第43話:祝賀会と運命の糸④

 さら、と衣擦れの音がした。続けて、すっかり馴染んだ爽やかな声も。

 「――ティナ殿」

 「わっ!? ……あ、シグさんか」

 「驚かせてしまい申し訳ない。お疲れのようだったと聞き及びましたので、飲み物を」

 「あ、ありがとう」

 差し出されたグラスを受け取ってお礼を言いつつ、ティナは改めて思った。今更のような気はするのだが、

 (こういう格好してると、ちゃんと王子様だなぁ。シグさん)

 宴の席ということで、今シグルズが着ているのは長のものによく似た長衣だ。目の色に合わせたのか、澄んだ緑青をベースにした若者らしい装いで、要所要所に施された金糸の刺しゅうも品が良い。ふわっと薄荷の香りがしそうな、初夏に相応しい爽やかな装いだった。さすがに貴公子らしい雰囲気だ。

 「? あの、顔に何かついておりますか」

 「ううん、よく似合ってるなと思って。カッコいいですよ」

 「は、……それは、どうも」

 恐縮です、と真面目に謙遜するあたりはいつもと変わらない。なんだか少し安心して、もらったレモネードを飲みながらふふっと笑ってしまった。そして、ついでに思い出した。

 「そうだ、これ返そうと思ってたんです。はい」

 ハンカチの包みから取り出したのは、きれいに磨いた呼び子だった。ずっと借りっぱなしになっていたのを、着替えの時に思い出してこっそり会場へ持ち込んだのだ。

 「明日は一回うちに帰って、そのままフェリシアさんたちといっしょに出発する予定だから、今のうちに渡しといた方がいいと思って。

 ありがとうございま――、え?」

 感謝の言葉が途中で止まる。相手が差し出した手を取って、そのまま呼び子を優しく握らせたからだ。目をまたたかせていると、

 「私も、ティナ殿にお伝えせねばならぬことがあります。

 明日からの旅路、どうか私も連れて行っていただきたい」

 「っ、はい!? いや、だって!」

 全く予想していなかったセリフに、思わず声がひっくり返った。しかしシグルズの方は真面目そのものの顔つきで、いたって冷静に話を進めていく。

 「春ウサギを追っていた時、貴女に叱られたことがありましたね。何故もっと調べないのか、恐れるあまりに稚拙な対処をして恥ずかしくはないのか、と……

 全くもってその通りです。返す言葉もありませぬ」

 あのとき脳裏をよぎったのは、既に数ヶ月寝付いたままの母の姿だった。郷の医師も薬師も打つ手がなく、しかし泉には本人しか入れない。手詰まりだと無力感に苛まれていたシグルズは、力いっぱい横っ面を叩かれたような気がしたのだ。

 「泉の調査を手伝ってもらってはと、長に進言いたしました。郷に戻ったとき集まっていた警備隊の面々は、そのために呼ばれていたのだそうで」

 生真面目で、良くも悪くも型を破らない。そういう性格を誰よりも知る父は、突然そんな提案をした息子に驚きを隠さなかった。だが、すぐに嬉しそうに是と応えてくれた。もしかしなくとも、己から言い出すのを待ってくれていたのではと思う。

 結果として、一族の力にこだわらず外部に助けを求めたことは吉と出た。ぜひとも今後に生かしていきたいところだ。……それと同時に、はっきりわかったこともある。

 「今回のことで思い知ったのです。私はもっと、多くのことを知らねばならない。それは同胞と共に森に居るままでは出来ない、と。

 長に打診したところ、此度の面々とならば善き旅路となろう、と快諾を頂きました」

 「なんでそんな確信ありげなんですか、長さん……」

 「あの方は郷の最長老ゆえ。ティナ殿のお人柄を見抜いておられるのでしょう」

 それに、気になることがある。泉を荒らしていた蟹坊主、あれはどこからやって来たのか。そもそも長ですら知らないような異邦の妖怪が、いかにしてこの土地までたどり着き潜伏を果たしたのか。それを突き止めるのも、ひとり森を出る己の役割だ。

 「その呼び子は、長の家系に代々伝わるもの。渡した相手の危機には必ず駆け付けるという、いわば誓いの証です。私の覚悟と思い、お持ちください」

 「……ああ、そういう意味があるんだ」

 なら返すのは失礼に当たるだろう、と大人しく笛を引っ込めようとしたティナの手を、再びそっと相手が取る。そして、

 「未だ拙き腕ではありますが、弓とエルフの誇りにかけて誓いましょう。――身命を賭してお守りいたします。我が姫」

 椅子に座るティナの前でひざまずき、指先に軽くキスをした。

 ……された側の時が止まったのは言うまでもない。ドレスの着付けとかパーティー参加とかなんて、全く問題にならないほどの衝撃だ。というか、有り体にいってカッコ良すぎだろ王子様!

 「わ、わわわわかったわかった! でも命はかけなくていいから!! 明日からもよろしくお願いします、はいっ」

 「本当ですか! ありがたき」

 「もっかい跪くのやめてー!! あっほら、なんか音楽変わったよ、ダンスっぽいよ!? 踊ったりしないのシグさんっ」

 「え? ええ、まあ、たしなむ程度には」

 「じゃあ行こう、すぐ行こう! わたし全っ然出来ないから簡単なの教えてもらえるとうれしいなっ」

 「……はい。仰せのままに」

 『ぴぴっ♪』

 腕を引っ張って引き連れているシグルズの表情は見えないが、返事する声がやたらと嬉しそうだ。軽く羽ばたいて肩に飛び乗ったルミもご機嫌でさえずっている。

 (あー、もう! 真面目に悩んでるのがバカらしくなってきたっ)

 だって明日からもみんないっしょ、上手くいかないわけないじゃないか。こうなったらめいっぱい旅を楽しんで、破滅フラグだって片っ端から粉砕してってやる!

 照れやら興奮やら、まだ見ぬ楽しみやら。いろんなものでほおをリンゴみたいに真っ赤にしながら、ティナは長い階段を元気よく駆け下りていった。




 「よーっし! 頑張ったわね王子様、大金星よー!! 楽師さんたちに頼んでそれっぽい曲演奏してもらって良かった~」

 『おおー、みっちゃんちの子ってばカッコいいのよ~』

 「うふふふ、そうでしょう? 何せお父上のお若い頃そっくりですもの」

 「あらまあ、奥方様ったら。ご馳走様ですわ~」

 『きゅきゅ~♪』

 「……で、どこまで分かっててやってると思います? うちの義兄貴あにき

 「まあ、元は騎士の儀礼でもあるからなぁ。今のところは純粋に忠誠を誓っておるだけだろう」

 居館の真向かいにある離れから、きゃあきゃあ言いつつ露台のやり取りを見物していた女性陣が大いに盛り上がっている。その脇でこれまた見守り体勢だったバルトに問われて、グリーアンはふと腕組みをして真剣な表情をつくった。

 「――ただな、余があれと同じ年頃に呼び子を渡した相手がおるのだが」

 「はい」

 「その時点では全く予想しとらんかったが、それが今では連れ合いだからな。まあ言うだけ野暮というやつよ、うむ」

 「…………へいへい、ごっそさんです義父上」

 真顔で何を言い出すかと思ったら、こっちもノロケかい!

 正直、巨大ガニとバトルを繰り広げたときよりよっぽど疲労を感じた野伏は、実に適当な相づちを打ったのだった。


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