第38話

 タクシーめがけハンドルを切った。後輪から白煙は上がり、驚かされてタクシーが急ブレーキを踏む。護送車にワゴンも追突しかけてそれぞれに急停車した。

「っぶなっ」

 さて、どんな急用だろうとそんなジープに漂うのは、ただならぬ気迫にほかならない。そしてこれを殺気だと気づけなければ、付き添う面々はただの客人でしかなくなる。

「対向車線よりジープっ。こっちへ突っ込む形で交差点中央で停車っ」

 ストラヴィンスキーがすかさずマイクへ吹き込んでいた。

 産業道路の信号は青のままだ。

「バックしろ」

 護送車へレフも呼びかける。

 あいだにもジープのドアは開け放たれていた。中から男は三人、姿を現す。そんな彼らは着衣こそカジュアルだった。だが白昼のショッピング街へ溶け込むに相当無理ある目だし帽をかぶるとモデルガンなのか実銃なのか、形状からしてサブマシンガンMP5をしっかり両手に握り絞めている。

「クソ、こんなところでかッ」

 ハートが唸った。

「下がれ。ぼやぼやするな、来るぞッ」

 運転席の制服へ檄を飛ばす。進行方向を確かめ、自身も助手席で身をひねった。だが慌てふためく制服の手足はまるでかみ合っていない。入れ損ねたギアも足元でゴリゴリ音を立てている。

「落ち着け」

 呼びかけレフレフはワゴンを抜け出した。

「コレ、装甲車じゃないですよっ」

 背へ投げるストラヴィンスキーは心得ており、残して身も低くレフはリアへ移動してゆく。後輪の位置で腰を落として背を預けると、引き抜いた銃のセーフティーを弾いた。すかさずチェンバーへ弾を送り込む。

「あれがホンモノだったらな」

 後方から鳴らされるクラクションが、何をしているんだと憤っていた。浴びつつワゴンから片目だけをのぞかせる。ハンドサインも本格的と、ジープを離れた目だし帽たちは護送車へと前進していた。

 刹那、護送車のギアは繋がる。

 制してMP5が火を吹いた。

 こなれたシンガーのスキャットよろしく銃声は連なると、モノの真偽を明らかにしてボンネットへ風穴を一列、空けてみせる。

「ホンモノらしいぞッ」

 知らせるハートはつまり無事らしい。

「わお!」

 当たりくじを引き当てたあんばいでストラヴィンスキーも声を上げる。被弾に護送車は再び動かなくなり、目がけてレフはワゴンから背を剥がした。

「引き付けるッ」

 ワゴンを盾に小さく吐いた息で二発。

 気づいて相手が振り返ったなら、さらに二発。

 居場所に気づかれたならまずい、でワゴンの影に身を屈めた。

 叩きつけて九ミリ弾は間髪入れずまき散らされる。

「だから言ったんですよっ」

 食らった車体が悲鳴を上げた。

 中で伏せているだろうストラヴィンスキーはわめき、あいだにもここぞとばかりエンジンをかけなおした護送車がバックを開始する。この騒ぎに動転したのか。追い抜くようにして対向車線からトラックは右折して来た。進路を取り合う護送車は、ぶつかりかけて再び停止してしまう。

「バカヤロウッ。どけッ」

 ハートの罵声も飛んでしかり。

 背に銃弾を浴びつつレフもまた、「るるロード」へと走り去ってゆくトラックのテールを見送る。目だし帽たちへ振り戻しかけて、パーキング待ちの列を二度見していた。

 並んで停車していたシルバーバンの挙動だ。

 そこには駐車を諦めたとは思えない勢いがある。

 アクセルもベタ踏みと、シルバーのバンは交差点へと突っ込んでいた。

「るるロード前ッ」

 咄嗟にレフは知らせる。

 そこで目だし帽の掃射が切れた。

 跳ね上げた尻で身をひるがえす。

 相手の位置なら目星はついており、絞った引き金に目だし帽の体ものけぞり倒れた。重なり耳障りとタイヤが鳴く。直線レーンを流れていた車両がボンネットを沈み込ませて急停止していた。かすめたシルバーバンがハンドルを切る。護送車めがけ尻を振ると、豪快なドリフトをみせた。

