第13話 沖田宗次郎 、対決する
(宮川舎漫「狐ものがたり」)
沖田宗次郎は悩んでいた。
本当に、おのれは
〈狐〉の手を借り、着々と準備が進んでいた。
仇である、山名
山南敬介にも、心得を聞いた。
あとは日時を決め、立会人を決め、山名が逃げないようにすればいい。それも〈狐〉が巧くやるだろう。
(なんだか嫌な感じだ)
騙されているような、よいように使われているような。
なんとも釈然としないものが、日増しに強くなっていく。
懐の仔犬は、無論部屋に置いてきた。
不思議なことに、こうして仔犬──〈狐〉を離すと、落ち着かない。
絶えず繋がっているようで、頭と頭というよりは、こころとこころというべきか。指先から一筋の糸が出て、それが〈狐〉の尻尾と結ばれているような、なんとも説明しづらい繋がりだった。
そうして、ふと思いが重なる。
以心伝心というものではなくて、ふたつの鈴が
共振れするのは、後悔、悲しみ、叫び。苛立ち、困惑、そして諦め──?
もし、もしあの獣の温もりがなかったら、押し寄せるこころの重苦しさに逃げ出していたかもしれない。
(うん、あったかいんだ)
もしかしたら、優しいひとだと思う。
もしかしたら、不器用なひとだと思う。
しかし、〈狐〉は妖しだ。
しかし、その温もりは紛うことない、命あるもののそれだった。
温もりを重ねていると、情がわく。情がわけば、大事にしたい。〈狐〉を大事にしたら、どうなるのだろう。
宗次郎は、ひとり首を振った。納得できないのは、そんなことではなかった。
思いがけぬ成り行きから、人助けに手を貸した。
ひとり助けて
代わりにひとつ、望みをかなえてくれる。今望みがなくとも、のちに果たしてくれる約束だ。
人助けは、敵討ちの介添人。討手は、まだ十二才の、しかも目が不自由な娘。介添人は、元服前の若輩者──自分。
(八重さんは覚悟している)
一見無謀なこの敵討ちが、成功するのか失敗するのか、〈狐〉は黙して語らなかった。先のことが予見できるのに、それについては何も語らない。
(聞きたいわけではないけれど)
わからない。予見できるのならば、なぜそれを使って人助けをしなかったのだろう。
起きることがわかるなら、避けられる禍いはあるはずだ。
──視ることはできる。伝えることはできる。しかし、自ら関わることはできぬ。
妖しにも、侵せぬ
妖しにも、
おのれは、〈狐〉を信じてよいのだろうか。
宗次郎は、落とし紙を投げ捨てると厠を出た。
話があります、と。
その晩、試衛館の近所、月桂寺の境内である。
無論、人っ子ひとり姿はなく、星が瞬く夜空に下弦の月。寺領の周囲は大名屋敷だ。静まり返った真冬の風に、時の鐘が四ツ(午後十時)を告げた。
宗次郎は境内の隅の方で、着込んだ綿入れ
「教えてください」
〈狐〉は、仔犬らしく首を傾げて見せたが、宗次郎の目の色を読んだのか、見る間に馬ほどの獣へ変じた。
ふかふかとした金茶の大狐。射るような金の眼光。尾の先は四股になった齢四百年の妖狐。
さらに〈狐〉は、淡い光を放ながら、その姿を
獣と人。やがて二つの姿が混じり合い、輪郭が溶けていく。
何度見ても、不思議な光景が繰り返された。
「何だ」
妖狐の名は、安藤
「なにを知りたい」
「あなたのことです」
〈狐〉の顔は能面のようで、こころが読めない。
「理由を教えてください。時折、不思議な光景が見えるのです」
「見せるつもりはない」
「でも、見えるのです」
「私にも見えるものがある」
「あなたに?」
「道だ。両端が切り立った細い道だ。崖の下は深い。どこへ続くかわからぬ道だ。誰もいない。音もない。そこをおまえは一人で歩んでいる。時折誰ともわからぬ声が聞こえるが、おまえは決して振り返らない」
宗次郎は、息を呑んだ。
それは、時折り見る夢だった。悪夢ではないが、目覚めたのちに遣る瀬無くなる。
(では、私の心の
(そのようだ)
「いつもこうなのですか? 誓約したからですか」
「違う」
「では、何故」
「わからない」
途方に暮れているようだった。
──私にも、わからぬのだ。
人を殺め騙し、欺いて四百年。多くの時と土地を彷徨った。交わることな遠くから眺め、関わることも情をかわすことも避けてきた。
思いがけぬ成り行きで人の姿に戻れるとわかっても、戻る理由は見つからなかった。
ひとのこころを持たぬゆえ妖狐へ成り下がったというのに、どうしてまたひとに成り上ることを望めるか。
しかし、無為に生きることは苦しい。戯れに助けても苦しい。これは罰か、天意か、償いなのか。
「やめてください!」
宗次郎は、〈狐〉のこころを押し戻す。
「では、なぜです。四百年、黙って時を眺めてきたのに、なぜいま私を巻き込んで償いをするというのです!」
「おまえだ」
「私?」
「時がないのだ」
「何の時ですか?」
〈狐〉は語らない。真冬の夜空を見上げ、星を追うように彼方を見遣る。
「関わりのないことだ」
──まだ、今は。
「また、そうやってはぐらかすのですか。あなたを案じているのに。私のこころが見えるならわかっているはずです」
「おまえは誓約は果たせ。私もおまえとの約束を果たす」
「そういうことではなくて」
宗次郎は言葉に詰まる。
「そういうことではなくて……」
〈狐〉は身を翻し、妖狐へ変じた。瞬く間に
「待ってください! 話がはまだ終わっていません!」
──敵討ちは今月の晦日だ。まだ、やるべきことがある。
「逃げるなんて、卑怯です!」
無人の境内が、やけに広く寒く感じた。宗次郎は温もりの失せた懐に手をやり、その場に立ち尽くした。
(つづく)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます