第46話
「裏付けがとれていないだけだッ。蜂起の場所はそこで間違いない。その大一番に、こいつを起用するだと。俺は絶対に認めんッ」
ハートが百合草へと声を荒げる。
「いいか、この件に次はない。失敗すれば蜂起だぞ。それでもお前は責任を負えるのか」
次こそ睨み合うレフへ吐きつけた。だからといってレフの様子は変わらない。
「あんたは最初からそうだ。図体のわりに肝が小さい」
「最初から目障りだったのはなッ」
言うその鼻先へ、ハートが指を突き立てていた。
「しれっとしたその白いツラだ。そのツラをさげている限り俺はお前を認めんッ」
見せつけ振り払えば、あった距離を半歩、詰めてレフが身を乗り出していた。
「ここで働くには、あんたの許可が必要なのか」
「やってられんッ。こいつをオフィス待機にするか、でなければ俺が降りるぞッ」
態度にこそハートはついに背を向ける。
「勝手な言いぐさはあんたの方だ」
投げ返されて、やにわに言語を切り変えた。レフへ英語をまくし立てる。応じてレフも呪文のようなロシア語をしゃべり出すが、それでいて互いのやり取りがかみ合っているのかといえば甚だ謎でしかない。むしろかみ合っていないからこそ口論は勢いを増し、果てに掴みかからんばかりと互いは額を寄せ合っていった。
さすがのストラヴィンスキーもこの中央突破だけは無理だったらしい。回り込むようにして向かった柿渋デスクで形ばかりの報告をすませている。おっつけ百合草へ問いかけていた。
「で、どうしたんですか。コレ」
「ストラヴィンスキー、お前は黙っていろッ」
「そんなこと言われても、困っちゃいましたね」
ストラヴィンスキーが後頭部を掻いたその時だ。叩き割らんばかりに手は、柿渋デスクへ振り下ろされていた。
「いい加減にしろ! ここはお前たちのレクリエーションルームではない。やるなら他でやれ!」
百合草だ。音に百々の体こそ跳ね上がり、一撃にレフとハートもようやく口をつぐむ。
一瞥した百合草は何事もなかったかのような面持ちだ。ストラヴィンスキーへ向きなおっていった。
「蜂起の件で重要な連絡事項が一つ」
切りだされたストラヴィンスキーが、姿勢を正す。
「当局はアカデミー賞授賞式会場をリーダー蜂起の現場と暫定。当日の特別警備体制を決定した」
知って百々へと投げた視線にはガッツポーズでも取りそうな勢いがある。だが百々が応じたかと言えば、気分にこそなれないでいた。それはまたひとつ最悪の仮説が逃れがたい現実に変換された瞬間でしかない。
「もちろん蜂起についてはこれまで同様、一切が公表されない。会場はもとよりVIPの集う場所だ。ボディーチェックや一帯の交通規制は当初より徹底されている。セキュリティーは万全だが、加えて現在、本件の事情を知る人間が当日の警備に加わる方向で調整している」
と、どのセンテンスがひっかかったのか、思い出したようにハートがレフを盗み見た。ワケを明かして百合草も告げる。
「その事情を知る者として我々が当日、警備に当たることとなった」
刹那、これでもかとハートはレフを指さした。
「俺は認めんッ。こいつは必ず他のやつの足を引っ張る。現場を混乱させる危険性があるッ」
否定しない百合草は痛い所を突かれた面持ちだ。吐き出したため息と共にアゴをひとなでしてみせていた。やがて答えて返すことを諦めたらしい。椅子の背へ、どうっと身を投げ出す。
「予防、先制はもはや無理だと、被害管理に重点をおいて上は話を進めている。ゆえにそれらと並行して責任の所在を求める動きも出始めた」
そこに先ほどまであった覇気はない。
「確かに、誰かが詰め腹を切らされたなら、通る建前にスムーズと動く話もある。ならば見切り発車なこの件は空振りに終われば事後、責任を負わせるにうってつけの失策というわけだ。状況判断のみで組織が動くカラクリはそこにある」
言い切るとまぶたを閉じ、大きく息を吸い込んでいった。吐き出し再び両目を開いていったなら、揺らぐことなく一点を見据える。
「だが現場はそこで間違いないとわたしも考えている。やり玉に挙げられようが賭ける価値はあると判断した」
奥に、いつもの光は戻ろうとしていた。
「リーダーは会場に現れる。その瞬間に前回同様、遊ばせておける人員はいない。それが参加させる理由だ」
