第36話
翌日、午前十一時。
ガレージへ出るドアは開く。
今日もコート姿で渡会の部下は二人、両側を歩いていた。
脇を抱え上げられてその人物は、モスグリーンのモッズコートをはおるとそれも喋らない、と言う意思の現れか。合わせた前で口元を覆い、ファーがついたフードを目深にかぶりうつむいている。
と、片側で渡会の部下がふと視線を逸らした。警戒に早すぎるという心配こそないだろう。周囲を見回し再び正面をとらえなおす。
停められた護送車はもう目の前だ。後部、左右に開かれたドアの傍らに、腰から拳銃を下げて立つセクションCT、バジル・ハートの姿も見えている。今日はさすがに幾らか余分に織ってきている様子だが、それが防弾ジョッキとアーミーベストなら見た目こそなんら変わるとろこがなく、そんなハートを前に立ち止まった。互いにカウントが聞こえてきそうな間合いで敬礼を放ちあう。
「榊大輔、本日、中新田村拘置所へ護送のため、連行しました」
「了解。これより中新田村拘置所への護送を開始する」
今日こそ慣れ合う気にはなれそうもない。軽くうなずき返せば開け放たれた護送車の後部から、間にモッズコートを挟んでコートの二人は中へと潜り込んでいった。三人だけのために用意されたシートへ並んで腰を下ろす。
見届けハートは後部扉を閉めた。
施錠し前へ回り込む。
少々高い位置にある助手席へと尻を投げた。
「三人が乗った」
「了解」
勢いよくドアを閉めれば、待機していた制服警官が挿されたままのキーを捻る。エンジンのかかりは早く、見届けハートもベストのマイクへ口を近づけた。
「十一時三分。これより榊大輔の護送を開始する」
通りへ向かいハンドルが切られる。小石を踏んでタイヤはピシピシ、音を立て、ゆっくりと署のガレージを抜け出した護送車は一路、中新田村拘置所へと走り出した。
ほぼ同時刻だ。
「気合、入れていこうぜッ」
組まれた円陣の中央に十本の手は重ね合わされる。
こんなことをするのは初めてだった。いや、『20世紀CINEMA』の歴史の中でもこれが初めてとなるだろう。突き抜ける田所の声に全員の集中力は高まると、えいえいおー、の雄叫びと共に重ねた手を空へ弾き上げた。
整理番号券は早朝にも予定枚数の配布が終了すると、六百人ほどが作る列はテナントビルを半周し、いまや一旦、切れて隣のブロックまで伸びている。放っておくわけにもゆかず開場時間は前倒しされ、しかしながら見ての通り遅れてきた者はいない。
「じゃ、そろそろ警備の方、来られますからね。みなさん、よろしくお願いしますよ」
水谷の声を背に、配置へ散ってゆくスタッフの気合は相当だ。社員の橋田がいないせいで映写のヘルプにもつけるよう、田所も鉄扉前のレジにつくと発券機の最終チェックを行っている。
ロビー側の鉄扉が開いたのはその最中だ。現れた警備員が夜間、預けていた吸殻入れを所定位置に据え置いた。動作はいつもと変わらぬ開館のきっかけで、立ち去りぎわ水谷へ二言、三言、声もまたかけてゆく。
「それじゃ、離れますね」
終えた水谷が田所へと投げていた。はい、と返した田所は落ち着いたもので、重なり正面扉の傍らから誘導担当も声を上げる。
「20世紀CINEMA、開場、しまーすっ」
屈んで足元の穴へ鍵を差し込めば、見て取った人影が扉の向こうで揺れた。
「じゃ、行きましょうか。百々君」
誘う水谷へ、百々もよろしくお願いしますと頭を下げる。
開いた正面扉からどうっ、とチケットを求める客が流れ込んできていた。
始まった発券へ背を向ける。水谷の後につき百々もバックヤードへと潜り込んでいった。
「第二ポイント通過。周囲に不審車はなし」
ハートは胸元のマイクへ告げる。
今回、高速道路は使用していない。何かしらの理由で進路が塞がれ、万が一にも強襲を受けた場合、護送経路の変更はおろか退路さえなくなるうえ一般車両の避難も困難になると判断したためだ。そうして組み上げられた護送経路は全行程、二時間四十分。そのうち署を出てからの三十分余りが、今しがた抜け出してきた住宅街だった。
「この先、目立った渋滞は確認されていません。おおむね順調。各ポイント配備中の署員からも不審人物、不審車の報告なし。周辺地域での事故、事件なし。引き続き予定通りの走行を願います」
十一時三十七分。グレーの護送車は周囲の車両に馴染む以上、今どきのデザインに埋もれて片側二車線の産業道路を地味に走り続けている。
「了解」
返しハートは深く腕を絡ませていった。
「聞いたか。このまま何事もなく目的地へついちまうかもしれんな」
呼びかけた相手は後方を走るワインレッドのワゴン、そこに乗るレフとストラヴィンスキーだ。覆面パトカーは先刻通り一定区間ごとに張り込んでいるが、護送車に張り付いているのは後にも先にもこの一台しかない。
「それ、何よりじゃないですか」
ストラヴィンスキーは相変わらずである。
「それは奴らを全員、取り押さえてからの言葉だな」
付け加えたレフはといえば、終始くまなく周囲へ視線を走らせていた。つまるところ今日はストラヴィンスキーがハンドルを握っている。
「何よりでした、ってね」
ままで肩をすくめると、分厚いレンズ越しの視線をレフへ投げた。
「誰もドジったりしませんよ」
「だが現れたとして人数さえ把握できていないのが現状だ。気は抜くな」
聞えた声は百合草のものである。
「一ダース、トラックで現れるか」
鼻でハートが笑っていた。
「目立ちすぎるな」
便乗するレフに思わずストラヴィンスキーも笑んだところで釘は刺される。
「面白い冗談は打ち上げに取っておけ」
