第34話
「助けてくれ!
許してくれ!」
与力は泣き叫びながら逃げ回った。
権六は慌てず騒がす、ゆったりとした足取りで後を追う。
与力の悲鳴を聞いて、町奉行所にいる同心が顔を出したのが災難だった。
権六が無造作に来国光を振るう。
何の躊躇いも容赦もなかった。
「ぎゃぁぁぁあ」
「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺して、初めて解脱を得、物と拘わらず、透脱自在なり」
臨済録だが、百姓の権六が知るはずもない言葉だ。
だが今の権六の心境そのものだ。
当たるを幸いに、刀の届く範囲に入った者は、誰であろうと斬る。
町奉行所の与力同心として、犯罪者と対峙し逮捕するはずの者が、百姓の権六に敵わず、碌に刀をあわす事なく斬られていった。
いや、まだ立ち向かった者はましだ。
最初に逃げ出した与力のように、百姓の凶刃から逃げ隠れする者すらいた。
まるで無人の野を行くように、権六は北町奉行所内を闊歩する。
その内に権六は表から奥に入り込んだ。
北町奉行の小田切土佐守の私的空間で、奉行の家族はもちろん、内与力などの陪臣家族が住んでいる。
「きゃぁぁぁぁあ」
「たすけてぇぇぇ」
権六は女子供であろうと情け容赦しなかった。
幸い町奉行の妻女は権六に遭遇しなかった。
だが町奉行所内には、陪臣の内から選抜された内与力五騎が住んでいたのだ。
内与力の妻女が次々と斬られた。
「七右衛門殿。
北町奉行所で異変が起きているようです」
神使が七右衛門に話しかけた。
今月は北町奉行所の当番で、南町奉行所の七右衛門はゆっくりと休んでいた。
休むとは言っても、全く何もしない訳ではない。
手先の者達が自立できるように、振売の商品を考えていた。
そこに不意に神使が話しかけたので、何の事だか理解できないでいた。
「北町奉行所の異変とはなんだ?
また妖狸でも暴れているのか?」
「妖怪の類ではありません。
人間が暴れております。
斬り殺された者もいるようです」
七右衛門は信じられなかった。
いや、信じたくなかった。
「おい、おい、おい。
奉行所内だぞ。
与力同心は何をしているのだ」
「逃げ回っております。
中には立ち向かう者もいますが、逆に斬り伏せられております」
「何と情けないことだ」
七右衛門は余りの情けなさに思わずため息をついた。
「どうなさいますか?
既に女も斬られております。
まあ、放っておいても、下男辺りが取り押さえるでしょう」
女が斬られたと言うのは聞き逃せなかった。
南町奉行所の与力が北町奉行所の事件に口を突っ込むのは憚られるが、見て見ぬ振りはできなかった。
だがふいにある事を思いついた。
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