ハートが本気か、と言わんばかりの目で見ていた。分かっているのか、と百合草もレフへ視線を投げる。なら頑なと答えて返すレフのそれは常套句だった。
「逃がすつもりはない」
とたんハートの腕がそんなレフの胸倉を掴み上げる。
勢いにレフの肩は揺れ、目の当たりにした百々は思わず息をのんでいた。
「……それは仕事で言っているのか、それとも私情でいっているのか」
問うハートに、かすかとレフの目が泳ぐ。
見逃すはずもないハートに容赦手加減はなかった。
「は、中途半端はどいつだ。それで怪我をするのはお前だけにしろ。私情に走っていつ反対方向へ走るやもしれんやつに援護される方の身にもなれ。いや、それで俺たちがどうにかなるならそれまでだ。だがそのせいで世の中が傷つくとなれば、話は別だ」
突き飛ばすようにして掴み上げていた手を放す。百々の背後でドアが開いたのはその時で、おそらく何も知らずに入ってきた自分たちもこんな具合だったのだろう。アカデミー賞会場警備の話を聞きに、乙部は顔をのぞかせていた。
「お前より、百々の方がよく分かっているッ」
「何、褒められてるの?」
「んなワケないですっ」
問われてつんのめる百々へ、いまいましげとレフが視線を投げていた。
だとして百々に非難する気持ちなどこれっぽっちもありはしない。何しろ「中途半端」は自身へあてた言葉に過ぎず、そもそもそのとき百々はまだ何も知らなかったのだ。
だが一方で、でなければおそらくレフはああも躍起になりはしなかっただろうと思い起す。階段室で追い回された一部始終はハートが言うとおりだと思えていた。見ないふりで誤魔化し続けてきた「中途半端」を目の前に晒されて、拭い去りたかったのだと思う。だとすれば百々は確かに期待のストッパーで、それも「お守り」ではなく、勝手と飛び出すレフへ自覚を促す「重り」だった。
「ふん、好きにしろ。俺は降りる。もっと話の分かるやつを雇え」
吐き捨てたハートがきびすを返す。
それこそ好きにさせるつもりか。止めようとしない百合草にまさか、と百々は睨みつけた。
間にもハートはドアへ向かってまっすぐやってくる。
やれやれ、と傍らで乙部が道を譲り身をかわしてみせていた。
このまま行かせて果たして代わる誰かを用意できるのか。近づくハートを見つめるほどに、いや、と百々は眉を寄せる。アカデミー賞授賞式までもう二週間しかなく、運よく見つかったところで土壇場での交代劇にチームワークこそ望めやしないと思えていた。それでも頭が冷えたらハートは戻ってくるだろうか。望みを託し、たとえそうだとしてもレフはレフのままで何も解決しないと思う。そして解決しなければ大一番に不安はつきまとい、だのに状況は失敗できないところへさしかかろうとしていた。
ジレンマは極まり、百々は拳を握り絞める。
退いた乙部とだった。
やおら場所を入れ替わっていた。
前にしたハートの足はそこで止まる。向かい合う百々へ、ワンボックスカーの荷台で食らわせたあの視線を再び投げてよこした。
「どけ」
だとして素直に動くなら、こんなことなどしていない。
「お店で言ったこと、お前はいい仕事をしてるって、今でも思いますか」
ただ百々は問いかける。
「それともやっぱり、あれはからかっただけですか」
意図をつかみかねているのか、イエスかノーで迷っているのか。ハートがなんら答えて返そうとしないなら、立て続けにこうも放つ。
「あたしを、信用してもらえますか」
そこでようやくハートの唇は動いていた。
「技術は信用できん。だが心根はあたいする」
これが事実なだけに案外こたえる。
「ひ、一言、多い……」
などと現状、へこんでいる時間こそなかった。
「多いけどっ。だったら、あたしがレフを見張りますっ」
発言に誰もが驚いたことは言うまでもない。目にしようと今さら引けるはずもなく、そんな気こそさらさらないなら百々は体中でまくしたてた。
「防弾ジョッキだって着るし、今日から走り込むっ。レフが勝手にどこかへ行こうとしたら引きずられたって行かせないよう、ふ、太るっ」
というか、その努力はいらない。
「とにかくあたしがレフを見張りますっ。自分の言った事に責任持つなら、あたしを信用してくれるなら、降りるとかはずすとか今ここで取り消して下さいっ。て言うか取り消すまで通さないっ。じゃなきゃ革命がおきちゃうっ」
もうありったけの力だ。通せんぼでめいっぱいに両手を広げた。これでハートも折れるに違いないと思う。いや言った張本人がハートなら、納得せざるを得ないはずだった。
「お、かっこいいね」
目にした乙部も眉を跳ね上げる。素人小娘にここまでいわれたあんたはどうするつもりか、とハートへ小首を傾げもした。
食らってハートのこめかみが、しばし小さく痙攣する。かと思えば巨体は揺れて、百々の足ほどもある腕を高く持ち上げた。振り払われる。思い百々は目を閉じるが、拳も何も降ってこない。ただ吸い込んだ息を吐く、荒い息遣いだけが聞こえていた。
「聞いたなッ。貴様がドドの顔に泥を塗るようなことをしたなら今度こそ俺はお前を殴るッ。覚えておけッ」
振り上げられた手はそうして、百々の頭へ伸ばされる。掴んで道をあけさせたが、それが力づくだったかといえば、そっと押しのけただけだった。
そして物事の後先は、全てが済んでから考えるからこそ辻褄は合うものなのである。
「というわけで支配人、二十二日から二十五日までお休みいただきます。あは」
無茶なお願い休むに似たり。めいっぱいに百々は笑う。前で水谷の顔は、なおさら素っ頓狂と間延びしていった。
「ええっとですね、百々君。と言うわけのところ、まだ聞かせてもらえてないんですけれども」
「あ、あれぇ。あたし、言ってませんでしたっけ。おっ、おっかしーなぁ」
などと、そもそも話せないことが前提なのだから、とぼけるだけでも一大事である。
「二十五日までとなると、アカデミー賞発表直後までですねぇ。万が一を考えるとその日だけでも出てきてほしいんですけども」
「あ、そでしたか。そでしたねぇ」
ついに始まった映画「バスボム」ロードショー初日。事務所で百々は二人きり、水谷とヒザを突き合わせていた。逃げようにも逃げられぬこの状況で、ついにあの禁じ手を使うことを決心する。
「そ、その、親戚のおじさんが、なく……」
が、その手こそ予定としては使えないものだろう。
「なっ、なく、亡くなりそう、なんですよねっ。その日に。あはあはあはあは」
身内の不幸をこれでもかと笑い飛ばしてとぼけた。
「そうですか」
いや、納得するのか。見て取った水谷のため息は大きい。ならこのさいだ、百々も乗じて頭を下げる。
「すみません」
「いえね、近頃、あちらさんへ電話しても愛想がないものですから、何かと大変な局面を迎えているんだろうなとは思っていたんです。百々君まで駆り出されるほどなんですか……」
それは下げた頭も跳ね上がる話だった。というかこの人は知らない間に一体、何度オフィスへ電話をかけているのか。百々の頬は引きつり、前でキラキラ水谷の目が輝きを増してゆくのを見る。
来る。
百々が身構えたことはいうまでもなかった。
「という事で百々君、休みにする代わりにそのはな」
「支配人、部外秘ですので私の口からは言えません」
迎え撃てば、食らってがっくりうなだれる水谷は本当に残念そうだった。
「百々君も、もうすっかり向こうの人みたいですねぇ」
参った参った、と放つ笑いで取り繕う。
眺めるほどに百々の方こそ、それどころじゃない、と言葉は出そうになっていた。だが事実はその時が来るまで知らされず、一番に知らされるべき場所であるはずの劇場なら、もう悲劇が過ぎてこれはまったくの喜劇だった。
「支配人にとってここはっ」
気付けば口は勝手と動いた後になっている。
「『20世紀CINEMA』って、いったい何ですか?」
しかも唐突なうえに、何と陳腐な質問であることか。気づいてみるが向けた顔だけは深刻で、水谷もそこでぴたり、笑いをひっこめていた。幾らか空いた間のその後だ。ああ、と返す。
「ここは、わたしの大事な作品です」
今度は百々が瞬きを繰り出す番となっていた。
「いや若い頃、少しの間だけですがわたし、作る側にいたんですよ。制作の一人なんかでね」
はにかんで水谷は頭を掻き、それこそ百々は身を跳ね上げる。だからして、まぁまぁ、と苦笑いであおぎ、なだめる水谷の話はこうだった。
「最初はそこそこでしたが後は興行的に言ってもこれが大失敗で、誰も知らないような作品がほとんどです」
「でっ、でもっ」
