橘宋司

「どこも、怪我はしていないか」


 無事に娘を助け出した彼は、戦渦せんかに飛び込み、敵を圧倒した。

 彼は十分に戦果を挙げたが、それ故に受けた返り血も凄まじいものだった。


 女中だと思われる痩せた老婆は、やけに疲弊した様子で、涙を流す娘の背中をさすっていた。


 それもそうだろう。


 命が助かったところで、これから先どのように生きろというのだ。

 周りにいる使用人の少なさから、あまり大きな家柄ではないのだと伺える。


 そのような者たちには尚更、酷というものだ。


「ところで……」

 娘はいまだ肩を震わせながら恐ろしさに怯え、身を固くしている。


 それを見た彼は頭を撫でてやろうとしたが、ふと自らの腕に血が付いていることに気が付いた。


 どうしようにも、こればかりは仕方がない。


 やむなく諦めた彼は、ため息をつきたくなる気持ちを必死に抑えた。


「娘、もう泣くな。お前の女中も心配しているぞ」

 そう言い聞かせても反応を示さない娘に、彼は嘆息して立ち上がろうとした。


「…………ん……」

 なにか引っかかるものを感じて視線をそれに移すと、今まで彼女の顔を覆っていたはずの手が彼の袂を摑んでいた。


「……行か、ないで」


 震えて力のこもらない手で掴まれた彼は、しかしどうすることもできない。


 迷った挙句あげくに彼は、苦笑しながらもう一度膝を折ることにした。


 辺りの気配を注意深く探り、追撃の様子が無いことを確認した彼は、娘の様子を見守る。


 彼女もしばらくその場にじっとしていた。


 やがて、少し落ち着いたのか涙に濡れた顔を上げる。


 ちらりと目が合ったその顔は、目を瞠るほど美しく、その白いほおを伝う涙がより雰囲気を引き立てて見えた。


 幼いというより若いという印象だが、大切に育てられたのだということがひと目でわかる。


 どうやら、自分とあまり歳が変わらないような気がした。


「あなた様のお名前を教えては頂けないでしょうか」

 娘の問いかけに対し、彼は困ったような顔をする。


「いけませんか……」

 再び泣きそうになった彼女を見た彼は、明後日あさっての方を向き、頭を掻きながら口を開いた。


「俺は、あんたに名乗るような名前は持ち合わせていないが……」


 しばらくそうして時をやり過ごしたあと、まぁいいか、と嘆息した彼は娘に向き直り軽く微笑ほほえんだ。 


「俺の名は、たちばな宋司そうしだ」


 彼の名を聞いた娘と女中は、驚いたような顔をして互いに顔を見合わせる。


「橘、様……」

 確かめるように呟いた後、娘はふいに頭の後ろに手を回し、躊躇ためらう様子を見せることなく長い黒髪をするりとほどいた。







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