第35話 case5# GUN & SHOW
以後、百々が護送警備について尋ねることはなかった。聞いたところで手出しすることはできなかったし、そもそも部外秘だ。教えてもらえるハズもない。ハートの不満も気にはなったが、昨日今日、生じた不和でもないなら彼らこそプロである。たとえ表向きだけだろうと破綻なくこなすことを信じた。
何より今、急ピッチで進めなければならないのは映画「バスボム」の先行上映、その舞台挨拶の準備だ。聞くところによるとノミネート作品の発表に合わせて更新された『20世紀CINEMA』サイトへは直後からアクセスが殺到すると、チケットの問い合わせ等、電話もひっきりなしに鳴り続けているらしい。
ふまえて翌朝、急遽ミーティングは全員参加で行われていた。なにしろブラック監督到着に合わせた舞台挨拶は午後十二時二十分で、時間帯は二回目の上映前に当たったせいだ。伴い一回目の上映は中止となり、影響で当日の鑑賞チケットも全上映回が当日配布、整理番号順での購入が取り決められ、全員招集はそれら変更の周知と準備のためだった。
終了後、整理番号券の準備に、ポップの張り替えに、続く問い合わせの対応に、すでに伸びつつある整理券を求める行列整理に、スタッフは散っている。もちろん並行して通常営業も行われたなら「20世紀CINEMA」は、まさに水谷が言うとおりのてんやわんやな一日となっていた。
だが百々はといえば、その中にない。真逆とひっそり静まり返った事務所で水谷と向かい合う。
「当日の十一時半。ブラック監督はタクシーで通用口に到着、劇場入りされます。ご案内はわたしがする予定ですが……。更衣室がありますよね、百々君はその向こうにもまだ部屋があるのを知ってますか」
「えっと」
記憶を辿り目を泳がせた。
「あ、知っています。けれど開いているのは見たことがないです」
「そこですね。この後、準備に向かいますが、そちらに応接室があります。そこへご案内して、舞台挨拶までの時間を過ごしていただこうと思っています」
なるほど、で早速メモする。
「百々君も、監督のお出迎えに参加しますか?」
水谷が合間をぬって確かめた。
「えっ、いいんですか」
「そうですねぇ。多くでお出迎えした方が印象はいいでしょうから」
とはいえ未曽有の事態に大出血で割いた人員が百々一人なのだから、まったくもっていただけない。しかしながらこれを役得と言わずしてなんと言えばいいのだろう。
「行きます」
返して百々はなけなしの語学力もまた披露する。
「ハッ、ハロオォウ、でいいんですよね」
そのしまりのなさは絶妙だ。
「いやぁ、それはちょっと。どうですかねぇ」
「えっ」
「じゃ、じゃあ笑顔。笑顔でお願いしましょうか。誰しも第一印象は大事ですから」
「はいぃ」
などと繰り出した笑みこそ目も当てられないものだったなら、即座になかった事にする水谷は賢明だった。
「ともかく」
話を元へ戻す。
「舞台挨拶は十二時二十分より三十分間が予定されています。控室からの移動はスタッフが着替えてロビーへ出るのと同じ通路を。ロビー横の鉄扉から出て、シアターAへ回り込んでもらう道順を予定しています。そこで百々君にはブラック監督が出られた後の控室の施錠と、監督がロビーに出た際はシアターまでの通路の確保をお願いしようと思っています」
動線をイメージしながら百々はペンを動かした。
「舞台の司会はプロの方が来られます。内容は本作のインタビューが中心で、通訳を挟んだ司会者との対談形式となります。これは十五分ほどを予定。最後に花束贈呈、客席側を入れての記念撮影で終了になります。この写真は後ほど宣伝素材として使用するらしいですよ。ウチでも引き伸ばしてサインと一緒にロビーに飾ろうかと考えています」
ふんふん、と頭の中を走るイメージも快調だ。
「そこで」
と水谷は言葉を切った。どうしたのかと手を止め百々は顔を上げる。
「百々君には花束贈呈をしてもらって、そのまま控室前へ移動。帰ってこられたブラック監督のために部屋を開けてもらおうと思っています」
瞬間、おおっ、と声がもれたことは言うまでもない。
「花束贈呈、あたしがするんですかっ」
役職も何もないアルバイトのぶんざいで、だ。
「わたしが行ってもいいんですが、フリーでいた方がいいかなと。橋田君もいないわけですからねぇ。咄嗟のトラブルに対応できる責任者がホント、いないんですよ」
吐く水谷の表情は苦々しい。
「誰でもいいというわけではありませんけど、当日は監督の対応に回ってもらう百々君ですし。その日はここの顔のようなものですから、お願いできると助かるんですけれど」
確かに、そんな具合でここまでやってきた『20世紀CINEMA』だった。仕事にはアルバイトも社員もあまり関係がない様子で、一生懸命やってくれるなら任せてみる。それでいてフォローも怠らないのが水谷流だった。だからして前向きと仕事にのめり込むスタッフも少なくなく、それは勤続年数の長いアルバイトが多い点でも証明されている。
