第15話 出会い
「あぁ~…疲れたぁ――――――」
俺は思いっきし肩から脱力し、息を吐いた。
「もー先輩、疲れたとかわざわざ言わないで下さいよぉ…。こっちまで気が滅入って来るじゃないですか」
「疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた」
「この人ルゼさんより質が悪いですね…」
「まぁ大和さん、買い物が終われば後はホテルに戻って休むだけですから、もう少しですよ」
「ねぇお腹空いたんだけどぉ」
時刻は午後の三時辺り、俺達はアーヘン式の建物が立ち並ぶショッピング街へと出向いていた。
ゆりの建国宣言を聞いた後、なんやかんやと気になる事はまだあったのだが。
夕暮れ前にラーヴェンツの滞在中に必要な物資を購入しといた方が良い。とお開きになった。
楓にホテルへの案内と、近場のラーヴェンツ内の有名スポットを軽く案内された後にこのショッピングモールで楓とは分かれた。
リカルド達隊員の服装は目立つからと、警護隊は雅がホテルに置いてきたのだが、護衛も無しで良いのだろうか。
「私はこの後シエルの寮へと分かれる事となるので、私の分は私で買っておかないといけませんねぇ」
雅は今日から既にシエル学院の寮へと寝泊りするらしい。
俺達のホテルとはすぐ近くの距離にあるのだが、それでもリカルド達は心配していたな。
「私達はリカルドさん達の分まで買わないとですね。予算は楓さんから潤沢に貰いましたが、無駄使いしないように考えないと」
「ねぇ、その前にご飯食べよぉ」
ルゼが心の底から辛そうな顔をしてお腹を抑えている。
「俺も賛成だな。まだ碌な物を腹に入れていない。荷物が増える前に飯を済まさないか?」
「そうですねぇ、リカルド達には勝手にホテルで食事を取って良いように伝えてありますし、先にラーヴェンツの食を取材してみましょうかっ」
そうして俺達は手近な店へと足を運んだ。
―――――――――――――――
――――――
「ふむ、多少重めな気はするが悪くはない」
俺はカレーに外れは無いと思い。カレーのような物を頼んだ。
牛肉をメインにしたスパイシーなビーフシチューといった感じだったが中々に美味である。
ルゼが頼んだ料理は肉を煮込んだものに、ソーセージを和えたなんともカロリーとメイトな物だった。
肉に肉を添えるとは…。まぁ、一心不乱にかぶりついている所を見るに気に入ったのだろう。
あぁっ、服に飛び散ってるだろうが全く。
俺はお手拭でできるだけ染みにならないよう、ルゼの服からうまく汚れを拭き取る。
まぁ、今ルゼが着ているのはあの服屋のお化けさんから買ったような高級な物では無いので、洗濯機にぶち込めば良いのだが。
「大和さんはルゼさんのお母さんみたいですね」
「せめて姉と言ってくれないか」
「いや、先輩それもおかしいでしょう」
と、こんな感じで馬鹿げた話をしながら先程まで俺達はラーヴェンツを歩きまわった。
ゆりの話についてもっと考えたかったのだが、いきなり得た情報量が多過ぎるのだ。
謎の龍に襲われた後、黒の書の事だけではなくラーヴェンツの建国宣言。
その宣言の先駆けとするのが俺達らしい。だからラーヴェンツは俺達を歓迎していたと言う訳だ。
留学に関してもこれからの良いサンプルになるかもしれないと。
「まぁそれにしてもお三方、とりあえずは今日は本当にお疲れ様でしたっ。私は明日は学院での手続きを済ますそうなので昼は会えませんが、その間、皆さんはゆっくりと休息を取ってください。できれば役割もしっかりこなしつつですがっ」
雅が俺たちに与えた役割、とりあえずは自分の変わりに町を取材しろとの事だ。
まぁようするに、どんな町なのか情報を集められるだけ集めておけって事だろう。
だが最低でも十日は滞在するのだ。ぶっちゃけ明日ぐらいは気にしなくて良いだろう。
「先輩、明日ぐらいは別に良いだろとか考えてません?」
「まさか、そんな事は無い。お前のジャーナリスト魂は俺がしっかり引き継いだよ」
「人が死んだように言うの辞めて下さいよ…。全く」
食事を済ませた後、雅は寮へ、俺達はホテルへ戻った。
