もう一度、あの場所で

フェイト

第一章 王立ヴァルセイド魔法学院

 魔法を使えて実力が認められたおれが、魔法を習得する学院に通う必要性はない。羊皮紙に記された、王立ヴァルセイド魔法学院の編入届の書類を、蝋燭の灯りで照らしながら眺めた。

 明日の朝、この書類を学院受付に提出すれば編入手続きは完了。割り振られたクラスで講義を受け学院生活のスタートというのが、明日の流れになるだろうが――どうにも気が進まない。というより行きたくない。


「今になって編入とか。意味が分からない」


 そもそもこの学院編入はおれが決めたわけでもないし、しばらく学院に通っていなかったからまた通い始めたいなんて自分勝手な理由で編入が決まったわけではない。おれの知らないところで編入の話が進んでいて、何も知らされず言われるままにサインをした書類が、編入手続きの書類だった――ということだ。いや、ちゃんとしっかり内容を読まなかったのがそもそも悪いのだが。それを言っても始まらない。もう遅すぎた。


 「ばっくれよう。朝が来てもベットから出ない。起きない。いつも通り、陽が高く昇ってから行動しよう」


 そうすれば編入の話は無かったことになるし、学院側から編入拒否――なんて可能性もあるかもしれない。むしろそうであってくれ。編入者本人に学院で魔法を習う意思が無いと分かれば、きっと無効だ。書類を机に放り投げ、揺らめく灯りに一息吹くと、暗闇に包まれた自室のベットへ潜り込む。

 ――目を閉じ、大きく息を吸い込んで吐き出して。うっすら目を開けると、いつの間にか朝を迎えていた。まだ数回しか吸って吐いてをしていないと思ったのに、どうやら知らぬ間に眠っていたようだ。


「おはようございます。レイジ様」

「おは――は?」


 朝が来て、目を開けた。視界に見慣れた執事が、おれの目覚めに合わせて綺麗な一礼をしている。朝一番からおれが昨夜考えた作戦に変更を加えることになろうとは。おれの考えることなどお見通しか。

 いやいやちょっと待て。いつもだったら部屋のドアを数回ノックしておはようございますだろう? それで反応が無ければまたしばらく時間を置いてドアをノックに来るか、支度を済ませたおれが下の階に降りるというのがいつものパターンじゃないか。なんで今日に限って目覚めと同時に部屋の中まで来て目の前で一礼しているんだ! 


「お目覚めですね、さすが、レイジ様。今日は学院の編入日。いつものように、遅くまでご就寝されるといったこともなく、このリール、嬉しく思います」


 開けた目を閉じ、リールから顔を背けるように寝返りを打つ。考えろ。昨夜の作戦通りとまではいかなくても、大筋には変わりないはずだ。このままもう一度眠ろうとすれば、自称寝坊助であるおれなら眠れないことはない。布団の温もりがおれに味方している。

 その温もりは、突然消えた。驚いて目を開ければ、満面の笑みで布団を引っぺがすリールが、そのまま布団を畳む。


 「さぁ、支度を整えましょう。今日は大事な、レイジ様の大事な日ですので」


 腕にタオルを掛け水の張った桶を目の前に持ってくるリール。頼むからその満面の笑みでおれを見つめないでくれ。心が痛い。だがこんなところで作戦失敗にさせるものか――


「うっ―く、腹が痛い」

「レイジ様、具合が優れないのですね?私が今すぐレイジ様の腹に潜む病の虫を、治癒してご覧にいれましょう」


 素早く机に桶を置いたリールの足元から、翡翠に輝く円形の魔法陣が展開される。こいつマジだ。咄嗟に腹が痛いと仮病を伝えてしまったが、何も異常のない体に治癒魔法を施されてはたまったものではない。


「あ、だ、大丈夫!」

「いえ、ご無理は体に毒。私が――」

「いやー!今日はいい天気だ!清々しい朝を迎えたら、お腹が痛いの吹き飛んじゃったなー!」


 作戦失敗だ。こうもあっさり思惑を挫かれるなんて思ってもいなかった。リール恐るべし。 

 ――結局、身支度を整え朝食を済ませたおれは、学院へ向かうべく外へ通じる屋敷の扉を開けた。敷かれた石畳の上を歩き、門に待機させられた馬へ手をかける。


「レイジ様、こちらを」


 振り返ると、リールがおれの愛用の長剣を両手で差し出していた。学院に行くだけだし必要ないと思っていたが、持っていて損はないだろう。剣を受け取り腰の後ろへ引っ提げると、リールはもう一つ、純白に輝くガントレットを差し出した。


