第44話

「ところで」

 向かったチーフ室では、いつもの面子がいつもの場所におさまっている。欠けた顔があるとするなら招集をかけた百合草本人で、レフが切り出したのは待って誰もが時間を持て余していた時だった。

「はい」

 改まったその間合いに、百々もついぞ真顔で返す。

「スタンリー・ブラック監督に会ったらしいな」

 言うものだから、耳と思考に齟齬は起きていた。柿渋デスクの傍らでドアが開いたのはまさにその時だ。それまでの慌ただしさを引きずり奥から百合草は姿を現す。並んで歩く曽我とのやり取りも素早く、切り上げるなり握る紙束をデスクへ向かい叩きつけ前屈みの姿勢をとった。

「聞いているとは思うが SO WHAT 蜂起の件と今後について、ここでもう一度、情報をすり合わせておく」

 鋭い視線が集まった顔を見回してゆく。

「ハナから頼もう」

 一切の前置きが省かれていたとして、ハナに戸惑う様子はない。 

「榊を奪取に来た目だし帽の言葉よ」

 さかいに声を低く変えた。

「予定通りだ、同志。プライズにサプライズ。二十四日、我々は蜂起する」

 元へ戻すとおどけたように肩をすくめる。

「聞き出すために、もう少し親密になっておけばよかったかしら」

「残念ながらその声はマイクで拾えていない。間違いは」

「ないわ」

 やり取りはすでに何度も繰り返されていたのだろう。返すハナに記憶を反芻する素振りこそない。

「なんだ。その二十四日はいつだ。次か」

 などと突っかかったのはハートだ。

「だとすれば三週間、切ってますね」

 床を見つめたストラヴィンスキーもこぼす。言い得ぬ不安を覚えて百々も身を乗り出していた。

「それまでに捕まえなきゃ、本当のテロは、革命は始まっちゃうってことなんですか」

「十年後の二十四日だというなら何も言うことはない。だからといって来月でないなら次の二十四日へすり替わるだけだ。どちらにせよ我々に与えられた猶予は常にひと月でしかない」

 放った百合草は、ようやくそこで椅子へと腰を下ろしてゆく。

「ついに世の中へプロパガンダはまき散らされる、ってワケか」

 声は乙部ものだった。だからして壁際へちらり、視線をやったハートの言葉は半ばため息と共に吐き出されもする。

「だとすればもう俺たちだけでは手に負えんハナシだ」

「なら、もう一件」

 と、それは予想していたような百合草だった。レフへ不意に視線を流す。話してやれ、と目で促してみせた。

「いや、その日、一斉に蜂起が起きるわけじゃない」

 応じて話し始めたレフは落ち着き払っている。

「取り逃がしたが、群衆に紛れて交差点を観察していた男は俺に言った。我々はリーダーを慕っている。ファンとしてリーダーの望みを実現するため計画を進めているが、リーダーが蜂起しないならそれまでだと」