一応俺達はお客という事だろうか、アーヘン式の中でも一際豪華な作りの建物だった。
部屋割りは、菜乃が一人、リカルド達が、えーとリカルドと吉村、日向野とリシトだったかな。
リカルドの部隊は横文字と漢名が入れ乱れて覚えずらいな…。
まぁここまでお世話になっているんだ。それはしっかりと覚えておくことにして。
本当は一人一部屋で良かったのだか、襲撃された時に備えて。と彼らは二人一部屋となった。
俺は久しぶりに一人で寛ごうとしたのだが、部屋のオプションに付いていたのだろうか、何故か悪魔と一緒の部屋にされてしまった。
皆疲れていたのか、昼間の件も殆ど話し合う事も無くすぐさま床についた。
流石のルゼも今回ばかりは疲れたようで隣のベットですぐに寝てしまっていた。
まぁこいつの場合はマイペースなだけかもしれないが…。
俺は枕が変わるとあまり寝付けないんだよな…と思いつつベットに倒れると予想以上の心地良さにすぐに意識は遠のいていった。
―――――――――――――――
――――――
微かな振動が伝わってくる。
その時点で既に理解してしまう。
――――――あぁ…またこの夢か。
俺は今車の後部座席にいる。
前の席にいる父が運転し、母は助手席に座っていた。
これは大分昔の出来事だ。どこへ行くかなんてとうに忘れている。
だが思い出したとしても無駄だと言う事もわかっている。これは夢だし、夢だろうがそこに辿り付く事は無いのだから。
―――――――――――――――
――――――
目が覚める。
カーテンを見ると淡く光を受けている。
どうやら日は昇りきっていないようだ。
隣のルゼを見ると未だにぐっすりと眠っている。
良かった。こいつに今寝起きを見られると色々と面倒だ。
俺は静かに顔を洗い、歯を磨いてベットへと戻る。
「他所の枕だからか…?」
眠りが浅かったのだろうか、予定していた時刻よりも大分早くに起きてしまった。
今の内に着替えでも済ましておこうか、と思った矢先にある物を思い出す。
「そういえば…持って来てたな…」
いつもジョギングでお世話になっている服。
ルゼが着ている物に似た。紺と白のジャージだ。
「……」
俺はそのジャージに着替え、心配かけないようルゼの顔に「出かける」と書置きを残し。
静かに部屋を出た。
―――――――――――――――
――――――
「おぉ…」
清々しい朝、とはこれの事を言うのだろう。
空気はまだひんやりと冷たく。起き抜けの体には心地が良い。
朝日が昇り、空に色が付いていく。朝焼けが澄んだ川にも反射し、
町を照らして行くその様は幻想的だった。
俺は昨日楓から案内して貰った川沿いを走っていた。
人気の場所と言うだけあってかなり綺麗な場所だ。
自分以外に人がいないのが不思議なぐらいに。
「ん?」
人がいないと思っていたが、正面から白のジャージ姿の人が走って来る。
どうやら今まで人を見なかったのは、たまたまだったようだ。
楓は町中を出歩いて構わないと言っていたが、今更本当に外出して良かったのか不安になってきた。
一応俺達は客人扱いなんだし、まさかいきなり刺されたりはしないと思いたい。
女性か…。
白ジャージの人と距離が近づいて来た。
だからどうって事も無いが。物騒な想像をしたせいで少し身構えてしま…
「………」
一瞬。俺は思わずそれ以外の言葉を失った。
雰囲気でなんとなくは気づいていた。
だが顔を認識できる距離まで近づいた時、俺はその一つの言葉を思い浮かべる事しか出来なかった。
―――――――綺麗だ。
今までに見た事の無い。凄まじい程の美人。
何の変哲も無い黒髪のショートに、どこにでもありそうなジャージ姿。それなのに俺は初めて自覚する。
見惚れてしまった。
菜乃と雅も相当な物だが、なんというか…違うと言うか…。
「っ…」
俺が動揺している間に女性がさらに近づいてくる。
向こうも俺を見ているようだった。
ま、まずい。もしかして俺、挙動不審だったか? 不審者だと思われたか?
嫌だ。初見でそんなイメージをされるのは嫌だ!
ここは、あれだ。あれしかない。必殺、普通の挨拶だ。
普通に挨拶できる人が普通じゃない、じゃないはずが無い。
横切る寸前に普通の挨拶をするんだ!
