第35話:形容しがたき泉のようなもの②

 くだんの泉への道は、徐々に勾配がきつくなる森の中に続いていた。

 ときどき、どこかから吹いてくる風が霧を揺らしていく。その通り道に沿って歩を進めると、やがて郷の入口にあったような巨木が姿を現した。白一色の中にぼうっと浮かび上がるそれに向かって、フェリシアがさっきと同様に笛を吹く。

 「――よし。ではティナ殿、先程の私と同じように」

 「押すフリだけでいいんだよね」

 「ええ、奥方が許可されているので問題ないとは思いますが。念のため」 

 それこそ自分でいいのか、と思うのだが、まあ当事者のこのひとがそういうなら。

 そうっと右手を伸ばして押すしぐさをする。なんの手応えもなかったが、巨大な光の門は軋みながらもちゃんと内側へ開いていった。その中からふわりと漂い出たのは、澄んだ気持ちのよい空気――ではなく、

 「……生臭い?」

 思わずこぼれた呟きに、眉根を寄せて険しい顔つきになったシグルズも頷く。とにかく様子を見なければと、開いた門からそっと中に踏み込んだ。

 郷の入り口と同様、扉の向こうは別の空間ということらしい。霧で真っ白のこちら側とは打って変わってクリアで、やや傾いた日の光が真っ直ぐに射し込んでいる。その中央に位置するのは、白い大理石で縁石を組んだ泉だ。

 ただし、何かがおかしいのは初めて来たティナにもよくわかった。縁石の一部に階段が作られていて水を汲めるようになっているが、その一番下の段より水面がかなり下がっている。かろうじて見える水はお世辞にも綺麗とは言えず、生臭いにおいもそちらからしているらしい。水底から生えたイバラのような植物が白い石材に絡みつき、禍々しいほど紅い花を咲かせている様は、手入れもせずほったらかしにされていた庭園みたいだ。

 しかし何より異様だったのは、そんな泉の手前に大きな石像が立っていたことだ。高さは三メートルくらいあり、表面が風化していてはっきり分からないが、どうやら長衣を纏った男性を模しているらしい。厳めしい顔でぐっと目を閉じて、瞑想でもしているように見えた。

 「……浮いてるな、アレだけ」

 「やっぱりそう思う?」

 「あったり前だ、神像なんかでもなさそうだしな。それでいてお妃しか入れないとこに、神様と旦那以外の男の像が建ってるってのはおかしいだろ」

 なるほど、確かに。

 「――ならば、こちらから仕掛けるか」

 「外すなよー隊長殿」

 「誰に向かって言っている!」

 ツッコミとお怒りが半々くらいの声で返して、シグルズは目にも止まらない早業で矢をつがえて撃ち放った。まっすぐ飛んでいった矢が石像を直撃し、がっと鈍い音が上がって――

 直後、像の両目がカッ! とばかりに見開いた。ついでに口元も動いて、割れ鐘のような大音声が飛び出してくる。

 《そもさんッ!!!》

 「はいっ、せっぱ!」

 『ぴい!』

 「「はあっ!?」」

 元気よく意味不明な返事をするティナと小鳥さんに、ついていけなかった男性陣からすっとんきょうな声が上がる。あらまあ、と一人だけ落ち着いているフェリシアが代表で訊ねてきた。

 「ティナさん、今のはなんですの? 何だか聞き慣れないことばでしたけれど」

 「うん、質問するぞって言われたの。それで、こっちは掛かってこい! て返事したのね。だから――」

 《りょうそくはっそくだいそくにそく、おうこうじざいにしてりょうがんてんをさす。これいかに!?》

 解説の合間をぬって、再び石像が張り上げた声ががんがん響き渡る。やっぱりそう来たか。

 「って感じで、なぞなぞを出してくるのに答えることになってまーす。小さい頃見たテレビ、いやお話に出てきたの」

 「なるほど! それでは、今の問題の答えもお分かりなんですのね?」

 『きゅ?』

 「…………えっ? ええーと、それは」

 いたって素直に感心してくれている相手と、その腕に抱えられた春ウサギの純粋な眼差しを受けて言葉に詰まる。

 (い、言えない! 思わず条件反射で返事しちゃったとか、口が裂けても言えないー!!)

 とっさに肩に止まったルミを見下ろすが、ふいっとつぶらな瞳を逸らされてしまった。ああっ、薄情者!

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