「まぁ、最初のひとつふたつは誰でも無心に楽しいと思えるモノが出来るものです。創る喜びに浸れる夢のひと時です。けれど仕事ですからね。結果を残し続けなければなりません。そのうちに何を撮ればウケるのか。どうすれば注目されるのか。そんなことばかりにずいぶん振り回されるようになりまして。挙句、何がやりたかったのか分からなくなった、かな。で、ちょっと荒れた後に、ああ、わたしは才能がないんだなぁと。限界を思い知ったわけなんです」
「それでこちらへ、ですか」
「本物のクリエーターだったなら、悩み続けるべきだったわけですけれども」
浮かべた水谷の笑みは、珍しくもニヒルだ。
「そういうわけでスクリーンと言う場所は諦めましたが、おかげで今『20世紀CINEMA』と言う作品の制作に携わることになりました。働いてくれているスタッフはだから撮影クルーで、大事なキャストかな」
確認するように空を仰ぐと誰ともなしにうなずき返す。
「まぁ人間、その気になるだけでは何も変わりませんけど、その気にならなければなかなか変われないことも事実です。映画の面白いところは泣いたり笑ったりだけじゃなくて、見た人のどこかに響いてその気にさせてしまう。知ってしまったせいでその人の世界を変えてしまうところにもあると思うんです。わたしはそんな感動を残したかった。その点では本編だろうと劇場だろうと変わりはないと思っていますよ。現実、バイトも社員もない皆さんの『その気』には助けられて、いいものが撮れていると実感しています。ここは……、20世紀は、わたしにとってそんな場所かな」
間違いなし。確かめたからこそ、両のヒザもまたポン、と叩きつける。
「という事で、そろそろ現場に戻らないと、まずいまずい」
ままに立ち上がる仕草がそそくさと見えたのは、話が過ぎたと照れ隠しのせいか。それきり事務所を後にしかけて思い出したように水谷は、百々へ振り返ってみせていた。
「休みの件、なんとかしましょう。またあんな騒ぎが起きるのも困りものですからね。でも例の話が聞けないのは、残念だなぁ」
しつこくも、ははは、と笑って靴先を繰り出す。
「支配人っ」
呼び止めて、百々は立ち上がっていた。
様子へ肩を開いた水谷は、少し驚いたような面持ちだ。
「絶対最後まで、最後まで撮って下さいっ。絶対最後まで、撮らせてあげますからっ」
言い放てば、これまたバカげたセリフで間違いなかった。だからしてさすがの水谷も呆気に取られている。その時間がどれほどだったかは知れない。だがやがてそこに砂糖を入れたあのホットミルクは、深く滲んでいった。
「そうですね。よろしくお願いしますよ」
取った休みに周囲からのブーイングは相当で、かいくぐりながら過ごした十日余りは予想通りと大忙しの日々となっている。何しろ「バスボム」は平日でも、毎上映回がほぼ満席だ。
翻弄されて数日はあっという間に過ぎ、二十一日の夜、人足の途絶えた『20世紀CINEMA』の正面扉を百々は最後の一仕事と施錠する。
ほんの数日だがここへは戻らない。
思いを胸にテナントビルを出た。
帰り道は途中まで、またバイク通勤の田所と一緒だ。
いまだ告白の返事も何も肝心なことは話せていない。まるで知っているかのように田所も休む理由すら深追いしてこなかった。それをぎこちないと感じたのは思い過ごしか。おかげで途切れそうになった会話をつないで百々は、映画「小熊のチェブ」についてをたずねている。
さてこの映画、ファミリー向けの動物映画ととらえられがちだが小熊のチェブこそ監督で、花は監督の撮影したフィルムかもしくは観客だという見方がマニアの間では定説だということだった。同じ世界に住みながら双方に接点のないところが問題作らしく、だから悲しいと、泣ける映画だと、田所はつけ加えている。
きっとレフと話が合うよ。百々は思ったが、それもまた口にしていない。口にしないままいつものように田所と別れた。ここでまた会うためなら惜しんだ方がいい。今でも百々は信じている。そしてまたあの古びた扉を開くためなら、と夜空を見上げた。
その暗い空へかけた願いは単純だ。
それでも全ての楽しみが、いつも人々へ門戸を開き続けるように。
ただそれだけだった。
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