「おはようございますっ」
「っ……」
うぉおおおおおっ。
少し声が力み過ぎてしまった気がするっ。
なんかちょっと、変な反応してた気がしないでもないと言うか、
まず返事無かったしっ。
終わった…終わったんだ。
俺にできる事は、最後にもう一度彼女の姿を拝むだけ…と俺は後ろへと振り向いた。
「え――――いぃっ!?」
「ぁ…」
振り向くと女性はその場に立ち止まり、此方を見ていた。
俺が予想していたのは、走り去って行く彼女の後ろ姿だ。
それがまさか俺を凝視しているなんて思う筈もない。
だが、今一番予想していない行動をしてくれたのは俺自身だった。
「…痛い」
こけたのだ。振り向きざまに足を縺れさせて。
あぁ……そのまま死んでしまえば良かったのに……。
女性に視線を向けられただけで動転してこけるとか…とか…。
きっと彼女は関わりたくないと足早に逃げって行ったに違いない。
俺が自分の存在を無かった事にする方法を頭の中で検索していると。
「大丈夫…ですか…?」
俺は既に死んでしまったのだろうか。女神が手を差し伸べてきた。
「えっと…すいません。目の前で急に転んじゃいまして…お恥ずかしい」
俺は彼女の手を素直に取り、立ち上がった。程よく柔らかかった。
「いや、私も驚かせてしまったみたいだ…それに…先程はすまなかった…」
先程? 俺がこける前に何かあっただろうか。
「君の挨拶を無視してしまったから…」
そういうことか。わざわざそんな事を気にするなんて…ルゼや雅にも、このお淑やかさを見習って欲しい…。
「気にする事は無いですよ。俺が勝手にしただけですし。いきなり喋りかけられたら驚く人だっていますよ」
「ああ、この時間にまさか私以外の人がいるとは思わなくてな…挨拶までされるとは思わなかった」
「? こんなに良い場所なのに人が来ないんですか? 朝のジョギングコースとしては最高だと思うんですけど…。まさか…朝は一般人は立ち入り禁止とかだったり!?」
「いや、そんな事はないのだが…。君は、どこから来たんだ…?」
まずい、田舎物と即バレてしまったようだ。
ここは正直に話した方が良いか? あまり口外するのも良くないだろうか?
と言うかラーヴェンツの一般市民に俺達の事がどれだけ伝わっているかわからない。
正直に話して面倒な事になるのも嫌だが、なによりこの人に嘘を付くのも気が引ける。
「すいません。実は俺あんま遠くへ出歩かなくて…まぁ引き篭もり気味だったんです。 だからここらへんに来たのも初めてで…なんか不味かったですかね…?」
嘘はついていない。志咲からは出た事など無かったし、志咲内ですら買出しや、たまの仕事以外で自分から積極的に出歩いた事は無かった。
しかし、引き篭もりってちょっと情けない響きだよな…幻滅されただろうか。
「そうだったのか…それにしては程よく鍛えられているように見えるが、何か運動はしていたのか?」
体を見られた事に少しドキッとしてしまった。
というかジャージの上からでもわかるのか。
「ジョギングが祖父の日課で、子供の頃から俺もずっと真似してたんです。まぁ最近は色々あってサボり気味だったんですけどね…」
俺の場合は惰性と、睡眠を取りやすくする為に、朝と夜に少しばかり走っていただけだ。
これだけで鍛えられていると言われても、なんだかむず痒くなり俺は頬を掻いた。
「その手…」
「ん?」
彼女の視線は俺の手に向けられていた。
赤い。先程こけて手を付いた時に擦り剥いたようだ。
ヒリヒリするなとは思っていたが、予想以上に深く真っ赤になっていた。
「ローストビーフみたいですね」
「何を言ってるんだ君は…。付いて来てくれ、近くに私が住んでいる寮がある」
「え……えっ? 寮って… もしかしてシエル学院の? というか今付いて来てって聞こえたような…」
「ああ、そうだ。ここはシエル軍学院とは近いからな。私にも責任はある。そこで手当てしよう」
「いや、流石に寮に入れるのは不味いのでは…」
「客人を迎えてはいけないと言った決まりは無い」
「そうではなくっ。今日会ったばかりの見知らぬ男を部屋に入れるのは危ないんじゃ…」
「君は危ないのか?」
…俺はテスタメントを操るルゼと菜乃と雅の姿を思い出す。
あれに比べたら…。
「ただのローストビーフです」
「ならば問題は無いな」
彼女はそう言って微笑んだ。
正直、怪我をさせたからと言って男を部屋に上げるのはいささか、いや大分心配になる行為だが、
まぁ、俺が無害で紳士である事は、俺自身が一番よく知っているので今回は甘えさせてもらおう。
「ありがとうございます。…あ、えーと、俺は十義大和って言います。十の義理の十義と、大和魂の大和です」
そういえば名前をまだ聞いていなかった。
思わず自分の漢字まで教えてしまったあたり、俺は相当に浮ついているのかもしれない。
「私は……ゆに。ゆにと呼んでくれて構わない。ひらがなで、ゆにだ」
ゆに…苗字では無い…偽名?
