第13話 沖田宗次郎 、対決する

 全体おおよそ狐に妖狐には野狐、善狐の種類御座候而がございまして、善狐の内にも金狐、銀狐、白狐、黒狐、天狐の五品御座候がございます

 段々出世いたし次第に出世して、白狐、銀狐、金狐になり候様なるという世間沙汰とは世間一般の考え相違仕候とは異なります元来もともと白狐は白狐の種、金狐は金狐の種にて出来申候事それぞれ別の種族にて、立身いたし出世して成り上がった候物には無御座候ものではございません

(宮川舎漫「狐ものがたり」)




 沖田宗次郎は悩んでいた。

 かわやでひとり、ため息をつく。


 本当に、おのれは敵討かたきうちの介添人かいぞえにんをするらしい。

 〈狐〉の手を借り、着々と準備が進んでいた。

 仇である、山名惣右衛門そうえもんの行方は掴んでいた。本所の縁戚の家に、こっそり寄宿しているようなのだ。

 討手うってとなる八重は、とうに心を決めている。

 山南敬介にも、心得を聞いた。

 あとは日時を決め、立会人を決め、山名が逃げないようにすればいい。それも〈狐〉が巧くやるだろう。


(なんだか嫌な感じだ)

 騙されているような、よいように使われているような。

 なんとも釈然としないものが、日増しに強くなっていく。


 懐のは、無論部屋に置いてきた。

 不思議なことに、こうして仔犬──〈狐〉を離すと、落ち着かない。


 絶えず繋がっているようで、頭と頭というよりは、こころとこころというべきか。指先から一筋の糸が出て、それが〈狐〉の尻尾と結ばれているような、なんとも説明しづらい繋がりだった。


 そうして、ふと思いが重なる。

 以心伝心というものではなくて、ふたつの鈴が共鳴ともなりしているようだ。震えが伝わり、やがておのれも鳴っていく。しかも広がる感情かんせいよりも、心の中に大きく穴があいたような、昏く、せつない、やるせないような思いが共振ともぶれしていく。


 共振れするのは、後悔、悲しみ、叫び。苛立ち、困惑、そして諦め──?


 もし、もしあの獣のがなかったら、押し寄せるこころの重苦しさに逃げ出していたかもしれない。


(うん、あったかいんだ)


 もしかしたら、優しいひとだと思う。

 もしかしたら、不器用なひとだと思う。


 しかし、〈狐〉は妖しだ。

 しかし、その温もりは紛うことない、命あるもののそれだった。


 温もりを重ねていると、情がわく。情がわけば、大事にしたい。〈狐〉を大事にしたら、どうなるのだろう。


 宗次郎は、ひとり首を振った。納得できないのは、そんなことではなかった。

 思いがけぬ成り行きから、人助けに手を貸した。

 ひとり助けて半刻はんとき。あと、二十三人助ければ、〈狐〉は人に戻れるらしい。

 代わりにひとつ、望みをかなえてくれる。今望みがなくとも、のちに果たしてくれる約束だ。


 人助けは、敵討ちの介添人。討手は、まだ十二才の、しかも目が不自由な娘。介添人は、元服前の若輩者──自分。


(八重さんは覚悟している)

 一見無謀なこの敵討ちが、成功するのか失敗するのか、〈狐〉は黙して語らなかった。先のことが予見できるのに、それについては何も語らない。


(聞きたいわけではないけれど)


