第7話  -あなたに教えたい事-

 繰り返し点字に触れて指に伝わる感覚を確かめていると、一輝と子供達が急に何かを話し始めた。


「あ! ベルが鳴ってるよお兄ちゃん」

「うん、どうやら三十分経ったみたいだね、それじゃちょっと休憩をして指先を休めてあげようか」

「は~い」


 どうやら設定しておいた時計のベルが鳴ったようだ。

 本を閉じた子供達は今度は一輝に向かって一斉に話し掛けて来た。


「ねぇ一輝お兄ちゃん今日もピアノ弾いてくれるんでしょ?」

「私はもう一度あの曲が聞きたいな~」

「僕はね!」

「ちょっと待って! そんな一度に言われたら分かんないよ」


 一輝が困った表情を見せる。

 声からは相手の感情など色々な情報を得られる事は一輝から教えてもらい理解したが、どうやら今回のように大勢から一度に話し掛けられると聞き分ける事は難しいらしい。

 心音ここねはなるほどと言った面持ちでうなずいた。


『かずきさんわ こどもたちにおんがくも おしえてるんですか?』

「うん、僕は小さい頃からピアノを習ってたから、こうして施設に来てる子供達に音楽を聴かせてあげてるんだよ」


 そう言うと一輝は点字で書かれた歌の本を心音ここねに一冊渡した。


「子供達がもう少し点字を読めるようになったら、次はこれを使って歌も教えてあげようと思ってるんだ」

『これわ かずきさんが ここでつくったほんですよね?』

「うん、点字で書かれた童謡の本ってボランティアの人がいっぱい作ってて、申請すれば無料で施設に送って貰えたりもするんだけど、実際には使えない物が結構あってね」

『つかえないって どーしてなんですか?』


 一輝は施設に現存している点字本の中には使えない物が多い理由を話した。


 有名な童謡の数々は歌う子供の目が見える事を前提とし、耳が聞こえるのが当たり前の事だと考え色々な情景や物語を描いている。

 そんな童謡を点字に訳した人達は、歌詞として書かれている墨字を点字に変えさえすれば目の見えない子供でも読むことが出来、何の問題も無く歌を楽しめると思っているのであろう。

 

 確かに読む事だけは出来るかもしれないが歌詞の中に「赤、白、黄色の花が並んで綺麗だな」などの表現があった場合、色とはどんな物なのか、綺麗だと呼ばれる情景とはどんな物なのかを知らない子供には何も伝わらず、歌詞の意味を理解する事さえ出来ないのである。

 色や図形や情景など、抽象的で理解するのが困難な事はもう少し成長してからでも構わないから、今は子供達が歌を楽しめるように歌詞の内容を変えなければいけない、それが一輝が自らの幼年期での経験から導き出した考えであった。


 その考え方には彼女も同意出来る経験があった。

 小学生の時に聴覚支援学校にサークルの人達が訪れ、有名な童話を手話で語る人形劇として演じてくれたのだが

「森の奥から何かが聞こえてきたので覗いてみると、鬼達が楽しそうな音楽を奏で踊っていた」

 と言う場面で使われていた「何かが聞こえる」や「楽しそうな音楽」のように、聞こえない子供達には理解出来ない表現が次々と出てきて人形劇そのものを楽しむ事が出来なかったからだ。

 子供に何かを伝えるときはその子供がどんな世界に生きているのか、どんな思いをしているのか、その全てを考えないと駄目なのだと彼女は感じていた。


 自分が点字に訳した本を使い、子供達に歌を教えたいと話す一輝の顔はとても輝いていた。


『かずきさんわ うたやおんがくが だいすきなんですね』

「え? どうして?」

『だって とてもうれしそーなかおで おはなしするから』


 一輝は少し照れながら答えた。


「うん、僕は音楽に出会って色々な事を教わったからね、苦しい事も辛い事も歌や音楽があったから乗り越えてこられたと思うんだ……音楽は只単に騒げるから楽しいんじゃない、歌が持つ可能性は無限大だって僕は信じてるから」


 話の途中だったが子供達が待ちきれずに話し掛けて来た。


「ねぇ一輝お兄ちゃん、まだお姉ちゃんとお話してるの? 早くピアノ弾いてよ~」

「ごめんごめん今弾いてあげるからね、心音ここねさんは少しだけ待っててもらえるかな」

『ごめんなさい わたしとばかり おはなししちゃって』


 一輝は急いでピアノの前に座るとおもむろに鍵盤の上に指を置いた。

 心音ここねにはただ繰り返し鍵盤を押しているだけにしか見えないのに、子供達が次第に体を揺らしはじめ笑顔になっていく。

 音楽とは何なのか、子供達の耳にはどんな振動が伝わっているのか心音ここねには分からなかったが、楽しそうにピアノを演奏する一輝の顔を見ていると歌や音楽に対する考えが少しずつだが変わってきたような気がする。


 暫くして演奏が終わったようなので心音ここねはまた一輝の隣に腰を下ろし両手を重ねた。


『かずきさん?』

「なに? どうしたの心音さん」

『おんがくって たのしーですか?』


 その言葉に一輝は重大なミスを犯した気持ちになった。


「ご……ごめん、心音ここねさんは音楽を聞く事が出来ないのに一人だけ放っておいて、僕達だけ楽しむような事を」


 申し訳なさそうな表情で落ち込む一輝に心音ここねは慌てて話を続けた。


『ちがうんです そーじゃなくて』


 今までは何が楽しいのか分からず興味も持たなかった歌や音楽だが、青年をこんなにも素敵な笑顔にする音楽の魅力とは何なのかを知りたい、出来る事なら一輝が大好きだと言う物を自分も理解したい。

 心音ここねはそんな気持ちになった事を伝えた。


「うん、それは難しい事かもしれないけど……でも絶対に不可能な事じゃないよ! いつか必ず音楽の楽しさを、僕が大好きな歌の素晴らしさを心音ここねさんに伝える方法を見つけるから、だから期待して待っててよ」

『ありがとーございます ほんとーにうれしいです  でもわたしにわ かわりにかずきさんに つたえられることがなにも』

「そんな事……」


 暫く考えたあと一輝が唐突にある事を聞いてきた。


心音ここねさんは虹って知ってるかな?」

『どーしたんですか きゅーに?』

「いや、実際に見た事があるのかなと思って」

『なんどもありますよ すごくきれいで わたしわだいすきです』

「そうなんだ、虹って名前はよく耳にするけどやっぱり綺麗なんだね……

 僕は色を知らないから青空に掛かる七色の虹って聞いても何も想像も出来なくて、だから良かったら虹の事を、心音ここねさんが綺麗だと感じ、大好きだと思える虹の事を教えてほしいんだ」


 突然の願い事に心音ここねは驚いた。


「色を知らない僕が虹の美しさを理解する事が出来たら、その思いを歌にして子供達にも感動を伝える事が出来るかもしれないからね」


 満面の笑顔で話す一輝の考えに心音ここねは心を惹かれた。


『はい! わたしがきっとにじのうつくしさを かずきさんにつたえてみせます』

「うん、頼んだよ」


 お互いが感動できる物をもっと知りたい……

 そして自分が幸せな気持ちになれる事……相手が知る事が出来なかった素敵な事を教えてあげたい……

 二人は手を握り合いそう思うのだった。

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