 もう疑いようがない。仲間だ。

「面倒くさい。逃げるのはやめだッ」

「ていうかコレ、挟み込まれただけですよっ」

 ハートが吐き捨て、ストラヴィンスキーも正して投げる。続けさまレフへもこう放ってみせた。

「出しますっ」

 もちろんワゴンを、だ。

「行けッ」

 レフもまた、馬でも走らせるようにその尻を叩く。アスファルトを蹴りつけワゴンを押し出し、道を分けた。


「粗茶、ですが……」

 つ、と差し出す。

 様子がどこか滑稽に映るのは天真爛漫な巨匠と、どこの馬の骨だか分からぬアルバイトの組み合わせが効いているせいだろう。

「ソチャ」

 百々はかしこまり、前で監督も神妙と湯呑みをのぞき込んだ。

「シッテイマスヨ。イチバンノ、オチャヲダストキノ、アイコトバデスネ」

 感心しきって首を振り、あるはずもない着物の袖を整えなおす。そうしてうやうやしく湯呑みを掲げた仕草こそ武将のそれで、果たして濡れて茶たくが吸いつこうと、マズイと手を出した百々の前でカポンと外れて落ちようと、監督は粛々茶をあおった。果てに、かぁっ、と唸り声を上げる。

「アツイ」

 なぜ第一声が味についてではないのか。

「あ、す、すみません。別のものに」

 つんのめりかけて百々は体を押し止めた。

「イエ、ケッコウデゴザル。コレガニホンノ、[ワサビ|・・・]、デスネ」

 制する一言一句に、ツッコミどころがあふれかえる。だが雰囲気ではない。聞き流せ。言い聞かせたなら百々の理性にも不調は生じ始める。

「は、ははぁっ。せんえつ至極にございますぅっ」

 日常会話がもうおかしい。

 ままににんまり頬をつぶしていったのは監督だった。やがて辛抱たまらんといわんばかり、肩をゆすって笑いだす。

「ハッハッハ。ワサビハ、カライデスネ」

 成り行きに百々こそ目を点に変えていた。

「ていき、いーじー。キョウハ、せれもにーデスネ。イッショニ、タノシミマショウ」

 前で監督はダンシン、ダンシン、と肩を振り踊り出す。仕草は唖然とする百々よりまったくもって滑稽だった。だからしてようやく百々は気づかされる。それは自身が巨匠と呼ばれていることを知るからこそ、気遣う道化だ。気取らぬその笑みはあまりに無邪気だった。君も踊ったっていいんだよ。言わんばかりの距離にのまれて百々はしばし呆気にとられる。いや、遠くて近いこの距離をあっという間に作りだした監督に、あらため心を奪われ放心した。

 と、次を仕掛けてすまし顔を取り繕った監督は、向かいのソファへわざとらしいほどの視線を投げる。追いかけ振り返ればそこに色紙は置かれており、百々は慌ててか差し出していた。

「おっ、お願いします」

 受け取った監督は、百々をソファへ座らせている。のぞき込む百々の視線を遮ると、ゴキゲンと色紙を抱え込みサインを走らせだした。

「エイガハ、ミマシタカ?」

 ひと筆で終わらぬそれは、ずいぶん凝ったものらしい。

「は、はい。誰よりも早く」

 それは素晴らしい、と監督はうなずき返す。

「ドウデシタカ?」

 尋ねられ、百々は弾かれたように背を伸ばしていた。

「はいっ、よかったですっ。どのシーンも綺麗で繊細で。ストーリーも大事なことを思い出させてくれるようで。すごく感動しましたっ」

 とたんピタリ、動きを止めたのは監督のペンだ。色紙へ落としていた目をゆっくりと、百々へ持ち上げてゆく。

「ホントウデスカ?」

 眼差しはまるでウソをつく子供を咎める母親のようだった。だからしていけない人だ、と静かに首も振ってみせる。

「エイガノヒトハ、ミンナ、イイマスネ」

 そこに見て取れるのはがっかりした、と言わんばかりの表情で、百々にとってあまりに予想外でしかなかった。だがもちろん百々には嘘をついているつもりも、ましてや媚びているつもりもない。

