第一章 発端
第01話 霧
人の知らない魔族の世界。そこでは人と同じように権力によって身分分けされていた。その一番上にいるのが魔王と呼ばれる存在。魔王は人の世界の王と同じように血統によって決定される。ただし、その寿命は人とは大きく異なる。
魔族は混合種である。魔物が進化し、言語を理解できるようになったのが魔族。その過程において多種多様な種族の血が混じり、純血種は存在しないと言っても過言ではないほどである。現魔王はその中でも特筆すべき寿命の長さを誇っていた。故に世継ぎを進んで作ろうとはせず、権力は必然的に一か所へと集まった。
そんな世界において有数の権力を手に入れた一族の内一つがセントレイル一家である。しかし、そんな一家に悲劇は起こる。
時は大きく遡り、ソラの住まう魔女の村が魔物に襲われる約十年前――。
「ユーミア、ミィナをお願いしてもいいかしら? 腕が痺れてきちゃって……」
馬車に揺られながら、女性の魔族はそう言って近くに腰かけていたメイドに娘を託した。
「お任せください、奥様」
ユーミアと呼ばれた女性のメイドは寝息を立てている主の娘を起こさないように、丁寧に受け取った。ミィナと呼ばれた赤子の額の両端には一つずつ、小さな角がちょこんと生えていた。そんな二人のやり取りが気に入らなかったのか、男が声を荒げる。
「おい、なぜそこで俺に渡さん」
「あなたが抱くといつも泣いてしまうじゃないの。後、せっかく寝てくれたところなのだから少しは静かにしてください」
「す、すまん……」
そんな夫婦のやり取りを、ユーミアは微笑ましげに眺めていた。
今通っている場所はセントライル家とは別の魔族の領地だ。魔族間は常に友好的な関係にある訳ではない。魔王と呼ばれる魔族と、その臣下のみがその争いから外れる。魔王が選んだ臣下は一人の例外もなく争うことなく周囲に順応する。それは魔王が人材を見極める能力に長けているから、というのが世間一般の見解である。
「それで、今回の会談の内容だが……」
「私はあなたの意思に賛成するわ。不利な立場にはなるでしょうけれど……それでも、この平和な時間を壊すことが必要だなんて思えませんもの」
現在の魔族は大きく二つに分断されている。一つはかつての人間との戦乱から落ち着きを取り戻し、備蓄も出来たのだから戦いに乗り出そうと言う派閥。もう一つは戦いに出向くことをせず、戦う方向へではなく自分たちが豊かになる方向へと力を使おうとする派閥だ。
そして現在、ミィナの父親であるドレア・セントライルと、母親であるシィナ・セントライルは後者の派閥である仲間の集会へと向かっている――はずだった。
「「「っ!」」」
突然体に大きな遠心力が掛かり、馬車の中で体を振り回される。
「ユーミア、大丈夫ですか⁉」
「はい、ミィナ様はどうにか……」
額から出血しているユーミアの腕には、未だ眠っているミィナの姿があった。そんな心配をしている間にミィナの父親は馬車の外へと出て周囲の状況を確認していた。異なる派閥の者が手下を送ったのだろう、周囲には武装した魔族の集団がいた。御者と馬は矢で射抜かれ、既に息絶えている。
「何の真似だ!」
その問いかけには誰も反応しなかった。二人も様子を見ようと馬車の外へ出た時、一斉に矢が放たれた。だが、それは突如現れた不自然な風によって防がれた。
「ありがとうございます、奥様」
「気にしないで下さい。それよりも――」
「ユーミア、どのぐらい人数を減らせば逃げられるか教えてくれ。俺たち二人じゃ限界がある」
ユーミアはそれを聞いて一瞬躊躇ってしまった。自分の主たちが何をしようとしているか察せたから。だが、彼らを囲う魔族たちはそれを見逃さない。再び矢を飛ばすと同時に武装した魔族たちが一斉に襲い掛かって来る。矢をミィナの母親が魔法で弾き飛ばすと同時に、父親であるドレアは腰に提げていた剣を抜いた。
その時、ユーミアの血が額からミィナの頬へと零れ落ち、それと同時にミィナは泣き声を上げた。両親はそれを背に気を引き締めたが、彼らに襲い掛かってこようとしていた魔族はその動きを止めていた。
「ミィナ……様……?」
ユーミアが腕に抱いているミィナの体からは、黒い霧が溢れ出していた。
それは徐々に広がりを見せ、触れた草木を枯らした。だが、ミィナの両親とユーミアには何の影響をないのを見た魔族たちは再び襲い掛かる。しかしその目測も虚しく、霧に触れた者は突然全身の力が急に抜けたように前のめりに滑り込み、再び立ち上がる事は無かった。
「何が起こ――」
そこまで言って、その魔族は言葉を続けることを止めざるを得なくなった。再び襲い掛かって来た見知らぬ魔族を見たミィナはユーミアの腕の中でより大きな鳴き声を挙げ、それに呼応するように霧が広がる速度も上がったからだ。彼らは一斉に踵を返して逃げ出したが、霧が彼らに追いつくまでにさほど時間は掛からなかった。
やがてその霧は霧散した。後に残ったのは外傷無く地面に平伏せた大量の武装した魔族たちだった。そんな景色に呆気にとられながらも、ミィナの両親は遠くの空に飛行能力を持った魔族の集団を見つけた。
「ユーミア、今すぐミィナを連れて逃げろ」
「ですが旦那様――」
「これは命令だ」
この時点でユーミアは逆らうことが出来た。通常、メイドなどの主に仕える仕事をしている者は奴隷紋ほどではなくとも、多少の束縛を呪術によって強いられる。だが、セントレイル家ではそれを行っていない。
「ユーミア、これはあなたにしか出来ないことです。どうか……」
そう言って必死の表情で頭を下げる主たちを前にして、ユーミアに逆らうことなどできなかった。ユーミアは戦闘向きの魔族ではない。細い体とは不釣り合いな大きさの
「頭を上げてください。出来る限りの事はさせていただきます」
「あぁ、頼む」
そう言うと二人は戦意をむき出しにして向かって来ている集団の方へと視線を向けた。ミィナの両親はユーミアとは反対に、戦闘能力に長けていた。父親は近接戦に長け、母親は魔族では希少な魔法使いである。魔族には種族特有の強みがある。ユーミアの翼がその一例である。そのせいもあり、スキルと言うものにあまり頼らない。人間と違ってスキルを重視しない傾向にある魔族は、自分が何のスキルを持っているか知っている者も少なく、そもそもスキルを確認する手段がほぼ皆無だった。
ユーミアは二人の後ろ姿を見て、その場から動けずにいた。本来ならば立場が逆であるはずだから。主に守られるなど、メイドのあるべき姿ではない。そう思っていた。それに気が付いたミィナの父親が声を張り上げる。
「行け!」
ユーミアは涙を浮かべて下唇を噛みながら飛び立った。障害物に隠れながら、腕の中のミィナに負担が掛からないギリギリの速度で来た道を戻る。
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