「二百メートル先、次の信号は回避不能です。停車時間、三分二十秒」
オペレーターが知らせたとおり、そこで前方、黄を灯していた信号は赤に変わる。従い、踏まれるブレーキにテールランプのドミノ倒しは始まると、見る間に車間は詰まっていった。
自身でも確認するレフがフロントガラスの高さへ腕を持ち上げる。腕時計の文字盤を読みながら、向こうに広がる光景へもまた注意を払い続けた。
と視界で、それは細かに出入りを繰り返す。
サイドミラーだ。
映り込んだかと思えば外へ飛び出しながら、徐々に背後から近づいていた。
「一分四十四秒経過」
読み上げてカウントを、ストラヴィンスキーへとレフは預ける。
「なんです?」
だとしてストラヴィンスキーに慌てた様子はない。
「後方からバイクが一台」
間違いない。路肩をなぞりさらに接近している。近づき過ぎてサイドミラーからはみ出したなら、レフは視界をルームミラーへ切り替えた。
瞬間、バイクは後続車の車間へもぐり込む。ぬうと大きく蛇行して、再び路肩へ姿を現わした。
「グリーンとイエローのダウンジャケット。ジーンズ。白っぽいフルフェイスのヘルメット。男だ。車体はシルバー。排気量は四百程度に見える」
見える限りを並べてゆく。
うちにも報告に間違いがないことを見せつけバイクはゆう、とワゴンを追い抜いていった。護送車の後ろについたところで見えたナンバーもまたレフは読み上げる。
「ハート」
混雑した路面でならよくある光景だが状況が状況だ。神経質にならざるを得ない。
「左後方だ」
「荷物は?」
問い返されてレフはライダーの全身へ視線を這わせた。
「車体には見当たらない。ショルダーバックをたすき掛けにしている。厚みはない。それ以外、見える場所に携帯しているものは確認できない」
そこで信号は青を灯す。進み始めた先頭車両に車列が緩慢と動き出していた。ならい護送車も前進を始め、追いかけるライダーが、アクセルを吹かせ足先でクラッチを切りかえる。ままに護送車の後方について走行するのかと思いきや、一気に加速した。
「窓に注意」
告げたレフの手がドアノブを握る。
かぶさり告げるオペレーターの口調こそ早い。
「ナンバー確認。イージーメールカンパニー。バイク便、配送中です。車体の盗難届けは出ていません」
加速を続けるバイクはもう、護送車助手席の窓に鼻先を並べている。だが言う通りだ。ライダーが中をのぞき込むこともなければ、振り返ることもなかった。さらに車体を加速させ交差点を渡って行く。
「あれか。今、追い越していった」
見送るハートがこぼしていた。間髪入れず、念のため職質をかけろ、と指示する百合草の声に慌てたところはない。
周囲では剥がれるてゆくように、車両が右折、左折を繰り出していた。経たところで護送車とワゴンの間へ入り込んでくる車両はない。ただ曽我の声だけが改め誰もへ注意を促す。
「ここから先、予定通り信号に引っかかることはないわ。ただしおよそ四十分後ね。るるロード前交差点だけは買い物客の車両が集中。混雑の回避は難しい。交通量の調整はしているけれど、渡り切るまで今のように停まる可能性があることを忘れないで」
拘置所は、そんなるるロード前交差点を右折。乗り換えた国道をさらに一時間ほど山手へ上がったところにあった。そして言うまでもなく「るるロード」とは、ショッピングセンターにスポーツ施設、劇場までを囲った大型複合施設の名称だ。一帯には昔からの商店街もまた伸びると、大型複合施設とのディスカウント合戦が多くの人を呼び込む賑やかな場所でもあった。
目指して護送車はさらにもう一基、信号をやり過ごす。
「驚かせやがる」
思い出したようにレフがこぼした。
「レフでも驚かされることがあるんですね」
返すストラヴィンスキーに他意はない。
「俺もただの人間だ」
あることを確かめて手が、銃のグリップに触れる。
そう、同じ人間なら緊張する必要などありはしなかった。禁じられたとは言え、おもてなしのハローは胸の内で盛大に。満面の笑みで百々は、いまやおそしと開いたタクシーのドアを見つめる。
突き出された足が地面をとらえていた。真新しい白のスニーカーも、サンドグレーのコットンパンツも、そこら中にあるが今、ここにしかないと思えてならない。力強く踏みしめ持ち上げられたのは体で、連なりキャメル色のブルゾンは後部座席から現われていた。
思ったほど大きな人物ではないらしい。いやそれもこれもレフという外国人を間近に見過ぎたせいか。反対側のドアからは赤毛の外国人女性が、助手席からは日本人らしき中年男性が、姿を現している。
見て取った沿道から一斉に声はあがっていた。そこには本当に黄色い色がついている。
迎えて水谷は朗らかに、しかしながら熱烈と握手を交わしてみせた。いったいどこで身に付けたのか。繰り出す英語はとにかく巧みで、驚かされて百々はしばしみとれ、そんな百々へもついにその顔は向けられる。
日本が好きだと言うだけはあって会釈がさまになっていた。だからか巨匠といわんばかりの威圧感よりも、穏やかで丸いといった方がしっくりくるようでならない。だが黄色い声の上がる沿道へひとたび振り返ればその姿は、作品つくりの中で数百人ものスタッフを動かし、見るため何万人をも動かして然りのパワーに満ちあふれる。
この人があの映画を作ったんだ。
思わずにはおれなかった。
高らかに突き上げた手で監督スタンリー・ブラックは、ファンの声援に応えて微笑む。
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