未来都市岡山

甘木 銭

未来都市岡山

「大都会岡山」

 世界に誇る技術大国日本の首都である岡山が、そう呼ばれるようになって久しい。


 日本中の全ての都市へと繋がる岡山駅。

 その壮大な駅の足元に広がる駅前広場には、暖かな日差しが降り注いでいる。

 上着越しに日光を浴びるユウトは、駅内のファストフード店で買ったチーズバーガーを貪りながら、日本で最も有名な英雄のホログラム映像を眺めていた。

 水色の光で空中に描き出されている彼は半透明で、ホログラム映写台の上にお供の動物と共に凛々しく佇んでいる。

 五月の連休初日。

 気象庁の気象調整システム「ハレマチ」が、天気を快晴に設定しているのだろう。晴れの国岡山は今日も、気持ちが良いほどに晴れている。

 雲一つない青空には、雲の代わりに黄緑の「ももちゃり」が飛び交っている。

 時計を確認すると、約束の時間まであと二十分と迫っていた。

 残っていたチーズバーガーを全て口に詰め込み、近くのゴミ箱に包み紙をクシャッと丸めて放り込むと、ユウトは口をモゴモゴさせながら待ち合わせ場所へと足を向けた。


 二〇七五年現在、岡山は世界に誇る大都市である。

 戦前まで日本の首都は東京だったが、戦後日本を占領していたGHQからその事についてケチがついた。曰く、

「東京は元々武士の町として栄えた江戸なので、東京は戦後『平和主義』を掲げている日本の首都として不適切である」

 それを受け日本政府は、災害の少なさなどを理由に首都を岡山に移動。

 皇居を岡山城跡と岡山後楽園へ、国会議事堂をその隣の住吉町すみよしちょうへと移し、周辺の地域に各省庁を置いた。

 その後日本は数度にわたる不況を乗り越え、高度経済成長や数々の技術革新により大きく発展。

 その中でも特に目覚ましく発展した岡山は、いつの頃からか「大都会岡山」と呼ばれ全日本国民の憧れの街となっている。

 岡山駅前の桃太郎像は、岡山と日本の発展のシンボルである。

 ユウト達が産まれる少し前、この「桃太郎像」はきちんとした実体のある物だったらしいが、鳩のフンまみれになったり、成人式や卒業式で盛り上がった若者が登ったりするのでホログラムに置き換えられたらしい。

 ユウトも少し登ってみたいとは思うが、その像は現在岡山国立美術館のガラスの中なので、恐らくその機会は一生訪れないことだろう。


「ああ、あの家だな。あの一軒だけ屋根がある」

 住宅街を目的地に向かって歩いていると、ユウトと並んで歩いていたダイスケが口を開いた。

 ダイスケが屋根があると表現した家には、黒い屋根瓦が葺かれている。

 現在、日本の住宅の主流は屋根まで平坦なキューブ型であり、屋根瓦がある家は最低でも築三十年ほどの物である。屋根の無い四角い建物が並ぶ住宅街にあって、黒い屋根を持つその家はかなり浮いていた。


 ユウトは岡山駅から歩いてすぐの未来モール岡山に移動し、そこでダイスケと合流した。

 極度の暑がりであるダイスケは、五月に半袖とハーフパンツにサンダルという真夏スタイルでやってきたが、ユウトは特にツッコミもせず一緒に歩き出す。

 極度の寒がりであるユウトも、五月という季節に似つかわしくない厚着をしているので、お互い様な部分もある。

 二人は同級生だが、小柄で細身のユウトの横に大柄で太めなダイスケが並ぶと年の離れた兄弟のようにも見える。

 周りから見ればおかしな二人組だろうが、当人達からしてみればいつものことなので何も気にならない。

 未来モールを出て向かったのは、歩いて二十分程の場所にある住宅街。

 駅から離れていくほど空を行き交うももちゃりは減っていき、目的地に着く頃には空のももちゃりよりも自動車の方が多い様子だった。

 ももちゃりは、元々自転車がまだタイヤで地面を走っていた時代に、岡山市が運営していたレンタル自転車のシステムが日本全国に広がったものだ。

 やがて自転車が反重力装置を搭載し、空は自転車、地上は自動車という住み分けがされるようになった頃に国営化され、地球温暖化防止の取り組みの一環として強く推奨された。

 そのおかげもあってももちゃりは全国の都市で導入され、各都市の駅周辺で多くの人々に利用されている。

 しかし、自転車は駅などの大きな施設周辺に設置されているいくつかのポータルから借り、またどこかのポータルに返す必要があるため、大通りから離れて住宅街に入ると一気に数が減る。

