 俺は、いわゆるギョーカイと呼ばれる場所からボロクソに言われ続けてきたせいで、どこか感覚がバカになっていたのだ。

(…………あれ、好感触?だった?)

 気づいた時には、かくして一通りの審査を終えれば挨拶をすまし、ギョーカイ関係が集う街の中を通るモノレールに乗ってJRにすら乗り換え、いつもの中央線沿いの街並みの建物の群れをぼんやりと眺めはじめて、漸くの事であった。


「ただいま……」

 やがて辿り着いた高円寺の自室は、既に暗くなりはじめていて、俺は、もう一度、今までのオーディション活動で起こる事のなかった、目の前にあった光景を反芻するようにしながら、背負っていたギターケースを床に置くと、ゴロリと、いつもの万年床に横たわった。部屋を出入りするようになった少女が、こまめに日干しすらするようになったので、質感自体が随分変わった布団の手触りを確かめるようにしつつ、

「え…………受かるかも…………しれない?」

 未だに実感が伴わないような感覚で呟いていると、途端に軽い耳鳴りは起き、おもむろに半身を起こせば、既に目の前は後光のような光で、そこには人の姿さえ形作られていけば、赤毛碧眼のハーフの少女は俺の目の前には現れ、

(…………)

 すっかり見慣れた現象を、俺は、ただ、ぼんやりと見つめていたのだ。そして、帝国地元密着型のスーパーの袋を抱えた姿もすっかり板のついた乙女が、今宵、まずした事と言えば、

「え……。真っ暗だよ?」

 と、勝手知ったる風に部屋の灯りをつける事で、自分をじっと見るようにしている無表情な男の顔つきに気づくと、

「あ……お、おかえりなさい」

 はにかむように声をかけたのだった。


「え、すごい!」

 主催のプロデューサーサイドから、指定の曲以外にも数曲歌わされた事、審査する関係者席ではいつにもまして、真剣な耳打ちのような会話が繰り返されていた事、その様な事態に陥ったのははじめてである事、などを語ると、リーンの表情は、今までで一番と言っていいほどに明るい表情となって俺を見つめ、

「前祝い、だね!」

 なにやら色々買いこんである食材の袋をガサコソと目の前でヒラヒラさせると、俺に向けてウインクをし、今や、本人厳選の帝国産調味料すらひしめきあう、我が家の台所へと向かっていくのである。

「や~。まだわかんねーよー?」

 すっかり、まるで戦勝したかのように鼻歌まじりで調理をはじめる後ろ姿に、俺は苦笑交じりに答えたのだが、

「……リーン、ありがとうね」

 今回のパフォーマンスができた事は、今までと一味違った練習方法を試みたからである事は明らかだったから、素直に感謝の意を述べていたのであった。

「……………!」

 ただ、それだけの事なのに、リーンは何か嬉しさを噛みしめるような笑顔でこちらを振り向き、

「…………! どういたしまして!」

 再び後ろ姿に戻り、答えていた。


 二人でとる食事はすっかりお馴染みの光景で、その日はいつにも増して、楽しく、穏やかなものであった。やがて、この期間、結局、ずっとちゃぶ台のどこかしらに置かれていた自らの教材を、丁寧に重ねながら、

「……私も、色々と、ありがと、ね」

 リーンは呟くように語り掛けてきていて、

「あ~……どーもー」

 久々に家庭教師をやった俺が、頭をかきつつ生返事のように答えると、目の前では、少しずつ、少女が光と化しつつあった。

「……………」

 教材の一式を両手に抱え、こちらを見上げる姿は、少し、淋し気な微笑みだったであろうか。

「あ~……ま~、明日から、学校頑張って~」

 俺が、まともに見れないままに答えていると、

「……うん。ありがと。ナーモ君! 受かってるといいね! 祈っています! …………じゃ、またね」

 そして一際に目の前は光り輝き、いつものようにそこには残り香だけが残った。

(……………)

 俺は、正直、とても寂しかった。ふと、視線をうつせば、皿洗いを終えた際、リーンは蛇口を締めきれなかったのか、台所では、水滴がポツリポツリと落ちている。


「……まぁ、学生なんだし、しゃーねーよ」

 自らに言い聞かせるようにすると、ギターを握り、ポロロンと奏でてみた。

「……まぁ、また約束したし……? すぐ会えるってもんよ」

 そして、もう一度、自らに言い聞かせてもみたのだが、

「…………何、考えてんだ! 俺は!」

 大慌てしてかぶりをふったのだ。











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