「このガントレットは、レイジ様の実力の証。これから外出の際は、装備なさいませ」

「嫌いなんだよな。この籠手だけは」

「それが無ければ、レイジ様の実力を証明することができません。身分証のようなものですから」

「はぁ。わかったよ」


 手の甲から肘までをしっかり覆う、純白に輝く籠手を右腕に装着すると、おれは馬に跨った。手綱を持ち、屋敷へ視線を送る。多くの使用人たちがおれに向かって一斉に頭を下げた。

 こうなったら、ちゃっちゃと終わらせて帰ってこよう。手綱をはたき馬腹を蹴り、馬の嘶きとともにおれは屋敷を後にした。身に纏った純白のローブが風ではためく。手綱を握る手に視線を落とせば、純白の籠手が視界に入る。学院に行くのも嫌だけど、籠手を見るだけで嫌な気分がより重くなった。

 王立ヴァルセイド魔法学院は、屋敷から少し離れた場所にあるカイスという広い街の一角にある。なんでも、カイスが王都の麓にあり、魔法の知識を民衆に広く正しい形で伝えたいという王の意向によって、王都ではなく麓のカイスに学院を建設したのだとか。昔、城のお偉いさんに聞いたことがある。おれは別に、王都に学院があったほうがいいと思うんだけど。

 馬を走らせると石造りの大きな橋が見えてきた。馬を降り地に足をつける。橋を渡ればカイスだ。橋の下から聞こえる静かな川のせせらぎが心地良い。正面にそびえる大きな砦門を潜り抜けようと足を進めた。

 全身を白銀の甲冑に身を包んだ衛兵が二人、門を守るよう警備に当たっている。甲冑の胸元に竜の装飾が施されているのに目を細めた。こいつらは騎士団の兵士だ。視線を開門されている街中へ逸らし、兵士たちの横を通り過ぎた時、兵士は小さく声を上げた。


「見ろよアレ。アイツが悪魔の子って噂のレイジ=イーヴィルだ」

「マジっすか?」

「なんでも、闇の魔法を使うんだってよ」

「闇って、魔物じゃないっすか!」


 おれは歯を食いしばった。こいつらはワザと聞こえるように言っている。他になんと言われるのか気になるところだが、苛立ちを隠せない。身に纏ったローブのフードを静かに被り馬を引いた。

 視線を落とすと、頑丈な石畳から褐色の土を踏みしめていた。学院までの道のりで迷うことはない。このまま一直線に歩き続ければ、嫌でも学院に着く。どうも、さっきの事が頭の中で繰り返されてしまって、ちゃんと前を見て歩く気になれない。

 何がイーヴィルだ。勝手に人の名前を変えるなんて。闇を使うから、悪魔なのか? 闇の魔法は、ダークエルフが扱う魔法であることは文献でも見たし、実際に対峙して経験済みだ。けど――おれは人間だ。


「――はぁ」


 もう考えるのは止めよう。これ以上、気分を沈ませたくない。リールも言っていた。今日はおれにとって大事な日だと。編入は――不本意だが。いつまでも下を向いてばかりいられない。

 前を向き直った時、赤い果実を籠一杯に抱えて歩く少年に体が触れた。考え事をしていたせいでぶつかるまで子供に気がつけなかった。真っ赤に熟した果実が地にいくつも転がり、土を被ってしまった。

 果実についた土埃を右手で拭き、少年の持つ籠に拾っては入れる。最後の一つを籠に入れ戻した時、身長差のある視線が重なった。


「悪かったね」

「ううん、拾ってくれてありがと。お兄ちゃん」


 少年の柔らかい眼差しに、救われた気がした。

 少年の笑顔に元気をもらったおれは、今度はしっかり前を向く。周りの連なり立つテントで様々な商いをする露店が多いこの通りの先に、竜の彫像が飾られた学院の門が見えてきた。あれが、王立ヴァルセイド魔法学院だ。

 学院の門を潜ろうとしたとき、初老の男性がおれの引く馬を預かると声をかけてくれた。フードを取り男性に軽く頭を下げ馬を預けると、学院の建物を見上げる。

 先端の尖ったアーチは見上げるだけで首が痛くなるほど高く、所々に配置された竜と魔法陣の彫刻に、ここが魔法学院であることを強く認識させられる――とうとう来てしまった。門を潜った先の大きな噴水まで足を進め、縁に手をついた。噴水中央の水底に蒼く輝く魔法陣があり、そこから勢いよく噴き上がる水の雫が陽光に照らされる光景に見入ってしまう。