 青空を走るももちゃりがまばらになった頃に、その家は見えてきた。

 黒い瓦屋根の家は、周りのキューブ型の家に比べるとなんだか古ぼけた印象を受けた。

 祖父母の家よりも古く見えるその建物と向き合うと、歴史に向き合っているような気持ちになる。歴史に足を踏み入れる感覚というのは、今日ここに来た目的にもピッタリだ。

 ダイスケと軒先に並び、息を整えるとドア横のチャイムを押す。

 ピンポーン、と音が建物の中から聞こえてくる。

 ドタドタと足音がしたかと思うと、ガラッという音とともに扉がスライドし、中から初老の男性が現れた。

「ああ、もしかして高梁たかはしくんと津山つやまくん?いらっしゃい」

「どうも、こんにちは。今日はお世話になります」


「課題研究だっけ?わざわざ直接会って話聞きに来るなんて、最近の高校生は熱心だねえ。新見にいみはちゃんと教師出来てる?」

 和室に通された二人はテーブル越しに初老の男性、美作みまさかアキフミと向き合って座っていた。今話題に上がった新見というのは、二人に美作を紹介した社会科の教員である。

 美作は、五月に極端な厚着と薄着をしている二人を見ても何も言わずにマイペースに話し始める。

 だからといってガサツだったり無関心だったりする訳でもないらしく、むしろ相手をよく見て細やかな気遣いも出来る人のようだ。その証拠に、二人の前に並んだ麦茶を見ると、ダイスケの方のグラスには氷がしっかり入っており、ユウトの方のグラスには氷が入っていない。

 寒がりなユウトは、飲み物に氷を入れない。

 ちなみにダイスケは重度の猫舌だ。

「お茶はここに置いとくから、いくらでも飲みなさい」

 早々にグラスの中の麦茶を飲みきったダイスケに、美作がそう声をかける。

 ダイスケは飲み物をよく飲むのでありがたい言葉だ。お礼を言いつつ、ダイスケが話を切り出した。

「それで、美作さん。今日は岡山の歴史について聞きたいんですけど」


 ユウトとダイスケの通う高校には、三年生になると始まる課題研究というものがある。

 生徒達は自分でテーマを設定し、そのテーマについて一年間それぞれに動いて研究する。

 生徒が自分達で自由に考えるだけあってテーマの幅は広く、化学実験や生物の観察、言語学に美術、映画などのエンターテインメントなど多岐にわたる。長船おさふねの刀工に弟子入りして刀を作って来ると言っていた生徒もいた。

 一年間かけて研究をするだけあって、その内容は進路にも大きく関わってくる。そのためみんなある程度真剣に取り組むが、ユウトとダイスケは大した熱意も無く、歴史が好きだという理由だけで「岡山の歴史」を研究テーマにした。

 寒がりと暑がり、大柄と小柄、辛いもの好きと甘党だったり、理系と文系だったり。他にも色々な面で正反対な二人だったが、歴史が好きだというただ一つの共通点で仲良くなり、中学生の頃からずっとつるんでいる。

 今回も二人で組んで、ならばと歴史をテーマにしただけなのだが。

 歴史というのは平凡なテーマでありながら課題研究の研究対象に選ばれることは少なく、歴史の研究をすると言い出した者はここ数年いなかったとらしい。

 未来化が叫ばれる昨今の日本においては、どうも歴史は不人気なのだ。

 故に、社会科の新見先生が、歴史をテーマに選んだ二人に感激し、それなら戦後の岡山の発展について調べるべきだとか、その時代を生きてきた人たちに直接話を聞いてみるのがいいだろうとか、先生が大学時代に歴史を教わっていた先生を紹介するから訪ねてみなさい、などということを言い出したのだ。

