第47話

 赤茶けた大地。

 枯れたその色が飛ぶように眼下を流れる。

 切り裂いてハイウェイは一本、なぞる影を並走させ伸びていた。落とすヘリは今、CCT職員を乗せアメリカ合衆国、ネバダ州の上空を飛んでいる。


 出立ギリギリまで進められた事情聴取と押収物の調査から強襲者七名のつながりは、リーダー格となる一人の声掛けに応じ名乗りを上げたサバイバルゲーム愛好者であることが判明していた。連絡はリーダー格の一人を中心にパソコンや携帯電話で行われると、彼らは当日まで顔すら合わすことのない他人同士だったという。

 ゆえに爆発物や重火器の入手先、蜂起についてを知るのは招集をかけたリーダーのみと判明しており、そんなリーダー宅からの押収物こそ念入りに分析が進められたが痛恨の極みと、手掛かりは得られていない。つまり SO WHAT との接点はリーダーの証言に頼るしかなく、だからこそ当の本人をはじめ賛同した有志六人は榊同様、二十四日をご褒美とばかり修行僧のようなだんまりを貫いていた。

 こう着状態のまま迎えた二十二日。ついにオフィスの移動は始まっている。オペレーターと曽我、そして乙部がひと足先に現地へ飛んだ。

 遅れること翌日の二十三日。後発隊として、百合草を含む残り面々は日本を発っている。向かったのはアメリカ合衆国カルフォルニア州、ロサンゼルス。さらにそこからほどなく離れたハリウッド地区かと思いきや、赤い大地が示すように実際は違っていた。

 それは開催三日前のことだ。通年通りハリウッド地区にあるチャダックシアターで行われる本年度アカデミー賞授賞式会場を、運営委員会は急遽ラスベガスへ変更すると発表している。

 変更が、準備を進めていただろう SO WHAT への攪乱目的であることは言うまでもなかった。くわえてラスベガスが選ばれた理由には地続きのハリウッド地区と違い街へ入り込むルートがハイウェイ数本とマッキャラン空港に限られている点がひとつ。ギャンブルと観光を一大産業に掲げた街が最も重要視している治安維持、それらに対する信頼性の高さが二つ目としてある。さらにカリフォルニア州とも時差がないならすでに組まれたテレビプログラムへの配慮も必要がなく、最悪の事態に発展したとして即時対応可能と街の片隅には空軍基地もあるという絶好の立地が決定打となっていた。

 しかしながらそんなラスベガスへは直行便だけがない。おかげで数時間かかるトランジットを端折るとヘリはこうして飛ばされていた。

 荷物は後から届けられる段取りだ。ともあれそもそも観光でないならオシャレも何も、そこに詰められた物のほとんどが不要である。身分証と端末だけを携え移動中のヘリの中、百々は『20世紀CINEMA』で奔走していた十日間の遅れを取り戻すべく資料の閲覧に集中した。覚えた疲れに赤い大地を眺めて、ヘリが落とす影をなぞり、機内へ視線を引き戻す。乗り込む前も、乗り込んだ後も、黙りこくる面々に気安く声をかけられる雰囲気はない。ままに二時間を越えるフライトも終盤に差し掛かった頃の事だった。操縦席から乙部は振り返る。そうして放たれたうるさいブレード音に対抗するかのような声は彼にしては珍しい怒鳴り声で、おっつけジェスチャーで外を見ろ、と促してみせた。

 身を乗り出せば進行方向、伸び続けていたハイウェイは砂漠のただ中でプツリ、途切れている。先に忽然と街は姿を現していた。

 ラスベガスだ。

 機体が高度を下げていた。大きく傾いで右旋回。四方およそ四十キロある街を眺めつつ、着陸態勢へと入っていった。



 ラスベガスのメインストリートであるブルーバードストリートに面して建てられたホテル「メイヤード」はいわゆるリゾート型ホテルである。空港からさらに五キロの位置、その三十二階スイートルームに仮のオフィスは設置されていた。

「お疲れ様でした」

 日本を経っておよそ半日余り。迎えてドアを開けた曽我に安心感を覚えるのはもう、ほとんど条件反射に近い。

 そうして足を踏み入れた部屋はすでに運び込まれた機材が島を形成しており、伸びるコードが部屋と部屋をつなぐと床をのたうっていた。オペレーターたちは現地スタッフと共にカーテンが閉め切られた部屋の中で、それら機材のセッティングを続けている。見回したなら二日間、百々たちもここがオフィスになることを頭へすり込んでいった。