「受付に編入届を出せばいいみたいだけど、受付ってどこ」


 景観ばかりに見とれていたが――受付はどこにあるんだ。

 学院に着いたときはほとんど生徒と思わしき人々は見えなかったのに、もうすぐ授業が始まるのか、早足に校内へ向かう人の姿が多い。急いでる人を止めて受付を聞くなんて迷惑になるかな。そう思うとなかなか声を掛けることができない。


「どうかしましたの?」

「編入届を出す受付を探して――」


 親切に向こうから声をかけてきてくれた女性に振り返ったが、おれは途中で息をのんだ。女性もおれの顔を見て驚いているのか一歩二歩とすり足で下がり、瞬時に片手を胸に当てる。


「リ、リーゼ――なのか?」

「レイジ=イヴ=セリール。どうしてあなたが――ここに?」


 そう言葉を発したリーゼは、急いで口元を手で覆う。彼女はおれの、幼馴染だ。まさかこの学院で再会するなんて。学院の中庭を駆け抜けるそよ風に、彼女の綺麗で長いブロンド髪がふわりと波打ち背に舞った。

 彼女が口元を覆う右手には、漆黒のガントレットが装備されていた。


 「いや、この学院に編入することになっちゃって」

「――受付は校内に入ってすぐ左手にありますわ。私、もう行きますわね」


 足早に校内へ入っていく彼女の言葉は、どこか冷たさを感じた。とても久しぶりに会ったのに少ししか話せなかったけど、きっとまたすぐに会えるだろう。学院の編入はとても嫌だったが、悪くないかも――と思うのはあまりにも時期尚早か。教えてもらった受付に編入届を出しに行こう。

 ――編入の手続きは数分で終わり、手続き中校内に大きな鐘の音が響き、この鐘が始業を知らせるものだと受付の職員はおれに告げた。教師と思われる中年の男性が、配属先のクラスへ案内すると言い、赤い絨毯の敷かれた幅の広い階段を上っているのだが――


「レイジ=イーヴィル君。君は本当にすごい子だね」

「いやあの」

「その年で、純白のガントレットを付けているなんて。それだけでも驚きだよ」


 悪意は感じないが、嫌な気分だ。

 ガントレットは色によって意味が異なる。おれの持つ純白は、意味合いの中で最上位に位置づけされている色だ。なぜおれがその純白を所持しているのか、この教師はおそらくその理由を知らない。知っていれば明らかに態度が違うはずだ。階段が終わり廊下を少し歩くと、いくつかある扉のうちの一つを前に教師は立ち止った。


「ここが、配属先のクラスだ。簡単に自己紹介を頼むよ」

「はぁ」

「大丈夫。名前と、得意なことぐらいでいいさ」


 教師は扉をゆっくり開ける。教師に続いておれは教壇の前に立った。二人掛けの椅子と机に二十人程度の生徒たちの談笑が聞こえたが、次第に視線がおれに向かい、静かになる。得意なこと――まずい。


「編入生の紹介です。では、レイジ君」

「レイジ=イーヴィルです――よろしく」


 結局何も言えずに終わらせてしまった。が、これでいいだろう。そう思った矢先、最後列に座る女子生徒が元気よく挙手をした。

 長いブラウン髪で、ツインテールがとても似合う元気そうな彼女の瞳に少しだけ見惚れてしまったのも束の間。おれは彼女の隣の、空席を挟んだ所に腰掛けこちらに冷ややかな視線を送るリーゼの姿に視線を奪われた。


「セラが質問か。レイジ君、いいかな」

「は、はぁ」

「純白のガントレット所持者って、本当ですか?」


 彼女の問いに、静まっていた他の生徒たちが一斉に騒ぎ立てる。実力を証明するための、ガントレットはいわば身分証だ。おれはローブの下に隠れる右腕を胸の前に出した。


「はい。本当です。もう、いいですか?」

「ホントだ。凄い!リーゼさんより上位の――いや、最上位の色ですよ!」

「先生。私も、一つお聞きしたいことが」


 セラと呼ばれる彼女の問いが終わった矢先、ムッとした面持ちで挙手をするリーゼの顔がどことなく怖い。横に立つ教師を横目で見ると、それに気づいたのか教師は小さく、おれに頷くだけだった。

