其の捌 誰もが知らぬ事

 すっかり秋めいた湘南県の茅ヶ崎は、皆、冬服ながらも今日も活気に溢れていた。相変わらず謎多き世界ではあるが、今の俺には、高円寺駅前に買い物にいくのとなんら変わらない心境である。

(…………)

 目の前にあるアイスコーヒーの中の氷を、適当にストローでつついていれば、

「……あ、あの」

 長い沈黙の果てに口を開いたのはリーンで、

「このまえは……ごめんなさい……」

 眼前には、肩を落とすような勢いで、ライブ帰りの件にすっかり恐縮すらしきってる少女の姿があった。

(…………)

 ふと、カフェの店内には、今や自分もよく知る風歌歌手の歌が有線ごしに流れはじめると、

「別に……もう、いいよ」

 俺の声の響きは白け切った風な口調であったかもしれないが、実際、そんな次元すら超えた所で、どうでもよくなってる事案だったし、実際、それどころじゃなかった。


「……それより、あのさ……」

 俺は、一人の「理解者」を相手取るような心境で、次第に思い詰めたような顔となりながら、大手レーベルから招かれた「特別オーディション」の話を切り出すと、

「え! すごい! よかったじゃない!」

 リーンは、すっかり晴れやかな顔となり我が事のように喜んでいたが、

「……だからさ。俺、もう、此処にくる意味ないんだと思うんだわ」

 未だ思い詰めたままに口走った台詞には、

「……え……」

 と、一瞬にして、凍り付いたような表情に様変わりした事など、俺は全く気づかず、

「だってさ……」

 尚も、語り続けたのは、こうして二人でいる事がなんなのかという根本的な理由の不在の事であった。


 あの夏の終わり、謎の老婆は「世界」の「保全」だとかいう理由で俺たちを引き合わせたわけだが、その後はとんとご無沙汰のままに、このままいけば冬になってしまいそうな勢いである。確かに光野リーンからもたらされた、こちらの世界の芸術文化、世俗は、俺の感性を刺激し、何かと興味深かったりもした。逆もまた然り、だろう。


 だが、だから、なんなのだろうか。俺たちは、その「保全」とやらのために何かを成してきたのだろうか。否、もっといってしまえば、そのために俺たちは何をなすべきなのだ? 何をどうしていいかも解らずに、ただ、やみくもに時間を食いつぶしていくのが、今の俺にとってはひと際に惜しかった。この時間帯をも練習時間にいれたい、と、自らに設けられた「夢に向かう事ができるカウントダウン」を感じると、焦燥が心の中を責め立て、最早、悲壮な空気すら漂わしている事にも気づかずに、俺が語り終えると、

「そう、……だね」

 じっとこちらを見るようにしていた後に、ゆっくりと頷いた光野リーンは、どこかしら淋し気でもあったのだが、この時の俺には、そんな事すらも全く気づかないままでいた。


 こうして、俺と光野リーンは、出会う事自体を取りやめた。すると暗闇の中で機会を狙っていたかの様な「焦燥」と「忙殺」が、日常には舞い戻ってきて、俺はリアルに時間の無さを肌で感じるようになっていったのだ。


 「特別オーディション」は、何人もの業界関係者の中をたらい回しにされる、長い戦いの様相を呈してきていて、

(…………)

 今日もスタジオには、人生の全てを賭けた瞳が、自らのギターのネックを握る運指をじっと見つめていたのだった。


 すっかり寒くなった街並みの中、光熱費があるくらいならスタジオ代と、ライブハウスのチケットノルマに消えていく暮らしは、自宅の部屋をも寒くさせていたのだが、いつにも増した、言わば「ギョーカイの洗礼」をも加わって、今冬は、特に、俺の精神状態をすり減らさせていたのかもしれない。その日、俺は万年床に横たわり、死んだ魚のように生気を失った眼となりつつも、かじかんだ手を動かし、尚もアコギを奏でていたのだが、ふと、手を止めれば、スマホを手繰り寄せると画面をなぞった。

(…………)

 気づいたら、いつの日だったかに戯れで撮った、秋の日差しの中の井の頭公園ではしゃいでいる光野リーンの笑顔を、じぃっと見つめてる自分がいた。と、その時だった。


「やれやれ。相変わらず汚い部屋じゃの~……」

(…………?!)

