第7話

 クロッカスは順調だった。着実に草丈も伸びていき、蕾もつきはじめていた。もうすぐ春だ。クロッカスが咲くのも目の前だ。


 この日、ヨルは掃除当番と日直の仕事があるから、朝のうちにクロッカスの世話を終わらせた。と言っても、今晩は雨だから水は与えず、重たい鉢植えを東屋に移動させただけだった。クロッカスの葉は濡れない方が良い。花壇のを守るのは無理だから、せめて鉢植えの彼だけでもと、ヨルは朝早くから庭へ来て、手を泥塗れにした。


 夕方。誰もいなくなった教室。掃除を終わらせて、同級生は帰っていった。一人残ったヨルは日誌の欠席欄にネリの名前を丁寧に丁寧に書いた。

 一年生でいられるのも、あと一日。とうとう来なかったネリ。

 明日はネリが来てくれたら良いのだろうけど。


 ヨルは、静かに日誌を閉じて、先生へと届けて、そのまま寮へと向かった。


 翌日。深夜に降り出した雨が降り続いていた。それでも、修了式を終えてた頃に雨は止み、薄く空は光っていた。ヨルは少しワクワクして、庭へと向かう。もしかしたら、クロッカスが咲いているかもしれない。そう思うとネリに会えなかった凍りついた虚無感も少しだけは和らぐ。


 庭には二人の生徒がいた。ゼナとルイだった。短いスカートに、首や腕にアクセサリーを着けて「遅いわよ」なんて笑う。

 二人がいることよりも、ヨルは二人の足元に散らばるネリのための花たちの死体に、脳天を撃ち抜かれたような衝撃を受ける。


 「クロッカスが……」


 なぜ立っていられるかわからないくらい、体の力が抜けていく。

 真っ黒な世界の中、散らばって土に汚れたクロッカスが息絶えている。頑張って咲こうと膨らんだ蕾の鮮やかな色だけがぼんやりと浮かんで見える。


 「雑草でも育ててるのかと思ってたわ」


 花壇に立って、ゼナは咲きはじめた黄色い花を踏みにじった。クロッカスの首が無惨にもげて、土の中に埋もれた。


 「あなたって、何しても面白くないのよね。せっかくみんなから公認の玩具になってくれたんだから、もっと楽しませてくれないと」


 「そんなものになった覚えはないわ」


 目頭と鼻が熱を持つように熱く、辺りいっぺんが見えなくなる。憎悪と悔しさで、体の中がうずく。跳ね回る心臓が口から飛び出してきそうだ。


 「ゼナ、ヨルってば泣いてるわ」


 ルイがヨルに顔を近づけて、笑う。偽物の花の香りが鼻につく。息苦しい。


 「あなたのスイッチはこれだったのね。一年の最後に良いもの見れたわ。これで、良い春休みになりそうよ」


 ゼナの赤い口が不気味なほど釣り上がり、弧を描く。

 二人分の醜い嗤い声がネリのための庭に響いた。

 気持ちが悪くなる。耳障りだ。

 彼女たちはヨルを通り過ぎて庭を出て行く。


 どうして、彼女たちは罪ばかり犯すのだろう。


 ヨルは倉庫脇に立てかけられているシャベルを手に取り、去っていくゼナの後頭部へそれを振り下ろした。ゼナが呻き声を上げて地面に倒れる。それを見たルイが悲鳴を上げた。うるさいから、そんなものは潰してやろうと、ヨルは彼女の喉を目掛けてシャベルを突き刺した。



 ──やっぱり、彼女たちは骨の髄まで毒されていて醜い。


 空は再び陰る。ポツポツと静かに雨が降り始めた。唯一、植木鉢のクロッカスは──ネリが最初に植えて欲しいと言った場所に植えた彼だけは──奇跡なのか、無事だった。

 ヨルは、死んでしまったクロッカスたちの火葬を終えて、東屋に行き、紫の蕾をつけた彼に話しかける。


 「本降りになる前に終わらせられて良かったわ」


 汚れた指先で、紫の蕾に柔らかく触れる。ふわりとした感触が気持ち良い。


 「あなたは……ネリはわたしの宗教。わたしの宗教を邪魔する奴は、誰だって許さないわ……」


 雨は強くなっていく。ヨルは、東屋の冷たい煉瓦の床の上に座り、クロッカスに寄り添って雨に煌く庭を眺める。東屋の外に放り出された汚いシャベルが、濡れて鈍く光っていた。

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