第3話 狂気
「これおいしいわねっ!」
「…」
店、いや…廃墟を後にした俺達は昼飯を食べる為にレストランへと入った。
ルゼはカレーが気に入ったご様子でガツガツ食べている。
見かけによらず、ほんとによく食べる奴だ。
「なぁ、さっきのあれ、なんだったんだよ」
「あへぇってなぁに?」
「飲み込んでから喋りなさい…さっきの服屋だよ」
「さぁしらない」
それだけ言うとルゼはまたカレーにがっついた。
奇怪な現象事態なら目の前に悪魔がいる。
こいつに聞けば何か知ってると思ったんだが、何も知らない所か興味すら持っていない。
たまたま買い物した服屋が実は廃墟でした。だなんてを体験をしてしまった俺は、
混乱したまま適当に頼んだシーフードパスタを一口食べる。
こんな状況で味なんてわからな…美味い。
ろくな物食べて無かったからなぁ…。
「死体に悪魔に廃墟に…。この夢はいつになったら覚めるんだ…」
「んんっーおいしかった!」
はえよ。
早々に食い終えたルゼのせいで、味わう暇も無く自分のパスタを平らげた後、買出しを終えた。
色々な物に目移りし、興奮するルゼを連れての買い物は中々に大変だった。
自前で持ってきたエコバックが満タンだ。これからはもうちょっとこまめに買い出しに出よう。
「むぅぅぅん、んっん! んんーーっ!!」
「なんだよ、さっきからその、私は怒ってるますよアピールは」
「勿論、怒ってるからこそ怒りを表現してるのよ!」
「こっちは一日の激動で疲れてんだから言う事聞いてくれよ…」
帰り道の途中、ルゼはずっと膨れっ面だった。最初は機嫌よく買い物についてきていたのだが、
最後にふと俺の趣味で寄った家電屋が駄目だった。
ルゼがマッサージチェアにハマり、テコでも動こうとしないのだ。
無理やり引き剥がそうとすると
「いやあああああああっ! やああああっ! やっ! 変体エッチィイ! いやあっ! やっ!」
といった感じで駄々をこねる。マッサージチェアを買う無駄金など無い。
金髪の幼女と平凡な学生の俺達を、周りはどんな目で見ていたんだろうか。
頭が痛い。
「あぁ、もうわかったよ。アレ買ってやるから機嫌を直してくれ」
「あれ?」
俺は移動型のアイス店を発見した。
無駄な出費だがしょうがあるまい。子供には甘い物が一番だ。
「ホレ」
「わぁこれアイスね! 何年ぶりかしらっ…いただきます!」
物騒だが血のイメージが湧いたのでグレープ味を頼んだ。
それを満面の笑顔で舐めるルゼ。
ちょろいものだ。
「さて、用は済んだし帰るぞ」
「ふぇええ、もうちょっと遊んでいこうよー」
「また今度な」
今日は買い出しに来ただけなのに、もうすぐ夕方になりそうだった。
無駄な時間を消費してしまったと考えていると、遠くから音が聞こえる。
パトカーのサイレンの音だ。
最近物騒だな。と朝のニュースを思い出すが悪魔を引き連れている俺が言えた事では無い。
荷物はいっぱいだし、平日に金髪幼女を連れているのは嫌でも目立つ。
それに一度帰って状況を整理したい。
さっさと帰るのが吉だな。
―――――――――――――――
――――――
「うーむ。こうゆう時、他の人ならどうするだろうか…」
ルゼが予想外にも、アイスをチマチマと舐め大人しかったので、
俺は帰る途中に状況の整理と、これからどうするかを考えていた。
「こういう場合ってお約束の展開があるはずだよな…俺が漫画の主人公だったらどうする…?」
「ねえ」
「確か、こんな時、可愛いヒロインが現れて導いてくれるはずだ。なんの接点も無いのに向こうからコンタクトしてきて、悪魔をどうしたらいいか解決策を教えてくれるそんな素敵ヒロインが…」
「ねぇってば」
「でも実際無いよなぁ…向こうから声を掛けてくれるなんて展開。俺がイケメンで、特殊な能力を持っていて世界を救う使命を持っているー…なんて事があるわけ無いもんなぁ…」
「ヤマト!!!」
びっくりした。
いつの間にかルゼがアイス食い終わってる。
「なんだよ、急にどうした」
「さっきからずっと呼んでたわよ!」
「わかった、わかった。電気屋ならまた今度連れてってやるから今日は大人しく
「それはもういい! いやよくないけど! そうじゃなくてっ!」
情緒不安定な悪魔だ。これ以上何を欲すると言うのだ。
贄か。
「ねぇ…なんか変な感じしない!?」
「漏らしたのか?」
「殺すわよ」
「すいません」
「なんか空気がおかしいって言うか、変な感じ…ヤマトはしない?」
「いや、特には…」
周りを見渡してみるが、いつもと変わった様子は無い。
人気の無い山岳道のいつもの帰り道。