「劇場の顔、ですか……」
だからといって持ちかけられた役割はイベントもクライマックスと、二つ返事で返せぬほどに大きいものだろう。
「一日だけ、ダメですかね」
分かっているからこそのぞき込む水谷の顔は心配げで、眺めていれば渋って困らせることの方が一大事だとしか思えなくなってくる。
まさにえいや、だ。
百々はヒザを打ちつけた。
「わかりました。支配人にしかできないことやってください。その間にわたしが花でもヤリでも、渡して投げちゃいますからっ」
ここぞで、あの砂糖の入ったホットミルクは返される。
そう、どうにも素っ頓狂で時にどこまで本気でどこからふざけているのか分からない水谷だったが、こうした時だけはまるで別人となるのだ。温厚などと言ってのけるに単純すぎる人柄は滲みむと、この人の下にいてよかった、思わずにおれないオーラを放つのである。それを従業員は「水谷マジック」と呼び慕っていた。だからこそ何があろうと水谷へ一目置くのも、この笑みのせいだった。
百々もまたそんな魔法に魅了される。がぜんヤル気を倍増させた。
「後はですね」
知ってか知らずか業務を続行する水谷はもう、いつもの表情だ。
「タクシーを待たせておくと出待ちに囲まれる可能性があるので、わたしが改めて手配します。到着後に通用口までご案内。お見送りで終了です。以降は百々君も表の仕事へ戻ってもらうつもりでいます」
なるほど。聞けばゲストが飛びぬけて有名人なだけで、段取りはたいして複雑なものではない。むしろ舞台挨拶という特異な設定にマイクや照明の設定等、映写室の方が大変なのではないか、心配するあんばいだ。
「わかりました。頑張ります」
「お願いしますよ」
返す水谷の笑みはどこか試すように悪戯げで、ひっこめ、さっそく、と百々へ買い出しを指示した。
聞くところによればスタンリー・ブラック監督一行は、通訳とツアーコンダクターに日本人の友人、この四人らしい。舞台挨拶の司会者を加えたなら当日は五人分が目安で、幾ばくかの現金を預かり百々は『20世紀CINEMA』を抜け出す。
駅前の繁華街へ向かう途中、他愛もない話に花を咲かせて整理番号の配布を待つ列を眺めた。しばらくも行った繁華街の入口では、ポスターの張り替えにいそしむバイト仲間と手を振り合っている。気づけばすれ違う見知らぬ人の顔さえも、いやこの街全体がだった。明日の一大イベントに胸躍らせているように見えてならなくなる。
ならそのとき王様だ、と思わされていた。
それがひと時これほど人も世界も変えるなら、きっと今でも映画は娯楽の王様に違いないと思う。住まう映画館はだから宮殿で、行われる宴へ一度は誰もが参加したいと望むのだと。
だとして全てはツクリモノ、しょせんは架空の産物でしかないだろう。うつつを抜かしているだけで王様は裸かもしれなかった。
けれど一度だろうとこうして胸躍らせたなら分かるはずだと思ええてならない。費やした時間は己が人生の一部になると、決して引き剥がされることのない現実へすり替わる。ちょうど今、見回す世界が様子を変えてしまったように。明日がいつもと様子を変えて輝くように。
既存の娯楽は全て、楽しむことを義務付けられた労働だ。
SO WHAT は主張して多量の火を放っている。
冗談じゃない。
思い返せば怒りはこみあげていた。何しろそうして SO WHAT が消し去ろうとしているのは経済的ダメージなど足元にもおよばない。今、百々が感じている全てだった。
足はいつもの道を辿ると駅を目指す。気づけばハートたちと飲んだ「ヒッキーズダイニングバー」が見えていた。時間は正午を過ぎたところか。ランチを企画していないそこに人影はなく、侘しげと色を失ったネオン管がアーチを空へ投げている。
くぐった昨日を思い出し、「強襲」の二文字を百々は脳裏に過らせた。それこそ浮かれた自身に罪悪感を覚え、昨晩とは似ても似つかぬ薄汚れたテナントビルをただ仰ぐ。
いやそうじゃない。
蘇ったレフの言葉に固く唇を結びなおしていった。
やり方こそ違っているだけだ。
目的はセクションCTも『20世紀CINEMA』も変わらない。
接点のない援護。
セクションCTは移送車を無事目的地へ送り届けることで、待機を命じられた百々は先行上映を成功させることで、明日、互いに娯楽を守り切る。
駅の手前、信号を待って投げた視線の先にはオフィスをかくまう病院があった。
きっと彼らはしくじったりしない。なら同じだと百々は自分へ言い聞かせる。
雑踏は無関心だが人質だ。
試すように信号が青を灯す。
めがけて百々は最初一歩を踏み出した。
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