「言う通りであれば SO WHAT はリーダーの蜂起を確認後、各地で一斉に動き出すと予想される」

 あとを百合草が引き継いでいた。

「憂う事態は二十四日の後。二十四日はその分岐点とみていい。その発言に漏れはないな」

 レフへもハナ同様、鋭い視線を投げる。

「ない」

「だが連携を無視したやり方と、挙げた成果は別だと覚えておけ」

 やり取りは何も知らない百々へも、また何かやらかしたな、と思わせるに十分なものだった。だが百合草にそれ以上、レフを追及する気配はない。

「いうまでもなくテロリスト全員の検挙が最善であることに変わりはない。だがこれよりリーダーの意思表明を阻止すれば、当面の安全が保証されることも可能性として生じた」

「つまりこの三週間たらずでリーダー、もしくはその居場所を特定しろということかッ」

 意味するところを掴んでハートが呆れかえる。

「同志全員を押さえるよりも現実的だ」

 いさめる百合草の発言こそもっともだろう。

「その件に関して」

 と、ハナが小さく手を挙げた。

「強襲の七人からはまだ何も聞けていないわ。彼らにも人権はあってれっきとした怪我人だって話よ。渡会警部殿と順番に締め上げるのは明日以降の予定」

 とはいえ彼らから言質が取れるとは限らない。知らされたのはつい最近のことでもある。

「期日があるなら黙秘も貫きやすい。七人が黙り続けた場合は?」

 誰もの懸念をレフが口にする。一瞥した百合草の目は次に、ストラヴィンスキーをとらえていた。

「ええ、安心してください。彼らの部屋ならまだ無事です。押収した車と所持品、前科から、四人までの身元が判明しました。詳細は署から送ってもらうよう手配していますが……」

 言葉を切ったストラヴィンスキーの目が、つい先ほど百合草がデスクへ叩きつけた紙束をのぞき込む。

「曽我に配信処理を任せている。全員分、紙束ではもらいたくないだろう」

 百合草は教え、満足したようにうなずき返したストラヴィンスキーは報告を再開させた。

「万が一を想定して自宅周辺へは警備を手配。とは言っても彼らが榊を奪取に来た以上、その彼らを奪いに来る何者かがいるのかどうかこそ疑問ですが。残りも令状が下り次第、家宅捜査に入る予定です。そうですね、遅くとも明日には全て片づく予定です。なんて場合によっちゃあ僕が[ご褒美|プライズ]にサプライズしちゃうかもしれませんけど」

「使用された重火器類について」

 オチがついたところでハートも自身の報告を始める。

「マシンガンはともか春山のハンドガンにもマエはなかった。奴らも黙りとおすつもりでいるなら、入手先については家宅捜査で手掛かりをつかむしかなさそうだな」

「RPGは?」

 すかさずレフが口を開いた。

「論外だ」

 むっとしてハートは返し、ただし、と付け加える。

「流出を想定して国内、軍事施設の武器庫を確認させている。返事待ちだ。しかしあの七人、どう言う輩かは知らんが銃床には一部、手のこんだカスタマイズの跡があったぞ。撃ち慣れていない人間の握力を考慮した細工だ。マニアも玄人級か、指導する何某が背景にいて知識と装備をくれてやったとしか考えられん。もちろんマニアでないなら指導できる人間こそ特異だと考えられる。特に国内であれば捜索範囲は絞れるはずだ」

「その知識豊富な何某がお前の逃がした男である可能性についてはどう考える?」

 レフへと百合草が投げた。

「確かに身のこなしには何らかの経験があるか、訓練を積んで修得したとしか思えないものがあった。単に身軽で健脚だと言う程度じゃあない。だがそれが重火器の扱いを指導することの出来る立場につながるか、と言えば」

 思い巡らせるレフがいっとき瞳を揺らす。

「断言できない」

 と、柿渋デスクの傍らでドアは開いた。曽我だ。奥から姿を現す。

「失礼します。昨日の逮捕者と、ビッグアンプルで逮捕された人物の資料一式、端末配信完了しました。……あと、蜂起後の対応について早急の会議が」

 百合草への囁きに、もうそんなところまで話は進められているのかと百々は驚く。

 応じてひねった手首の時刻を読んだ百合草は、ついたため息と共に立ち上がっていた。この場を締めくくる口調はいたって早い。

「いいか、リーダーと呼ばれる何某と蜂起が促される場所。この二点の特定を急げ。当然ながら蜂起に関しては各国政府の中枢機関へも行き渡っている。応援は惜しまない。だが情報源はここだ。今、我々が最もこの件の情報を握っている。ここで掴めないものは他でも無理だと思え。誰か、どこかを当てにするな。我々がリーダーを確保する」

