第2話 出会いと執着
それから十数年の時が過ぎ、「いい子」な少年──叡士郎は「いい子」のまま青年となった。成績優秀、交友関係も良好。日本一とは言わずとも、それなりに優等な大学へ進学し、学業とバイトと遊びの毎日。 ガスの抜き方も覚えた彼は、側から見ればどこにでもいる青年であろう。──ただひとつ、いつかから抱え続けている「羨望の念」以外は。
「羨望の念」は、端的に言えば被食願望であった。読んで字の如く、食べられたいという願望。明確にそれを把握したときに、インターネットで調べてみたところ、確かに存在していた。Vorarephiria《ヴォラレフィリア》というらしい。しかしそれは通常丸呑みにされるものであり、自らの四肢をもがれ、かぶりつかれ、内臓を食い漁ってほしいという自分とは少し相容れなかった。被虐嗜好とも似ているそれは、しかし最終的に死んでその存在を全くなくすことが目標なのでまた違っていた。
そうして、Voraphiriaとも被虐嗜好とも希死念慮ともつかないそれは、やはり被食願望と呼ぶのが一番相応しかった。
虫でも獣でもいいが、やはり人間に食べてもらいたい。
だからカニバリストに出会いたいのだが、そもそも稀有な人間な上に、犯罪者だ。掲示板で呼びかけてノコノコやってくるはずもなく、そもそも無駄な労力は割かない主義な叡士郎はそれをしなかった。
だから一生この願望を昇華させることなく、生涯を終えるものだと思っていた──アリスに出会うまでは。
親睦会──というよりも飲み会と言った方が良い程飲まされたあの日。あまりの気持ち悪さに吐いてしまおうと、路地裏に向かったのが、人生の転機だった。
その狭い路の奥から、ガッガッとなにかを叩くような音がして、好奇心のままに叡士郎はその発生源へと向かった。
暗がりの中で見えたのは二つの影。少女の形をしたものと、それが引きずっている大きな大きな人形。
しかし近付くつれ、それは違うと判明する。少女がナタのようなものを振るい、そしてその度に、ビシャリ、ビシャリと液体が飛び散る音がするのだ。
それがなんなのか分かった時──人形ではなく人間で、飛び散る液体が血液だと分かった時、叡士郎は腰が抜けてしまった。それで気づいたのか、少女がこちらを向いた。ギョロギョロと昆虫のように大きく、黒い瞳。それが月明かりという乏しい光でもはっきりとわかるほど、彼は少女に近づいていたのだ。
彼女は持っていた男の腕を離すと、叡士郎の元へと歩き出した。数歩分の距離しかないものだったというのに、叡士郎はそれがずいぶんと長い時間に感じられた。少女は何を考えたのか、しばし彼を見下ろすと、しゃがみ込んで彼の顔をまじまじと見つめた。叡士郎の視界いっぱいに広がる彼女の姿──先に述べたように、昆虫を彷彿とさせる瞳や、真っ黒い髪。彼女はまるで──まるでアリのようだと考えつくのにそう時間はかからなかった。ゴクリ、と唾を飲む音がやけに大きく聞こえた。
「さっきの人、どうするんですか」
震え交じりに口を開いた。答えはなんとなく分かっていた。いや、そうであれば良いという願望だ。だが、絶対に彼女こそが自分の運命だという確信があった。彼女が、自分が初めて己の欲望に気づかされたアリを思わせる少女であるから。
「──食べるの。細切りにして、フライパンに乗っけたり、オーブンに入れたり、茹でたりして」
思わず口元を覆った。ああ、最高だ。あの男が羨ましいとすら思った。呼吸が熱いものへと変わっていることを明確に感じた。腹の奥が熱い。その後も、自分がいかにその男を調理するかを述べていく彼女の口調は、酷く淡々としたものであるが、どこかそれを楽しみにするような──母親の手料理を心待ちにするようなもののようにも聞こえた。
「俺を、食べてくれませんか」
ピタリ、と言葉が止まる。指折り数えていた顔を上げて、またじっとこちらを見つめる彼女。永遠とも思える時間であった。
「マスターに言われてるの。待ってる人がいる人は食べちゃダメって」
これが、初めて執着を覚えた瞬間であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます