第32話:長と王子と奥方のこと③

 立ち並ぶ木の上に、足場が蜘蛛の巣のように張り巡らされている。ただ無計画に道を並べているわけではなく、どの角度から眺めてもとても景観よく設えられているのが凄い。エルフ族のこだわりを見た気がする。

 一同が連れられていったのは、長の居館から回廊で繋がっている離れだった。といっても、ティナが想像していたものとは規模が全然違っていたが。

 「……え、お城二つ目?」

 「はっはっは、まあそうだなぁ。あの母屋を中心にして直接回廊で繋いである樹は、みな余の住まいだからな」

 「えぇぇ!?」

 みんな自分ちって。繋いであるとこ、ざっと見ただけで両手の指に余りますけど!?

 あまりのスケールに立ちくらみを起こしかけたところ、横にいたシグルズがさっと支えてくれた。……が、何だかその表情が晴れない。真面目な顔つきなのは元からだが、やけに強張っているように見えて気になった。

 「シグさん、どうかした? 気分悪いの?」

 「い、いえ、どうぞお気になさらず……」

 「――さ、ここからは静かに頼むぞ。余が叱られてしまうのでな」

 こっそり会話しようとしたところで、振り返ってそう言ったグリーアンが軽く片目を瞑ってみせた。叱られるって誰にだろう、と内心首を傾げつつ、素直に口を閉じてあとに続くことにする。

 さり気なくあしらわれているレリーフに彩られた廊下を歩いていくと、突き当たりに大きな扉があった。左右に立っていた女性二人が恭しく一礼して扉を開くと、中はぼんやり薄明るい。天井から幾重にも吊り下げられた絹の向こう側に、ベッドらしき横長のシルエットが見えた。かすかに、薬のような苦い香りがしている。

 足音ひとつ立てずに進んでいく長を追って帳をくぐり、奥の間に顔を出して、ティナはふっと息を詰めた。

 「ミスト。――ミストルティア。起きられるか」

 うんと優しい声で長が話しかける先に、寝台で横たわっている女性がいる。ただ、昼寝をしているわけでないことはすぐわかった。繊細な面差しの、とても綺麗なひとなのだが、長い黒髪が端にいくにつれてだんだん白くなっているのだ。顔色も青白くて生気が感じられない。

 けれど呼び掛けてすぐに、目がゆっくりと開いた。淡く差し込む太陽にきらきら光る、星のような銀色の瞳だ。それを細めて、

 「……はい。殿」

 「すまぬな。急なことだが、そなたに面会だ」

 「私に……?」

 か細い声でつぶやく女性の視線が、恐る恐る覗き込んでいたティナとばっちり合った。一瞬ののち、ふわあっと表情が明るくなったのがわかる。

 「まあ……! よくいらっしゃいました、貴女のお話はシグルズから聞いておりますよ……」

 「は、はい、初めまして! ええと……」

 「すみません、奥方様。ちょっとだけ失礼しますね」

 とっさに言葉に詰まったティナの脇から、歩み出たバルトが長に手を貸してミストルティアの半身を起こさせる。ずいぶん慣れた様子で背中にクッションを当てたりしているのを見ると、こうやって寝付くようになって長いのだろうか。

 「ありがとうございます、お二人とも……」

 「いいんですって。こんな時ぐらい養い子をこき使ったってバチは当たりませんよ」

 「ふふ……ああ、御客人方には失礼いたしました。銀葉郷の長が妃、ミストルティアと申します」

 しっかりと背筋を伸ばして会釈するしぐさは気品があって美しかったが、やはり元気がないのは隠しきれていない。横になったままでいいのに、とはらはらしながらお辞儀を返していると、ちらっと後ろのひとの顔が見えてしまった。

 真後ろで立っているシグルズは、なんというか、硬くなるのを通り越した無表情だった。それは関心がないからではなく、どうかすると溢れそうな感情を押さえ込んでいるからだとわかる。その証拠に、握った両手が細かく震えていた。

 ……そりゃあまあ、そうなるだろう。自分の母親の具合が悪くて、寝付いているところなんてあまり見たくない。我が身に置き換えて想像したら、恥ずかしながら結構涙もろいティナなんかはすぐ泣いてしまいそうなくらい辛いのだ。


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