第4話  -重ねた指で話す言葉-

 暫くすると心音ここねも落ち着きを取り戻したらしく、また一輝の手に文字を書き始めた。


『め・い・わ・く・か・け・て・ご・め・ん・な・さ・い』

「そんなに無理して感情を抑える必要なんてないよ、それよりも、こんな時にどうすればいいのか分からなくて、今日会ったばかりの男性に抱き着かれるなんて嫌だったよね……ごめん」


 心音ここねは一輝の両手を握り締め大きく横に振った。

 確かに父親以外の男性に抱き締められるのは初めての事だったが、不思議とその事に対して嫌な気持ちや恥ずかしいと言った気持ちは無く、むしろそこには奇妙な安心感があった。


「もっと色々と話していたいけど、今日はもう時間も遅いし駅まで送るよ」


 壁の時計に視線を移すと針は七時三十分を指し示している。

 話す事に夢中になっていて気が付かなかったが、手の平に文字を書く方法での会話は思った以上に時間が掛かっていたようだ。


(そんな……もっとお話していたいのに……一輝さんの事も色々と聞きたいのに……)


 目が見えない人達の事をもっと知りたい、私が知らない世界の事をもっと聞きたい。

 でもそんな事を言ってもいいのか、失礼な事なのではないかと心音ここねは考えていた。


「それで良かったらでいいんだけど、また会って学校の事とか心音ここねさんが生活している音の無い世界の事とか、僕が知らない聞こえない人達の事を色々と教えてもらえないかな」


 まるで自分の心を見透かされたような問い掛けに心音ここねは驚いた。


「別に無理にって訳じゃないから嫌だったら断ってね、ただ、聞こえない世界や見えない世界って言っても、遠く離れた別世界の話ではなくこんなに身近に存在してるのに、どうして今まで何一つ知らないで過ごしてきたんだろうって、そう思ったから」

『そ・う・で・す・よ・ね』

「今まで僕らと同じ世界に生きてきた人達が、見えない人と聞こえない人では会話をするのが難しいからって諦めてしまったのかもしれないし、交流する機会なんて滅多に無いんだから必要ないって、無理な事だから頑張る必要が無いって、そう最初から決め付けて何もしてこなかったのかもしれないけど、日常生活をしていれば誰にだって起こるような些細な事がきっかけで今の僕と心音ここねさんのように出会う事だってあるのに、想いを簡単に伝える方法が無かったり、知らない事が多すぎて理解するのに時間が掛かるのって絶対におかしいよね?」


 心音ここねは一輝が自分と同じ事を考えてると知り少し嬉しくなった。


「言い方が悪いかも知れないけど、さっきの支援学校の問題も聴覚に障碍を持ってる人達が"耳が聞こえる人にはどう伝えたって音の無い世界を理解出来る筈が無い"って最初から諦めて、自分達の周りを高い壁で囲み、孤立した世界にしてる事が原因の一つのような気がするんだよ」


 言われてみれば確かにそうかもしれない、それは心音ここねも身を持って感じていた。

 聴覚支援学校の卒業生は自主的に後輩に日本手話やろう文化を教えに行ったりと、聞こえない者同士の縦の繋がりはとても強いが、逆に聞こえる世界への繋がりは薄く脆いように思えた。


「知らない事を放っておいたら、いつまで経っても知らないままで一歩も前に進む事は出来ないよ、こうして縁があって心音ここねさんと知り合う事が出来たんだから、もっと話をしてお互いの世界を理解し合えば色々な問題を解決する糸口が見つかるかもしれないし、そうすれば支援学校の後輩達も楽しい学校生活を送れるようになれると思うんだ」


 笑顔で話す一輝からは熱い気持ちが伝わってくる。

 心音ここねの心の中では一輝の存在がどんどんと大きくなり、もっと話したい、また会って色々と話したい、そんな気持ちが強くなっていった。


『ま・た・き・ま・す・か・な・ら・ず・き・ま・す・か・ら』


 そう約束をして心音ここねは施設を後にした。


 自宅に帰ってからも今日あった出来事が、一輝の事ばかりが頭に浮かんでくる。

 夕食と入浴を軽く済ませると、心音ここねはすぐにパソコンの前に座り何かを調べ始めた。


(今日みたいに文字を手に書く方法だと時間が掛かりすぎるわよね、一輝さんは何も言わなかったけど文字を読み取るのに集中して凄く疲れてるみたいだったし、そもそもあの方法は誰にでも使える訳ではないって分かったんだから何かもっと早く簡単に想いを伝えられる方法を考えないと)


 心音ここねは施設に居た女の子が点字の本を読んでいた姿を思い出していた。


(そうだ! 目が見えない人はまず点字を覚えるんだからそれを使って筆談……は無理よね、点字って鉛筆で文字を書くのと違って手軽に書けないと思うし、と言うか、そもそも点字の本ってどうやって書くのかしら?)


 検索してみると専用のピンで直接紙に窪みを打ち込む方法と点字タイプライターを使う方法があり、それぞれの道具と使い方が画面に表示された。

 きっと一輝もこの道具を使って子供達に読ませる点字の本を作っているのであろう、そんな事を考えている時に画面の下に書かれた"指点字"の文字が目に入った。


(点字って指で触って読むのが当たり前なのに、どうしてわざわざ指点字って書いてあるのかしら?)


 書かれた内容を読み進めていくと、そこには興味深い事が色々と書かれていた。

 

"点字とは、指先の触覚により文字情報などを読み取るための仕組みであり平面から盛り上がった部分(点)によって五十音やアルファベットと言った文字や数字を表現するものである、通常は横二×縦三の六つの点で表される"


(え? 点字ってエレベータなんかでよく見かけて何度か触った事はあるけど、あれってたった六個の点で全部の文字を表してたの?)


"指点字とは、目も耳も不自由な人とのコミュニケーションの為に点字タイプライターのキーの配置をそのまま人の指に当てはめ、手と手で直接行う会話法である。

 六つの点で構成される点字の組み合わせをそのまま左右の「人差し指・中指・薬指」に割り当て、話をする人の手に自分の手を重ね、指を軽く叩いて言葉を伝える"


(凄い! こんな会話方法があったなんて想像もしなかったわ、でも六個の点でそんなに多くの組み合わせって出来るものなのかしらね?)


 そこには初めて知る事ばかりが書かれてあり、心音ここねは夢中で読み進めていった。


(ふむふむ、点字ってローマ字の考えと同じで左上三つの点が母音で右下三つの点が子音になる訳ね……で、その組み合わせで五十音が表せちゃうんだ、なるほどなるほど)


 スクロールしていくと指点字表と言う物があったのでそれを見ながら実際に指を動かしてみた。


(えっと、左手の人差し指だけトンってすれば"あ"左手の人差し指と中指をトンってすれば"い"左手の人差し指と右手の人差し指をトンってすれば"う")


 おそらく期末テストの時でもこれほど真剣に勉強をした事など無いのでは? そう思わせるほど一心不乱に資料を読み続けた。


(凄い凄い! まだ指を動かすのに慣れてないけど、それでも文字を書くのよりずっと早いし正確に伝えられると思うわ)


 これで一輝とスムーズに話が出来る、もっと色々と想いを伝える事が出来る。

 心音ここねの心は嬉しさで満たされ、その後も時間を忘れて深夜まで指点字の練習をするのだった。

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