 やる気も何もなく、先生の言うとおりにしてパパっと課題研究を終わらせようとしていた二人だったが、気が付くと美作の家を訪ねることになっていた。

 

 歴史が好きとはいえ二人が特に好きなのは戦国時代。それ以外については少し詳しい程度であり、戦後日本に対しては、はっきり言って興味が薄い。

 今日来たのも嫌々ながらであり、それ故あまりやる気の出ない二人は、さっさと終わらせて帰ってしまおうくらいに考えていたのだが。

「なんだか、随分と熱心だね」

 気付けば二人はすっかり美作の話に聞き入っていた。

 視界の隅に表示されている仮想デスクトップには、画面いっぱいのメモが表示されている。かなり急いで入力していたはずなのに誤字脱字が見当たらないのは、校正AIが文脈に合わせて自動的にミスを修正していっているからだろう。

 流石と言うべきか。元々歴史を教えていただけあって話が上手い。面白くてついつい聞き入ってしまう。

 戦国時代が好きな二人のために、その頃の事実を絡めたり、的確に伝わる例えを持ってきて話してくれたりするので話がするすると頭に入ってくる。

 戦後から美作が生まれる前、二〇〇〇年頃までの話でもかなりお腹いっぱいだったのだが。

「私が生まれてからの話をすると、そうだなぁ。例えばこれなんか、君たちはあまり見たことがないんじゃないかな」

 と言って美作が取り出したのは、古い紙の札のような物だった。

 それを見て、また二人は興味を引き付けられてしまう。元々二人は好奇心が強いタイプだ。

 美作がテーブルの上に置いたそれは、茶色いような黄色いような色で、右側には人物の顔が描かれている。

「これは...?」

「紙幣だよ。お金だ」

 美作が取り出したものは現金だった。描かれている人物には見覚えがある。

 ああそうだ、福沢諭吉だ。

「でもなんだか、僕が知っている一万円札とは違うみたいですけど」

「旧紙幣だからね。それで買い物をしていたんだよ。このお札は私が君たちくらいの歳の頃に使っていた」

 キャッシュレス化が進んだ現代において現金が使われるのは冠婚葬祭の時くらいだ。お年玉も端末を通して受け取るユウト達高校生には、現金に触れる機会など殆ど無い。

「古いものなんですね。だからこんなに黄ばんでるんだ」

「いや、それは元からそういう色をしているんだよ」

 見当違いなことを言って美作に笑われたダイスケは、バツが悪そうに麦茶を飲み、氷を噛んだ。

 その後も美作は様々な話をしてくれた。

 昔は「スマホ」という板状の情報端末を使って通信をしていたこと、自動車がガソリンという化石燃料で走っていたこと、紙の書籍が多く存在していたことなど。

 知識としては知っていたが、その時代の日本を生きていた人の話は、データよりもリアルな質感をもってユウト達の頭の中に当時の様子を映し出した。

 中でも二人の印象に残っているのは二〇二〇年の岡山オリンピックの話で、新国立競技場や競技内容について揉めに揉めた様子を、覚えている限り細かく話してくれた。

 気が付くと二人はすっかり美作の話に聞き入っていて、他の人の家にも行って話を聞いてみたらどうかという提案に、「是非」と二人で即答していた。

 その日の帰りは高校生らしく二人でゲームセンターに行ったが、普段の半分の時間も滞在せずに帰ってしまった。


 それからは忙しい日が続いた。

 二人は二週間に一度のペースで集まり、美作が紹介してくれた元教員や教授、研究者、更にはどういう繋がりなのかIT企業の元社員などの家に話を聞きに行った。

 岡山駅で待ち合わせ、二人で岡山中を駆け回る。

 美作が紹介してくれた人の多くは岡山市内に住んでいたが、他の市町村に住んでいる人も数名いたので、夏休みに電車で各地を回ることにした。そして、帰りには近くの史跡を訪れて暗くなるまでそこで過ごした。

 山陽本線で笠岡かさおかに行き、次は桃太郎線で総社そうじゃへと向かう。その次にはマリンライナーに乗って児島こじまを訪ねた。

 普段は電車を利用することのなかった二人だが、よく電車に乗るようになると、三分と待たずに次の電車が来ることや、そこまで電車の本数が多くても大抵の電車が混んでいることに驚いた。

