第29話:エルフの郷へ④

 街道から外れて、道なき道をさらに小一時間ほど歩いただろうか。

 そろそろ昼時だなぁとぼんやり考えていたティナは、辺りがすうっと翳ったのを感じて顔をあげた。気が付くと、周囲が白くかすむほどの霧が出てきているではないか。

 「あら、良いお天気なのに霧が」

 「ってことはもうそろそろだな。頼んだぞ、姪っ子」

 「なんでフェリシアさん……?」

 「すぐわかるって。――お、ここだな」

 バルトがいたって軽い調子でそう告げたのは、さらに濃くなった霧が完全に視界を閉ざした頃のことだった。もはや足元もほとんど見えず、ほぼ真上にある太陽の光がうっすらと感じられる程度だ。前を歩くシグルズの背中が見えなくなったら、元来た道を戻ることすら難しいだろう。思わず肩と腕の中の小動物を触って確認していると、前方に何かが見えてきた。

 真っ白に塗りつぶされた風景の向こう側に、ぼうっと佇んでいる巨大な影がある。よくよく目を凝らせば、それは周りに生えているより数倍は大きい樹の幹だった。何かの目印のようにただ二本、堂々と霧の中にそびえ立っているその前で、ひたすら無言で案内してきた青年がようやく歩みを止める。

 「――フェリシア殿、こちらへ。先程の笛を奏でていただきたい」

 「吹くだけ、でよろしいのですわよね」

 「ああ。後はその音色が導く」

 おお、なんだかカッコいい。さらりと告げて場所を開けたシグルズに、しっかりうなずいたフェリシアが進み出た。首から鎖で下げていた金色の笛を口に当て、ふーっと息を吹き込む。

 さっきアンノスで呼び子を吹いたとき同様、旋律になった笛の音が辺りに流れ出た。そこまではティナの予想通りだったが、それが続くにつれてもっと大きな変化が現れる。ふわふわと漂い始めた光の糸は、地面ではなく真正面――二本並んだ樹の幹の方へ集まり始めたからだ。

 笛本体と同じ柔らかな金色の光は、やがて巨木の間で巨大な壁――いや、両開きの門扉の形を作り上げた。しかも、


 ぎいいいい……


 歩みよったシグルズが片手で押す動作をすると、実体のないはずの扉が軋みながら左右に開いた。その向こう側から差してきた明るい光に、女性陣が目を見張る。

 「長に許されたものしか開けぬ、郷の守護門です。どうぞ中へ」

 「わああ……!!」

 招き入れられた郷の中は、うっすらと霧が漂っているがとても明るかった。時刻に見合う陽光が、立ち並ぶ大木の間から帯のように降り注いでいる。

 そんな幹のひとつに階段があるのに気づいて見上げたら、なんと樹上に建物があった。太い枝の上に足場を組んで、流麗な彫刻や細工で飾られた住居とおぼしきものが並んでいた。大体が平屋のようだ。

 木々や住居の間にある回廊からは、歩き回る一般市民らしきエルフの姿が見える。お仕事中かなぁとぼんやり眺めていたら、何名かととバッチリ目があってしまった。

 「え、えっと、お邪魔しまーす……?」

 「何で疑問形なんだよ……あっちから招かれてんだから堂々としとけって」

 「まあまあ、礼儀正しいのは良いことですわ、叔父様。……それにしても皆さん、何だか楽しそうというか」

 「うん、それは思った」

 不思議そうなフェリシアにこくんと頷く。イメージ的にツンと目を逸らされるかと思ったのに、とっても好意的な笑顔で手まで振ってくれるひとが続出だったのだ。しかもその全員がもれなく美男美女なわけで……どんな天国ですか、ここは。

 「――隊長! お疲れ様です」

 爽やかな声がして、駆け寄ってくる一団があった。シグルズとほぼ同じ武防具を身に付けているので、警備隊のメンバーだとすぐにわかる。大体二十歳そこそこの見た目で、エルフの中でも比較的若いひとたちなんだろう。

 「ああ、急に留守にしてすまない。郷のものらが帰還を知らせてくれたのか」

 「いえ、とんでもないことです。我々は長の御用命にてこちらに」

 「長が?」

 「はい。実は」

 「――おお、戻ったか!」

 隊員の説明を遮って、よく通る明るい声が響き渡った。そっちを見上げたティナが思わず一言、

 「……う、うわあ」

 巨大な木が三本固まっている樹上に、一際立派な建物が鎮座している。その前に作られたテラスから降りる長い階段に、とんでもなく綺麗なひとがいた。

 緩く波打つ、赤みがかった金色の長い髪。鮮やかな碧玉の瞳。端正だか華やかさもある容姿は、ここまで見てきた中で間違いなくトップクラスの美貌だ。濃い翠の長衣はたくさん刺繍が施された豪華なものだが、もしそれを着ていなくても高貴な身分のひとだと一目で分かる存在感があった。

 「長!」

 「申し訳ありません、遅くなり……!」

 「良い良い、ちと気が向いてな。足を伸ばしたくなっただけだ。――シグルズ、役目大儀であった。報告は後程聞こう」

 「はっ」

 一斉に畏まる警備隊をフォローしつつ、ちゃんとシグルズも労ってから、美しすぎるエルフはティナたちに向き直った。にっこりと、見ただけで気持ちが目一杯伝わってくる嬉しそうな笑みが浮かぶ。

 「銀葉郷の長でグリーアンという。よくぞ参られた、御客人方」

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