 そうしておかれた一呼吸は重い。

「各職員には期待している、以上」

 肩が翻される。隣室へ消えればきっかけにして、残されたそれぞれもまた動き出していた。

 だとして百々にこそ全うすべく「役割」などもうありはしない。腰かけたソファの中、手持無沙汰に不安ばかりをただ募らせてゆく。いや、何かあった時に知らなかったではすまされないと送信されたてのファイルを開きにかかった。

「それから百々さん」

 などと掛けられた声は曽我だ。

「残念だけれどこれはチーフの指示だから諦めて」

 口調は意味ありげで仕方ない。

「百々さんの端末から資料を閲覧する場合、半径、五メートル以内に同じ端末がないとロックされるようになっているわ」

 なるほど、だからして開こうとした画面はみごと落ちていた。百々は悲鳴を上げ、ままに接続の切れた端末をひし、と胸で握り締める。

「機密事項が多いことは理解できるわね」

 言い含める曽我に恨みなどこれっぽっちもありはしない。だが言わずにはおれないのは、この言葉で間違いなかった。

「……イジワルっ」


 そしてこれは反省文を書かされていたいつぞやの逆パターンとなる。レフはるるロード前交差点までワゴンを走らせ、百々はその助手席を埋めていた。

 だいたい百合草も誰かをあてにするな、と言っていたはずである。百々さんは意外とアグレッシブだから。ストラヴィンスキーも「ヒッキーズダイニングバー」で認めていたはずだった。つまり見るな、と言われてはいそうですか、と引き下がるような百々ではない。根性でも転送された資料は閲覧する。これはそのための手段だった。

「どうしてそこにいる」

「あたしには、あたしの仕事があるんです」

 言うレフに突き返してやる。そんな顔を一瞥したレフはついでとばかり、百々の握る端末もまたチラリ、のぞきこんだ。

「資料を読むなら別の場所でもできるだろう」

 とたんムッとしたのは百々の方で間違いない。画面から顔を上げるが早いかレフの視界へ不便極まりない端末を突き出した。

「だってこれ、同じ端末から離れると資料の閲覧できないんだってっ。どう思う。嫌がらせ? っていうか、そのまんまーっ」

 ついで電波を探すフリだ。前に後ろにかざして回る。

「あー、見えない。あー、読めないよぉぅ」

 などと、払いのける素振りすら見せないレフの忍耐力は、極寒の地で培ったものか。

「読み終わるまでついて来る気か」

 ただ確かめる。

「結構、量あるよね。コレ」

 加えて難解ゆえに何が何やらさっぱり分からない。口を尖らせ助手席へ再び百々は沈み込んでいった。

「諦めろ。迷惑だ」

 ストレート過ぎるレフの言いようにただ目をすわらせる。過ってニンマリ、頬を潰していった。

「ということでさぁ、レフぅ」

 果てに投げかけるのは、歯切れの悪さもピカイチな猫なで声だろう。

 緊急事態でないなら前で信号は赤を灯し、ワゴンはそこでブレーキを踏む。

「取引っていうのはどうですか。スタンリー・ブラック監督の話、してもいいんだけどなぁ」

 レフの目がフロントガラスからちらり、百々へと動いていた。しかしながらその顔は相も変わらずポーカーフェイスだ。興味があるも、ないも、まるきり読めない。目にした百々こそ腹の底で、くそう、ともらし、わき上がる闘志のまま次の手に出る意を固める。

「舞台挨拶、すんごくよかったよねぇ」

 遠く彼方へ放ってみせた。

「かんどー的だったよねぇ……。ね、ね、意外とファン? ね」

 一変、ぐいぐいレフへすり寄る。

「新作、先行上映したんだよ。かんどーだったねぇ。げーじつてきだったねぇ。次回作は、いったい何年先になるんだろー、ねえぇ」

 のぞき込んだレフのポーカーフェイスが、そのとき確かとわずかに動いた。強面の奥から図星の殺気はにわかに立ちのぼる。ならもうダメ押しと放つのは、小バカにしたような、あー、そー、ふーん、の連続だろう。