でも、構わないって事は名前だろうか、
ゆに…ゆに…ゆにさん。
「…どうかしたか?」
「いや、良い名前だなと」
「…そうか」
―――――――――――――――
――――――
俺達はそのまま、ゆにさんの寮へと行く事となった。
正直俺は喋り下手だと思う。
俗世には疎いし、気の利いた言葉を言える自信も無い。
だが、俺の中で相当な物が溜まっていたのか、ゆにが聞き上手なのか、俺が口を開く事は止まらなかった。
「ルゼの奴文句ばっかなんですよ。人がせっかく用意してやってるのにイチャモンばっかりつけやがって。不用意に外食させたのがまずかったのかも」
「でも君はその、ルゼと言う妹とずいぶん仲が良いみたいだな」
「まぁ、腐れ縁と言うか妙に気が合う部分はありますが…だからその時は大根おろし機と冷蔵庫の奥にあった賞味期限切れのこんにゃくでルゼに……お? シエルグランデ。ここがゆにさんが住んでる寮なんですね」
ゆにから事前に聞いていた寮の名前、シエルグランデと書かれた、表札を目にする。
見た目は高級マンションと言った感じだ。
「ま、待ってくれ、大根おろし機とこんなにゃくで君は妹に何をしたんだ」
「ははは、まぁ大した事はしていませんよ。そんな事より凄い大きさですね…。学校の寮とは思えない…本当に学生だけが住んでいるんですか?」
「あ、ああ、私が住んでいる階には他に人はいないが、それ以外はシエルの学生だけで埋まっている」
「へぇ…」
志咲の寮もあれはあれで立派だが、此方とは比べ物にならないな…。
あれ? そういえば…シエル軍学院って女子学院だったよな?
これは女子寮って事になるのか?
でもリデルメントを持ってる奴らの中には男性もいた筈だよな…。
「ゆにさん、シエル学院って最近共学になったりしたんですか? 俺が聞いた話だと女子学院って聞いてたんですけど」
「いや、君の言う通りシエルは女子しかいない。男子は最近設立されたシエル第二軍学院で学んでいる。女性と男性ではマナの特性や量が違うからな」
なるほど、雅が言っていたマナの扱いは女性の方が長けているって奴か。
確かに、それならば訓練の内容とかも違ってくるのだろう。
こんな他愛の無い話をしながら俺達はエレベーターで六階へと上がり、ゆにの部屋へと入った。
見た感じは…普通だ。
普通と言っても、リビングには立派なソファが置いてありキッチンも大きい。
一軒家に一人で住んでいた俺が言うのもなんだが、一人暮らしだとかなり持て余しそうだ。
それにしても、初めて女性の部屋に入るというのは…なんかこう、来る物があるな…。
「救急箱を持ってくる。そこに座っておいてくれ」
「はい」
俺は言われたとおりソファに座り、カレンダーが目に入った。
そういえば今日は平日…この後ゆにさんは学院に行くのだろうか?
なら、あまり長いことお邪魔するのは不味いよな…。
「待たせた。手を出してくれ」
ゆにが救急箱を机に置き、俺の隣へと座る。
ち、近い。
「あ、あの、今更ですけど…すいません平日のお忙しい時に…」
「…? ああ、学院の事か? それならば心配いらない。今日までは休みだからな」
「それはそれで最後の休日を邪魔してしまったような…でも、あの場所。学院が休みなら他にも生徒とかがいても良さそうですけどね」
まだ早朝とはいえ、未だにゆにさん以外の人と一人も会っていない。
あの川沿いにだって生徒どころか人一人いなかった。他のラーヴェンツの人間は基本朝が弱かったりするのだろうか。
「すまない、少し語弊があった。学院が休みではなく、私だけが今日まで特別に休暇をもらっていてな。他の皆はもうしばらくしたら登校するだろう。…少し沁みるからな」
なるほど。と自分を納得させる前に意識をしっかりと保つ。
何故なら、ゆにが俺の手を取り治療を始めたからだ。
凄くあったかいです。
このままずっと触っていたい。
だが、これはあくまでただの治療行為だと自分に言い聞かせる。
そういえば、治療行為と称して不埒な行為をする本って結構多いよな…。
やばい、何を考えているんだ俺は。
「よし、よく我慢したな。偉いぞ」
ゆにの手の感触を味わいつつ煩悩と激闘するも、勝てる筈もない負け戦だと気づき、硬直した俺を見て痛みを我慢していたのかと思ったのだろうか、
ゆには消毒を終えると、「頑張ったな」と俺を子供をあやすように褒めてくれた。
そうか、俺はこの人の子供だったのだ。
「まぁ…。この時間にあの川沿いに人がいないのは私のせいなんだ」
「ゆにさんの…? あぁ、一緒にいると自分の存在が霞んで自己嫌悪に陥るとか? 女生徒だったらそう言うのも気にするのかもしれませんね…」
「ん? 君は私の立場を知っているのか?」
「ゆにさん程の美人はいないでしょうから、皆比べられたくないのでは?」
「……何を言っているんだ君は…私は別に…。いやまぁいい、そうでは無く私の立場が学院で少し特殊な物でな。ん…そうだな…、簡単に言えば…簡単に言えば… ちょっと成績が良い人だ」
「本当に簡単だ」
「いや、まぁ、ただの学校ではなく軍学院だからな。成績上位者は軍を担う存在になる可能性が高い。そうなると周りからの扱いも慎重になる。先程のように朝のトレーニングを邪魔しまいと、私が使う時間帯にあの川沿いに人は来ない。私が住んでいるこの寮も、同じ階には私以外人は住んでいない。ありがたい話だが、買い物に行けば店の人にも気を使わせてしまってな…少々難儀な部分もある」
それは…ちょっと成績が良いだけでそこまでされる物なのか?
ラーヴェンツにとって軍の存在は大きい。それ故の配慮なのだろうか。
ゆにはそれをありがたいと言ったが…。
「じゃあ、普段出掛ける時とかどうしてるんです?」
「日課のジョギングだけはさせてもらっているが…大した用が無い限りはあまり出歩かないようにしている。無駄に気を使わせたくないからな」
「なるほど、じゃあせっかくの休日ですし俺と少し出掛けませんか?」
「……君は人の話を聞いていたのか?」
ゆには少し戸惑った後に、目を少し細くして俺を睨む。
先程の母性の塊ようなゆにさんから一転、出来の悪い弟を睨むかのようなお姉ちゃんのようだ。
そしてなんと一転しても母性はそのままじゃないか。最高かよ。
「用があって出掛ける時はどんな格好で出掛けてるんです?」
「学院の制服だが…それ以外は部屋着とジャージぐらいしか持っていないからな」
「あぁ…やっぱり…」
なんとなく、だろうと思った。この人は俺と同じで服とかには無頓着な気がしたのだ。
「少し変装して出掛けてみません?」
「変装? 正体を隠して出歩けと言う事か…? 今までそんな発想してもみなかったが…。簡単に出来るものではないだろうし…バレたら大変だろう」
「制服じゃなければ良いんですよ。それに多少怪しまれたって良いんです。軍の制服で行けば自分を軍の人間と扱えと主張しているような物でしょう? たとえ身分を隠している事がバレても、隠しているって事が伝われば、わざわざ相手も表に出して騒ぎ立てる必要も無くなると思うんですよ」
「ふむ…」
「それに一人だと目立つかもしれませんが、友達を連れ立って行けば多少は視線をごまかせるかもしれません」
「友達か…」
「だから俺とちょっと出掛けて見ません? バレたらゲームオーバーって事で」
「ゲームか……ふふ、わかった。せっかくだ。君の案に乗ってみようじゃないか」
―――――――――――――――
――――――
「んん……んー…あでぇ…ヤマト…?」
隣のベットで寝ている筈のヤマトがいない。
トイレ?