 自己紹介は苦手だ。名前と得意なことを言えばいいんじゃなかったのかよ先生! いや、確かに名前とよろしくしかおれは言っていない。だけどこの質問タイムはおれにとって公開処刑とも言える程につらい。


「このブルトア大陸で最上位の実力をお持ちのレイジさんが、どうしてこの学院に転入されたのですか?」


 はい、核心きた。おれが最も答えにくくて今一番聞かれたくない事はそれだ。周りの生徒たちから興味津々な視線を感じる。どうする、ありのままの事なんて話せない。だがここで沈黙を通す事なんて許されない。


「えっと、それは――」

「初心に帰って、魔法の基礎から学びなおそうと考えたからじゃないか?」


 思いもしなかった教師の発言が、おれの窮地を救う助言だった。だがその発言を聞いたリーゼの表情が曇ったのをおれは見逃さない。嫌な予感が脳裏をよぎる。おれが知っている昔の彼女だったら、素直にここで話を終わらすのだが。


 「私は、レイジさんに聞いておりますの」


 食いついただと。リーゼの返答に教師は咳払いで誤魔化すとおれの答えを待つように口を閉じた。おれの幼馴染はこんなに怖かったか? 落ち着け。今はこの場を切り抜ける。教師の助言、有効に活用させてもらおう。


「先生に言われてしまったけど、実はそうなんです。今までに多くの魔法を目にしてきたけれど、僕の魔法の多くは独学で得た魔法なので――改めて魔法の初歩から学びなおすべきだと思って」


 ウソ半分、真実半分。闇の魔法を教えてくれる人なんていない。そもそも闇を扱う人間に出会った事なんて一度もないんだ。魔法を覚えるのなんておれの場合は命がけだった。魔物と対峙した時しか得られる機会なんてないのだから。


「そうでしたのね――私の質問は以上です」

「それじゃあ、レイジ君の席は――セラの隣が空いているね」


 空席を指さす教師に従い、おれは指定された席へ腰を掛けた。

 左を向けば、一番最初に質問をしてきたセラが羊皮紙を取り出しながら笑みを浮かべている。さっきは少し離れた場所から彼女を見たけど、改めて近くで見ると可愛らしい。顔立ちが整っているし、とてもスリムだ。長いツインテールもよく似合う。全く乗り気のしなかった転入――悪くない。


「セラ=エリウッド。よろしくね、レイジ君」

「あっ、えっと――こちらこそ」


 やばい可愛い、その笑顔は反則だ。今までこんな子がおれの隣に居たことなんてあったか? 一つだけ言えるとしたら、声をかけてもらえる事なんて絶対になかった。しかも席が隣ってことは――もっと仲良くなれるチャンスだ。

 おれも筆記用具を出そうと机の右側に置いた手荷物に触れる。視線を上げたとき、彼女と目が合った。


「久しぶり――だな」

「そうね」

「何年ぶりだっけ」

「さぁ」

「あの――怒ってる?」

「別に」


 絶対に怒ってる。けど、何が原因かは不明だ。

 リーゼ=フィール。それが幼馴染である彼女の名だ。おれの本当の名前を知る限られた者の一人。彼女もまた、おれと似たような境遇に置かれている――彼女の扱う魔法属性、光によって。

だが闇のおれとは違い周りの彼女に対する扱いは別物だ。昔からその事が一番、おれは嫌だったし許せなかった。彼女が嫌いということではない。光の彼女は良くて、闇のおれは――

 講義を受ける事、約二時間。途中、小休止を挟みながら進められた講義の終了の鐘が校内に響く。この学院の講義は一日に一つ。昼少し前から自由時間となり、生徒たちは好きな行動ができる。下校してギルドで依頼を受けるのもよし、院内で鍛錬や学習に取り組むのもよし――それは昔から変わっていないようだ。


「レイジ君、このあとは何か予定ある?」


 帰り支度をするおれに、セラが声をかけてくれた。なんて積極的な子なんだ。いやいや、ただ単に転入したてのおれを気遣っているだけか。


 「ギルドを覗いて帰ろうと思っていたけど」

「そうなんだ。レイジ君この学院に来たばっかりだし、施設の案内とかどうかなーって思ったんだけど――」

「いいの?そうしてもらえると凄く助かるよ」

「もちろんだよ!お昼も一緒に食べるのも楽しいかなーって思って」


 可愛い子と絶対仲良くなれる急展開きた! こんな思いもよらないチャンスが訪れていいのだろうか。たまにはいいだろう。たまには。今までこんな事なかったし、いつも一人だったし――彼女の誘いに一つ返事で了承したおれは、早々に教室を出る。


