第37話:形容しがたき泉のようなもの④
「汝の正体! すなわち蟹なりッ!!」
めいっぱい張り上げた声が響いた瞬間、迫り来る石像がぴたっと静止した。ほぼ同時に、厳めしい顔つきを真っ二つにして亀裂が走る。内側から石が押し破られるようにして砕け、別の姿に変わっていくのを、足を止めた一同が感心して眺めていた。
「――あー、言われてみれば。耳で聞くと意外とわからんもんだな」
『両側に脚が八本、大きい脚が二本、横向きに自在に歩き回って両目が天を指している。これはなんだ?』
石像の質問を意訳するとこうなる。……紙に書いて確かめられたらダッシュしなくてすんだかもしれない、なんてことを思ったティナだが、それはさておいて。
「ね? あの像もわざわざ横向きに走ってたし、この辺の地形とか聞いて間違いないと思って。
蟹坊主っていう妖怪で、洞窟に住んでて、あんなふうに旅の人になぞなぞをしかけてくるんだって。で、答えられなかったら食べちゃうという」
「まあ怖い。それも小さい頃に聞かれたお話ですのね」
『きゅう!』
「えへへ、正解っ」
祖母といっしょにいろいろ見た中に、これまた超有名な妖怪がいっぱい出てくるヤツがあって、とある回で登場したのがこいつだった。あまりのド迫力にしばらくトラウマと化してしまい、近所の小川の沢ガニにもビビっていた時期があったのはご愛敬だが……何はともあれおばあちゃん、ありがとう!
「ティナ殿、ありがとうございます。正体を現したならこちらのもの」
「こんなでっかいカニは生まれて初めて見たけどな……通りそうか? お前の矢」
「――通してみせる!」
パァン!!
凜々しすぎる宣言と共に、うなりを上げて二の矢が飛んだ。それは狙い違わず、石像の本性――三メートル四方はあろうかというカニの片目に突き刺さり、恐ろしい叫びが響き渡る。痛みに怒りの咆哮を上げ、両のハサミを振りかぶって凄まじい勢いで迫ってきた。
「おっ、やるじゃねえか王子様! 俺も噛ませろよな!」
「好きにしろ! 近づきすぎて挟み切られるなよ!!」
「へいへい。お前らは先に泉へ行っとけ、あの妙な花が気になる!」
「はいっ!」
そう、一番の目的は泉自体の回復なのだ。自分も剣を引き抜いてやる気満々なバルトの言葉に有り難く甘えさせてもらって、ティナとフェリシアはもと来た道をダッシュで引き返していく。
行きは担いでもらった斜面を、ほとんど滑り降りるような状態で駆け抜けた先に、さっきと変わらずイヤな臭気が立ち込める泉が鎮座していた。禍々しい紅い花もそのままだ。腕を組んだフェリシアがうーん、と難しい顔でうなる。
「さて、こちらはどうやって駆除しましょうか。楽で早いのは火炎呪文ですけれど、生木は燃えにくいですし」
「上を取るだけだと根っこが残るよね……雑草ってしつこいから、また生えてくるかもしれないし」
「ねえ。こんなことなら兄様にガーデニングについてもっと真面目に教えて頂くんでしたわ」
「あ、詳しいんだ。いいなぁ」
『ぴぴぴっっ』
「わ! ご、ごめんごめん」
『ぴい!』
「えっ、どしたのルミちゃん!?」
うっかり話が園芸にそれかけたところで、肩に止まった相棒から抗議の声らしきものが上がった。そのまま羽ばたいて、泉の底を目指してまっすぐ飛んでいく。
あんまりのん気すぎって怒っちゃったかな、と心配しながら後を追うティナだったが、そうでないことはすぐにわかった。
『……ぷ~~~……』
ルミの飛んでいった方角。澱んだ水際から今にも消えそうな、なんとも頼りなさげな声が聞こえたからだ。
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