「これヤマトが着てた服…もしかして先に朝ごはん食べに行ったのかな」
ずるい、とりあえず顔を洗って私もご飯食べにいこう。
私に内緒でおいしい物食べてるかもしれない。
ん? なんだろう。鏡を見たら顔にゴミが付いている
手で擦っても中々取れてくれない。
あれ、え、これって…。
「ぎにゃあああああああああああああっ!!」
―――――――――――――――
――――――
「そういえばゆにさん。ホテルに置いてあるマジックペンって油性でしたっけ?」
「ホテルの筆記用具事情は私も知らないが…それがどうかしたのか?」
「いえ、大した事では無いです。はいこれ」
「これは…」
俺達はホームセンターのような店の角に身を潜めていた。
まだ早朝と言って良いこの時間、俺の中ではどこも店はやっていないだろうと思い。
一度帰って変装の衣装を準備する予定だったのだが、
ゆにから、このホームセンターと商店街の出店は既に営業していると聞きそのまま飛び出してきた。
「これは、サングラスか?」
「スポーツサングラスです。この店にあって良かった。ジャージとニット帽とこれなら顔を隠しても不自然じゃないでしょう?」
「どうだろうか」
「物は試しですよ。まさかいつも制服のゆにさんがジャージで出歩いてるとは思わないでしょうし。俺がいればジョギングついでに出店を楽しんでる二人組みと思われるかもしれません」
「ふむ…まぁここまで来てしまったのだ。やるだけやってみよう」
「じゃあ、さっそく向こうの商店街の方に行ってみましょうか。朝飯も食べてないですし」
商店街の方に行くとゆにが言う通り、確かに数多くの出店が並んでいた。
早い時間だと言うのに人通りもそれなりにある。
スーツ姿がちょくちょく見られるのは出勤ついでに朝食目的で訪れる人達らしい。
ホームセンターの開店時間といい、ラーヴェンツの朝はかなり早いようだ。
「ホットドック二つお願いします」
「……」
ゆにと一つの出店に目を付けて並ぶ。
これまで周りの反応を見るに気づかれていないようだ。
だが、ここは念の為ゆには声を出さず。俺が一緒に注文する。
「はいよ、800ルイスね」
単純に一つ400円と考えたら、志咲の物を基準に考えても、クオリティからして妥当か安い方だろう。
俺はカードだけだと不便だろうからと、個別に渡されていた小遣いで支払いを終える。
決して多くはないが朝食の一つや二つ買うぐらいには痛手にならない。
さっと店を離れ、早速ゆにに紙に包まれたホットドックを手渡した。
「はいどうぞ」
「すまないな… お金は後で払う」
「いいんですよ。今日は俺が付き合わせているんですし。治療もしてもらいましたからね。そんな事より食べてみたかったんでしょ? お味の方はいかがでしょう」
「あ、ああ…」
少し腑に落ちない顔をしながらもゆにはホットドックにかぶり付く。
ずっと前から出店の料理は気になっていたらしいが。今まで食べた事が無かったらしい。
「ん、おいしい…すごくおいしいぞこれは…!」
頬を膨らませながら、感嘆の声を出すゆにを見た後に俺もホットドックへとかぶりつく。
「んんっ、これは確かに美味い…ここまで本格的なのは初めてだな」
志咲で小腹満たしに冷蔵品を買った事があるが、まるで別物だ。
ピクルスの存在意義に疑問を抱いていた時期があったが、このホットドックに使用されている物はかなりおいしい。
ソーセージ自体もジューシーでまるで比べ物ならない。
まぁ志咲にも探せば美味いホットドックがあるのかもしれないが、今の所俺の中ではラーヴェンツが圧勝だ。
「店の人にも周りにもバレてませんでしたね」
「うむ…そのようだな」
先程の店主や周りの客を見るに、不自然な反応はしていなかった。
今こうして歩いている俺達の周りの人も、特にこちらに反応している素振りは見られない。
「次は何食べましょう?」
「まだ行くのか!?」
「もしかして、もうお腹いっぱいですか?」
「そうじゃないっ。あまり長居するのも不味いのでは…」
「気にし過ぎですよ。それに一人だとすぐお腹いっぱいになっちゃいますけど、今なら分け合って色々な物を楽しめますよ?」
むむむ、とゆにの悩ましげな表情がサングラス越しでも読み取れる。
本気で悩んでいる所見るに、相当この商店街の出店に来てみたかったのだろう。
「じゃあ…も、もう少しだけ…」
ゆにの弱々しい言葉とは対照的に、俺は嬉々として次の出店へとゆにを連れ立った。
俺自身もこう言った買い食いは、あまりする方ではないので中々にテンションが上がっている。
そのテンションに任せ俺達は、ポテトにケバブ、タピオカミルクのような飲み物やソーセージの盛り合わせなど色々な出店を回った。
二人で分け合ってるとはいえ、そろそろ腹も膨れてきた所だ。
「ん? あれは…」
俺と同じで今まで味わった事の無かったジャンクフード達に、満足気だったゆにさんが足を止める。
視線の先には少し変わった出店があった。
「小物やアクセサリーみたいですね。せっかくだし見ていきますか」
「あ、ああ」
店主は一人の老人だった。
顔は白い髭で覆われており、まるでサンタクロースのようだ。