「各端末、地元警察、消防、連邦局、管制とヘリ、当日、放送局各チャンネル、各所通信を始め、必要なものは全て集まっています」

 通り一遍を伝える曽我の口調に淀みはない。

「連邦警察は」

 従え百合草は運び込まれた機材のおかげで隅へ追いやられたソファへ足を繰り出していた。

「現在、空港と主幹道路から監視を続行中。SO WHAT とは別件ですがその際、四州で手配中の容疑者を拘束したそうです」

 話は警戒網が十分に機能している、と知らせるもので間違いない。

「当日は不審者、危険物検知を担当。交通規制、ボディーチェックにかかる地元警察と連携を取る予定です」

「中は我々のみか。何かあれば全てこちらのミス、というシナリオには変更なしだな」

 聞えて誰もがいっとき動きを止める。

 ただ中で百合草だけがどっかとソファへ腰を下ろしていた。

 振り切り、フン、と鼻を鳴らしたのはハートだ。おっつけカーテンをより分けると、そこから外をのぞき込む。並んで百々も見下ろせばブルーバードストリート、通称ストリップを挟んで斜め向かいにハリウッドプラネットは、巨大な噴水をゴージャスとはべらせているのが見えた。シアター、ベガスビッグビューイングはその隣に赤い屋根を並べている。

 いわずもがな急遽変更されたアカデミー賞授賞式会場はそのベガスビッグビューイングである。証拠に周辺では急ピッチとレッドカーペットの準備が進められていた。

「あれ、だよね」

 確かめる声は自然、低くならざるを得ない。ハートもただうなずき返す。

 と、それは百合草だ。

「ギャンブルの街が舞台ならうってつけの一仕事だ」

 声に、散らばっていた誰もが振り返っていた。

「明日、我々が興ずるギャンブルの最終確認をここですませておく」

 式典会場は、ベガスビッグビューイングに三つあるシアターのひとつを貸し切り作られる。

 リハーサルを含め、設営の準備完了は正午。

 交通規制はその二時間後、レッドカーペット周囲を中心に十四時より始められ、範囲へ立ち入る人物があれば地元警察によりボディーチェックが実施される予定にあった。

 とはいえ地元警察へは蜂起の事実も SO WHAT の存在も知らされていない。だからして蜂起を知る連邦局はそれら流れの中から独自の情報を元に危険人物のチェックを行い、有事に備え、周辺状況の把握に努める段取りとなっている。

 ボディーチェックをクリアしたプレス陣がレッドカーペットの両脇を埋め終えるのが十六時半。

 同時刻にレッドカーペットは解禁。

 以降ストリップは南北およそ五百メートルが立ち入り禁止となり、守られて有名監督や俳優陣は続々現地入りすると、黄色い歓声もひとしきり上がり終えた十八時ちょうど、式典はテレビ中継と共に開始される予定にあった。

 放送は三時間で終了し、何事もなければ順次、警備は解かれてゆく。セレブたちもそれぞれの結果を手に会場を後にしてゆくというわけだった。

 その中でセクションCTが担当するのは準備中の会場内警備に、セレブ入場までの時間を利用した不審物の最終チェック。式典が始まってからは式典会場、バックヤード、舞台袖に分散しての警護である。

 会場内には毎年しかれる警備体制を踏襲し、今年も通常の警備員たちが詰めるということだった。ゆえに、かいくぐってまで何者かが忍び込んでくる可能性は相当に低いだろう、と百合草は語っている。しかしながら現れた時は確実に本懐を成し得る強者だろうことが予想され、蜂起阻止は困難を極めるはずだ、ともつけ加えた。

 そうした相手からセレブたちを守れ。

 出された指示は確かに正体不明な相手への闇雲な警戒を払拭すると、目的を具体化している。文言は否応なく士気を高め、百々もまた思い出すバスボムの舞台挨拶にスタンリー・ブラック監督を、その作品を守るのだ、と強く心に焼き付けた。

 後にとられたインターバルは一時間だ。

 あいだ届けられた荷物は仮オフィスの片隅へ放り込まれ、時間ちょうどに連邦局、地元警察、双方の責任者と簡単な顔合わせは行われる。引き連れられてベガスビッグビューイングへ向かうと、会場内警備の責任者へセレブ私用のシークレットサービスだ、と紹介されて中へ足を踏み入れた。

 平面図でしか確認していなかった劇場の、立体と周囲へ広がりゆく様が新鮮だ。それでいてカジノがメインゆえ規模も小さいベガスビッグビューイングは、メインロビーの左右にシアターを配置する構造が『20世紀CINEMA』とよく似た造りをしていた。

 手分けすると不審物のチェックに取り掛かる。

 終了した午前四時三十分。外周、バックヤード、式典会場内部を巡回する警備はついに開始されていた。百々がテロリストにもまして手ごわい魔物が潜んでいることを知ったのも、まさにこの頃だ。立ったままで眠りかけ、どうにか踏み止まってみせていた。

「っと、危なふ」

 日本を経ってそろそろ二日は経つか。移動と打ち合わせが立て込んだせいでいつ眠ったのか覚えがなく、時差も重なれば体内時計も悲鳴を上げてしかりとなる。

 もちろん仮眠にはメイヤードの部屋が押さえてあり、全員が一度にとれない休憩は順番で、が予定されていた。だがレフの一言でそれも最後に取り決められると、放って休めるはずもない百々も付き合うハメになる。

