第38話無礼討ち
日本橋には、堺町の中村座と葺屋町の市村座が、同じ通りに面した目と鼻の先に建っていた。
その近くには他にも小芝居の玉川座、古浄瑠璃の薩摩座、人形劇の結城座などが軒を連ねていた。
御陰でこの一帯には芝居茶屋が立ち並び繁盛していた。
裏長屋には役者や芝居関係者が住んでいて、一大芝居町を形成している。
江戸には一日千両が動く場所が三カ所あった。
一つは江戸の台所を預かる魚河岸。
一つは江戸唯一の官許遊郭街の吉原。
一つは江戸唯一の官許芝居町の日本橋。
「日に千両、鼻の上下にヘソの下」とも言われ、鼻の上にある目は芝居を見ることで、鼻の下にある口は魚河岸ので売られた魚を喰うことで、ヘソの下は言わずが花だ。
乾燥した日には地道が土埃を巻き上げ、少し風が吹けば目を開けるのも困難だ。
客商売である芝居茶屋は店前に水を撒き、少しでも土埃を防ごうとする。
芝居は江戸に住む人達の大切な娯楽だ。
興行が始まれば、上は諸侯から下は庶民まで、宵越しの金は持たない江戸っ子気質で大盤振る舞いをして、財布に応じた茶屋を選び、自慢の味を愉しんだ。
大茶屋は芝居小屋内の一角か隣接地または向かいにあり、諸侯や富裕層を歓待するために座敷をこしらえ調度品を整え、腕によりをかけた高級料理を食べさせてくれる。
小茶屋は比較的芝居小屋に近い場所に、簡単な店構えで庶民や小金持ちを相手に、小料理屋に近い料理から定食を出す店まで色々あった。
小茶屋のなかには仕出し専門店もあって、出方とよばれる専属接客業者を雇い、芝居見物に訪れた客を座席まで案内したり、買ってもらった小料理・弁当・酒の肴などを座席に運んだりしていた。
そんな繁栄する日本橋の芝居町ではあったが、中にはその繁栄に寄生しようとする者もいた。
飢えた狼のような目で、何か難癖をつける事はないかと探し回る者達だ。
尾羽打ち枯らした分かり易い相手なら、避ける事も可能だろう。
だが相手が立派な服装をして、立ち振る舞いも洗練されていたら、逃げ損ねてしまう事もあるのだ。
まだ幼さの残る少女が慣れない手つきで水を撒いていた。
純朴そうな姿と赤い頬が、田舎から出てきたのかと思わせた。
心あるものなら、優しくしてあげたくなる姿だが、悪人には獲物に写ってしまう。
今も如何にも大身旗本の若様に見える男が、供侍を従えて颯爽と歩いていたが、少女を眼の端に捕らえて、嫌らしい笑いを浮かべた。
若様はその陰湿な性格に反して剣術の腕はたつのだろう。
流れるような足さばきで少女に近づいて行った。
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