 わからない。予見できるのならば、なぜそれを使って人助けをしなかったのだろう。

 起きることがわかるなら、避けられる禍いはあるはずだ。


──視ることはできる。伝えることはできる。しかし、自ら関わることはできぬ。


 妖しにも、侵せぬのりはあるのだろうか。

 妖しにも、まことはあるのだろうか。

 おのれは、〈狐〉を信じてよいのだろうか。


 宗次郎は、落とし紙を投げ捨てると厠を出た。

 手水ちょうずで手を洗いながら、〈狐〉へ呼びかける。

 話があります、と。




 その晩、試衛館の近所、月桂寺の境内である。

 無論、人っ子ひとり姿はなく、星が瞬く夜空に下弦の月。寺領の周囲は大名屋敷だ。静まり返った真冬の風に、時の鐘が四ツ(午後十時)を告げた。


 宗次郎は境内の隅の方で、着込んだ綿入れ半纏はんてんから仔犬を出した。


「教えてください」

 〈狐〉は、仔犬らしく首を傾げて見せたが、宗次郎の目の色を読んだのか、見る間に馬ほどの獣へ変じた。


 ふかふかとした金茶の大狐。射るような金の眼光。尾の先は四股になった齢四百年の妖狐。

 さらに〈狐〉は、淡い光を放ながら、その姿を人形ひとがたへと戻していく。

 獣と人。やがて二つの姿が混じり合い、輪郭が溶けていく。

 何度見ても、不思議な光景が繰り返された。


「何だ」

 妖狐の名は、安藤帯刀たてわき祥友よしとも。宝徳三年生まれ。近江の人。まさに物語のなかの人物は、総髪を背まで垂らし、いつもの出自不明な軽装で立っていた。


「なにを知りたい」

「あなたのことです」

 〈狐〉の顔は能面のようで、こころが読めない。

「理由を教えてください。時折、不思議な光景が見えるのです」

 渺渺びょうびょうたる荒野。幼子の骸。木蓮きはちすの花が、ぼとり、ぼとりと落ちていく。


「見せるつもりはない」

「でも、見えるのです」

「私にも見えるがある」

「あなたに?」

「道だ。両端が切り立った細い道だ。崖の下は深い。どこへ続くかわからぬ道だ。誰もいない。音もない。そこをおまえは一人で歩んでいる。時折誰ともわからぬ声が聞こえるが、おまえは決して振り返らない」

 宗次郎は、息を呑んだ。

 それは、時折り見る夢だった。悪夢ではないが、目覚めたのちに遣る瀬無くなる。

(では、私の心のうちも、あなたに見えているのですか)

(そのようだ)

「いつもこうなのですか? 誓約したからですか」

「違う」

「では、何故」

「わからない」

 途方に暮れているようだった。

──私にも、わからぬのだ。

 人を殺め騙し、欺いて四百年。多くの時と土地を彷徨った。交わることな遠くから眺め、関わることも情をかわすことも避けてきた。

 思いがけぬ成り行きで人の姿に戻れるとわかっても、戻る理由は見つからなかった。

 ひとのこころを持たぬゆえ妖狐へ成り下がったというのに、どうしてまたひとに成り上ることを望めるか。

 しかし、無為に生きることは苦しい。戯れに助けても苦しい。これは罰か、天意か、償いなのか。

「やめてください!」

 宗次郎は、〈狐〉のこころを押し戻す。

「では、なぜです。四百年、黙って時を眺めてきたのに、なぜいま私を巻き込んで償いをするというのです!」


「おまえだ」

「私?」

「時がないのだ」

「何の時ですか?」

 〈狐〉は語らない。真冬の夜空を見上げ、星を追うように彼方を見遣る。

「関わりのないことだ」

──まだ、今は。 

「また、そうやってはぐらかすのですか。あなたを案じているのに。私のこころが見えるならわかっているはずです」

「おまえは誓約は果たせ。私もおまえとの約束を果たす」

「そういうことではなくて」

 宗次郎は言葉に詰まる。

「そういうことではなくて……」


 〈狐〉は身を翻し、妖狐へ変じた。瞬く間にくうを駆け上がり、本堂の大屋根の向こう闇の中へと跳ぶ。


「待ってください! 話がはまだ終わっていません!」

──敵討ちは今月の晦日だ。まだ、やるべきことがある。

「逃げるなんて、卑怯です!」

 いらえはない。

 無人の境内が、やけに広く寒く感じた。宗次郎は温もりの失せた懐に手をやり、その場に立ち尽くした。





(つづく)







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