 その様子を見て、改めて「大都会岡山」の言葉を思い出す。

 いつ頃からか、もちろんユウト達が生まれるずっと前の話であるが、日本の首都として発展を続ける岡山はそう呼ばれるようになった。

 元々はネットで言われだした事が一般に広まって行った。何も珍しくはない、よくある事だ。


 尋ねた家の住人に二人の極端な厚着と薄着を驚かれ、家に上がると次は二人が話を聞いて驚く、というのが大抵のパターンになっていた。

 しかし、七月になる頃には驚かれるのはユウトの厚着だけになった。

 ダイスケもこの季節はよく上半身裸やパンツ一枚で過ごしているが、さすがに話を聞きに行く相手にそんな格好は出来ないのでタンクトップに半ズボンである。

 大抵の人は話をしだす前に必ずと言って良いほど「ネットでもいいのに直接会って話を聞きに来るなんて熱心だな」と感心していた。

 それに対して「教師にそうしろと言われたからです」と言い出すことも出来ずに、毎回熱心な学生のフリをするようにしていたが、半分はフリではなかったような気もする。

 そうしてあちこちを訪ねていた二人は十月の半ば、ある人物と出会う。


 きっかけは美作とのやり取りだった。ユウトは取材を終える度に、結果の報告をしたり、次に取材する人を紹介してもらったりするために、美作と連絡を取っていた。

 IT企業の元社員の話を聞いた時に、もっとITの発展についての話を聞きたくなったのでいい人はいないか、と尋ねたところ、連絡先が送られてきたのでアポを取って訪ねることにしたのだ。

