第6話 -言葉が紡いだ出会い-
「こんにちは信吾です~! 誰か来てますか~?」
「こんにちは、今そこに居るのは信吾くんだけなのかな? ここにはまだ僕しか来てないからみんなが来るまで一番前の席に座って待っててね」
一輝の口の動きから誰かが施設に入って来た事が分かった。
暫くの間、一輝と子供達の間で会話がかわされていたようだが子供達までの距離が遠くて唇を読む事は出来なかった。
しかし
『かずきさん このこたちわここで なんのおべんきょーをするんですか?』
「ああ、信吾くん達はまだ点字を習い始めたばかりで指での読み取りが上手く出来ないんだよ、だからここで復習もかねて練習してるんだ」
当然の事だが目が見えない人も最初から流暢に点字が読み取れる訳ではない。
指先の感覚だけで六個の点を読む、そんな難しい事をどうやって習得していくのかを知りたい、出来る事なら自分も点字を指で読めるようになりたい、
『もしよかったら どんなおべんきょーをしてるのか みていてもいいですか?』
「もちろんいいよ、練習用の本もいっぱいあるから
本を開くとそこには、左上の点が一つだけ出ている『あ』と、六個の点が全部が出ている『め』の二種類の文字だけが不規則に並んでいる。
一輝は
「点字は触れる感覚に慣れる事が必要なんだけど、いきなり全部の文字を読み分ける事なんて出来ないから、まずは一番区別しやすい二文字を触って練習するんだよ」
『へー そーなんですね』
「じゃあそれぞれ何文字づつ並んでいるか数えてみて」
目を閉じて本に触れるとポツポツと小さな出っ張りを感じる事が出来た。
(これは小さな点だけだから『あ』ね、それが一つ、二つ、三つ……あ! 指へ当たる感触が大きくなったから『め』になったのね! 凄い凄い! 二つの文字の違いが分かるわ)
正確に読み取れた訳ではないが、文字の違いを感じられただけで何やら嬉しい気持ちになった。
「ページをめくっていくと分かると思うけど、慣れていけば少しずつ文字を増やしていってその違いを指に覚えさせていくんだよ」
『わたしもたくさんれんしゅーして はやくよめるよーになりたいです』
「熱心なのはいいけど指先が慣れるまでは練習の時間はだいたい三十分か、長くても一時間くらいにしておかないと駄目だよ、それ以上やっても指先の感覚が麻痺してきて練習にならないからね」
『はい わかりました ししょー』
「ふむ、頑張って勉強したまえ」
一輝は笑いながら
他愛も無い言葉のやり取りが心地よい。
そのあと
「一つ聞きたい事があるんだけど」
『どんなことですか?』
生まれつき目が見えない一輝は耳で音を聞き全ての知識を得てきた。
点字などの文字は「これが『あ』と言う文字ですよ」と説明を聞き、初めて触れる物の名前などは「今触っているのは林檎と言う果物よ」と声で説明を聞き言葉として覚えた。
しかし
生まれつき音を知らない彼女が手話と言う言葉をどうやって覚えてきたのか、声を知らない状態でどうやって物の名前を覚えてきたのか、いくら考えても想像できなかった。
『それわですね』
耳が聞こえる子供ならば親が飛行機の写真や絵本を見せて「これは飛行機よ」と声を掛けたり、林檎を手に持たせて「これは林檎よ」と話しかけて言葉を教えていくのが普通だろう。
なので耳が聞こえない子供の場合でも同じように、林檎を見せながら親が林檎の手話を見せ物の名前を教えていく……
そう思うかもしれないが、音を聞く事が出来ず声や言葉がある事すら知らない
当然の事だが両親や周りに居る人達が日常生活でしている何気ない動作の他に、相手に意思を伝える事が出来る手話と言う動作がある事も知らないので、丸いものを持ってかじる仕草が林檎と言う手話単語なのだと理解する事が出来なかった。
いくら両親が手話で『これは林檎よ』と教えようとしても、
だからその動作がその物を表している言葉だと分かるまで、とにかく繰り返し繰り返し同じ物に対して行われる同じ動作を見続けて覚える事になる。
そうやって一つ一つ物の手話単語を覚えても、次に赤や青と言った色や、美味しいやまずいなどの味覚や感情と言った形のない言葉でつまづきを見せる。
林檎を指差した後に人差し指で唇を横になぞる動作をされても、それが赤と言う色を表す言葉だと理解出来ない。
どうして林檎を指差してるのに林檎と言う手話をしないのかで悩む事になる。
トマトを指差しても唇をなぞる……
ポストを指差しても唇をなぞる……
色鉛筆を指差しても、色紙を指差しても唇をなぞる……
示された物に対する共通点が理解出来るまで、それが色を表す言葉なんだと理解できるまで繰り返し繰り返し……
そうやって長い月日を掛けて手話の基本である単語を覚え、その並べ替えでやっと簡単な片言の会話が出来るようになるのである。
