第2話
◇◆ 2 ◆◇
騒音には慣れている。慣れてはいるが気分が悪い。梅村亮は重たい鉄塊を押しながら、カメリア兵士として、煩い戦場を突っ切っていた。工場の騒音は全く平気で、勤続三ヶ月で慣れてしまったのにここはダメだ。
断末魔混じりの轟音と機械のモーター音では、やはりわけが違うか。船上で経験した地獄絵図とは比べ物にならない惨状にあの時の事を思い出しかけたが、それは駄目だと踏みとどまって、ついさっきレゼアに教わったばかりの火薬の化学式をひたすら脳内で暗唱して気を紛らわせた。
「なかなかやるなぁ、ウメムラ! 君、極東の兵士あがりかい?」
「煩い喋るな集中させろ」
同じ鉄塊――簡易榴弾砲を押す首輪仲間の賛辞すら強引に断ち切って、亮はひたすらに進み続けた。同じ黒髪の、名前は確か……
昨日入ったばかりの新人のくせに、さっそく先輩相手に生意気な口を利くという狼藉を働いた亮だったが、それを気にしていられるほどの余裕はなかった。集中力が切れてしまったときのことは考えたくない。今は糸一本で繋がっている危うい感覚で、それが切れてしまえば、直ぐにでも発狂してしまいそうなほど切迫しているのをひしひしと感じ取っていた。
やはり自分の本質など、切羽詰まらなければわからないものだ。予てより自分は良心に欠けており、更には失感情症気味な男だと思っていた。実際、榴弾砲の操作に集中さえしていれば他はなにも気にならず、侵攻中に転がる遺体を踏みつけても平気だった。
だがそれは半分正解で半分間違いらしく、少し残念な思いをしている。もし本当にそうだったら、こんな自責の念など一切感じず、火薬の化学式暗唱なんてしなくても容赦なくぶっ放し続けられていたはずだ。
それに、昨日のこともある。自分があれほどに取り乱し、気落ちするなど思ってもみなかった。今までどおり淡々と、与えられた職務をこなす。ただそれだけだと思っていたのに。
指揮を執るレゼアの声に耳を傾け、亮は砲撃の手を止めて周囲をざっと見る。一面が淀んだ赤で汚されており、四日前の惨事を思い出して詰まる息を強引に飲み込んだ。ケファンも今や、榴弾砲に身体を預けて動かない。左寄りの胸や額に幾つもの赤黒い華を咲かせており、息絶えていることは明白だった。
彼だけではない。立ち上がっている者の方が少なく、数多が血を流して地に伏していた。苦悶している者もあれば、ケファンみたく身じろきひとつしない者もいる。それに対して、亮自身は全くの無傷だ。多少の擦り傷程度ならあるが支障はなく、自分の強運に気味悪さすら感じている。
そう言えば、あのときも負傷ナシだったな……と例の惨事を完全に思い出してしまって、地獄絵図がフラッシュバックした。だが問題はない。再読込して焼き付いた像と現実の像は、ほぼ一致しているのだ。
ひとりで押す榴弾砲は重い。息を切らしながら持ち込めるギリギリのラインまで進んで、それを手放した亮は更に先へ進む。不気味なほどの静けさ。さっきまでの喧騒がウソのようで、今は小波の音と鳥の声くらいしかしない。時折掠れた呻き声が聞こえる程度で、轟音も銃声もなく大人しいものだ。
その不気味な空間の崖方向へ、亮は歩く。掌に拳銃を確かめながら向かった先には人影がある。地に伏し立ち上がれる状態ではないほど破損しているくせに、「まだやれる」とでも言いたげに藻掻く男の前に立つと、それに気付いた彼はごろりと仰向けになって亮を見上げた。
霞んでぼんやりした目が、カメリア軍服を着た極東人を捉えた途端にカッと見開かれ、揺れる。握られた拳銃、鷲と月桂樹が描かれた胸章、黒い目、首元の首輪の順に視線を滑らせていくのを無感動に見下した亮は、彼が固く目を閉じ、歯噛みするのを見送っていた。歪められた顔の理由は、怒りか、憐れみか――。
「――――――――っ」
スッと静かに向けた銃口が、がたがたと大きく揺れる。引き金に置いた指もすっかり固まってしまって絞れない。やらなければ。やらなければならないのに肝心なときに限って言うことをきかない。もうどこにも戻れないのに、戻りたがっている自分がいるのを感じ取っていた。
やれ。この手で極東人を撃って退路を断て。そう思っても震えは止まず、一層ひどくなるばかりだった。
諦めたはずなのに。それなのに往生際悪く怖気づいて、決めあぐねて燻っている。なぜ撃てない。なぜ撃たない。良心と感情の一部が欠けているはずの俺にならできるはずだ、撃て、撃てウて撃てうて撃て……!