 こちらはダイスケが電話で連絡を取ったが、なんだか怖そうな人だったと言っていた。

 だが、実際に二人を出迎えた人物は、怖そうな人などというものではなかった。

 家から出てきた彼を見て、始め二人はロボットが出てきたと思った。

 二メートル近くもある体の表面はつや消しのホワイトで塗られた金属で、頭にあたる部分に搭載されたカメラが二人のことを見つめている。

「連絡をくれたのは君達か。まあ入りなさい」

 スピーカー越しの無機質な声。

 円筒の金属を関節で繋いで人型にしたような体。

 Uターンして家の中に入っていくそのロボットの背中を見て二人は、ようやく彼が「機換者きかんしゃ」であることを悟った。

 リビングらしき部屋に通され、テーブルのそばに置いてあった椅子に座ると、

「ウチには人間が飲むものは置いてないんだ。悪いけど何も出せないよ」

 とぶっきらぼうに言われた。

 二人が何も言い出せずにいると、その様子を見てロボットがまた声を発した。

「私のこれは病気やなんかでやったことじゃない。自分の意思だ。だから何も気を使うことは無い」


 機換者というのは、生きた人間の脳を搭載したアンドロイドである。

 と言ってもその見た目は生身の人間とは全く違う、機械の体である。

 機換者の技術の主な需要は医療分野にあり、脳に異常は無いが体が病気に侵されもう助からない、という患者のために脳を機械の体に移すのだ。

 しかし社会的な理解が未だ得られていないことや、経済的な負担が大きいことで、実際に機換者になる選択をする人は殆どいない。

 それでも機換者になる人は殆どが高齢者で、彼らは飲食店に言ったり生活用品の買い物をしたりする必要が無いため、外出せずに一日中家の中で過ごすことが多い。

 そのためユウト達も街中で機換者を見かけることは無く、ましてや実際に対面して話すというのはこれが初めてだ。

 今、目の前のロボット、いや、この家の家主である長船おさふねカナトは己の意思で機換者になったと言った。

「自分の意思というのはどういう...?」

 ユウトが思い切って聞いてみると、

「そもそも私は普通の機換者とは全然違うものだ」

 長船はなんでもない事の様に話し出した。

「まず、私のこの体には生身の脳はついていない。この体を動かしているのはAIだ」

 二人は絶句してしまった。

 目の前で会話をしている相手がAI?しかし、そんな風には全く感じられない。

 二〇七五年の現在でも人間と遜色無いAIというものは登場していない。だが、AIと会話をしている時の違和感は目の前の長船からは全く感じない。

「AIと言っても準AIだがね。要するに、長船カナトという人間の思考パターンや嗜好を丸々コピーして作られている。まあ君達が生まれる前に禁止された技術だが」

 人格をコピーして作る準AIというものがかつて存在していたことは、ユウト達も学校で習った。

 歴史の教科書にしか出てこないものが目の前にいるというのは妙な感じだが、それ以上に気になることがある。

「では、生身の長船さんは今どこに......?」

 彼が長船カナトのコピーだということは、本物の、コピー元の長船がどこかにいる筈である。しかし、それに対する長船の答えは残酷なものだった。

「死んだよ、自殺した」

「え?」

「人間はAIには勝てないと悟った。だから自分をAIにして生まれ変わったんだ」

 暗いトーンでそう告げた長船は、さらに続ける。

「その直後に倫理観の問題がどうとかで準AI技術は廃止されてしまったがね」

 二人は何も言えず、ただ黙って話を聞いている。

「世の中では非人道的だなんだと言われる。後ろ指も刺された。だが後悔はしていない。なんと思われようとかまわない。私は私が正しいと思うことをした」

 ああ、そうか。ユウトは、美作が自分たちに見せたかったものが何だったのかを悟った。

 この人自身が日本の歴史の一部なのだ。

 歴史というのは決して、人類の輝かしい功績の積み重ねではない。

 むしろ、歴史を動かしてきたのは殆ど、たくさんの不幸やダークサイドの部分の方だと言える。残酷な事件や多くの失敗、利己的な欲に溺れた結果招いた悲劇、その一つ一つに学びながら人類は発展してきた。

 そして、現在発展しているAI技術の裏側にある影の部分が、この封印された準AIという技術なのだ。

 長船は後悔していないと言っていたが、自分の人格をAIにコピーするなど、想像するだけでゾッとする。

「美作にはこの話をしてくれと言われていた。私から君達に話すことはもう全て話したと思うが、他に聞きたいことはあるか?」

 その後、二人は少し質問をしたが、長船の回答は一言二言のものであり、今回の訪問は今までで最短の二十分で終わった。


「......ダイスケは自分をコピーしたいと思うか?」

「......思わないな」

「人間がAIに勝てなくなっても?」

「......負けないように頑張ろう」

 その日の帰り道でユウトの体が震えていたのは、下がり始めた気温のせいだけではなかった。


 11月の最後の土曜、二人は岡山国立美術館を訪れていた。

 美術館は皇居に近い天神町てんじんちょうにあり、周囲を見渡すとあちこちに、岡山城の名残である石垣が堂々と佇んでいる。

 戦国好きの二人としては、この石垣は何度見ても気分が上がる。

 いつもであれば宇喜多、小早川、池田といった歴代の城主に思いを馳せるところだが、今回はそんな気持ちを抑えながらまっすぐ美術館に入っていく。

 美術館内は落ち着いた雰囲気で、仄かな照明が館内の美術品を厳かに照らしている。名実ともに日本一の美術館に足を踏み入れた二人を、入口正面に見える桃太郎像が出迎える。あれはホログラムではなく、かつて岡山駅前に設置されていた本物だ。