「アナタノ、カンソウガ、キキタカッタデスネ」

 ただ監督の言葉にはっ、とさせられる。脳裏に「バスボム」鑑賞直後の、呪いさえ放った一部始終を過らせた。

 果たして作品の良さが分かったから、とでも言うのか。嫌っていたはずの感想が、気付けばこうも宣伝用のキャッチフレーズに変わってしまった理由が今さらながら分からない。だのに一部始終を「自身の感想」だ、と言ってしまうことに疑問は残った。そして目の前には、あのブラック監督がいる。敬意をもって接すればこそだと思う。百々は姿勢を改めていた。

「あの、すみません。言い間違えました」

 勇気は必要だったが、振り絞るほどに誠実でいようとしているのだ、そう思えてならない。

「その、わたしの感想は、こうです」

 ちゃんと見たのだと、大事なあなたへ伝えたかった。

「本当は素敵な物語なのに、どうしてハダカばっかりなのかが不満でした。もっと誰でも見ることのできる映画がいいと思います。そうすればわたしがそうだったように、みんなへ勇気を与えられます。わたしは勇気づけられて初めてこの映画が素敵な映画なんだって分かりました。同じように必要としている人はたくさんいると思います。過激なのは話題になるけど……、過激じゃなくても話題になる映画だって感じています」

 聞き入る監督の眼差しは百々の日本語を理解するためか、それとも苦い意見を受けたからか、真剣そのものと厳しい。真っ向から受け止めれば百々の心はざわつき、やがて監督の指は百々を指した。

「ザッツライト。ちるどれん、どんにーまいむーびぃ。コドモニハ、イリマセンネ。オトナガ、ミルネ。オトナニ、ダケ、ミセルネ。タクサン、ネ、ソレハ、ウ、ノー」

 監督はその先を、つたない日本語で説明しようとするが、それ以上がうまく言葉にならないらしい。詰まるとあれだよ、とお手上げのように宙で手を泳がせた。それもまた及ばずだったなら、決着をつけてパチン、と指を鳴す。

「ダイジナコトハ、ソレダケデス。ケレド……」

 その手は百々へ開かれていた。

「さんきゅー」

 心からの握手を求める。

「さんきゅー」

 繰り返される感謝の意味など分かるはずもない。だがそこには何か、素敵な世界へ誘う響きがあった。それこそ夢、幻と、導かれるまま差し出された手に百々は触れる。握り返された力の強さに、どの登場人物にも投影されることのない映画「バスボム」そのものが流し込まれてきたなら胸をいっぱいにした。

 解いた監督がソファの上で座りなおしている。

「ナマエハ、ナントイイマスカ」

 確かめているのは色紙の最後に記す名前だろう。

「ど……」

 思わず独り占めしかけて百々は思い止まった。

「あ、違います。これは映画館に飾る分です」

「おう。あいしー。とぅえにーせんちゅりーしねま、ネ」

 キュッキュッとペン先が、仕上げとばかりに音を立てる。果てに出来上がった色紙を百々は、もろ手を挙げて受け取っていた。

「ありがとうございま、え……」

 が、感極まれない。何しろそこに名前は「スタンリー・ブラック」とつづられていた。そう、どういうわけだかひらがなで、だ。しかも三歳児の殴り書きか。超がつくほど下手クソときている。これじゃあ時間がかかるはずだと思えていた。同時にこんなものを水谷に見せて信用してもらえるのか。拭えぬ不安が百々を襲う。いや、そもそもこんなものを巨匠のサインと言い張りロビーに飾っていいのか。ホンキで悩み、頼めずキミが書いたんじゃないの、疑われる構図にたじろぐ。だが苦心惨憺、書き上げた監督はゴキゲンそのものだ。

「ヒラガナ、いえー」

 書けるんですよ。言わんばかりに百々へ親指を立てていた。だからといって返せば金輪際、新しいサインが頼めないことはもう理解できている。理解できるが、一体誰がこの笑みを拒めようか。

「ひ、ひらがな、イエー……」

 答えて百々も指を立てた。

 人柄だ。この色紙には人柄があふれているんだ。理解しなおしたところで水を手に、通訳と友人は戻っていた。

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