 突然のしわがれた声に、俺は仰天し、その正体すら解れば思わずギョッと後ずさりすらしてしまうのは、至極当然の事であろう。

「……あ、あーたは!」

 漏れたように出た一言は、かすれるようになってしまった。


 男一人所帯の部屋の空間には、大きな水晶玉の上にあの真っ黒づくめの老婆が腰かけていて、漂ったままにこちらを見おろしているところだったのだ。やがて、大きな黒帽子は、驚愕の俺からゆっくり視線を移すようにすると、

「やれやれ。お主も好きじゃの~……」

 呆れるように呟いた先には、俺が日ごろ、「お世話になっている」、エロ本などの類が無造作におかれていたりしていて、

「や! ……こ、これは!」

 慌てて事態を把握した俺は、問題の回収に取り掛かり、一連の反応と行動の一部始終に、ふと、からかうような笑みを見せたりもした老婆であったが、

「……『保全』が危うい『可能性』が出始めたとの『委員会』の判断での……リーンはともかく、お主の厄介な性格をもう少し違う風に『考慮』した方が良かったわい。少々、『プランニング』が甘かったかの……さて、何処から話したらいいものか……」

 暫し、思案にくれる顔をした黒帽子は、やがて、「この世」の成り立ちについての突拍子もない話を、俺に披露しはじめるのであった。


 とんでもない話の冒頭は、そもそもが俺のいる地球と、光野リーンの住まう中球自体が同じ星であったというところからはじまった。その星の名は「天球」と呼ばれ、その星こそが、言わば人類の故郷であったというのだ。

「天球って……? プトレマイオス?」

「ほう、よう、勉強しておるの。」

 のっけからあまりに壮大なスケールすぎて、俺が呻くように呟けば、老婆は感心気に頷いていた。

「天球をうたった彼の天文学者も、すべては自らの中にある、一つの星であった頃の人類の『記憶』故なのじゃ」

(…………?!)

 天球人であった時代の俺たち人類は、今、現在の文明をも足元に及ばないほどの科学技術を有した世界の住人であった。ただ、星の文明は最盛期を迎えると深刻な人口爆発問題を抱える事となる。知識階級は大いに悩みぬいた挙句、一つの星を二つに分けようとする事を試みたそうだ。


「じゃが、そのパワーは本人たちすらの予想をも飛び越えた壮絶なものじゃった」

 星を二つにわけるだけのはずが、それは宇宙すらをも二つに分けてしまったらしい!

「……ワシらは古くからの盟約に従っておるのじゃ」

「……いやいやいやいや。ちょっと待って。そんな事って……」

 とうとうと語る嗄れ声の斜め上すぎる突然の壮大なるスケールに、俺が疑問をさしはさもうとすると、

「後で、検索でもするがよい。地球と火星の自転の周期じゃ」

 唐突に黒帽子は続ける。

(…………?)

 俺が首をかしげていると、

「その数はの。炎星が地球に。中球が火星にあてはまるのじゃ」

 びっくりし続ける俺の前で、しわくちゃの口元は尚も語り続けた。アメリカのNASAが、かつて火星にも海があったと発表し、ニュースになった事があるが、老婆に言わせれば、

「地球、中球と、分かたれた時の名残じゃ」

 そして、同じように中球にあるアメリカも、炎星に海があった事を世に発表しているのだという。果てに、両世界の大国が共に掲げている大計画が全く同一同質の、直近の惑星への「人類移住計画」であった。


「……それでもワシらは富み栄えてしまうものじゃ。解決せねばならぬ問題は、もっと根っこにあるというに。知ってか知らでか……」

 黒帽子は呟くように、思案にくれてみせたりもしたが、

「まぁ、人口問題は暫く安泰じゃの」

(…………!)

 火星に海があったなんていうのは、なかなかロマンのある話なので、俺も頭の隅には留めていた話題ではあったが、俄には信じられないような内容のオンパレードであり、それは更に続いた。

「そもそも一つであったものが『人工的』に『不自然』に分かたれたのじゃ。一つに戻ろうとするのが『自然』というものよ」

 そして、二つの宇宙を「維持」させるために一部の人類が編み出したのが「保全システム」であると老婆は言い切ったのだ。


「ワシらも宇宙の一部じゃ。ならば、ワシらが一つになり補えばよい。……二つに分かたれたとは言え、ワシらには不変の『自然』なる力を持っておる。……『奇跡』を生み出すための『力』をの」

 俺が驚愕に解釈がついてこない最中で、老婆の語りは続いていく。

「……いやいやいやいや。いろいろおかしいって」

 自らの中にある知識と照らし合わし、つい、出た言葉は否定でしかなかった。老婆は、そんな俺の姿をじっと見るようにして、

「そういえば、お主、歴史を学んでおったんじゃったな」

 と、切り出した。


「学ぶ事はいい事じゃ。ただし、鵜呑みにしてはならぬ。時に、人は『錯覚』する生き物じゃしの。『真実』のみがそこにあると思うのも、また、えらい間違いじゃ。我らは、時に『嘘』をつく。……自らにもの」

 内容が、最早、哲学的すぎて、俺は更に混乱していると、

「だって、恐竜、とかいた以前って事だろ? ……そんなの、おかしいって」

「おお。竜の事かえ。たしかに、竜は、かつて、ワシらのいいパートナーじゃった」

 呟くようにすれば、遠い目をするようにして老婆は答え、洋の東西問わず、何故に架空の生物とされている竜(Doragon)の存在がうたわれているのか、それも天球という星であった頃の人々の遠い記憶なのだ、などと語りだし、

「こちらでも『化石』が発掘されておるはずじゃぞ?」


 老婆の指摘は、オカルト話に度々登場する、考古学の発掘現場で、時に、考古学上、その成立自体が説明不可能とされる出土品、「オーパーツ」の事で、確かに、恐竜と、共に連れ立って歩いているかのような子供の靴の足跡の化石が、アメリカはスミソニアン博物館の、地下深くの秘密の階層に眠っている、なんて噂話も、耳にした事はあったが、

(…………!)