どこかおかしい点と言ったら俺の隣に悪魔がいる事なんだが。
「あそこから何か変な感じがする」
ルゼが指指したのは俺達の出合った廃施設だった。
――――――――――――――――
――――――
ルゼがどうしても気になる。と言うので俺達はまた廃施設に立ち寄っていた。
いや、俺ももしかたら、ルゼが俺の見つけた死体に反応したのでは? と思ったからだ。
二度も見たくないが、あれが気のせいだとは思えない。
真相を確かめる為にも俺は覚悟を決め歩を進める。
「変わったところは無いな…あの部屋も見当たらない…。本当にここに何かあるのか?」
「わかんない。けど…こっち」
「そっちは特に何もなかった筈だが…」
薄暗い道をスタスタと歩いて行く
すると道の様子が明らかに変わっていた。
「おい、壁が斬られてるぞ…」
壁には大きな傷があった。
鉄製の廊下に無数の斬り跡がついている。
以前ここに来た時はこんなもの無かった筈だ。
「ここ」
俺が鋭い切り口の断面に注目していると
道を曲がった先でルゼは扉の前に立ち止まった。
「ここがどうかしたのか? ここも特に何も無かったと思うぞ?」
元は何かの制御室だった部屋だと思うが、よくわからん機械があるだけで中にはめぼしい物など無い。
考えている内にルゼが扉を開けて入っていく。
すると、部屋の中央に何かが落ちている事に気づいた。
「ん? 本か? なんでこんな所に…」
それは黒の分厚いカバーに金の装飾が施された一冊の本だった。
大分前の事だが、俺がここを探索した時には無かった物だ。
と言うことは、俺以外にもここに来ていた人物がいた事になる。
「誰かの落し物か? …ん? タイトルの文字これ何語だよ」
誰かの日記とかだったら悪いな。と思いつつも少しワクワクして本を開いてみる。
「全く読めん…どこの国の文字かもわからん」
とんだ拍子抜けだ。俺は一ページ目で読むことを放棄し適当にパラパラとページを捲る。
「これ誰かの日記みたい」
「え、お前これ読めるのか?」
ルゼは俺の横から興味深そうに顔を覗かせてくる。
こいつ、お嬢様なだけあって英才教育を受けていたのか?
これより頭悪いってなんか悔しいな。
「んー…最初のページと後のページとは書いてある文字が違うみたい。1ページに私のこれまでを記す。とかなんとか書いてあったわ。そこしか読めなかった」
「変わった日記だな。読める場所はどこの国の言葉なんだ? 学校にあまり行ってないとはいえこんな文字は見たことがな
言いかけた俺に何かがぶつかるような衝撃が走る。
いや、実際にぶつかったのだ。
ルゼが俺にいきなり体当たりをかましてきやがった。
何故か鈍い音と共に床に叩きつけられ、エコバックの中身が散乱する。
「なああああああっにすんだ! んんんんっ!?」
先程俺がいた場所には、大人一人よりもでかい氷柱のような物が鉄製の床にぶっ刺さっていた。
ルゼが庇ってくれなければ、確実に色々とぶちまけて死んでいただろう。
「…は、はい? 一体なにが」
「ヤマト! 扉の方に誰かいる!」
俺はルゼに起こされると、入ってきた扉に目を向ける。
すると深くフードを被る。黒いローブを纏った何者かが、
黒い杖のような物を此方に向けている。
その黒い杖が淡く光だす。
先端は確実に此方を向いていた。
「やばっ、ルゼこっち来い!」
俺の第五感が明らかに危険と告げている。
あれは紛れもなく殺気って奴だ。
状況が飲み込めないが、とにかく逃げた方がいい。
咄嗟にルゼの手を引き、入り口の反対側へと走る。
こちら側にも扉はあった筈だ。
すると俺達が立っていた場所に、またもや、ガンッと鈍い音と共に巨大な氷柱が突き刺さる。
「やばいっやばいっやばいっ。なんだあの物騒な兵器は!? ていうか俺が何したっ!? 死体や悪魔は見つけても、命を狙われるような事俺はなんもしてないぞ! 現れたのはヒロインじゃなくて敵だったって事か!?」
扉を開けて全力で曲がり角に入る。
施設内の道は大体覚えている。
複雑な道を経由してこのまま外に出ようっ。
外に通じる道に差掛かろうとした途端、壁に氷柱が刺さる。
「嘘だろ…」
自分が考えうる一番複雑な道を全力で走ってきたのに。
後ろには先程の黒ローブが杖を構えていた。
俺は急いで切り返し、別の道へとルゼを引っ張る。
「ねぇヤマト! あいつ倒さないの!? やられっぱなしはムカつくわ!」
「はぁ!? 何言ってんだよ! お前、あんなのどうしろってんだよ!」
杖を振るって氷のような物をぶっ放す。
なんだよあれ、悪魔の次は魔法だってかぁ!?
