第49話

あいだ夢を見た覚えはない。証拠に眠りはほんの一拍、手を叩いたかのような間合いで終わりを告げる。鳴りだした端末を握りしめて百々は、これでもかと背伸びしていた。午後にも式典が始まるのかと思えばあっという間に眠気は吹き飛び、ベッドを抜け出す。

 あの後レフが帰ってきたのかどうかを知らない。ただ隣り合うベッドはカラのままで、水回りのどこにもその姿はなかった。代わりに誰が運び入れたのか、オフィスへ放り込まれていたスーツケースは部屋の隅に置かれると、上にミックスサンドとアップルジュースの紙パックは乗っている。隣にはシルクか。しなやかな光沢を放つ詰襟の服もまた引っかけられていた。

 近づき、メモが添えられていることに気づいて手に取る。


[DRESS|ドレス] [CODE|コード]


 読んですぐさま詰襟を広げていた。

 あしらわれた花や小鳥の刺繍が華やかだ。ベトナムの民族衣装、アオザイは現れ、真っ白なワイドパンツがその下にたたみ置かれているのを目にする。手にしたところでさらに下から防弾ジョッキ顔を出していた。仕方ない。目的が目的だ。

 ひとまずアオザイをベッドに広げ、眺めながらミックスサンドを平らげる。顔を洗い、スーツケースから引っ張り出したキャミソールに白のワイドパンツを身につけた。上から防弾ジョッキをかぶり、身分証と端末を真っ白なパンツのポケットへ忍ばせ、イヤホンのコードを耳元まで添わせたところで、仕上げと上からアオザイへ袖を通す。コーディネイトされた靴もベッドの下に見つけており、ミラーボールかとビーズを光らせたバレエシューズへ足を入れた。整ったところで髪をひとつにまとめ、軽く化粧も乗せてみる。

 いくら入職の際、ID作成のため身体特徴込みで事細かと登録したにせよ、用意されていたどれもが身にぴったりで気味が悪い。ともかく馬子にも衣装だった。防弾ジョッキのせいでいくぶん増したずん胴が残念だったが、百々は鏡の中の己へ微笑みかける。時刻を確かめ振り返った。

 少し早いだろうか。

 針は十時四十分を指しており、吟味して、いやちょうどだ、と腰の端末へ手をかける。部屋のチャイムはちょうどそのとき鳴っていた。

 誰だろう。うがりつつもドアを開ければ何のことはない。呼び出されることを知っていたかのようなレフだ。ドアの向こうに立っていた。

「準備は出来たか」

 挨拶もないまま切りだす様は、いつもどおりで百々もそれがいいと思えている。だがあまりに違うのはその外見で、警備につく者としてドレスコードがお互い様なら、準じて髪へもクシを通したレフは黒のタキシードを身に着けていた。これがもう似合い過ぎていて、怖い。脳裏を三ケタのコードネームを持つ某国のスパイも過ってゆく。

「リハーサルが予定より早く終わった。もう全員、現場だ」

「い、今、ちょうど声かけようと思ってたところ」

「行くぞ」

 テーマソングさえ鳴り始めたところで脳内、急ぎジャックごと引き抜いていた。 

「了解」

 後ろ手にノブを握る。

 次にここへ戻った時は。

 考え、まさか。

 思ってみる。

 心配するなどまだ早い。

 ひと思いとドアを閉めた。

 廊下でエレベータは止まったきり。二人が戻るのを待っている。乗り込み、降り立ったロビーは式典のせいか昨日にも増して騒がしかった。かわして表通り、ストリップへ出る。

 風が熱い。

 空もまた視界一面へ抜けるような青を広げていた。

 その下で濃紺の制服も凛々しく、交通規制の準備を進めて地元警察は働いている。物々しさの中に鮮やかと赤いカーペットは横たわっていた。

 めざしレフが挙げた手で、車両を制しストリップを横断してゆく。真似て百々も強い日差しの中へと飛び出込んでいった。

 生花に飾り付けられたベガスビッグビューイングの入り口は、まるで額の中の絵のようだ。赤いカーペットは入り口の両脇に立てられた巨大なオスカー像のレプリカをかすめると、中へ向かって伸びている。

 求められるまま警察へ身分証を提示していた。パスしたところでパラボナアンテナを広げる報道中継車の間をすり抜け、通用口へと敷地を裏へ回り込んでゆく。セキュリティーチェックのために張られたテントが目に留まったところでその下、広げられた長机を囲んで詰める警察官らの中に探す顔を見つけ、歩調を早めた。

「遅くなった」

 呼びかけたレフに振り返ったのはハートだ。

「大丈夫だ。ハナが最後のスタッフに付き添っている」

「遅れてすみません」

 加わり早々、百々は笑う。

「あは、袖がある」

 当然ながらハートもタキシードだ。

「ええい、これだと動きにくくて仕事にならん」

 悶える様は慣れぬ首輪をつけられた犬のようで、そのとき通用口から出てきたスタッフと共にハナは姿を現していた。

「リハーサル終わったわ。異常なしよ。スタッフの撤収もこれで完了した」

 その姿は百々と色違いのアオザイだ。だが出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいるのだから、どうにも納得がいかない。見とれかけて、全員そろっている、と聞かされていたことを思い出していた。

