第3話 -支援しない支援学校-
「学校で手話を習うのが当たり前じゃないって、どう言う事なの?」
一輝が疑問を持つのは当然の事だった。
学校と言う場所、特に小学校は何も知らない子供達に言葉や文字、物の名前や数え方と言った全ての知識の基礎となる大切な事を教え育てていく場所なのだから、教師は子供達が理解しやすいように色々と工夫を重ね努力するのが当たり前である。
もちろん子供達には個人差がありその全てに対応する事など不可能だが、見えない子供達には教科書が読めるように一番最初に点字を教え、そして点訳された教科書を手渡す。
そして聞こえない子供達にはまず手話を教え教師と生徒の間で意思の疎通が出来るようにしている。
……と……誰もがそう考えるだろう。
だが実際の聴覚支援学校は耳が聞こえない子供を集めているだけで手話を教える事などはしない。
正しく言うなら教師は手話を教える事が出来ないし、そもそも教える気すら無い。
何故なら支援学校の教師は手話が話せないから……
そして覚えようともしないから……
「そんな、どうしてそんな人が教師を」
『そ・れ・は』
支援学校の教育方針、それは子供達が健聴者の社会で生きていく為には音声言語を中心とした教育が最も重要であり、文法も歴史も全く異なる手話と
確かに聞こえない世界を知らない健常者が聞けば正しい理屈を言っているように思えるかもしれない。
だが教師が手話を覚えようとしない理由は他にもあった。
公立校の教師は通常新任で四~五年、それ以降は六~八年で新しい小学校へと転勤してしまう。
それは普通校だけではなく、視覚や聴覚の支援校でも例外ではなかった。
普通校から支援校へと転勤してきた場合その環境の違いに戸惑い、何とか専門知識である手話を身に付けようと考える教師も皆無ではない。
だが短い期間でそれらを覚えるのは大変な努力を必要とする。
やっとの思いで身に付けた専門知識も次に普通校へと転勤が決まればその大半が無駄な物になってしまう。
だったら無理をして手話など覚えなくても子供の方に無理を強いればよいのでは、そんな心無い考えを抱く教師が出てきても不思議ではない。
だから
健聴者の社会で生きていく為にはこれが正しい事、全てはお前たちの為なんだと。
そんな綺麗事を呪文のように繰り返し唱え……
現在の支援学校の案内等を読めば、表向きとしては手話禁止令は廃止され手話を使った授業が普通に行われている事になっているが、教師の教育理念が簡単に変わったり急に手話を覚えたりする筈も無く、現実には今も大差なく同じ環境のままである。
多くの支援学校では今でも"子供が分かる言葉で授業をして下さい"と当たり前の事を、生徒や親達が必死に訴えているのだから。
「言葉を奪われたら意思の疎通なんて出来ないじゃないか! だったら
『ま・ず・こ・う・わ・ほ・う・を・お・ぼ・え・る・の』
音を覚えた後で聴力を失った者ならば唇の動きと声との関係をある程度理解する事も出来るが、生まれつき耳が聞こえず声の存在を知らない
まず最初は何も分からずに教師が口をパクパク動かしているだけの姿を何時間も、何日も、何週間も見続ける事になる。
「この文字は口の形をこうするんだ」
説明をする教師の言葉がまず分からない。
"あ"と言う記号を指差した後に口を開けてみせる意味が理解出来ない。
そして注意をされても、教師が何に対して怒っているのかが分からない。
普通校に入学したばかりの一年生なら誰でも習う筈の簡単で基本的な事が書かれた教科書もここでは必要のない物だと考えているのかもしれない、ただひたすら教師の口元を見る時間だけを強いられる。
他の全てはそれを覚えてからだと言わんばかりに。
教師が居なくなった教室で皆が集まり涙を流し、稚拙な手話で慰めあい、励ましあい、そして口の形と文字と言う名の記号の関係や、自分達が知っている手話単語との関係を把握しようと努力する。
また教師は口の形を覚える事と同時に、手話以外の伝達方法である発声を強いてくる。
しかし人の声は勿論の事、自分の声も聞いた事のない
教師が突然怒りの表情を見せ近づいてくる。
彼女の両手を掴み自分の唇と喉に触れさせた後、今度は彼女の顎を掴み指を口に突っ込み舌を押さえつけてくる。
怖い表情で口をパクパクさせる教師の態度から舌の形が違う、声帯の震え方が違う、発音が違うと怒っているのだと想像する。