あんなもん掠っただけでも致命傷だぞ!
「やべぇ…ここどこだ」
必死に走りすぎて完全に道が分からなくなった。
ここはまだ二階のどこかだ。
来たことはあるはず、冷静に思い出せ。
走りながら見覚えがある目印を必死に探す。
広い通路をひたすら走る。記憶にある場所だと安堵した瞬間には、
それが失敗だったと気づいた。
「まずい…ここはずっと直線だっ」
後ろを振り向くと案の定黒ローブが杖を構えていた。
今度は先程までとは違い、杖の周囲にも光が浮いている。
光から無数の氷柱が出現する、先程よりは小さいが数が多い。
「くそっ!」
俺はルゼを引き寄せ、咄嗟に抱きしめて壁際ににしゃがみ込んだ。
氷柱が数本頭の上を通り過ぎた感覚がした後、
一本は右腕を掠って通り抜ける。
「いっつぅぅ…っ」
「ヤマト!」
痛い、痛い、痛いっ。 ここは俺に任せて早く行けっ。なんて格好をつけたかったが、
それ所じゃない。まじで痛い。
ちくしょう。こんな時、漫画だったら俺の隠された未知のパワー目覚める筈なんだが、ちぃーっともそんな気配は無い。
黒ローブは構えたままだが、攻撃してこない。
何故か俺達の様子を伺っているように見える。
MP切れか? 肉弾戦でも勝てる気はしないぞ。
やはり選択肢など一つしか無い。今が好期と逃げる為、ルゼを引っ張ろうとしたが、気づけばルゼは数歩先に立って黒ローブを見つめていた。
次に氷柱をぶっ放されたら確実に避けられない。
「お、おいル
こんな時に耳鳴りがした。
先程までの騒音を忘れさせるぐらいの静かな響きが体中に駆け巡る。
声が出せない。その場の空気が無くなったかのように無音になっていた。
「ねぇ、なんなの貴方。いきなり、なんなの」
だがその場に一つだけ声が響く。
一瞬誰の声だかわからなかった。
ルゼにしてはあまりにも低い声だったので一瞬理解が遅れる。
「ねぇ、なんなの、ねぇ、ねぇねぇねぇねぇねぇ」
「…っ」
黒ローブがルゼの声に身じろぎする。
我に返ったかのように杖を構えなおす。
「ねぇ、もしかして貴方もアレ達と同じなの? じゃあ死んでいいよね」
意味不明な事を呟きながら、ルゼが右手を構えた瞬間。
黒ローブが杖を振るい、雷のような閃光がルゼに放たれた。
「ルゼッ!」
だが、雷は炸裂音のような音と共にルゼから弾かれ、
撥ね返った雷は、黒ローブの足元を焦がす。
「フフフ、じゃあ次は私の番。フフッ…アハ、アハハハハッ! 死んじゃえっ!」
ルゼが叫んだ瞬間、背中から翼が大きく広がる。
そして、周りには血でできたような巨大な氷柱が何本も浮いていた。
その物騒な殺意の塊は、黒ローブが最初に撃ってきた氷の氷柱よりも一回り大きい。
「あれ…こんな物だっけ? なんかおかしいけど…まぁ死ねばいいかぁ」
「…なっ」
流石に黒ローブも声をあげる。この直線の通路ではあれを避けられる筈がない。
「死ね」
ルゼがサッと手と振ると血の結晶が黒ローブに放たれる。
一本でも当たれば間違いなく即死の一撃だ。
ズガンッと鈍い音と共に、結晶が鉄製の廊下を突き破っていく。
予想されるのは黒ローブが悲惨な姿で絶命している未来。
だったが。
「あれ…?」
血の結晶は黒ローブには掠りもしなかった。
途中で軌道を変えて周りの壁に突き刺さったのだ。
黒ローブは氷の壁で身を守っていたが、当たった場合どうなっていたかはわからない。
「おかしいな…コントロールできない…いつもより小さいのしか作れないし…。なら、これでいっか」
今度は両手を出すと、ルゼの目の前に赤黒い光が集まっていく。
それがルゼの何倍もの大きさにゆっくりと広がっていく。
「…!」
顔は見えないが、黒ローブが青ざめたような気がした。
あれをぶつけられたらどうなるのか想像したくもない。
「お、おいルゼ、流石にそれはやばいんじゃないのか!?」
「大丈夫、すぐあいつ殺すから! ん? やっぱりおかしいな…全然集まらない」
駄目だ。完全にイッちゃてる奴だ。
どうやら何かがルゼの琴線を完全に切ってしまったらしい。