しかしそれらの事は聴覚に障碍を持つ子供のすべてが覚えられるような簡単な事ではなく、当然ながら覚えられなかった子供は生まれつき耳が聞こえなくても手話を話す事はできない。
「そんな大変な思いをして言葉を覚えてきたんだね、だったら指点字を覚えるのも苦労したんじゃないの?」
一輝は
『そんなことないですよ もじや こーわをおぼえるのと おなじよーなものでしたから』
「文字と同じ?」
耳が聞こえない
つまり『あ・い・う』も『○・△・□』も同じような只の記号にしか見えないのだ。
だから
太陽と言う言葉一つにしても、空で輝いてるあれは平仮名と言う記号で書けば『●□∵☆』漢字と言う記号に変換すれば『▽◎』のように……
『おいしい』と言う言葉の男女の差、『おいしいわ』や『おいしいぜ』なども、『○△□◎』に『☆』と言う記号をつければ女性が話しているように、『#』をつければ男性が話しているようになる。
文章とはそんな知識だけの丸暗記の世界なのだった。
同じように
「今まで文字に関する事はすべて丸暗記してきたから指点字も同じように覚えられたって事なの?」
『はい』
「だけどやっぱり凄い努力をしないと覚えられない事だと思うよ」
一輝の言葉に
『たしかに もじをおぼえるときわ つらいこともいっぱいあって たいへんでしたけど』
「……けど?」
『いまわ ことばをおぼえることができて ほんとーによかったと おもっています』
辛かった体験さえも良かったと思える理由とは何なのか、一輝は聞いてみた。
『だって ことばをおぼえられたからこそ こーしてかずきさんと おはなしできるんですから』
その言葉に一輝は嬉しくなった。
「そうだよね、僕も文字の形を覚えるのは苦労したけど、今は覚える事が出来て本当に良かったって思ってるよ、もし文字を覚えていなかったら
文字や言葉を覚える為に、二人は大変な努力をしてきた。
繰り返し練習をしても覚える事が出来ず、何故こんな苦労をしてまで覚える必要があるのかと自問自答を繰り返した事もあったが……
こんな物は自分には必要ないんだと、覚える必要なんて無いんだと投げ出した事もあったけど……
文字を覚えたからこそ起きた偶然と言う名の出会いを。
そして言葉を覚えたからこそ出来た思いを伝えあう事の喜びを、二人はヒシヒシと感じていた。
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補足として……
青年が子供達に配った本にはどんな点字が書かれていたのかを説明したいと思います。
●=凸
●○ ●● ●● ●●
○○ ●● ○○ ●●
○○ ●● ●● ○○
『あ』 『め』 『ふ』 『れ』
●○ ●○ ●○ ○○
●○ ○○ ●○ ○○
○○ ●○ ●○ ●○
『い』 『な』 『に』 『わ』
読み取りに慣れるまでは微妙な点の位置の違いなどは分からないので、上記の『あ』と『め』のようにハッキリと違いの分かる二文字をランダムに並べ『あ』が何文字、『め』が何文字と数えながら読んでいきます。
それに慣れてくると今度は上と下二段の『ふ』と、上四つだけの『れ』が加わり『あめあめふれふれ』の文章を何度も読み、その感触を指に覚えさせていきます。
また左一列だけの文字を使って
「浪速には兄は居ない(なにわにわ あにわ いない)」や
「岩魚は穴には居ない(いわなわ あなにわ いない)」
と、ちょっと笑っちゃう文章ですけど、それを何度も読み取り、指へ伝わる感覚を増やしていきます。
点字を目で見て読めるようになるのは比較的容易に出来るのですが、指で触れて読めるようになるには大変な努力と時間を要し、決して誰にでも出来るような簡単な事ではありません。
点訳をされる方でも指で点字が読める人はほとんど居ないのが現状ですから……
身近にある点字に触れる事で多くの人が点字への理解を示してくだされば幸いです。
-おまけ-
実際に身近にある点字に触れてみて下さいね。
○● ●○ ●●
●○ ○● ●○
○○ ○● ○● 『おさけ』缶チューハイの飲み口の横にありますよ。
○○ ●○ ○○ ●●
○● ●○ ●● ○●
○○ ●● ○○ ○○ 『ビール』こちらは缶ビールにあります。
●● ○○ ○● ●○ ●●
●○ ○● ○○ ○○ ○○ 『へんきゃく』気付きにくいですけど
●● ●● ○○ ○● ○● 自販機の返却レバーに書いてあります。
●○ ●●
○○ ●○
○○ ○● 『あけ』エレベーターの「< >」開けるボタンに。
●○ ●●
●● ●●
○● ●● 『しめ』エレベーターの「> <」閉めるボタンにあります。
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