第39話:形容しがたき泉のようなもの⑥


 どっばあああああんっ!!


 森の静寂をぶち破り、凄まじい轟音が響き渡った。

 ティナ言うところの『蟹坊主』と、真っ向からの対戦中だった男性陣は見てしまった。とっさに振り仰いだ先に、高々と吹き上がる巨大な水柱を。

 「あれはまさか……」

 「一体なにやらかしたんだ、あいつらはっ」


 がさがさがさがさ!


 思わず口をついた拍子に生まれた隙をついたか、はたまた本来の目的を思い出したのか。今や二人によって脚をいくつか再起不能にさせられているはずの巨大ガニが、猛然と斜面を下り始めた。身体の大きさと多足の機動力が相まって恐ろしいスピードで移動するのを、あわてて追いかける。

 常春のはずだと言うのに花が少ない地を駆け抜けて、木々が開けたところに飛び出す。先ほどはほとんど干上がっていた泉が満々と水を湛えており、そのそばには根方からごっそり引き抜かれた茨もどきと、ひっくり返ってぜいぜい言っている女性陣(と小動物)がいた。その両方が、いや、どこもかしこも水浸しである。

 「ティナ殿、ご無事か!? これは一体」

 「……あー、うん、シグさんお疲れ~……ちょっと止まってた水が戻ってきただけだから……」

 「は!?」

 「ううう、まさかいきなり噴き出すとは思いませんでしたわ……怖かった……」

 「……あー、お前泳げねえからな。よしよし、お手柄だったぞ」

 珍しく膝を抱えてぷるぷる震えている姪に、災難だったなと頭をなでてやるバルトだ。

 ……サンショウウオに避難勧告された直後、地響きと共に噴出した泉の水圧で茨もどきが根から除去出来たのはラッキーだったのだが。なおも続く間欠泉もかくやという放水に追い立てられ、びしょ濡れになりつつ何とか岸に這い上がったのである。よかった、溺れなくて。

 そんな事態になる遠因を作った巨大ガニは、駆けつけたままの体勢で固まっていた。何が嫌なのか、しきりに脚を踏み出しかけては戻すのを繰り返している。

 『んー……やっぱりこの水が怖いのね、あのカニさん。地面が濡れてるとこに入れないみたい』

 「あ、ホントだ! てことはチャンス?」

 『なのよー』

 「うおっ何だそいつ!?」

 「さっき知り合ったの。名前はえーっと」

 『うーちゃんでいいのよ。助けてもらったお礼に、ちょっとお手伝いするね~』

 身を引くバルトに怒ったそぶりも見せず、にぱーっと笑ったサンショウウオ改めうーちゃんが泉に向き直る。すうっと大きく息を吸い込んで、

 『どっせぇーい!!』


 ざっばああああ!!


 やたら男前な掛け声と同時に、凪いでいた泉がざわめいた。そこから数本の水の錐が伸び上がり、立ち往生していた蟹坊主に殺到すると思いっきり吹き飛ばす!

 《ぶぎゃああああ!!》

 『ふいー、いい仕事したのよ』

 「……あら、甲羅が割れましたわね」

 『ぴ……』『きゅう……』

 「うーちゃん、なんで捕まってたのか聞いていい……?」

 『だって、水脈通って出てきたらもうあんな感じだったから。お水がないとなんも出来ないのよ』

 「そ、そっか」

 人畜無害そうな見た目とかけ離れた威力に、思わず固まる女性陣と小動物たちだ。

 あっけらかんと答える功労者を撫でていたティナのそばから、勢いよく駆け出した人たちがいた。言うまでもなく、物理攻撃のツートップである。

 どうにかひっくり返った状態から起き上がったカニが、二人めがけて巨大なハサミを振りかぶる。迷わず狙ったのは、先に突っ込んできたバルトの方だった。……が、

 「遅いっ!!」

 気合いなのかツッコミなのか、とにかく烈迫の一喝と共に振るった剣が、付け根の節からハサミを切り飛ばした。高々と飛んでいったそれが、地面にたどり着くより先に、


 ダンッ!!


 死角で木に飛び移って、カニの背中に降り立ったシグルズが、甲羅の割れた箇所に二本まとめて矢を撃ち込んだ。

 今度こそ改心の一撃となったようで、濁った色の泡を吐きながらカニがどーん、とその場に倒れ伏す。ちょうど落ちてきたハサミとともに黒い煙に包まれると、あとに残っていたのは小さな残骸――ティナの手のひらくらいの沢ガニだ。ぴくりとも動かないそれを覗き込んで、

 「再起不能、でしょうか?」

 「だな。無事に水も戻って来たし」

 『これにて一件落着なのよ~』

 「やったあ! シグさんお疲れ、はいっ」

 「……はは、かたじけない」

 喜び勇んだティナが片手を掲げると、久しぶりに柔らかい表情をしてくれたシグルズが同じ構えを取る。互いの手を打ち鳴らすぱん、という軽やかな音が、戻ってきた静けさと澄んだ空気の中に響いた。

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