 二人がここに来たのは、課題研究のまとめのためである。

 四月に始まった課題研究は、十二月に仕上げをし、一月に発表する。

 十一月末のこの日は既に研究のまとめに入るべき時期であり、美作の知り合いへの訪問取材は今日で最後だ。

 岡山国立美術館の館長は、美作の古い友人であるらしい。

 そのためここへは取材と、発表の参考にするための資料や展示を見せてもらうためにやって来た。

 二人は今まで何度もここを訪れたことがあり、見慣れた展示も多かったが、今回は特別にスタッフルームに入れてもらった。

 これはさすがに二人も初めてのことだ。

「私から色々聞くよりも、資料を見た方が良いかな。資料保管室はこっちだよ」

 館長の笠岡かさおかは人当たりのいい、物腰の柔らかな紳士だった。

 資料室に入った二人に、館長が壁の本棚から古い文献を幾つか持ってくる。

「岡山が首都になってからのがこっち。で、それより前がこっちだね。触っちゃダメだよ。見たいところがあったらこっちでページをめくるから」

 と、手袋をつけながら言ってくる。

 紙の本になど殆ど触れたことが無く、大切な文献を破るようなことがないかとビクビクしていた二人にはありがたい提案だった。

 そこから二時間ほど資料を見続け、笠岡に許可を取りながら写真を撮ると、発表のための資料は十二分に揃った。

 あとは家に持ち帰り、一ヶ月かけて発表用の資料をまとめるだけだ。

「ありがとうございます、いい発表が出来そうです」

 と、ユウトがお礼を言うと

「最後に、ちょっとこっちへおいで」

 と、笠岡に言われた。

 隣の部屋に通されると、そこには岡山、そして日本で最も有名な英雄の姿があった。

「桃太郎像じゃないですか!」

 岡山駅前に設置されていたそれは、この美術館の常設展示として入口付近の展示台の中に置かれていたはずだが、何故か資料保管室の隣の部屋に移動している。

「これはレプリカでね。昔企画展示のために使ったんだけど、その後の行き場がなくてね。でも今度、香川の美術館に行くことになったんだ」

 なるほどどうやら移動してきた訳ではないらしい。

 岡山は桃太郎とともに発展してきた都市だ。

 桃太郎大通りや桃太郎線のように、各地の名前に桃太郎とついていることが示すとおり、街中に桃太郎が浸透している。

 マンホールや消火栓の蓋にも桃太郎のイラストが描かれているし、岡山市にも警視庁にも桃太郎を元にしたマスコットキャラクターがいる。

 桃太郎は岡山の顔であり、それはそのまま日本の顔であることを意味する。

 岡山駅前の桃太郎像はそのシンボルであり、人々に大事にされてきた。(よじ登る若者もたくさんいたが...)

 レプリカとはいえその桃太郎像には大きな価値があり、ユウト達の研究においても当然避けては通れないものだ。

 笠岡館長はそのことを理解してユウト達にこの像を見せてくれたのだろう。

 何枚か写真を撮ると、笠岡は更にとんでもないことを言い出した。

「そうだ、桃太郎に登ってみない?」

「え?」

 レプリカとはいえ、この桃太郎像は結構な価値がある物の筈だ。それによじ登ってみないかと言われても、正直狼狽えてしまう。

「登ってしまってもいいものなんですか?ていうか、壊れたりとか......」

「桃太郎像が何百人乗せて来たと思ってるんだい。レプリカでも材料は同じだから強度も同じくらいだろうし。それに桃太郎像は登るものだよ」

 またしてもとんでもないことをさらっと言う笠岡。もしかしたらこの人も昔桃太郎像によじ登ったクチかもしれない。

 しかし、当時の人の体験に触れてみることも必要かもしれない。岡山駅前の桃太郎像も今はホログラムになっているので、桃太郎像によじ登れる機会など一生無いとユウトは思っていたが。

 念の為、体の重いダイスケはやめておき、小柄で体重の軽いユウトが桃太郎に登ることにする。

 厚着をしたままでは動きにくいので、上着を二枚ダイスケに預けて桃太郎の足に手をかける。

 恐る恐る力を込めて体を引き上げ、ビクビクしながら台座や腕に体重をかけていく。

 収まりのいい所を探して桃太郎におんぶされているような姿勢になったユウトは、足元にいるダイスケと目を合わせた。

 登ってしまうと、桃太郎像は意外としっかりしていて、ユウトが乗っているくらいではビクともしなさそうだ。

 今まで話を聞いて少し桃太郎像に登ってみたいという気持ちはあった。しかしいざ登ってみれば、正直何が楽しいのか全く分からない。

 こういうのはイベントで楽しくなっているノリでやるから面白いんだよな、と思いながら当時の岡山人達に思いを馳せる。

 油断すれば滑り落ちてしまいそうな桃太郎に必死で捕まりながらここまでの取材を思い出し、発表の内容を考える。

 岡山の発展の歴史と、未来へ向けて。この半年で調べたことをどのように伝えて行こうか。

 タイトルはやはり、「未来都市岡山」だろうか。

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