第03話 神獣

 ミィナを追跡していた人間たちは、ミィナの戦闘能力が皆無なことに薄々気が付き始めていた。

 それでも拷問などの手段をとれないのは、持っているスキルのせいだ。

 人間が既に知っている通り、ミィナには感知スキルが無い。だから魔物を避けて行動するなんてこと、一切できない。



「痛っ!」



 ミィナの足に、子犬程の小さな魔物が噛みついた。

 それに対する攻撃はスキルによるものではなく、手や足を使って引き離すといった具合だ。逃げることをしないのは、この森の中で一旦方向を見失えば、引き返すことすら困難になるからだ。

 少し離れた所で、リーダー格の人間は他の者に指示を出していた。



「あの魔族の通り道にいる魔物を殲滅する。勿論気が付かれないようにだ」



 そうして、ミィナが目的の方向を見失うことが無いように人間たちは魔物を静かに狩り始めた。

 ミィナはそれに気が付くことなく、時に少ない食料を噛みしめ、時に少ない水を飲み、時に小さくなって眠りながら進んでいった。





『三日ぐらい歩き続ければ着くんじゃないかな?』



 不意に、ソラのそんな言葉がミィナの頭をよぎった。

 現時点で、既に三日目の夜に突入しかけている。恐らく、ソラがそう言ったのは大人の歩幅での話だ。だが、ミィナは出来る限り睡眠時間を削って歩いている。そろそろ着いてもおかしくなかった。

 そんな時――。



「――っ!」



 後方から小さな生き物が沢山飛び出してきた。

 まるで何かから逃げるように。人間はその理由にいち早く気が付き舌打ちをしたのだが、ミィナの耳には届かなかった。

 それから暫く出てきたのは、二つの頭を持ち、犬のような体をした魔物だった。地面から背中までの高さは人間の大人ほどある。



「そんな……、ここまで来て……」



 ミィナはジリジリと後ろへ下がるが、目の前の魔物はそれ以上の速さで近づいてくる。少しずつ、しかし確実に魔物との距離が狭まっていく中、ミィナの両足は突然震えて膝がカクンと折れてしまった。

 ミィナは一瞬、目の前の魔物への恐怖心のせいかと思ったが、それは間違いだった。魔物は座り込んだミィナと数センチの距離まで近づいたが、何故かそれ以上は近づかなかった。ミィナと魔物との間に、ハシクが自分の領域を指示した場所と何もない場所との境界線があったからだ。

 魔物は怯えるように身を縮こませてから、踵を翻して明後日の方向へと去っていった。



「助……かった……」



 ミィナは両足をガクガクと震わせながらも、どうにか立ち上がった。そして、そのまま真っすぐと進み続ける。途中まではどうにか進んでいたが徐々に速度を下げ、止まった。

 ミィナの本能が、その先へと向かうことを拒否していた。

 地面にぺたりと座り込んだままその体は動かず、体中に巡る恐怖という感情は一切抜けてくれない。気を抜けば、今にも逆方向へと走り出しそうだ。



「何で……。お願い、動いてっ!」



 ミィナはそう言って、自分の拳で自分の足を何度も、強く叩いた。しかし、痛みは感じても足の震えが止まることは無い。



「このままじゃユーミアが……」



 後どれだけ時間の猶予があるか分からない。だからミィナは、出来る限り休む時間を削って、満身創痍の状態でここまで向かってきた。それでも、ユーミアを助けられなければ意味がない。



「今までユーミアに……皆に助けられてきたんだから……こんな時ぐらい動いてよっ!」



 そう言いながら何度も足を叩いてみるが、やはり結果は変わらない。

 そんな時、ミィナの頭に誰かのため息が聞こえた気がした。途端に震えが止まり、足の痛みだけがジワジワと響き始めた。

 何故かはわからなかったが、今はそんな事を考えている暇は無い。ミィナは足の痛みを無視して、真っすぐと走り始めた。

 そして――。



「やっと……着いた……」



 目の前に木製の家が見えた。ミィナは迷いなく、家の扉へと走っていく。そして、辿り着く前に扉は開かれた。

 その姿にミィナはギョッとする。



「何の用だ?」



 ミィナを出迎えたのは、一人の老人だった。魔族であるミィナには、その人間らしきものから発せられる力強い何かを察することが出来た。



「私は――」


「違う、お主に聞いているのではない。確かに我は酷くくどかったお主をため息とともに招き入れた。だが、お前らまで招き入れたつもりはない」



 その視線は、ミィナの背後へと向けられていた。

 それから少しして、数人の人間が現れる。



「随分な言い様だな、爺さん。あんたには魔族を庇っている、若しくは庇っている人間と関係を持っている可能性がある。悪いが、強制的にでも拘束する」



 この強気な言い様は、出てくる前に目の前の老人のスキルを覗き見たからだ。結果はスキル無し。神獣の持っている能力はスキルではなく、人間や魔族で言うところの身体能力に分類されている。だからスキルを覗き見た所で、結果は何も出てこない。



「魔族を庇った、か……。我はそういった事には関わらないようにしている。いや、関わってはいけない存在。だからそれを理由に何かをするようなことはしない。だが――」



 ハシクへと足音も立てずに近づいた人間が、手に持っている刃を急所を外して振り下ろした。しかし、ハシクはそれを二本の指で受け止めた。



「我へと手を出そうとしたのだ」



 一瞬、光った。

 次の瞬間には、ハシクへと迫っていた人間は黒い炭へと姿を変え、焦げ臭い煙を発しながらパラパラと崩れていった。

 ハシクはゆっくりと歩きながら、本来の姿へと変化する。



「その報いを払わされたとしても、誰も文句は言うまい」



 一つの大きく力強い咆哮が辺りへと響き、少し遅れて晴れた夜空からいくつもの青白い雷が地面へと降り注いだ。それは木々の間をすり抜け、辺りを囲んでいた人間の全てを炭へと変換した。

 それに呆気にとられるミィナに、ハシクはその姿のまま問いかけた。



「悪いが、我は人間や魔族のイザコザに関与するつもりはない。それが目的なら立ち去れ」



 ユーミアが連れ去られたのは、ハシクの言うイザコザのせいだろう。しかし、ミィナにとってのユーミアを助けたいという想いにイザコザなんて関係ない。



「私は……私はただ、自分の大切な人を助けたいだけなんです! あなたに手を貸して何て頼むつもりはありません。だからせめて――ソラの居場所を教えてもらえませんか! ここにソラが居ると聞いて私は来たんです!」



 ハシクは再びため息を吐いた。目の前の魔族が絶対に諦めない事を、瞳の輝きで改めて悟ってしまったからだ。人間と魔族、どちらかに肩入れするようなことは出来ない。しかし、一人の魔族が仲間を助けることに手を貸すぐらいならば――。

 そう考えたハシクは、ギルドのある方向を指さした。



「この先に人間の街がある。そこに居なければ我にも分からん」


「ありがとうございます!」



 ミィナはぺこりと頭を下げると、すぐにハシクが示した方向へと走り出した。

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