第45話

 映画の都、ハリウッド。

 その地で毎年、開催されるアカデミー賞授賞式とは最良の作品とスタッフを表彰すべく映画界最大の式典である。また世界屈指のクリエーターと、目にも鮮やかな衣装をまとったスターたちが集結する夢の祭典でもあった。そして映画が娯楽産業の中でも巨大なコンテンツであることを示すように、寄せられる感心はマーケットに比例して世界中から。どの作品が、どのスタッフが、どの俳優に女優が賞を獲得するのか。様子は世界各国へリアルタイムで伝えられ、近年ではインターネットによるリアルタイムでの情報拡散も定番と盛り上がりをみせている。

 ゆえに賞の行方は映画好きの間で話題とされるにとどまらず、結果は翌日、新聞やテレビで紹介された。目にして一度でも受賞作を鑑賞してみようと考えたなら、それがきめ細やかな報道の証だ。


 全ての娯楽に粛清を。与えられる楽しみは全て、楽しむことを義務付けられた労働だ。そこに捕らわれた民衆を解放する。


 万が一にも蜂起を促すリーダーが会場を乗っ取り、受賞者の声を汲むためのマイクで声明文を読み上げテロを引き起こしたなら。

 SO WHAT にとって斬新な作品を娯楽として排出し続けるセレブリティーたちこそ望まぬ労働を強いて搾取する団体に違いなく、まとめて粛清するにこれほど合理的な機会はなかった。実行されれば声明文にプロパガンダは注目するメディアの数だけリアルタイムと世界へばら撒かれ、各地に散らばる同士たちも容易くリーダーの意思を確認すると、一斉にテロを開始することが可能となる。

 与えるインパクトは絶大だった。ゆえに想定される事態は最悪となる。だからこその確かさが拭い去れなかった。むしろオスカー像を意味するかのような「プライズ」という言葉が現場はここだ、と百々へ言って止まなくなる。

 曽我に無理を言って会議中だったところを引きずり出してもらった百合草が最初、この話を聞いて黙り込んだ時間は長い。もちろん理由は百々にも分かっている。どれほど信憑性の高い話だろうと現地点では、単なる状況判断に過ぎないからだ。そして仮説のみで動くに組織と会場はあまりに大き過ぎ、加えてカラぶりなどと失敗の許されぬ状況がそこへ輪をかけていた。

 だが百合草は頭ごなしと否定していない。預かる、とだけ口にしている。それだけで十分だろう。短い返事を百々は、大きすぎる両者を動かすために時間をくれ、と言っているようにただ聞いた。だからこそ動かすための何かを掴まなければと、結んだ唇へ力を込める。

 しかしるるロード前交差点の一件から三日。現実は予想とおり難航する七人の事情聴取に、核心へ触れることすら出来ずにいた。もちろん百々が進展状態を知ることができたのは不便極まりない端末のアクセス制限を解除すべく、足しげくオフィスへ出向いた成果だ。

 たとえば組織は意思疎通を速やかと行うため、または一定のレベルを保つため、似たもの同士で構成されることが多いと言われる。だがバラつきがないからこそそうした集団には偏りが生じ、盲点、もしくは誰もカバーすることのできない弱点が生じるとも指摘されていた。

 ならセクションCTの中で百々は特異極まる存在だろう。誰より本人がそのことを自覚していた。生かして自分だからこそ気づける何かはないか。思い、ひたすら資料の読み込みに没頭する。

 しかしながら成果は進展しない捜査以上パッとしなかった。日を追うごとに百々の気も滅入ってくる。

 とにかく時間が足りなかった。蜂起の期日もさることながら、週休一日を切る勢いで組まれたシフト、映画「バスボム」のロードショーも近づいている。このまま『20世紀 CINEMA』が繁忙期へ入れば百々が専念すべきはこの期に及んでアルバイトで間違いなく、資料に目を通すことすら不可能となってしまうはずだった。