「乙部さんは?」

 ハートへ申し送りをすませたハナが手で、上空待機、と指し示す。なるほどそれが得意分野なら、乙部はいつだろうと別行動だった。

 と、納得した百々の目に、その人は飛び込んでくる。テントの下、スラリとした礼服姿の人物はいずかたの貴公子か俳優か。涼し気な目元で警備員と談笑していた。魅了されるに時間はかからず、思わずレフの脇腹を百々は突いて知らせる。

「何を言っている。あれはストラヴィンスキーだろう」

 からの、発言。

「おい、ストラヴィンスキー、始めるぞッ」

 ハートも堂々、呼び止めたなら、応じて貴公子は振り返った。あろうことか気付いて百々へと手を挙げさえする。

「あ、百々さん。おはようございます」 

 瞬間、抜け落ちたのは百々のアゴだ。紛失直前で受け止められたのはもう奇跡の所作としか言いようがない。

「うそ、ら……。そっ、外田さんっ、め、眼鏡はっ」

「あ、恰好がこれなんで不釣り合いかなと。今日はコンタクトレンズにしてみました」

 などと教えて投げる笑みはいつも通りだ。だが今日に限って遮るレンズがないせいで、隠れていたあれやこれやがキラキラと相当に眩しい。焼かれて百々は今さら昇天しかけ、またもやハートに呼び止められていた。

「おい、ぐずぐずするな。始めるぞ」

 確かに今、重要なのはそんなこんなでめかしこんだ互いの姿ではない。

 やがて個々の通信チェックは開始され、全員で施設内の警備区分に誤認がないかを詰めなおしてゆく。外周も含めた警備のタイムテーブルを確認し合い、さらには蜂起後の対処手順を数パターン、連邦局との連携も含めなぞっていった。

「現在、蜂起についての情報はまだどこからも上がってきていない。空港、モノレール、四方高速道路、各遊興施設、市内配備ポイント、全てにおいて異常なしだ」

 イヤホン越し、語る百合草の声へ集中する。

「渡会には、蜂起の呼びかけがアカデミー授賞式かと話を持ちかけることでリーダーの様子をうかがうよう申し出たが、反応すら得られていないというのが現状となっている。ただし個人的見解だと付け加えたうえで渡会は、黙りすぎるも雄弁な語りの一部だ、とも言っていた。最も話せない内容がその辺りにあるんだろうというのが彼の見解だ。可能性は十分にある。あと、これが終われば家族サービスをねだられているのでよろしく頼んだ、とも伝言を預かってきた」

 意味するところはひたすら大きい。

「いうまでもないがこれは世界中に生中継されるプログラムだ。中でも最も危険が予測されるのは視聴率が最高となる作品賞受賞の瞬間とみている。それで事実を隠しとおせるとは思えないが、最悪の場合、カメラはこちらで切り替える準備があることを忘れるな。そのためにも勝手な行動は各自、慎むよう強く言っておく」

 ちらり、ハートがレフを盗み見ていた。その目を百々へと裏返す。気づいて百々も自分でもらしくないと思うほどに、自然、片目を閉じ返していた。

「これより施設内の最終チェックに入る。テレビクルーの再入場は十四時。不審物が発見されたとして処理は招待客到着の十六時三十分までが鉄則だ。招待客の安全を確保。式典を無事終了させろ。以上」

 瞬間、宙で皆の視線は絡み合う。

 すかさず中へ案内して、警備員は駆け寄ってきていた。

 そうして足を踏み入れたバックヤードは土地柄、頻発するイベントに、大型宣材も運び入れられるようやけに広い。足元は傷だらけのリノリウムが敷き詰められ、鈍く光を反射していた。

 そんなバックヤード通路、左手には倉庫や事務室、従業員用の手洗いが並んでいる。右手には式典会場となるシアターの壁が連なり、舞台袖に当たる場所には一枚、扉があった。出入りしやすいよう開いたままで固定されたそこには今、底上げされて高くなった舞台へ続くスチール製の階段が掛けられている。

 ストラヴィンスキーとハートは警備員らと共に、別れてそちらへ潜り込んでいった。

 レフとハナ、そして百々は残る警備員たちに引き連れられ、さらに通路を奥へと進む。突き当り、現れた鉄扉を潜り、曲線が優美なゲストエリアへと抜け出していた。

 右手側には変わらずシアターの壁が続き、等間隔をおいて三か所、革張りの防音扉が並んでいた。だが現在、その二つは百々の背丈以上もあるオスカー像のレプリカに塞がれると、最もエントランスに近い扉だけを開いている。軽くのぞきこんでやり過ごし、エントランスへと出ていた。とたんストリップから引き込まれたレッドカーペットが誰もの目を引く。それは歩いてきた者を導くと、会場をモニターできる大型テレビの前で回れ右、歩くものを案内して開放された防音扉の中へ消えていた。