「あー、そっかぁ。ミーティングの前に監督の話したのってさ、そういうことかと思ってたんだけどぉ。へぇー、なんだぁ、勘違いかぁ。ふぅーん。はー、へー。だったら仕方ないよねぇ」

 端末をこれ見よがしとトートバックへ落とし込んだ。ドアへ手を掛け、百々はあさっての方向へ高らかにのたまう。

「もう明日になったら監督のこともすぅっかり忘れて、二度と思い出せそうにもないけれど、じゃあこのへんで降りるしかないよねー。降りる。そっかぁ。あたしは降り、よーっとっ」

 もちろんその際、背後をうかがう時間は惜しまない。

 レフの押し殺した声は、やがて百々の耳に届いていた。

「……分かった。応じる」

「イエスっ」

 歴史的初勝利の瞬間だ。握りしめた拳を百々は引きつける。待ってました、で助手席の上、満面の笑みで座り直した。

「なんだ、やっぱり好きなんじゃんっ」

「いいから話せ」

 信号が青へと変わっている。ワゴンを発進させるレフのアクセルワークこそ荒い。

 かまわず百々は資料の続きへ目を通しながら、ブラック監督の朗らかな第一印象に、チャーミングかつサービス精神旺盛な一挙一動を語っていった。さらに日本ツウであることや、舞台挨拶で触れた次回作への意気込みについてもなぞる。何はともあれほんの一時間、会っただけでも魅了する人柄こそとっておきで、それこそがアカデミー賞ノミネート監督、作品に滲み出ているとおりの人物だったとまとめあげた。調子に乗って写真も一緒に撮ったと明かせば、なぜかしらレフからひと睨み食らいもする。

「いい仕事でなによりだな」

 確かに、マシンガンをぶっぱなされてロケットランチャーを撃ち込まれる職場に比べれば天と地だろう。だが贅沢極まる現場にもそれなりの杞憂があったことは否めない。

「それは何にも起きなかったからだよ。だいたいさ、プレゼントもバカみたいに多くって。もしその中に SO WHAT の爆弾でも混じってたら、って少しは考えたんだよ。なんて言ってもアカデミー賞ノミネート監督なんだから。世界の巨匠なんだもん。SO WHAT が狙ってとう……」

 思い切りだ。そこで百々は言葉をのむ。いやそれほどまでに飛び込んできた閃きは世界から色さえ奪うほど百々の心を揺さぶった。

「レフさ……」

 おかげで呼びかける声も小刻みと震えてならない。

「ハナさん、なんて言ってたっけ」

 様子にレフが突拍子もないヤツだ、と言わんばかりの目を向けている。だが忘れていいような文言でないなら、怪しみながらも繰り返して百々へ教えた。

「予定通りだ。同志。プライズにサプライズ。二十四日、我々は蜂起する」

 その袖口を百々はやぶから棒に掴んで揺さぶる。

「プ、プライズって、プライズって、何?」

 ますます面倒臭げとレフは眉間を詰めていった。

「獲得した物。賞だ。知らないの……」

 が、そこでレフの言葉も止まる。何しろそうだとすれば、それはあまりにも鮮烈で理にかなった SO WHAT のデビューで間違いないかった。

 気づけばトートバックから百々は自身の携帯電話を引っ張り出す。シフトには覚えがあって、まだ家にいるはずだと確信もあった。そうしてつなげた先は田所にほかならず、数コールで電話口に出た田所へとにもかくにもまくし立てる。

「タドコロっ。アカデミー賞の授賞式って、いつっ?」

 不躾な質問に、なんだかんだと文句を並べる田所はじれったい。だがやがて百々へとこう告げていた。

 日本時間で今月の二十四日。

「やっぱり、そうなんだ……」

 空は雲を流し、呟く百々を遥か遠くから見下ろしていた。

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