 しこうしてひとたび船は眠りの海へとドンブラ、漕ぎ出してゆくと、百々は再び踏み止まっていた。

「……っと。らめら、限界がきてふ」 

「今晩には終わる」

 返すレフはあくびひとつ、かみ殺す様子を見せていない。足元は通常使用されるシアターの座席を覆い上げ底と増設されており、その上で警護する式典会場も後方より、絶えず辺りを警戒し続けていた。

「ふぇ。なふか言った?」

 などと返すはしから小春日和の窓際そのもの。またもや百々の意識は遠のいてゆく。

「だ、はっ!」

 のけぞりかけた身が取るのは、どういうわけだか上段の構えだ。その意味不明さに悟ることがあるとすれば「モウダメダ」の五文字しかないだろう。

「あのら、眠くならないコツ、教えて」

 乞うてみるが、レフに答えて返す様子はない。

 慣れ合う気はない。

 言って教えるかのごとく高みから目だけをチラリ、百々へと流しただけだった。

 理由など分かっている。

 お前より百々の方がよく分かっている。

 ハートの投げた言葉で間違いなかった。なにしろ階段室にはいなかったハートが「中途半端」のくだりを知るはずもなく、だと言うのに口にしたのだから影で何を話しているのか、怪しまれても仕方ない。それでいて問い詰めようとしないのは、百々にはこの場に立てた借りがあるからに他ならず、おかげで極まる不愛想だけが百々のやりにくさをひたすら倍増させていた。

 進むリハーサルに周囲はいつしか極彩色だ。華やかなメロディーが大音量で鳴り響き、弾けて白く照明も暴れまわる。

「慣れだ。本土にいた頃なら一週間程度の不眠不休ならよくあった」

 やおらレフは答えていた。

 聞いてなるほど、と百々も腑に落ちる。何しろ本土と言えば消防士の頃で、そこはうかうか寝ていれば自分だって燃えかねない大火災現場に違いなかった。

「ああ、そっか。ひと月だって燃える火事だもんね」

 思い出して百々は言う。

 周囲を警戒していたレフの目は、とたん動きを止めていた。

 やがてゆっくりとだ。百々へと向けなおされてゆく。

「どういうことだ」

 問うものだから、百々はどういうこととは、どういうことだろう、反芻していた。瞬間、この世の終わりへ突き落とされる。何しろ「その話」はレフの口から聞いていない。だというのに「火事」などと、まったくもってしくじっていた。瞬間、百々の体から持て余していた眠気がじゅう、と一気に干上がってゆく。ぎこちないどころかカクカクだ。動きに不具合さえもが生じてレフを見上げていた。

「ど、どういう、ことって?」

「火事だ」

 ピンポイントで繰り返すレフに曖昧さはない。

「え、えと。あと、え、え。言ってなかったっけ。しょ、消防士だったって」

 とぼけてみるが、それ以上、回転しているのがレフの頭だろう。

「俺は言っていない。店か。そこで聞いたということか」

「だっ、だったっけ。う、あ。その、なんだろ」

 などと場所を明かしたのは、ドアを塞いでハートと対峙した時だけだ。よく覚えているな。感心する。いやそんな所に心を砕いている場合ではない、で我に返った。だがその先、どう答えていいのか百々にはさっぱり分からない。

「お、お店でおごってもらったんだよね」

 これでも誤魔化したつもりである。

 揺るがぬレフの視線に耐えかねて、口にしたのはこうだった。

「な、何も聞いていないよ」

 小学生以下の弁解だ。

 レフの顔へ落胆とあざけり色は広がってゆく。

 見せつけられて百々は背筋を凍らせ、おっつけ何をや言わんとレフの口が開いてゆくのをただ見ていた。

「お疲れ様です」

 遮り、背から投げ込まれる。

「交代に来ました」

 ストラヴィンスキーだ。押し開けた分厚い防音扉の前で、あっけらかんと手を振っている。

 姿に、吐き出しかけた言葉をレフが飲み込んでいた。これ以上のタイミングはもう一生訪れないだろう。涙目さながら百々も命の恩人へ手を振り返す。

「た、助かりますぅ」

 おっつけハナも姿を現せば、引き継ぎは何事もなかったかのようにすまされていった。その最後は十一時、通用口前集合、で締めくくられる。

 仮眠室のカードキーがハナからレフへ渡されいった。つまり残るは同様のモノを頂戴するだけだ、と百々もストラヴィンスキーへここぞとばかり尻尾を振る。

「六時間ほどしかありませんが、百々さんもゆっくり休んでくださいね」

 が、あてがわれたのは有り難くもあり得ぬことに、ねぎらいの言葉だけ。

「ええと、そのための、あたしの、部屋は?」

 飲み込めず、百々は三段階に分けて首を傾げた。なら答えて返すストラヴィンスキーの笑みは、いつも通りが残酷だった。

「ああ、百々さん。それならレフと一緒でラッキーですよ。ハートとだったらイビキがうるさくて眠るどころじゃないですからね」

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