「リーゼさんも一緒に行かない?」

「ごめんなさいセラ、私は教会でお祈りがありますの」

「あ、そっか。リーゼさん忙しいもんね」

「今度、埋め合わせしますわ。それでは、ごきげんよう」


 上品に挨拶を済ませたリーゼが、教室を出た先でセラを待つおれの前を通る。挨拶をと思ったが、目を合わすことなく彼女は素通りしていった。

 本当になんなんだ、リーゼのやつ。おれに対して明らかに態度が違い過ぎる。ここ数年、彼女とは全く会ってないし――王都レイノでも会っていない。普通、久しぶり、元気だった? とか、そういう始まりがあってもいいんじゃないのか? 

 そうこうモヤモヤした考えを巡らせていると、支度を終えたセラが教室から出てきた。


「お待たせ!」

「あぁ、大丈夫だよ」

「まずはどこ行こっか。今の時間だと、食堂は凄い混んでるから――訓練施設に行ってみよう!」


 訓練施設――懐かしい場所だ。学院の外にある転移の石碑に触れることで、魔法障壁が展開された特殊な訓練場へ即座に移動することができる。確か、院内の集団演習や模擬戦の会場になる場所だったっけ。

おれの思った通り、セラはおれを学院の外へ連れ出し、学院の裏手にある転移陣が刻まれた石碑の前へおれを立たせた。

 石碑に手をかざし、己の名と行き先を、声に出すことで転移が始まる。

 セラから何も説明を受けずとも、自ずと勝手に右手を石碑に向ける。ふとセラに目をやると、彼女は少し驚いた面持ちを浮かべていた。


「流石だね、転移陣を前にしただけで転移の方法もわかっちゃうんだ!」

「いや、これは――まぁ。大体はこんな感じがほとんどだから」

「へぇー、そうなんだ!それじゃ、行こっ!」


 おれとセラの全身が光に包まれる。ふわりと体が浮遊すると、即座に目の前の景色が変わった。上空に広がる澄み渡った青空、整備された褐色の大地。吹き抜ける爽やかな風が、少し伸びたおれの前髪を揺らす。

木々のない見渡しのいい平原だが、変わったところと言えば平原の四方を囲うように魔力の壁が展開されている。あの壁よりも外へでることはできない――ということだ。

 おれとセラは周りで剣術や魔法の鍛錬に励む多くの生徒たちを見渡しながら、展開された魔法壁の内側に足を踏み入れた。おれとセラの全身が再び光に包まれる。

 あれ、こんな光――昔はあったのだろうか。あまり思い出したくない過去の記憶を辿ってみたが、魔法壁の中へ入っても前はこんな現象は起きなかった。


「いまの光は?」

「ん?あぁ。今のはね、緊急転移の加護だよ。ほら、訓練とか講義中に、死傷者がでちゃうとマズいから――痛手を受けた人は、強制的に学院の医務室に送られちゃうの。その加護の光だよ!」

「なるほど、そういうことか。分かりやすい説明をありがとう」

「えへへ。それほどでも」


 確かに、学院内で死傷者が出てしまえば学院の名が落ちる。よく配慮された転移魔法だ。セラはこの学院に通うようになって、もう長いのだろうか。そんな疑問を浮かべながら彼女を見ると、彼女は友人を見つけたのか大きく手を振っていた。


「ねぇ、セラさん」

「セラでいいよー?どうしたの」

「じゃあ、セラ。この学院には――ンッ!」


 おれの背後から迫る気配がある。この気配は――殺気だ。

 腰の後ろへ引っ提げた長剣の柄を握りしめ、抜き放つと同時に首の後ろを守るように刀身を片腕で掲げる。ズシリとのしかかる重い衝撃、金属と金属がぶつかり合う鈍く甲高い音が訓練施設の平原に響いた。