 そうしてついに訪れたロードショー前日。百々はまたもや目が死んでいますよ、とストラヴィンスキーに顔の前で手を振られる。

 経て連れ出された最後の家宅捜査は、彼の気遣いによる特例だ。おかげで百々に生気が戻ったかといえば確かに刺激的だったと答えるしかない体験は、のちも百々の記憶に残る出来事となる。


「あ、スミマセン」

 アパートは今にもゴキブリが出てきそうな二階建ての木造だった。気にせず職務に励む鑑識諸氏は台所、トイレ、風呂場、数少ない家具の中でも折り畳みの小さな机やチェストから必要なものを手際よく採取しつつ写真を撮っている。混じるストラヴィンスキーもと白い手袋でツギハギ激しいふすまへ手をかけており、邪魔すまいと眺めて百々は居場所を探して右へ左へ、体をかわしていた。

「な、なんだか連れてきてもらって言うのは申し訳ないんですけど」

「はい、なんですか?」

 返すストラヴィンスキーが開けた押し入れの上段には布団と衣類が、下段にはつづらよろしく二つの大きな箱が入っている。のみならず吐き出されたのはとんでもない悪臭で、辛抱たまらず百々はついに鼻をつまみあげていた。

「もう少し小ぎれいな所が……。くしゃすぎまう」

 前へマスクは差し出される。

「あ、スびばセン」

 鑑識から受け取って耳にかけ、ストラヴィンスキーの引き抜いたつづらのような箱の傍らにヒザをついた。

 フタはない。つづらの中にはモデルガンと、それらを使用するさい装着する各種防具が一式、乱暴に放り込まれている。

「何も実弾でサバイバルゲームのオフ会することないですよね、ホントに」

 それが強襲をかけてきた七人のつながりらしい。そんな彼らは実銃の出所に SO WHAT との関係をいまだ黙秘し続けていた。

「すごい量」

 中へ鑑識がシャッターを切る。終わったことを確認してストラヴィンスキーが一丁づつ取り出していった。

「結構リアルな重量感、あるんですね」

 グリップを握りなおす顔つきは、まんざらでもない。

「グロッグ、ベレッタ、ワルサー、トカレフ。あ、ありました。これがMP5」

 シャッターは並べ置かれたそれらへも切られていた。

「こっちも出していいですか」

「あ、お願いします」

 段取りが分かれば見ているだけこそ邪魔だろう。百々は押し入れに残るもう一つの箱もまた抜き出す。手を付ける前だ。場所を譲って中を撮影してもらい、終わったところでエアガンへ仕込むプラスティックの弾や、発射に使用するガス缶を手に取っていった。多さに途中で鑑識職員へ託したなら、薄暗い押入れの中へ頭を潜り込ませる。

「う、が。くさ」

 もう目に染みるほどだ。だが思いがけず、そこに別世界は広がっていた。

「わぁ」

「どうしました」

「外田さん、見て見て」

 上げた声にたずねられ、百々はストラヴィンスキーを呼び寄せる。四つん這いでもぐりこんできたストラヴィンスキーと、肩を並べて辺りへ目を這わせていった。

「……こういうのを秘密基地、って言うんですよね」

 感心するのも当然だろう。押し入れの壁には雑誌の切り抜きからアイドルのポスターまでが。映画のチラシに様々な券が。スナップ写真にどこかの地図が。兎にも角にもありとあらゆる個人の記録と欲望が。コラージュよろしく一面を埋め尽くし貼られていた。果たしてこのすべてに赴いたのか、それともいつかとときめく夢への地図なのか。仕上がりは実に濃密で、見つめた二人をしばし無言にさせる。気づけばそれほど広くない全てへ目を通すのに、かなりの時間を要していた。

 結局のところその中に、一目瞭然の手がかりは見つかっていない。数時間後、大量のモデルガンと備品、そしてわずかな個人情報を一掴みほど押収して家宅捜査は終わっていた。それは実にあっけない終わり方でもあった。

