第38話:形容しがたき泉のようなもの⑤
すり鉢状になった泉は、なかなかの深さがあった。階段の位置から見るに、本来ならばこんこんと湧き出す水がその八割近くを満たしているのだろう。
今は見る影もなく干上がりかけているその底に、くだんの茨もどきが群生していた。節くれだった硬そうな枝には、五、六センチはあろうかというトゲがびっしり並んでいる。間近で観察した花は握り拳大の八重咲きで、顔を近づけると異臭がした。水面からかと思った生臭さは、こちらから漂っていたらしい。
と。
『へるぷ~~~……』
「ふぁっ!?」
「……あら、可愛い」
ごく近くで声がした、と視線をそっちに動かして、思わず飛び退いてしまった。後ろにいたフェリシアはまだ落ち着いた様子で感想を述べてくれる。
ティナから見て右手側にある、茨もどきの茂み。ちょうど目線の高さに、何か――いや、誰かがぐったりと引っ掛かっていた。
体長は十センチほど、高さはその半分以下。フォルムはちょっと小さめのオオサンショウウオ、といったところか。両手ですっぽり包んでしまえそうな手頃なサイズ感が可愛らしいが、真っ白で柔らかそうな身体はあちこち傷だらけで、見ていて気の毒な有り様だった。しかも、聞き間違いじゃなければしゃべってなかったか、この子。
「てことはまた精霊とかなのかな? ルミちゃんはこの子のこと知らせたかったんだね、よしよし」
『ぴ♪』
「ではさくっと解放して差し上げましょうか。ちょっとウサギさんをお願いいたしますね」
「はーい」
『きゅ』
抱えていた春ウサギを預けて、いったん手を空にしたフェリシアが腰に携えた
「『緋燕』!」
ざしゅっ!
鋭く横凪ぎにした切っ先から、明るいオレンジの炎が飛び出した。きれいな三日月型のそれが枝を焼き切り、解放された小さなサンショウウオがころんと落っこちてくるのを片手でキャッチする。
「わ、すごい! フェリシアさんカッコいい」
「ふふ、どうも。では選手交代ということで」
「うん! ――ほら、もう大丈夫だよ。ケガも治してあげるからね」
『ふへ~~……』
安堵のため息をついて、受け取った手の中でくたっと力を抜く相手。切り傷だらけの身体はぷにぷにした触り心地でひんやりとしているが、もしかすると血の気が足りていないのかもしれない。そんなサンショウウオの背中を優しくなでながら、ティナは昨日の要領で意識を集中させる。
「命を宿す黄金の林檎――」
呼び出した柔らかな光が、痛々しい傷に降り注ぐ。元気になってたくさんお話してほしいなぁと願っていると、少し治りが早まったようだ。
ややあって、手の中でもぞもぞ動く気配がした。ぱっと顔を覗き込むと、つぶらな瞳をぱちぱちさせているサンショウウオと目が合う。よかった、意識が戻ったらしい。
「あっ、気が付いた! 気分どう?」
『……ほえ? ん~~と、ここどこなの……?』
「銀葉郷にある
『ずいへき…………、あっ! そーだったのよ、やられちゃったのよ~~』
「……あー、なんか癒し系だなぁ。この子」
「ええ、よく分かりますわ~」
カッコ悪いのよー、としょんぼりうなだれるサンショウウオ。見た目にそぐったのほほんとしたしゃべり方に、状況も忘れてほんわか和む女性陣である。
が、そんなまったりした空気は長くは続かなかった。ショボーン状態だった保護動物が、突如何かを思い出したていで緊張したからだ。
『――はっ!? そーだ、こうしちゃいられないのよ! おねーさんたち、早く泉から出てーっ』
「え、カニさんが来るから? ほかに二人やる気満々な人がいるし、たぶん大分ボコられてると思うけど」
『そうだけどそーじゃないのよ!
ここの水が減ってるのは枯れちゃったんじゃなくて、ただ出なくなってただけなの! ボクが元気になったら一気に戻って来るのよーっっ』
「戻って来る? って……」
じたばた、というにはややのんびりした仕草でもがくサンショウウオのセリフに、思わず顔を見合わせる。その足元から、何かが迫る低い轟きが伝わってきた。
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