「力み過ぎだ、ウメムラ」
ゆらりと割って入った人影が、亮の腕に手を添える。
切迫した絶望的な雰囲気も意に介さず、平常時と変わらぬ冷静さを保ったままの上司――レゼア・ウェーバー。彼の存在を確認し、銃の構え方を淡々とレクチャーし始めた彼の声を聞いて安心してしまった亮は、ほぼ無意識に引き金を引いていた。
※
項垂れるウメムラの後姿を見るのは何度目だろう。レゼア・ウェーバーは煙草に火を点けながらそれを見下し、紫煙を吐き出した。
本人は気落ちしているが、戦果は上々だった。南方の小島とはいえ、まるごとひとつ占領できたのは大きかった。424部隊は自分を除いて二人しか残らなかったものの、純正のカメリア兵は多数生き残っている。それは初陣のくせに大戦果を挙げやがったウメムラリョウの功績なのだけれど、当の本人は全くそれに気づいていない。
さすが造っていただけあって火砲の仕組みをしっかり理解しており、また理解しているだけあって扱いの飲み込みも早かった。「火薬が弾けるしくみを教えてくれ」と言われたときは何事かと思ったが、まあ何かの役には立っているのだろう。どうしてそれが必要なのか、レゼアにはわからないけれど。
これは天賦の才、と言ってもいいのではないだろうか。持って生まれた戦争の才能。特筆すべきは集中力と判断力で、いいところに砲撃してくれるものだから、随分と楽な作戦だった。
その才覚は、こんな激戦でも無傷で帰ってきた強運さも相まって恐ろしいくらいだ。それを思うと、セシルの判断は正しかったように思えてくる。当の本人は、お気に入りの《カサブランカ》の活躍を満足そうに見物した後すぐに本国へ帰ってしまった。
ウメムラ獲得はセシルの享楽半分に間違いないのかもしれないが、これはいい拾い物だったとレゼアは思う。工場に閉じ込めてしまうよりも戦線に立たせたほうが有益であり、その才も遺憾なく発揮できる。たとえそれが、本人の望むものではないとしても。
レゼアは今、迷っていた。あのときみたいに亮に話しかけるべきか、そうでないか。群を抜いた戦争の才覚と凛々しさを持ってはいても、平気で人を殺せるだけの残忍さは持ち合わせていなかったらしい。最後に自分の手で同胞の頭を砕いて以来、こうしてまた気落ちしてしまった。自力で復活するのを待ってもいいが、次の作戦まで時間がない。仕方ない……と一歩踏み出しかけたところで、亮に近づく小柄な影をみた。
「あいつが出るならいいか……」
レゼアはふっと軽く笑い、踵を返した。腕にかけた回収済みの首輪たちが、ぶつかりあってカチャカチャと鳴っている。この部隊が出来上がり、決行された作戦はこれが二十八回目。実に二十七人の所有者を渡り歩いたこれにも、もうすぐ新しい所有者が現れる。
「……次は長続きするといいな。俺や、あいつのように」
目を閉じて独りごち、四十八個の首輪をかけた腕を上げる。その肘のやや下に見えた銀色は首輪と同じデザインで、違う点といえば盾を挟んで向き合う二羽の鳥がワンポイントであしらわれているくらいだ。亮の首輪と全く同じデザインのそれを見て苦笑したレゼアは、火を消した煙草を地面に弾き飛ばした。
※
自らやると決めたことなのに、いざ実行してみると虚無感が半端ない。そういえばここに来てから気落ちしてばかりだと思いながらも、浮上する気配のない気持ちを抱えた亮はもだもだしていた。
頭から離れないのは、無抵抗の極東兵の頭を撃ち抜いた瞬間。往生際悪く躊躇ってなかなか実行できず、やっと引き金を引けたきっかけが『レゼアの存在に安心した』ことであることに情けなさを感じていた。直前に目を合わせてしまったのがいけなかったのか。あの目に今でも観られている気がしてならず、もう押し潰されてしまいそうなほどに気が重かった。
もういっそ、押し潰して圧死させてくれ。亮は頭を抱えて塞ぎ込み、先の作戦で最後に見た、極東兵の無残な死に姿を思い出しながらそう思う。割れた頭蓋から血と脳がミックスされた液体を撒き散らした、名札に『キモト ダイスケ』と書かれていた彼に懇願したって叶わないことくらい解っている。退路などもうない。どんなに悲惨で苦しかろうが、前に進み続ける他ないのだ。