 首をひねり続けたりしていた俺は、突如ふってわいたような奇想天外な話を前に、ただ、ひたすらに自らの中にある知識をフル稼働させていた。

 それにしたって、時系列からなにから全てがおかしい。年代を含め具体的に聞かせろと俺が食い下がれば、

「……良いか。ナーモ。この世には、人が知っていい事と知ってはならぬ事がある。既にお主は、かなり危ない橋を渡りかけておるのじゃぞ?」

 と、突然に凄みの増した口調で、老婆はじっとこちらを見入った後、

「……ここまでを知るのも、互いの界、一部の者だけじゃ……」

 今度は自分の言葉にゆっくりと頷くようにするではないか。


(…………!)

 突如、凄まれた時には思わず圧倒されもしたが、尚も俺は首をひねり続けていると、老婆はとうとうしびれを切らし、

「……たく! リーンはなんでもウンウンと頷いたっちゅーのに! お前さんは! 音楽家と聞いておった割には、想像以上のがんこもんの石頭じゃな!」

「え~……てか、まぁいいや。じゃあ、なに? そもそも『奇跡』を起こす、って、具体的になにをどうしたらいいわけよ」

 先程まであった貫禄も嘘のようにまくし立ててくれば、今度は、突然の剣幕に驚きながらも、俺が苦笑まじりに訪ね、

「……よく、考えろい! この鈍感が!」

 年甲斐もないむくれ老婆はそっぽを向いた、と、その時だった。水晶の上に座している、その真っ黒づくめの黒帽子の姿から、ジジジ……! という、まるで電気系統の摩擦のようなノイズ音が生じ、存在自体がホログラム化された三次元のように曖昧となると、その上で現れたり、消え入りそうになったりを繰り返しはじめたのだ!

「ぐっ……!」

 そしてその現象の只中で、老婆は随分と苦しそうにしている!

「おいおいおいおい。ちょっと、大丈夫? ……君」

 さっきから突然の事だらけで、頭も心もついてこれないままの俺であったが、今度ばかりは心底心配し、流石に立ち上がれば間近まで近づきかけると、

「……大丈夫じゃ」

 老婆が制するようにした時には、既に現象は収まっていたのだが、苦し気な答え方は、尚も肩で息をするほどのものであった。


(…………)

 その姿を前に、心配げな視線を送り続けていると、

「よいか。ナーモ。地球人と中球人、故に、共に双子以上に近い存在なのじゃ。最早、今更、ワシらは『自然の摂理』にも従えぬ……『奇跡』を起こすのじゃ……!」

(…………!)

 またもや頭にも心にも引っかかるようなフレーズであったりしたのだが、苦し気な老人を目の前にしてしまえば、これ以上の質問は躊躇わざるをえない。

「まだ、『猶予』はある……『奇跡』を……生み出せ……」

 今や、老婆の姿は苦し気なままゆっくりと透明化していくと、その一言を残して全てが消え去り、

(…………)

 後に残るは呆然とする俺の姿と、いつもの男一人所帯の間取りが延々と広がっているのみだった。

 

 暫くしてから、万年床にふたたびゴロリと横たえた俺は、手にした画面をなぞり、老婆の話していた一つを掘り下げてみる事にした。そこには地球の一日の時間が約二十四時間に対して火星が約二十五時間ある事などの説明が描かれたりしていて、

(へぇ~……気づかなかった)

 最近とんとご無沙汰となった少女の世界を遊覧していた日々の事なんて思い出したりもしてみたが、だから、なんなのだろうか。今の俺には時間がないのである。

(…………)

 スマホを放り出すようにすると、今度はギターを構え直した。だが、最早、背水の陣である人生を賭けた悲壮な決意は、これが音楽というエンターテインメントなのだろうか、と疑いたくなるような、疲れ切ったメロディを孤独な空間に虚しく響かせ、

(…………)

 つと、奏でるを止めると、俺はもう一度、ケータイに手を伸ばしていたのである。今や、再度、眺めているのは、画面に映る光野リーンの輝くような笑顔あったりで、俺の中のどこかが、無性に彼女に対して助けを求めたくなっているのを感じれば、

(……ガキ相手に、なに考えてんだ。俺は……!)

 慌ててかぶりを振るような始末であった。


 タイムリミットまで時間はなかった。少なくとも、「奇跡」だとかいう意味不明な事に首を突っ込んでいる暇など俺にはない。

「今日は、もう、寝よ……」

 きっと疲れでどうにかしてるのだ。ボソリと独り言のようにして部屋の灯りを消すと、その晩はそのままに俺は眠ってしまう事にした。


































  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る