 様子を巨大なオスカー像のレプリカは、ここでもエントランスの左右、壁際からファラオのごとく見下ろしている。それ以外、不審物を嫌うエントランスは実にシンプルで、スタンドテーブルも花も最小限にとどめられていた。

 舞台周辺を確認したハートたちはバックヤードを点検後、封鎖されている二シアターの片側をチェックする段取りとなっている。一方で百々たちはエントランスと式典会場内を洗ったあと、封鎖された残りもう一方のシアターを確認する分担になっていた。

 広さを考えれば時間は短いように思えてならない。だが手を抜くことこそ許されず、疑わしい暗がりを、晒された光の中を、隅から隅まで確かめていった。

 集中するほどに時間はあっという間に過ぎ去って、気付けば時刻は十四時へ迫る。 表で交通規制が開始されたという通信がイヤホンより入っていた。

 礼服姿でベガスビッグビューイングへ再入場を始めたテレビクルーたちも、その頃から本番に備え、式典内でスタンバイを始める。

 そんな彼らに追い立てられるようにして終えた施設内の最終チェックはオールクリアだ。持ち込まれ、何かしらコトが起こるとするなら以降、ここへ足を踏み入れた何某によるものだとターゲットを絞る。

 さらに一時間後の十五時。

 百々とレフだけを対にして、舞台袖、バックヤード、エントランスへとそれぞれは散開していった。もちろんまだ式典は始まっておらず、視聴率のピークすら程遠い時間帯だろう。だが慣れぬ百々の緊張はそのときすでに頂点に達すると、解けることなく十六時は訪れていた。

 さかいにして、ハナと警護エリアを交代する。百々とレフはエントランスの片隅、荘厳なオスカー像の足元に立った。

 あいだ外から聞えてくる騒がしさはプレスで間違いないだろう。セキュリティーをパスすると、少しでも良い場所を取るべく陣取り合戦を繰り広げているらしい。

 だが警戒すべく情報はどこからも上がってこず、ただ大きすぎる刃物を持ち歩いていた何某がつまみ出され、また別の誰かが所持する薬物が発見されて世間は一ミリばかりクリーンになっただけだった。

 果たしてこれ以上なにも起こらず、だというのに突然、何者かが襲いかかってきたなら驚きのあまり卒倒してしまうのではないだろうか。不安が百々の身を強張らせ、固唾をのむ喉さえひどく詰まらせる。

「そんなに緊張するな」

 聞えてきたのは数時間ぶりに聞くレフの声だ。

「[伝染|ウツ]る」

 しめくくられて百々は前へつんのめった。上半身に余分な重みがかかっていたなら踏みとどまるのも一仕事である。ともかく、しょげて背を向けた。

「じゃ、離れてます」

 とたん襟元にあるマイクを、レフの手は握りしめる。

「お前の励まし方は分かりづらい。だが緊張は分かりやすい。いいか、体が固まれば咄嗟の動作は不利になる。放ってゆけないなら、いざというとき俺が困る。俺はハートに殴られるつもりもない」

 一息とまくし立て、マイクから離した手で再び正面へと向きなおっていった。

 一部始終に百々が呆気にとられたことは言うまでもない。知らぬ存ぜぬと警備を続けるレフの横顔を見つめる。

 ようやくだ。自分こそ分かりづらいじゃないか。心の中で呟いていた。

 余裕がないのはお前も同じだ。どうやらそういうことらしい。

 つまり今朝の奮闘はちゃんと伝わっていた様子で、よかった、急に他人事と安堵してみる。きっかけにして比べることができたなら、こちとら枕投げどころか口笛ひとつ吹ける状況じゃないんだよ、思っていた。

 諦めるか。

 思い、あ、と百々は口を開く。チラリ、レフを盗み見たその後で、あらためレフへと向き直った。そうして下げる頭は、ごっつぁんです、が相当となる。

「じゃ、しりとり、お願いしますっ」

「つき合わせるな」

 早い。返事が早すぎて取りつく島がない。だが、引かないのが百々だった。

「しらすっ」

 聞いていなかったのか。言わんばかりにレフのこめかみが窪むのを見る。緩んだその後、こう返されるのを聞いていた。

「……スジコ」

 ロシア人なら「イクラ」じゃん。「しらす」から始める変化球もどうかと思うが、つっこみかけて「やめなさい」と曽我に叱られる。謝れば苦笑いはもれ、わずかながらも体が軽くなったような気がしていた。「日本酒でつまみたいですね」などとつけたすストラヴィンスキーに、自分だけの問題ではなかったのかもしれない、と過らせる。

 経て迎える十六時三十分。

 ベガスビッグビューイングの正面扉は開かれていた。

 ハリウッドプラネット噴水前へリムジンは次から次へ到着し、中からなうての俳優にスタッフ陣は続々、姿を現す。

 ついに始まる。

 いやもう始まっていた。

 ならば来る者は拒まず、そして来たからには必ず制する。

 思いのまま、百々はスクリーンから抜け出たような有名著名人へと視線を這わせていった。

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