「わわっ、ビックリ――って、レイジ君!?」

「ひゅー、やるねぇアンタ。強化魔法無しで片手で止めるとは驚きだぜ」

「いきなり背後から仕掛けてくるなんて感心しないな。誰だ」


 おれは振り返ることなく長剣の刀身を滑らせ、仕掛けてきた相手に剣先を向ける。

年はおれと同じぐらい。短い紫髪を刈り上げ片目に傷を負った逞しい肉体の生徒が、その体格に見合った大斧を軽々と振り回す。


「ロ、ロクス君――」

「ザコが気安く俺の名を呼ぶんじゃねぇよ。フィールの腰巾着」

「腰巾着だなんてそんな」

「あ?そうだろうが。ロクに戦えもしないザコが。転移させんぞ?」


 酷い言いようだ。いきなり襲い掛かってきたかと思えば、セラに――

 周りで鍛錬に励んでいた生徒たちの注目が、一斉におれたちに向けられるのがわかる。どうやら転入早々、いい事ばかりが続くはずがないか。

おれは、この男が許せない。おれを非難するならまだしも、非難の対象がセラに集中している。横目に彼女を見れば、怯えているというか、困っているというか――


「おら、なんとか言えよ腰巾着が」

「――あのさぁ」

「あ?いま腰巾着と話してんだろ」

「用がないなら消えろ――目障りだ。転移――させんぞ?」


 こういう脳筋タイプはこの一言だけで釣れる。思った通り、ロクスの表情が見る見るうちに怒りに染まっていくのがわかった。


「てめぇが、レイジ=イーヴィルだろ?最上位だかなんだか知らねえが、相手しろよ。フィールのクソアマも、ただただ逃げるだけでまともに戦いもしねえ。退屈なんだよ俺は」

「――リーゼが?っふふ、あっはは!」


 誰かと話をして、久しぶりに笑ったような気がする。

 このロクスに対しておれの怒りは消えていない。だが彼が言った、リーゼにまともに戦ってもらえていないという発言が、最初から相手にされていない事にすら気づけていないことが少し面白かったのだ。


「何笑ってやがる」

「可哀そうな奴だと思ってな。なら、おれが楽しませてやるよ。だけど、全力で来い」


 ロクスへ向けた切っ先を下げ、抜き放った長剣を鞘へ戻す。この程度の男に剣は不要だ。


「舐めてんのかてめぇ、マジで殺す」

「レ、レイジ君――まずいよ、この人!」

「すぐ終わる。セラ、下がって」


 大斧を突き出し、魔法の詠唱を始めるロクス。紅蓮の魔法陣が彼の足元に広がり、徐々に大きさを増していく。身体強化魔法に加え、攻撃魔法を同時に展開するつもりのようだ。見かけに似合わず器用な奴だ。通常であれば、魔法の詠唱は一つずつ行うはずなのだが。

 おれは静かに深く息を吸って吐き出す。おれの準備は整った。終わりだ。

 ロクスの大斧が頭上に振り上げられた。魔法が来る。おれの読みは間違っていなかったようだ。この瞬間におれは一足で間合いを詰め、突き出した右掌をロクスの胸に触れる。全意識を触れた右掌に集中させ、静かに正面へ押し出した。

 ロクスの体が瞬く間に発光する。光が見えた時、おれの目の前にロクスの姿はなかった。緊急転移が発動したようだ。


「――全力で来いって言ったんだけど」

「うそでしょう?今、何を」


 拍子抜けだ。戦いに飢えた戦闘狂といったイメージが強かっただけに、こうも簡単に消えてしまうなんて思いもしなかった。おれ自身、技に衰えは感じない。衰えて――たまるものか。ロクスへ触れた右手首を軽く回しながらセラの元へ戻ると、彼女が驚いているのがすぐにわかった。


「今の何!?」

「簡単に言えば、ロクスの中――内臓を壊した」

「な、内臓をって」

「説明が難しいなぁ」

「だって、すごい衝撃の波紋が見えたよ」


 セラになんと説明すればいいのか頭を悩ませるが、周りの生徒たちの視線が未だに向けられたままで落ち着かない。セラの居る場所から衝撃の波紋が見えたという事は、ロクスの背後に大きな衝撃が突き抜けたのだ。そして、その際に生じた波紋を周りの生徒たちも目にした――やり過ぎてしまったな。

とりあえずこの場を離れよう。セラ以外からも追及されたら面倒だし、そろそろ食堂も空いてくる時間だ。


「なるほどー!大体わかったよ」

「ふう、理解してもらえてよかった」

「レイジ君、明日からもまたよろしくね」

「こちらこそ。わざわざ色々教えてくれてありがとう」


 食堂で少し遅めの昼食を済ませたおれたちは、学院の正門で別れ帰路につく。正午を少し過ぎ、暗くなるにはまだ大分時間がある。これで屋敷に直帰するのはなんだか勿体なく思えた。全く乗り気のしなかった転入生活が、また――始まる。だが今回は違う。明日が楽しみだ。そう思えた。

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