「死んじゃえっ!」
ルゼの手から巨大になった光弾が放たれる。
黒ローブはさらに氷の壁を作り、身を守る準備をするが、
あれで守りきれるのだろうか。
着弾後、耳が壊れるかと思う程の爆発音と共に衝撃が押し寄せる。
煙が巻き上がり、鉄の焦げた臭いが漂う。
―――――――――――――――
――――――
黒ローブが出した氷の壁では、防ぎきれなかったのでないか。
あまりの衝撃に、先程まで自分の命を狙っていた敵をつい心配してしまう。
段々と煙が晴れていき、予想された地獄絵図が垣間見えると思ったその時。
「…あれ?」
この場にそぐわないルゼの可愛らしい声がした。
ルゼが呆然と床を見つめている。
そこには巨大な穴が開いており、その向こう側には、氷の破片の中に黒ローブも呆然と立っていた。
外れた!?
「いや、そんな事より!」
「うわっ!?」
無駄な事を考えるよりと、衝撃でまだ震える体を動かし、ルゼの手を引き寄せしっかりと抱える。
抱えると言うより、これは所謂お姫様抱っこと言う奴だ。
そしてその状態のまま、ルゼが開けた穴へと飛び込んだ。
「イッテェ…」
着地に鉄製の床の感触を靴越しに感じながらも、すぐに走り出す。
よくわからないが、ルゼの攻撃が効かなかった以上は逃げるしかない。
幸い、開いた穴の先は見覚えのあるルートだった。
ここからなら、すぐに外に出られる。
「うおおおおおおっ!!」
本日二度目の全力疾走だった。
―――――――――――――――
――――――
「だらしないわねぇ」
「う、うるふぁい…」
ルゼを抱えながら施設の外に出たはいいが、そこで自分の体力が底を尽き、
丘道を下る頃にはルゼには腕から降りてもらった。
満身創痍でルゼを人気がある噴水広場まで引っ張って来たが、吐きそう。
「うーん、それにしてもなんでだろ。おっかしいなー」
ルゼは手を伸ばしながら、何やらぶつぶつと喋りだした。
その仕草には見た目相応の可愛らしさがあり、先程鉄製の床をおぞましい光でぶち抜いた本人とは思えない。
「さっきのは一体なんだったんだ…まさか魔法ってやつか? それとあいつ誰なんだ…」
「さぁ? あいつが誰かは知らないけど、私が使ったのは魔法だよ? なんかうまくいかなかったけど」
「まさにファンタジーだな…しかし何で俺達が狙われなきゃならない」
そこでふと気づく。
ギリギリ上着のポケットに入った廃施設で拾った黒い本。
この本が関係しているんじゃないだろうか。もしこれがあいつのポエム帳か何かだとしたなら納得が…いきはしない。
どう考えてもやりすぎだ。
家に帰って心を落ち着けたいところだが、俺の家は先程襲われた施設の方角だ。
しかも家に来られたら逃げ場は無い。
ひと気も無いし。
遠くでゆっくりと沈んでいく夕日が目に入る。
夕焼け色に染まる空と町並みが、ざわついていた心を少し落ち着かせてくれた。
「…手持ちも無いし…仕方ないか」
あまり気乗りしないが野宿するわけにもいかない。
こんな時だけと思うが…非常時中の非常時だ。許してくれ。
「ヤマト? 難しい顔してどーしたの?」
「いや、ちょっとな。家にはあいつが来るかもしれないし、一応別で行く当てがあるからそこに向かう」
「私は家でもいいけど」
「家をぶっ飛ばされるのはごめんだ」
―――――――――――――――
――――――
アグレア地区 中央部 志咲学院
この街にある数少ない教育施設の一つであり、
大学以外の小、中、高、の校舎全てが、ここの学院長の所有施設である。
その中でも一際大きいのが、中央部に立てられた高等部だ。
小、中までは各エリアに小さな校舎が用意されているが、
高校からは、この街に一つしか無いこの校舎に通う事になる。
因みに大学もあるのだが、学費が高い事と一握りの天才みたいな奴が行く物好きの集まり場みたいな物だ。
「って感じの所だな」
「ふーん、つまり学校って奴ね!」