「いらっしゃい…。ゆっくり見ていってくれ」
俺達以外の客はいない。
平日の朝、流石に出店で小物を見る時間も無いか…。
「これはガラスか? こんな綺麗な物があるんだな…」
ゆにさんはガラス細工のアクセサリーや置物をまじまじと見ていた。
その中にはウサギや魚の動物を再現した物や、小さなガラス玉の中に綺麗な模様が描かれた物。
細部まで作られた城の置物など様々だ。
「凄いですね。芸術とかには疎いが…これは惹きこまれるな…」
俺とゆにさんが精巧なガラス細工に魅了されていると、
サンタクロースが静かに笑う。
「はっはっはっ。そこまで熱心に見てもらえるとわしも作った甲斐があるよ。気になるなら触って間近で見てみると良い」
ゆにさんは言われた通り、一つのアクセサリーを手に取った。
ピンクのガラスで作られた花形のペンダントのようだ。
一体どうやって作ったのか、花びらの中にガラスで描かれた模様が乱反射を起こし幻想的な輝きを放っている。
ゆにさんはそれを少し見た後に、他の作品にも手を伸ばした。
どれも魅力的な物ばかりだ。
「ふむ……流石にここまでの物を見せられ、見物に来ただけ。と言うのは忍びない。店主さん。この中で何かお勧めはあるだろうか」
確かに、このまま何も買わずに帰れば、ただの冷やかしになってしまう気もする。
「ふむ…お勧めとは…変わったお客さんだ。こういうのは自分が気に入った物を買うべきじゃぞ?」
「そうか…すまない。こういった物を買うのは初めてだしどれも見事でな…。私の中では決め難い。参考までに聞かせて貰えないだろうか」
「なるほど。それならば…そうじゃな、最近希少な素材が手に入ってな。それで作った物なんじゃが、これなんてどうじゃ?」
サンタクロースが掲げた物は漆黒のブローチだった。
黒い月型の石に金色の装飾が付けられた高級感がある作品だ。
石自体もただの黒色ではなく、景色が映りこむほどの鏡面仕上げになっており、
まるで宝石のような出来栄えだ。
しかしどこかで見た事があるような……あぁ、あれか。
「もしかして黒陽石ですか?」
俺はラーヴェンツに着く前に拾った黒曜石を思い出す。
ここまで綺麗に加工された物を見るのは初めてだが、光を強く反射する漆黒は黒陽石の特徴その物だ。
「ほぅ。よくわかったな。普段はあまり取れず、わしら一般人には降りて来ない品なんじゃがな? たまたま運よく手に入ったんじゃよ」
「黒陽石…………」
ゆにはそのペンダントじっと見ている。
その無表情からは何を考えているのか読み取れない。
この店には値札が無い。もしかして値段の心配をしているのだろうか。
「とまぁ、わしのおすすめはこれじゃが、こういった物にはもう一つ買い方がある」
「買い方?」
ゆにがサンタの声に反応を示す。
「大切な人に選んでもらうんじゃよ。ほれ、君はこのお嬢さんに何が似合うと思うかね?」
「え、俺!?」
じいさんからの唐突な無茶振りに俺は度肝を抜かれる。
いや、連れに選んで貰うってのは確かにありかもしれないが…。
大切な人って…このじいさんはジャージ姿の俺達の事をどう見ているんだ…。
「………」
俺は無言でゆにの方を見る。
俺などが意見してよろしいのだろうか。
「そうだな。今日は君のお陰でここまで来られたんだ。君が選んでくれないか?」
「ならこれで」
「はやいなっ!?」
俺が選んだのはゆにさんが一番最初に手に取った。
ピンクのガラスで作られた。花形のペンダントだった。
「それは…何故それなんだ…」
「ゆにさんもこれ気になってたでしょ?」
「いやまぁ…確かにそうだが…流石に私には派手過ぎるというか…」
「そうですかね? 可愛くないですかこれ? 凄い綺麗だし。結構似合うと思うんですけど」
俺はペンダントを広げ、ゆにの首に合わせて見てみる。
うむ、ジャージ姿でもアクセサリーが似合うとは、ゆにさんは素晴らしい。
「だからそう言う可愛いのは私には…」
「まぁ、ゆにさんが嫌なら勿論他ので良いと思いますけど」
「嫌とは言っていないっ。店主さん、これを貰おう。いくらだ? もし手持ちで足りないのであればすまないが取り置きはできるだろうか?」
ゆにも一応手持ちはあるようだ。
まぁジャージのポケットを漁っている所を見るに俺と同じで潤沢とは言えなさそうだが。
ふむ…ゆにさんは自分でお金を払う気まんまんだが。
こういう場合は選んだ手前と男である俺が払うべきではないだろうか。
というか、払いたい。払わせて欲しい。
俺の気まぐれで、ここまで付き合わせているにも関わらず、大したお礼もしていないし。
そしてやはり自分がその人に似合うと思った物を相手に贈りたいと言う純粋な願望がある。
が、ここで問題。俺のポケットマネーはいくらあっただろうか。
結構な量を買い食いしてしまった。
硬貨の重みはいくらかポケットから感じるが、大した金額では無いことは確かだ。
正確な金額を知ろうと、ひっそりとポケットに手を伸ばす。
これは…不味い…。
「ゴホンッ…うーーむ、そうじゃなぁ、はて? それは何円だったかのう?」
まさかの値段忘れだと…?
