第10話 出立

 その日の夜、ミィナとパミアはベランダから月に照らされた木々を眺めていた。

 二人が見ている方向に向かってユーミアが飛んで行ったのだが、その姿はすぐに見えなくなった。リハビリを始めてから半月、ユーミアはものすごい速度で元の体力を取り戻していった。今日はその最終確認だ。



「ユーミア様の傷、どうにか治ってよかったですね」


「うん……」



 そう答えるミィナの表情はどこか暗かった。



「どうかしましたか、ミィナ様?」


「……パミア。私、皆に助けられてるけど……。いつか何かを返せるのかな?」



 ミィナはいつだって誰かに守られ続けてきた。ユーミアやパミア、ハーミスは何も言わずに自分を守ってくれているが、果たしてそれに見合うだけの何かを返せるだろうか。そう考えた時、ミィナには返せると言えるだけの力も自信もなかった。

 そんなミィナの問いに、パミアは少しの間をおいてから答えた。



「別に返さなくたっていいんですよ」


「……でも――」


「ミィナ様は自分から助けを乞うたことなんてないでしょう?」


「それは……」



 ミィナは記憶を辿ったが、明確に助けて欲しいなんて言葉にしたことは無かった。それは助けてほしくなかったのではなく、言葉にする必要がなかったからだ。何も言わなくても助けてくれるのだから、それはさほどおかしなことではない。



「ミィナ様を助けているのは私たちの身勝手なエゴです。そんなものを重荷に感じる必要なんてありません。ただ、私にはミィナ様のご両親に対して返しきれないほどの恩と償いきれないほどの罪があります。あの時私たちがもっとしっかりしていればミィナ様のご両親を助けられたかもしれない。ユーミア様から話を聞いてから、そんな考えがずっと頭の中を回っています」



 結果として、ハーミスとユーミアの二人に大きな負担がのしかかっていた。しかし、本来ならばその負担はセントライル領に住まう者の全員で背負うべきものだった。今のパミアはそう考えていた。



「私が勝手にそう考えて、勝手にミィナ様を助けているだけです。ですから、ミィナ様もどうか自分の思うように行動してください。もしミィナ様が私たちに何かを返したいと思えばそうすればいいですし、他にやりたいことがあればそちらを優先すればいいと思います。ミィナ様が自分でした選択なら誰も文句は言いませんよ」


「私は……私は、助けてくれたみんなにお礼がしたい。でも、私に出来ることなんて何もなくて……」



 そう言いながら、ミィナはユーミアが飛んで行った方向へと目をやった。ユーミアの様に何か飛びぬけた力があるわけでもなく、その成り立ち故に知識は乏しい。あるのは自分でもコントロールすることすら叶わない不気味なスキルだけだ。



「それは私も同じですよ」


「でも、パミアはユーミアの傷を治してくれた。私にはあんなことは……」


「あれはただ仕事をしていて身に付いただけですよ。それに、同僚には私より優秀な人がたくさんいます。私なんて代わりがいくらでもいるような存在なんです」


「そんなこと――」


「でも、そのお陰でミィナ様にお会いできました。私なんかでも出来ることがあったんです。ミィナ様にだって何か出来ることはありますよ。それがミィナ様にしか出来ない事なのか、私みたいに誰にでも出来るようなことかは分かりませんけど」


「私に出来ること……」


「別に小さなことだっていいんです。ミィナ様がお料理を手伝ってくださって、私はとても助かりましたよ」



 そう言われると、簡単なことではあるが自分にもできる気がしてくる。ミィナのそれは誰かの手伝いという形がほとんどだったが、きちんと誰かしらの役には立っていた。



「ミィナ様、この世界では色んな想いを持って、皆が自由に動いているんですよ」


「皆が?」


「私やユーミア様、ハーミス様はミィナ様を大切に想っています。逆に他の権力者はミィナの存在を邪魔に思うでしょう。それとは別に、私たちの事なんて何とも思っていない無関係な者もいるのです。皆が自分のしたいように動いて、同じ想いを持つ者が一か所に集っているだけです」



 それは権力を持つ者ほど顕著に表れていた。今でこそ片方に勢力が傾いているが、十年前の魔族は人間との戦争に対する過激思想派と保守思想派で分かれていた。そして、それぞれの中でも想いを同じにする仲の良い権力者同士は深いつながりを持ち、そうでない者同士は反発していた。



「皆がやりたいことをやっているこんな世界で、そこまで気負う必要なんてないんですよ。周囲は勝手に期待したり失望したりするかもしれませんけど、それはあくまで他人の評価です。ミィナ様は自分がやりたいようにすればいいんです」


「私のやりたいこと……」



 そう呟いた後、すぐにミィナの脳裏に一人の少年の姿がよぎった。本人が冷静に判断した結果それを目指すのならば、ミィナも何も言わなかっただろう。だが、その少年――エクトは明らかに普通の状態ではなかった。



「もしそれが――私のやりたいことがとても難しい事だったらどうすればいいの?」



 ミィナがその言葉を言い終わると同時に、背後から誰かがミィナを優しく抱きしめた。



「その時は周りに助けを求めてください。きっと、私以外にもミィナ様に手を貸してくれる方は沢山いますから」


「凄いですね、ユーミア様は……。後ろに来たことに全く気が付きませんでした」


「これに関しては自分でも誇れる特技ですからね。何しろ、ドレア様が娘であるミィナ様を任せてくれるほどですから」



 そんなユーミアを見るミィナからは、まだ心配そうな表情は消えていなかった。



「ユーミア、大丈夫だったの?」


「はい、お陰様で。かなり長い休息をとったおかげで以前より調子がいいぐらいです」


「それならそろそろ出発できそうですね」


「そういえば私たちはどこへ向かうんですか? ハーミスさんのいる屋敷となるとかなりの人目に触れることになりそうですけど……」


「それならハーミスさんから場所を指示されている場所があります。特に連絡はいらないとは言われているのですが……」



 パミアとミィナが不安げな表情を浮かべたが、ユーミアはそんな素振りを見せなかった。ハーミスを知り、信用しているからこそ不安などなかった。



「きっとハーミスさんにも何か考えがあるのでしょう」


「そうですね。それでは三日後に出発にしましょうか。ユーミア様の傷が癒えたとは言っても病み上がりには違いありませんから、私に言わせてもらえばそのぐらいの余裕は欲しいです。何か急ぐ理由があるのなら明日でも問題はないとは思いますけど」



 そんなパミアの言葉に、ミィナが間髪入れずに答える。



「じゃあ三日後」



 そんなミィナの一声で、この場所を出発するのは三日後になった。

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