「簡単に言えばそうだな。昔は建物が世界中に広がっていて、もっとたくさんの学校があったらしいが…。昔はともかく、今は行く価値もほんとんど無いけどな」
「なんで? 色々勉強する場所なんでしょ?」
「まぁ、小中学校は最低限の教養を学ぶ為にも行った方が良いのかも知れないが、高校で学んだ事をこの世界で活かせるかって言われたら俺は無駄だと思うね。例えば歴史とか、滅んだ世界の事とか聞かされても今更どうしようもないし、結局専門的な事を学びたければそれに関わる人に教わるしかない。昔はどうだか知らないが俺はそこまで重要とは思えない」
「こらっ、子供になんて事話してるんですか貴方は!」
ルゼと無駄話をしながら夕暮れに染まる廊下を歩いていると
後ろから突然怒られた。
「佳代さ…あー、学院長、丁度よかった。今学院長室に会いに行こうと思ってたんです」
後ろを振り向くと、長い茶髪を後ろで纏めたスーツ姿の美人が頬を膨らませて立っていた。
結構なお年の筈だが、腰に手を当てて怒りを表しているポーズがやけに可愛らしい。
「貴方また失礼な事を考えてるでしょう!? というか先程いつもの聞き捨てなら無い事を言っていましたね!? いいですか? 学校は教養を学ぶ為だけでは無く、知識を蓄えそれを人の生きていく道に役立てる為にあるのです。例えば歴史です。過去の偉業や過ちを振り返り、自分ならどう生きていくかを先人達に学ぶのです。そして培った知識はきっと貴方達の助けとなり、それを人は受け継いで進化して行くのです」
また始まった。この目の前で可愛らしくプリプリ怒っているのが、志咲学院の学院長、神野崎佳代である。
昔から家族ぐるみの付き合いで両親と祖父が死んでからも、ちょくちょく俺の様子を見に来てくれる。
学院長と言う立場もあって不登校気味な俺に、よくこうして説教をしてくる…まぁ優しい人だ。
別に俺だって学校が全くの無駄だとは思っていない。
人と接するだけでも、行かないよりは行った方が良いだろうし、知識もあって困るものではないだろう。
街の中心エリアなどの発展が著しい場所の就職には、学院での成績も考慮されてくるそうだし。
だが少なくとも俺には必要ない。
学ぶ先人は自分で決めるし、人の進化とかより今の自分で精一杯だ。
それに俺にはやりたい事が決まっている…と言うより俺は
「ところで、その子は誰なんです? それに会いに来たって…こんな授業の終わった時間に来るなら連絡の一つぐらいしてください。私がいなかったらどうしたんですか…」
「それも含めて色々お話がありまして…」
いなかったら、それはそれで都合が良かったとは言えない。
「久しぶりに学校へ来たと思ったら…。はぁ、わかりました。とりあえず学院長室で話しましょう」
―――――――――――――――
――――――
コトン。
「んー? なにこれ?」
淹れたばかりの熱いお茶から、湯気が出ている様子をルゼが不思議そうに見ている。
「おや? 緑茶は初めてですか? ここらへんでは主流の飲み物なんですよ? 初めて飲む方には少し苦く感じるかもしれません。あ! そうだ、お茶菓子がまだ残っていた筈ですのでそれを出しましょう。甘い物と一緒にいただけばおいしいですよ!」
「甘いものは欲しい!」
「ふふ、少し待っていてくださいね」
先程から妙に佳代さんがルゼに興味津々な気がする。
やけに笑顔だ。
いや、普段から笑顔が多い人だが、いつもより母性チックな物が溢れている気がする。
「ところで、貴方のお名前はなんて言うんですか? 私は神野崎佳代。この学院の学院長を勤めています」
「私は、えーと…なんだっけ」
「ルゼ。こいつの事はルゼでいいです」
むぅ、とルゼがこちらを睨んできたが、こやつの長ったらしい名前など聞いても誰も覚えられないだろう。
本人だって忘れてるし。
そんな事より早く話しを済ませたい。
「とりあえず、そのですね。今日はお願いがあって来ました」
「貴方からお願いですか…なんでしょう」
俺が少し真剣な顔をすると、きちんと佳代さんは話を聞く姿勢になってくれる。