「ま、一軒も爆発しなくてよかったじゃないですか」

 ハンドルを握るストラヴィンスキーはあっけらかんとしたものだ。だが百々が同じように割り切れるかといえば、まったくもって無理だった。

「そんな問題じゃ、ない、です……」

 返す声も、何かに押されこもってゆく。

「あ、もしかして、あのニオイに滅入ってますか。酷かったですからね」

 察したからこそ言ってのけるストラヴィンスキーは、いわばレフとは真逆だろう。だが臭いのせいじゃないなら慰めは、屁のツッパリにもならなかった。

「もしもテロが始まっちゃったら、……どうしよう」

 不安がついに顔を出す。

「映画館だけじゃないよ。どこへ遊びに行ったって、どんな楽しいことをしようとしても、みんなひどい目に合わされるよ」

 全ては数日もすれば現実となるやもしれない地続きの未来だ。

「ないと困るよ。イヤだよぉ。みんな笑ってた方がいいよぉ。絶対にいいよぉ」

 訴えれば、滲んでゆく視界が止められない。

「え、えっとですね、百々さん。興味深い話を共有しませんか」

 などとストラヴィンスキーが切り出したのは、少なくとも彼なりに慌てたせいで間違いなかった。

「レフがスタンプラリー監督のファンらしいってことは知ってますか」

 百々へ持ちかける。いやそれはスタンリー監督だ。鼻をすすり上げながら百々は頭の中で訂正し、半べその顔をストラヴィンスキーへと持ち上げていた。

「四年前の映画、三度も見たそうです」

「へぇ」

 そんなにか、と思ってみる。

「どうやら相当に感動作で泣いた、と聞かされました」

「べっ?」

 そこで一気に干上がったのは、百々の涙だ。

「で、どんな作品か気になったもので、僕、調べてみたんですが」

 仕事の早さはさすがとしか言いようがない。やがてタイトルはストラヴィンスキーの口からこう告げられていた。

「小熊のチェブ」

 返す言葉がみつからない。

「ご存知ですか」

 きっと田所なら知っているだろうが、知らない百々は全力で首を振り返す。

「えっとですね、小熊のチェブが成長して老いて死ぬまでと、その縄張りに毎年こぼれ種で咲き続ける花の、もちろんやり取りはないんですけれど交流みたいなものを描いた無声映画に近いドキュメンタリータッチの作品でした。ポスターのチェブは小熊でコロコロしてて、これが妙にかわいいんですけれど、どこが泣ける映画なのか正直、僕には不明です」

「うん、笑いのタイミングも違うみたいだから、きっと感動のツボも違うんだよ」

 笑顔で追われた階段室が忘れがたい。

「これ、知らないフリ、しておいてくださいよ」

 ストラヴィンスキーがイタズラ気な笑みを向ける。提案にはもちろん、というほかなく、おかげで百々の心配ごとは次にレフに会ったなら熊だか花だかを見て泣いているその姿を想像できずにおれるかどうか、と言うことにすり変わっていた。いや、すでに映像は浮かんで妙なパニックを覚えると、悲観が過ぎた未来はいつしかそこで途切れる。

 気づけばワゴンは国道を走っていた。

 ほどなく警察病院の地下へもぐりこみ、「小熊のチェブ」を脳内に抱え込んだまま百々はストラヴィンスキーと、オフィスへ下りる。

 先もって確認したところで百合草は部屋に戻っているとのことだった。ストラヴィンスキーは報告のため、百々は水谷からもれているシフトのせいですでに了承済みかもしれないが繁忙期のためしばしオフィスを離れる旨を伝えるべく、部屋へ向かう。

 地下へ降りたエレベータのドアが開けばまっすぐと、今日も通路は一本伸びていた。突き当たりで威厳を放つドアは二人を待ち受け、開けば柿渋色のデスクから顔を上げた百合草が労をねぎらい、それ以上の無駄を省いて報告を促す光景もまた浮かびあがる。

 なぞってストラヴィンスキーがドアをノックし、引き開けた向こうで百合草もご苦労だったと声をかけた。だが予想と違っていたものがあるとすれば、部屋で一触即発と睨み合うレフとハートの姿だった。

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