第43話

 朝、太陽はスロープを駆け降りてゆく百々の背に輝く。

 「106」番などと絶対「テロ」をもじってつけたに違いない。だからワインレッドのワゴンはそこにある。

 百々は前へ飛び込んだ。

 が、ない。

 すっぽり空き地と空っ風は吹いている。

 上がる悲鳴を押し止めたなら、顔はムンクの叫びと化していた。

 戻せずエ乗り込んだレベータが動き出したところで、静か過ぎる挙動は気が利かない、と言えば八つ当たりか。不安はまた増し、抱えたままで開いた扉を押しやり通路へ飛び出した。

「ハナさんっ」

 横顔は、ちょうどオペレーティングルームから出てくる。

「あら、百々さん。今日は昼からじゃ」 

 などと振り返ったハナはつまり無事で、その前へ百々は両手を挙げ駆け込んでいた。

「ほっ、ほかの人はどこですかっ。レフはっ」

「ほか? 確かレフならストラヴィンスキーと……」

 勢いに豆鉄砲でも食らったようなハナは仮眠室を目で指し示す。

「さっきまで一緒にいたけれど」

 だが引き戻したその場所にもう百々の姿はいない。ハナの脇をすり抜けると、一目散と駆け出していた。仮眠室が並ぶ通路へ飛び込む。少々疲れた面持ちで目をこすりながらやって来る、ストラヴィンスキーの姿を見つけていた。

「外田さんぅっ」

「あ、百々さん、おはようございます」

 全力で駆け寄るも、食らわされたあいさつはあまりに腰砕けなものだろう。

「やけに早いですねぇ。何かあったんですか」

「あったに決まってるじゃないですかぁ。あっ、あたしニュース見てっ、びっくりしてっ」

 百々の方こそもう涙目になる。

「あれ、ここの車ですよねっ。赤のワゴンがガレージからなくなってて。爆発したって。ごうごう燃えてたの、見ちゃったんですけどぉっ。えっと、あとは、あとは乙部さん。乙部さんは無事なんですかっ。レフはもう、もう燃えちゃったんですかぁっ」

 いや、それはあんまりである。

「ちょ。ま、まぁ、落ち着いてください」

 あんまりすぎてストラヴィンスキーもなだめにかかった。

「その件なら心配無用です」

 どこかしら歪んで見える眼鏡を押し上げ分厚いレンズをキラリ、光らせる。

「榊はオツさんが空路で拘置所へ送り届けました」

 つまり乙部も無事、ということだ。

「陸路はハナさんが榊役を務めるって囮計画でして」

 ようやく知る事となった計画に、ええっ、と百々は眉をへこませる。

「そこで狼煙の予告どおり強襲に出くわしたわけですが、ワゴンへはロケットランチャー、撃ち込まれちゃいまして」

「ぅおぉ、ロぅ、ケットランチャーぁっ?」

「相手もサブマシンガン携帯で七人もいたものですから」

「ががっ、マシンガンっ!」

「ちょっと穏便にはすませられなくなったんですよね」

「ち、ちょっと……、ですかぁ。それぇ」

 百々の脳内で繰り広げられるのは、正月も目玉のアクション超大作だ。かと思えば入る「ブラボー、ゴー」の合いの手に戦争モノと映像はソリッドを極め、おかげで増したのはリアリティだとしても、増したリアリティにこそ実感がわかないのだからどうしようもない。

「あれで手榴弾でも投げられていたら戦争になるところでした」

 締めくくるストラヴィンスキーが、ははは、と笑っていた。笑えるはずもない百々は耳の奥で、高く尾を引く投てき音を聞く。

 ソリッドだった映像が、セピア色と干からびた。辺りに空襲警報は鳴り響き、呼び寄せられて上空へB29は連なり押し寄せる。支配されて交差点は見渡す限りが焦土と化し、そこに疲れ切った市民に兵隊をさ迷い歩かせた。彼らは身なりの整った百々を見つけるなり枯れ枝のようになった腕を伸ばすと、水をくれ、と口々に押し迫る。

「せ、戦争反対ぃ……」

 いや、違うだろ。

 見透かすストラヴィンスキーも前で手を振っている。

「いえ、戦争にはなってないですよー」

「じゃ、レフは?」

 その名をまだ聞いていなかった。瞬間、厳しくなったのはストラヴィンスキーの目となる。

「あの人は相変わらず言っても聞かない人なので」

 などと、そんな切りだし方こそなかった。百々の中でまさか、もしや、は吹き荒れる。聞いておいて、わわわわわ。聞かないフリだ。耳を叩いて両手で塞いだ。

「上の病院にいます」

 それでも入ってきたのだから仕方ない。再びムンクと絶叫する。

 きっと今頃ミイラ男だ。

 走っていた。

 デカイだけに包帯はかなり必要だろう。重労働を思えば看護師へ同情を禁じ得ない。

 そうして乗り込んだエレベータはひとたび地上へ跳ね上がる。百々は駐車場脇の夜間通用口から院内へ入っていた。細い廊下を道なりに進んだその先の、受付カウンターの真横からロビーへ出る。外来診療が始まったそこはすでに多くの患者が行き交っていた。だがそのとき百々にだけストップモーションはかけられる。

 レフだ。

 どうにも目立って仕方がない。いくつも並ぶ扉を引き開けちょうどと診察室を後にしていた。その体にはちゃんと四本、手足がついており、入院していそうにもなければ車椅子でもなかった。松葉づえをついているわけでもなければ腕もつってはおらず、包帯でぐるぐる巻きは想像が過ぎたとして、包帯は「ぐるぐる」の「ぐる」も巻かれていないうえに退屈すぎるほど服装もまた整っていた。動きなんぞこれまた実に整合性が取れていて、不具合こそあるように見えない。むしろいつも通りが過ぎて、なにもかもが嘘くさくさえあった。

「……どし、て?」

 そんな百々の方へとレフは混みあうフロアを歩いてくる。

 呼び止めて百々は思い切り背伸びしていた。

「レフっ」

 なら耳も問題ないらしい。すぐにもその姿を見つけ出すと、駆け寄り、進路を塞いで立ち止った百々をしっか、と見下ろす。かわして百々が反復横跳び、繰り出せば、目で機械的なまでに追いかけた。

「朝から何だ」

 出会いがしらの挙動不審さえ問うと、思考の正常さすら証明してみせる。

「何だって。なんともないのっ」

 どうやらレフは夜間通用口からオフィスへ降りるつもりだったらしい。聞いたとたん、そんなことか、と向かって歩き始める。

「お前こそ診てもらった方がいいんじゃないのか」

「だ、だってニュースで見たら車が黒焦げでっ。聞いたら外田さんはマシンガンにロケットランチャーの、戦争だから、レフは上で死にそうだってっ」

 というか、誰もそこまで言っていない。

「あたしてっきり車と一緒に吹き飛んだって思ったのにっ」

「お前は俺を殺したいのか」

 それこそ暴言だ。レフも何を言い出すんだ、と振り返ってみせた。

「だってぇ」

 眉を下げるが、確かに要約すればそうなるのだから仕方ない。

「あの場にお前がいたらそうなっていたろうが、ぼうっとしていられるのもお前くらいだ。とっとと逃げている」

 などとレフに合わせて歩けばあっという間に駐車場へ出ていた。隠す物のなくなった場所で、エレベータの蛇腹扉を開く。中で灯る蛍光灯が目に眩しい。

「そう簡単に死ぬつもりはない。奴らを野放しにすることこそ、できないからな」

 聞えて百々は顔を上げていた。いや、覚えのある言い回しに体は勝手と動いて、吸い込むようにレフの横顔を見つめていた。

 そう、忘れられるはずもない。言葉を初めて耳にしたのは春山に握らされた爆弾を解除していたあの時だ。あのとき百々はレフのことを薄情者だ、と罵ったはずだっら。だが今、同じようにはもう思えなくなっている。理由など簡単だ。レフにはテロで命を落とした身内がいる。

「そか、バッファロー……なん、だ」

 スクリーンの中、主人公はヒロインを残し振り返ることなく逃げていた。

「隣の客がひどい主人公だと言っていたあの映画か」

 乗りこめばカゴは滑るようにオフィスへと降りてゆく。

「映画、見たの?」

「あの日は開場前から劇場にいた。ローテーションで上映中のシアター内も監視している」

「そっか、あたし、昼からのシフトで知らなかったんだ」

「主人公は間違っていない。不満を抱くなら最後、ヒロインの元へ戻ったことだけだ」

 言い切るレフに迷いはなかった。

「ヒロインが死んでいれば戻ることはなかった。おかげで主人公は判断を誤っている。結局、奴らは野放しのままだ。逃げたことじゃない。酷いと言うならそれは変わらず奴らをのさばらせている事の方へ言うべきだ」

 そんなレフに戻るべくヒロインはもういなかった。

 だからしくじるようなドジは踏まない。そうとでも言いたいのか。勘ぐるほど確かめたい気持ちは百々の中で大きくなる。だが堂々、口に出来ないのは明かしてもいないプライベートを知っているせいで、それも酒の肴と話題にしていたなら、なおさらだった。

 ままに知らぬふりで握り潰せば潰すほど、後ろめたさは百々の中で膨らんでゆく。鈍く罪かとのしかかり、他人事と軽やかにエレベータのドアは開いてゆく。降りぎわ、調子を探るように首を傾げたレフの仕草こそ口にしてよいものだろう。

「で、でもさ、どこか悪いんだよね。でないと診察なんて必要ないから」

「飛び降りた屋根が高すぎて、下の車を潰した」

「は?」

 いや、至る状況がまず飲み込めなさすぎる。

「つ、潰した?」

「どうも肩の調子が悪い」

「潰されたんじゃなくて、潰したの? で、肩の調子が悪い、だけ?」

 確かめて、またもやレフからひと睨み食らっていた。

「だからお前は、そんなに俺を殺したいのか」

「ま、まっさかぁ」

 と、仮眠室へ通じる通路からだ。目にも鮮やかな赤のスーツは現れていた。並んで歩く二人に気づいて曽我はすかさず腕時計へ目を落としてみせる。

「百々さんって、予知能力でもあるのかしら」

 落ち合ってすぐあきれられるなど相当だろう。

「ミーティングは昼以降の予定だったけれど、ハートも帰ってきてるわ。面子がそろっているなら遅らせる必要はないかも。チーフに報告してくる」

 レフへ放つときびすを返していた。

「ミーティング?」

 見送り百々は眉間を詰めて問い返す。どうも気になるらしい。あいだも投球前のピッチャーのように肩を回し続けていたレフは、そこで動きを止めていた。色の薄い瞳を百々へと向ける。

「SO WHAT の蜂起が決定的となった」

 そのとき世界は傾いて、百々は息をのんでいた。

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