普段はボケーっとしているように見えるが基本は真面目な人なのだ。
「前に学院の寮で生活しないかと声を掛けてくれましたよね? 今日、その寮を使わせて貰うことって出来ませんか?」
「寮を? …それは、その子と関係が?」
「はい。実はですね…」
俺は真剣な顔から少し深刻そうな顔にシフトチェンジする。
実際深刻な為、これは決して芝居では無いのだが。
「ルゼは俺の妹なんですよ」
「………は?」
「…ズズ」
佳代は今ままでに見せたことの無い、訝しげな表情で固まっている。
ルゼは事前に話しを合わせてあるのだが、何故か今は、綺麗な姿勢でお茶を飲んでいる。
お茶が熱いのか、顔がほんの少し赤くなっている気がする。
「いや、勿論見たとおり俺達の血は繋がっていません。ですが、実はですね…親父には親友がいたんですよ。その親友には一人の娘と奥さんがいたんですが、奥さんは早くに病気で亡くなってしまい、少ししてから本人も病気で亡くなってしまったんです。残された娘を親父が引き取って、少しの間家族として暮らしたんですが、その子の、なんやかんやあって今まで姿を出せなかった親戚が現れて引き取っていったんです。その引き取られた子が、今ここにいるルゼなんですよ」
「ええ!? そんな話お二人からも、おじいさんからも聞いたことないんだけど…」
「まぁ、佳代さんに会う前の話ですし色々シビアなんで…仕方ないですよ」
「そ、そうね…まぁ簡単に口外していい事じゃあないわよね…それで、なんで親戚に引き取られたその子がここにいて、貴方は寮を借りたいのかしら? もしかして家出…?」
「親戚も病気で亡くなったので俺の所に来たそうです」
「病気流行り過ぎじゃない!? 大丈夫なの!?」
「まぁ運が悪かったんですよ。それで寮を借りたい理由なんですが、水道管が駄目になっちゃいまして、今あの家、水が使えないんです」
「あぁ…あぁ…そうゆう事、そうゆう事ね」
大分無理があったと思うが、なんとか納得してくれただろうか。
普段あまり嘘をつくような性格では無いし、佳代さんを騙すのは実に心が痛む。
許してくれ…今は非常時なんだ。
「うーん、でも、その…歳が離れているとはいえ、男女を一つの寮に住まわせるのはちょっと…」
「なるほど…学院長はせっかく再会した俺達兄弟を引き離すおつもりなんですね…」
「え!? いや、そうゆうわけじゃ…」
俺は俯いて少し涙声にする。
「俺が…学院に来ないから…学院長の言う事を聞かないからって…あんまりじゃないですか…!」
「ちょっちょっとっ!! 違うのよ! 別に意地悪したいわけじゃなくてっその、兄弟といっても血がね…? 繋がってないわけだし、もしかしたら間違いとかも起こったりなんてー…って思って」
「間違いってなんですか。間違いってなんですか!」
「いや、あの、それはやっぱあの、雄しべと雌しべがキャベツの畑で…」
「もっと具体的に教えてください!」
「えぇっと、それは…うぅ」
「因みに俺達は一緒に風呂場に入るぐらいの仲です。兄弟なんだからおかしくないでしょう?」
「お、――――お風呂!?」
これに関しては嘘は言ってない。
だが佳代さんの頭の中ではきっと違う光景が浮かんだのだろう。顔が真っ赤になっている。
兄弟じゃなくても、別にこんな幼女となら気にしなくて良いだろうに。
「わかりました…そうですね。兄弟ですからね兄弟ですからね! …問題ない。問題ないはず…」
大事な事なのか二回言った。
胸に手を当てて深呼吸をし、ボソボソと自分に自己暗示を掛けているように見える。
「では、家の修理が終わるまで特別に寮の使用を許可します。これからも正式に使うとなると、ルゼちゃんの事もありますので…それはまた今度話合いましょう」
「はい、それで構いません。ありがとうございます」
こうしてなんとか宿を確保した。
因みにルゼは、相変わらす熱そうなお茶を静かにずっと飲んでいた。
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