第34話:形容しがたき泉のようなもの①
郷のまわりを包み込む霧の籬は、奥方の手による結界の一種だ。郷の奥にある瑞碧の泉までの道も護られており、今は眠ったまま夢の中からコントロールしているそうだ。それはそれですごいと思うのだが……
「シグさん、見た目はどっちかって言うとお父さん似だけど、責任感が強いとことかは間違いなくお母さん譲りですよね……」
「まったくだ。いつも働き通しなんだから、具合悪いときぐらい周りに甘えてくれりゃいいのに」
『ぴい』
「うんうん、やっぱりそう思うだろ? さっきもずっと心配そうにしてくれてたし、お前って良いヤツだなぁ」
「なにげにその子達がお気に入りですわよね、叔父様」
「ほっとけ。俺だって癒しがほしいんだっつの」
ため息をつくティナの肩でさえずったルミを、指先でちょいちょいと撫でながらこぼしているバルトだ。同じく春ウサギを抱っこして歩いているフェリシアは微笑ましい様子をからかいつつ、辺りに視線をめぐらせた。
「……思ったよりも遠いんですのね、泉の場所って。もう大分歩いたと思うのですけど」
「――狩りに出た者がたまたま見つけるまで、何百年と人知れず湧き続けていたものだ。便が悪くとも致し方あるまい」
相づちというにはテンションが低すぎる、元気のない声が応えた。相手は……言うまでもない、さっき離れを出てからずっとへこみっぱなしのシグルズである。
始終聞き手に回っていた彼がようやく口をきいたのは、離れを辞そうとみんなが移動を始めたときだった。もういくらか帳をくぐっていたため、シルエットしか見えなかったが、
『必ずや、原因を突き止めて参ります。ですから、……どうか、それまでは』
寝台の側にひざを付き、そう告げる声が震えていて。奥方の返事は聞こえなかったが、うなだれた息子の頭を優しく撫でてやっているのが見て取れて、ついもらい泣きしそうになった。それと同時に、いいなぁと思ったのも覚えている。
『千夏』として生きていた頃、家族とは普通に仲良しだった、はずだ。両親は共働きでいつも忙しかったが、そのうち時間に余裕が出来たら旅行でもしようね、と他愛のない約束を交わして笑い合ったりもした。まだまだ当分一緒にいられると、何の疑いも持っていなかった。
突然の事故で、一瞬にして命を失った今なら、痛いほど分かる。家族とふつうに暮らせるのは、当たり前のことなんかではなかったのだと。……だからちょっと、彼がうらやましい。力になってあげたいと自然に思う。
「――ルミちゃん、ウサギさん! ほーらシグさんに懐け~~~!」
『ぴぴーっ』『きゅうぅっ!』
「っ、うわあ!?」
肩に留まっていた小鳥と、フェリシアから奪取したウサギをぽーんと放り投げる。完全に死角からの不意打ちだったにもかかわらず、両方ともキャッチしてのけたシグルズの反射神経におお、と拍手する残り三名だ。思いっきり睨まれてしまったが気にしない、気にしない。
「ティナ殿、あとのお二人も! ふざけている場合ではっ」
「だって、シグさんずっと元気ないから。もしかして自覚なかったりする?」
「う、……いえ、あることはあります、が」
「でしょ。だから癒やしをプレゼントしてみました」
「……その癒やしのうち一匹が猛然と引っかいてくるのですが」
『きゅううううう』
「わああ、ごめんごめん! まだダメだったか~」
服の二の腕をがりがりかきむしっている春ウサギをあわてて回収して、軽く咳払い。仕切り直してから話を再開する。
「ほら、まだ全部終わったって決まった訳じゃないし。心配なのはわかるけど、そんなにへこんでたら危ないってば」
「……具体的にはどのあたりが、でしょう」
「えっ? えーとね、魔物……は、結界があるから入れないか。じゃあ足下がおろそかに――もダメだ、シグさん段差があってもつまずいたりしなさそう……」
大体、人災だろうが天災だろうが、このひとがピンチになるところがあまり想像できない。結局なにも出てこず頭を抱えていたところ、ふっと吹き出す声がした。とっさに顔をあげると、横を向いて口許を覆っているシグルズが……あれ、肩も震えてる?
「……シグさん?」
「も、申し訳ない。無理やり理屈をこねようとしておられるのが可愛、いえ、おかしくてつい……!」
「あーっ笑ったなー!? ひとがせっかく心配して励ましてあげようとしたのにーっっ」
「や、本当に面目な――ぶふっ」
「もーっ!!」
『ぴいぴい』
へんなツボに入ってしまったらしく、真面目な顔が取り繕えないほど爆笑している青年である。すっかり膨れっ面になっているティナを、戻ってきたルミが頭でもふもふやってなぐさめていたりした。そんな中、
「……ったく、なんっであれで付き合ってないんだか」
「微笑ましいですわねぇ……やっぱり人様の恋模様を見ているのが一番楽しいですわ~」
「年頃の娘がうらさびれたことを言うんじゃない。兄貴が泣くぞ」
まあ、気詰まりな雰囲気は解消できたから良しとするか。今はむくれたティナを必死でなだめようとしている義兄弟を眺めつつ、バルトはやれやれと苦笑した。
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