第四章:

第25話:独白③

 風が唄う。

 細く響くその音色に、静かに座していた人影がわずかに身じろいだ。床に広がった長衣の裾が、かすかな衣擦れの音を立てる。

 (――そうですか。あの子は無事に森までたどり着いたのですね)

 ひゅう、と、心の声に応じるような風鳴りがする。いや、実際に応えてくれているのだ。

 もとは物見の塔として作られたという、地所の北端にそびえる石造りの建造物。冬のさなかや悪天候のときは恐ろしく冷え込み、騎士団の猛者でも長居を厭うここを、彼はことほか気に入っていた。俗世と離れた静かな環境が、『風見』をするのに適していたからだ。そして本人も、雑多な気配がする人間じんかんよりこうした清澄な場を好んでいた。

 (思えば、初めて風の声を聞き取ったのも、こうして祈りを捧げていた時でしたね)

 余人にはただの自然現象に過ぎない風の音、水のせせらぎ、木々の葉擦れ。そうしたものにも各々の命があり、意志があり、それを伝えるためのことばがある。昔から――それこそ物心つくかどうかという時分から、誰に教わるでもなく解っていたことだった。

 ただ、それがかなり珍しい体質なのだということは、両親に教わるまで知らなかったのだが。

 (私としては、弟妹たちの体質の方が羨ましかったものですが)

 風を介して伝わってくるのは、決して良い情報ばかりではない。知りたくないことを知ってしまったり、また他人とは見聞きする世界が異なることに悩んだりしもした。この力を持つがために降りかかった重責に、辛い日々を過ごした時期もある。

 だが今、こうして大切な家族の力になれるのも、乗り越えてきた苦しい過去があってこそ。

 (では引き続き、あの子の援護をお願いしますね。……折よく叔父上と出逢えましたし、郷に入れば滅多なことは起こらないとは思いますが、念のため)

 笛のような音を立てて、元気のいい風が吹く。それにほっと息をついて立ち去りかけ、思い直してもう一度ひざまずいた。磨いた水晶のようだと言われる、混じりけのない銀髪がさらりと横顔に降りかかる。

 「天地を支配せし最高神ヴォーダン、その娘御にして命の守護者たる姫神イズーナ。願わくば、どうか我が妹に幸多からんことを――」

 石で囲まれた空間に、低く柔らかな声音が静かに響く。そこに込められた優しい願いごとすくい上げるように、吹き込んできた風が空高く舞い上がっていった。


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