第42話 case6# He said "SO WHAT"
対談は予定通り、十五分で終わっていた。
内容は主役、ナタリー・ポリトゥワの印象に、撮影時の苦労話、本作の見どころや次回作への意気込み等々、パンフレットにある程度と他愛もない。
だが直接、監督の口から聞けるとなれば話は別で、誰もが一言一句を聞きもらすまいと熱心に耳を傾けていた。そんな会場は冒頭から茹で上がったかのような熱気に満たされ、だからこそここでも監督は通訳を差しおくと、つたない日本語でおどけてみせていいる。
大詰めでの花束贈呈もまた控室でのりラックスしたやり取りが功を奏し、形式張ることのない、まるで古くからの友人をねぎらうようなものとなっていた。抱えて始められた記念撮影では監督が、「これから大変重要なシーンの撮影に入ります、みなさん前へ集中して」と現場さながらの指揮を取り観客をわかせている。その中には執拗と手招きする監督に誘われ、水谷と百々も入るというアクシデントさえ起きていた。
十三時ちょうど。
盛り上がりも最高潮のうちに舞台挨拶は幕をおろす。
横切り戻るロビーに人だかりはまたできていたが、監督に飽き飽きした様子はなかった。もらいたての花束を振ると丁寧に応じ、笑顔を振りまく姿は帰りのタクシーを待つ間も続いている。やがてその笑みは通用口の前で百々へも向けられると、百々はあまたギャラリーの中でしっかり監督の目を見つめ、別れの握手を交わしていた。
何も、何事も、起こらなくてよかった。
感じずにはおれないだろう。それは舞台挨拶が滞りなく進んだことであり、わずかながらも過ったプレゼントの爆発などなど、ひそかな懸念についてもだった。同時にこの人もまた何も知らされてはいないのだと思い過らせる。目の当たりとした無邪気さにふと、言いようのない切なさに見舞われもした。
届けられたプレゼントは後日、監督の事務所へ配送される予定だ。だからしてタクシーは花束だけを抱える監督を乗せ、ドアを閉める。
振り返るような湿っぽさこそ似合わない。
そうしてスタンリー・ブラック監督は風のように、ここ『20世紀CINEMA』を去って行った。
さかいにして取り戻されてゆくいつもの静けさは、全てが幻であったかのような塩梅だ。
控室でブラック監督へ頭を下げて以来、姿を見ていない田所は映写室にこもりきりとなっている。その後の休憩時に百々は様子をのぞいてみたが、スクリーンをチェックしながら好物のフランスパンをかじる横顔はいつになく真剣で、声を掛けることこそできなかった。
フロアでは「バスボム」グッズの売れ行きが好調である。
無論、トラブルらしいトラブルは起きず、あったとすれば映写係、松川のダウンがせいぜいか。
ままにシアターAは二十二時二十五分。次いでシアターBは二十二時三十五分。最終上映を終了した。
さらにそこから十分後の二十二時四十五分。くたくたと言っても過言でない倦怠感と、しかしながらそれ以上の達成感を残して『20世紀CINEMA』は正面扉を施錠する。
簡単な打ち上げはその後、ジュースとお菓子で手短に行われた。どこかけだるい雰囲気に盛り上がる、とまではゆかなかったものの、それぞれの武勇伝が披露されたことは言うまでもなく、あいだ松川から連絡は入ると明日はどうにか出社できそうだ、と知らされる。そんな松川は松川で半日ほど病院で点滴を受けていたらしく、彼も彼なりに忘れられない一日になった様子だった。
経ての帰宅は午前様である。家族が寝静まったリビングは寒々しく、百々は疲れ切った体をともかくソファへ投げ出した。世界の監督がお忍びで来日していたのである。噂は流れていないか。気になるテレビのスイッチを入れて背伸びし、流れ始めたニュースの声へ漠然と耳を傾けた。
アナウンサーはそんな百々が奔走しているあいだ火事が起き、政治家の献金問題が新展開を見せ、海外の首脳が興新国を訪問し、車が爆発したことを知らせてゆく。
ふーん、と欠伸を放っていた。
動きを、百々は次の瞬間、止める。
もちろん耳にした言葉もしかりだったが、同時に画面を過ったものがこれでもかと百々の目を覚まさせていた。ハートは消火活動の中を、一瞬だったが横切り走ってゆく。
半ば忘れていた「強襲」の二文字は百々の脳裏へ蘇っていた。急ぎ手はテレビのボリュームを上げてリモコンを突っつく。
「……施設るるロード前交差点で、右折待ちの車両が爆発、炎上しました。伴い八台を巻き込む玉突き事故が発生。爆発した乗用車の運転手、通行中の男女を含む十人が軽傷です。爆発の詳しい原因は不明で、現在、警察が調査を進めています。次のニュースです」
「うそ……」
もちろん次のニュースは目にも耳にも入ってこない。「爆発、炎上した車両」というくだりだけが百々の頭を回り続けた。回しながらワインレッドのワゴンの他にどんな車両があったろうか。記憶をたどる。思い出せやしないなら爆発した車両があたかも「ソレ」であるかのような錯覚にとらわれた。
だとしてアナウンサーは「運転手」が軽傷であると知らせている。鵜呑みにしかけて情報操作がお手の物であったことを痛感させられていた。つまり新聞もタダの紙屑だ。
トートバックを引き寄せる。中から掴み出すのは端末で、だがそこに着信はおろかメールさえ届いた気配はなかった。
ハートが無事なら気がかりなのは残る四人だろう。中でも爆発した車両が本当にあのワゴンならと考えて、想像が取り返しのつかない方向へ膨らんでゆくのを止められなくなる。
「……やだな、もう」
もらす呟きであてがった通話ボタンから指を浮かせたのは、その万が一をオペレーターの淡々とした口調で聞かされたくはなかったからだ。なおかつそのあと穏やかと眠れる図太さこそ百々にはない。
明日が休みなのは舞台挨拶で休日出勤したためで、ならこれ以上のタイミングはないと思えていた。いや、呼び出されてもいないのに出向いたらまた百合草に説教されるだろうか。巡らせしかし、その杞憂に勝る動機はあると意を決す。
風呂へ入るのも戦闘準備だ。
全力で髪を乾かし百々はベッドへもぐり込んでいた。
ひと眠りすれば否が応でも朝は来る。まるでワープへ挑むような心持ちで明日へ向かい、百々は力いっぱい目を閉じた。
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