だが自分が声を出せているのか、それとも只単に息を吐き出しているだけなのかさえ分からないのに、どうすれば教師と同じように声帯を震わせる事が出来るのか、いくら考えても答えを見つける事が出来ない。
「そんなやり方じゃ生徒の全員が口話法を覚えられる訳ないよね?」
文字と呼ばれる記号とそれに対する口の形、単語と呼ばれる記号の組み合わせ、それらの全てを丸暗記する事で身に付けた者も居るが、結局最後まで覚える事が出来ず唇を読めない者も多く居た。
なんとか口話法を身に付けてもそれで授業を受けるのが楽になる訳ではなかった。
授業の間はずっと教師の口元から目を離す事が出来ないのである。
当然の事だが、授業が終わるまで黒板の文字を写す事など一切出来ない。
教師が黒板に文字を書きながら背中越しに話す言葉は分からない。
反対側の生徒に向かって横顔で話す言葉は分からない。
「そんなの授業でも何でもないじゃないか! 聴覚支援学校って名前なのに何も支援しないで子供を苦しめるなんて酷すぎるよ!」
知らなかったとは言え、
一輝の心には申し訳ない気持ちと同時に自分への怒りが込み上げてきた。
その感情は握っている一輝の手が小刻みに震える様子から
『ご・め・ん・な・さ・い・い・や・な・お・は・な・し・も・う・や・め・ま・す』
「謝らないで! これは
『で・も・き・こ・え・な・い・か・ら・し・か・た・な・い・ふ・つ・う・じ・ゃ・な・い・の・が・い・け・な・い』
そこまで書くと一輝は急に怒りの感情をあらわにして叫んだ。
「違う! 聞こえないのは
一輝は感情の昂ぶりを抑えきれずに大声を出してしまったが、握られた手に落ちた一粒の水滴が一気に冷静さを取り戻させた。
「これって、もしかして涙?」
その問い掛けに対し文字は書かれることなく、ただこぼれ落ちるいくつもの水滴が手を濡らしていった。
「ごめん、
『ち・が・う・の・わ・た・し・う・れ・し・く・て・』
理不尽な事だと思っていても子供の力ではどうする事も出来ない、嫌だと思っていても逃げ出す事は出来ない。
こんな思いを教師や聞こえる人達に伝えた所で理解などしてもらえる筈が無い。
だったら友人と励ましあいながら乗り越えるしかない、仕方の無い事だと自分に言い聞かせ諦めるしかない、そう思い感情を抑えていたのに……
目の前に居る青年は自分の苦しみを誰よりも理解してくれている。
そして一緒に悲しみ、怒り、慰めてくれる、
その後は一輝の手に文字が書かれる事は無かった。
我慢していた心の堰が崩れ、感情が一気に溢れてしまったのであろう、泣き崩れて下を向いているのが一輝の手に伝わってくる。
普通ならこんな時は声を掛け慰めるものだが、
自分の顔を見てくれない状況ではたった一言でさえ想いを伝える事が出来ないのがもどかしい。
目が見えない事は不便ではあるが不幸ではない……
聞く事……
触れる事……
それらを研ぎ澄ませれば出来ない事など何も無い……
一輝は小さい頃からずっとそう思っていた。
なのに今の状況はどうだ?
見えない、聞こえない、たったそれだけの事なのに……
ほんの些細なきっかけがあれば、こうして出会い、手を取り合い、想いを伝えあう事だって出来る筈なのに、悲しんでいる女性一人を慰める事が出来ないなんて。
自分の無力さに悔しい想いが募り、気が付くと
声の無い静かな悲しみ……
腕の中で小さく震える彼女に対し愛おしさが溢れてくる。
せめて悲しみが和らぐまで……
一輝はそんな想いで
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補足として……
今回のお話では聴覚支援学校についてかなり厳しい事を書きましたが、これらは『根も葉もない噂』や『設定の為の作り話』等ではなく、先天性の聴覚障碍2級(両耳共に120db)を持つ私自身がかつて聾学校で経験した事や感じた事をもとに綴ったものです。
でもそれは決して学校や先生方を批難するのが目的ではなく、聞こえない世界を想像出来ない為に自分の教育理論が正しいと思い込んでる先生や、健聴者目線でしか物事を捉えられない先生に
『子供達はあなたの知らない所でこんな事を考えてたんですよ』
と知ってもらい、私達の後輩が楽しい学生生活を送る事が出来るような環境になればと考えています。
『子供の分かる言葉で授業を』……そんな当たり前の事がどの聴覚支援学校でも出来る世の中になる事を願っています。
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