「……こんな気分になるなんて、作戦中の方がまだマシだった――」
いま一気に一生分落ち込んでるんじゃないかというくらいの気分を感じながら考えたところで、亮は強制的に思考を遮断した。戦場に立っている時の方が楽だなんて、何を馬鹿なことを。
でも確かに、いままでにないくらい細胞が活性化されているような手応えがあった。幼年期、学生時代、工場勤務。そのどれもが半透明な箱のなかに閉じ込められているようなぼやけた感覚で、だからこそ、全てを受け流す半生を送ってきたのだろう。なのに今は不思議と目の前がひらけていて、まるで水を得た魚のような……
「ウメムラ……?」
高くか細い声を突如聞いた亮は、抱えていた頭を解放して持ち上げて注視する。物陰からやや遠慮がちに覗く小柄な人影には見覚えがない。右目――正確には右半分殆ど――が包帯で覆われている少女は、好奇心と危惧とが綯い交ぜになった瞳でこちらを伺っていた。
名前を知られている理由もこちらを伺っている意味も分からず、いったい何だと小首を傾げる。彼女を見ているうちに「構われたがっている仔犬のようだ」と思えて思わず手招きすると、嬉しそうに駆け寄ってきた。可愛い。
隣に座った少女の髪は色素が薄めの灰茶色を呈していたが、アジア人特有の顔立ちと「
顔半分を覆う包帯も勿論だが、ひときわ目を引いた彼女の特徴は、首元の銀色だった。そうか、この子も同じ首輪仲間だったか。そう思っても同種を見つけた喜びは沸かず、少しだけ胸が痛んで眉間の皺を一層深くする。彼女が《奴隷部隊》に加わることになった経緯なんて、考えたくもない。
「ねえウメムラ。ウメムラは極帝軍のひと?」
眉間に皺を寄せたまま暗い目で地面を凝視している亮の気持ちを知ってか知らでか、シャオメイは食い気味に問うてくる。すごく場馴れしている感があったと言うその目は爛々と輝いていたが、亮の心は曇ったままだった。
やはり、そう見えてしまうのだろうか。亮はシャオメイへの答えを言い淀んでいた。ただ『違う』と言えばいいのにそれができない。否定の言葉を塗り潰したがっているのは、《天職》の一言だった。
戦場での緊張感に怯え騒音に苛立つ一方で、何人もの人を殺したにも関わらず今までにない高揚感と達成感、それから爽快感まであったのは確かだった。今でこそ躊躇ったり気落ちしたりしているものの、あと数回経験すれば、今までどおりに平常心で挑める自信があった。やはり戦場が俺の在るべき場所なのか。……いや、そんなのって。亮は思考を振り払うように頭を振り、口を開く。
「いや、俺は兵士じゃない。ただの製造技師さ。工場に引き篭もって兵装造ってた」
「工場」
「……工場は嫌いか」
明るかった表情が一気に曇るのを見た亮は、シャオメイに問う。その表情を崩さず不機嫌そうに「嫌い」と呟いた彼女は、畳んでいた足を投げ出すようにして座り直して、聞いて聞いて! と亮に縋った。
「私の家は農業やってるんだけど、工場の廃液とか煙塵とかで作ったものが駄目になっちゃうの。それに、新しく工場つくるからって……畑もがっつり潰されちゃって……」
いなくなった兄ちゃんとの大事な畑だったのに。半べそをかいて拗ねるように言う彼女は戦場なんて似合わない、本当にもう、どこにでもいそうなか弱い少女だった。その姿を本国に置いてきた妹や弟に重ねて、庇護欲が湧いて出るのを感じている。
「あ、でもね、ウメムラは好きだよ! 嫌いじゃないよ!」
本当だよ、と半泣きのまま慌てて弁明するシャオメイは愛らしくて、思わず柔く笑んでしまう。頭を撫でてあやしながら、亮は決意を新たにする。そうだ、俺は守るために戦場に立つのだ。決して《天職》だからではない。決して――。
急に湧いて出た庇護欲を利用して、己の欲望を正当化させようとしているのに気付いてはいた。けれどそれに気付かないふりをした亮は、無心で虚空を見詰めていた。
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