いや、相手も商売人だ。
これはかなりの値段を吹っ掛けられるのではないだろうか…。
「ゴホンッ えーとどうじゃったかなぁ…1300…ゴホンッ」
1300ルイス!? や、安いっ。でも足りないっ。
もっと。もっと下がってくれっ。
「1000~だったかな…ゴホンッ」
ぬおっ!? いっきに安くなった!? 後ちょいっ後ちょいっ。
「9…? ゴホンッゴホンッ」
おおっ? お? お?
先程からサンタが急に咳き込むようになり気になっていたが、何か不自然だ。
何故か咳き込む度に俺の顔をチラチラ見ているような気がする。
まさか…このサンタクロース様は…。
俺が支払える値段を探っている!?!?!?
いや、まさか、そんな事が!?
でも、このサンタクロース様の視線は俺の手を入れたポケットにチラチラと移動している。
間違いない…この人は俺に、男である俺に払えと言っているっ。その為の状況を今用意してくれているっ!
俺は静かに決意を固める。それを読み取ったサンタクロース様は小さく頷く。
そして口を開いた。
「800」
「買いますっ!!」
「なっ!?」
つい力んでしまった。これではまるで競りにでも参加したかのようだ。
だが俺はそのまま、ゆにに有無を言わさずサンタクロース様にお金を手渡した。
「ほっほっほ、確かに800ルイスじゃな。いやぁ良かった良かった。そのペンダントは購入者が誰かに送る事を想定して作った気がする一品でな。本懐を遂げられてそのペンダントもきっと喜んでいるじゃろう」
サンタクロース様の気の利き過ぎたフォローが入る。
これでゆにの逃げ道は絶たれた。
「ゆにさん。これは俺から今日のお礼って事で」
「待て待て待て、流石に悪い。ただでさえ食事の代金を払って貰ったのに…これ以上甘える訳には行かない」
「良いじゃないですか甘えても。せっかくだし今日ぐらい押し付けられてください。まぁ、勿論無理して受け取らなくても、このペンダントと俺が、今日の夜に涙で枕を濡らすぐらいで問題は無いですけど」
「嫌な言い方をするな君は…」
「贈り物なんて結局送る側の自己満足なんですよ。受け取るのも俺の為だと思って諦めて下さい」
俺は手にしたペンダントを強引に差し出す。
ゆにはそれを渋々と受け取った。
「そこまで言うのならば……。だが…いずれこの借りは返すぞ」
まるで敗戦したかのような言い草をするゆには、
ペンダントと少し見つめてからしっかりと握ると
「―――――ありがとう、大和」
と、サングラスを少し持ち上げ、笑顔で俺にそう言った。
ガタンと音がした。
見ると店主が少し身を乗り出し、座っていた小さな椅子がズレていた。
「お、お前さん…まさか…」
不味い。今のでゆにの素顔を見られたか!?
サンタクロース様の視線はずっとゆにに向けられている。
「ねぇ、あの人…」
「え、流石に違うと思うけど…でもちょっと似てるかも」
後ろから若い女性二人の声がした。
振り向くと、ラーヴェンツの旅装基地で見たリデルメントを持っていた者達と同じ制服を着ている。
あれはシエル学院の制服だったか?
そうか、今日はゆにさんが休みなだけで学院は今が登校時間。
周りを見ると彼女ら以外にも制服姿の女生徒がチラホラ見える。
しかも最初の二人の視線に釣られて、どんどんゆにさんに視線が集まっている気がする。
「………」
チラとゆにを見ると固まって動かなくなっていた。
まさか自然と一体化してやり過ごす魂胆だろうか。
しかしこの状況になってしまっては、もはややる事は一つしかない。
「すいません。俺達はもう行きますっ」
俺はサンタクロース様への言葉と同時にゆにの手を握る。
「なっ、大和っ!?」
ゆには驚きのあまり自然との一体化が解除される。
そのハッキリとした声を聞いた為か、サンタクロース様の表情も驚きの物となった。
「待ってくれ! もしかしてそっちの方はっ」
「よく言われるかもしれないし、人違いの可能性もあります! あ、あと今日の事は一生忘れませんっありがとうございましたっ!!」
恩人に嘘は言いづらく、中途半端な事を言って頭を下げてから、俺はゆにの手を引いてこの場から走り去った。
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