第34話

「その事件がきっかけで、やつはここへ鞍替えした。とはいえ、どうやって潜り込んだのかまでは知らん。あれでどうして、したたかなやつだからな。だが動機が動機だ。本土とヨーロッパで蹴られた。そこで当時、一番平穏だったここへ放り込まれたというわけだ。いいか」

 念を押す目がストラヴィンスキーと百々の間を往復していた。

「こうも公私混同な捜査員など前代未聞だぞ。腕は立つかもしれんが、ビッグアンプルの時もそうだ。そのせいで頭に血の昇ったきり勝手と飛び出すようなヤツと一緒に仕事をするこっちの身にもなれッ」

 吐き捨てたかと思えば一掴み、ポテトを口の中へ押し込む。噛み潰す様は鉄くずか何かのようで、少なくとも百々には美味そうには見えなかった。唇の端にタコライスのレタスをのぞかせたストラヴィンスキーも向かいで、渋い顔をしうなずいている。

「らしいですね。ぼくが聞いたのもその辺りです」

「百々にまで言われたなら世話はない。知らず、一緒に危ない橋を渡れるやつがいたら、そいつは馬鹿だ」

 だからあのときレフは逃すつもりはない、といきまき単独で最上層へ向かったのか、と思い出していた。そしてハートは白い面が冷静に見えるとは限らないと罵り、挙句、役に立たんとまで切り捨てたのかと振り返る。とたん解せなかったあれやこれやは百々の中で一気に霧を晴らしたが、それでスッキリしたかと言えばまったくもって逆だった。全ては見なくてもいい舞台裏をのぞいてしまったあとのガッカリした気分にそっくりで、いたたまれなさに口をつぐむ。

 紛らせて、中途半端と浮いていたタコライスへかぶりついた。味について言及できるほど堪能できる気分にはなれず、ただ機械的に咀嚼し続ける。

「チーフも腹の底では同じだ」

 言うハートへ視線を投げた。

「テロの過疎地だったとはいえ厄介者を押し付けられたと考えているからこそ、持て余している」

 とハートもまた百々へアゴを引いてみせる。

「ヤツと組まされたのもそのためだ」

 言った。

「え、あたしが?」

「ええ間違いなく」

 すかさず口添えたストラヴィンスキーが最後の春巻きをさらっていた。理解しかねて百々は頬を歪め、あいだにも店員を捕まえハートはバーボン、と告げる。

「言っては何だが」

 言葉はまるでその続きのようだ。

「ど素人と行動を共にすれば、当然そちらに手が取られる」

「す、すみません」

「そもそもチーフは専属で奴を百々の警護に当たらせ、捜査から退かせたかったんだろうが窓際同然、露骨なやり方で突飛な行動に出られてもかなわん。そこでこうなった。百々の臨時採用なんてものは苦肉の策だ」

 これまたあまりに理にかなった舞台裏なら、言って返す言葉などありはしなかった。百々はただ氷も解けて薄くなったスプモーニへ口をつける。飲み干し、最後の氷を口の中で転がした。

「けれど百々さん、意外にアグレッシブだから」

 などと微笑むストラヴィンスキーのグラスもいつしかカラだ。ゆえに自分もバーボンをもらっていいか、とハートへ投げ、捕まえた店員へ百々のおかわりとグラスの追加を手早く頼んだ。

「チーフはきっと頭、痛めてると思います」

「……そか」

 だからして奮起するたび、どやされるはずだと思えていた。気づいているだろうレフにたいした愛想がないのも当然で、今頃とれた足かせにせいせいしているに違いない、とさえ想像してみる。

 皿に残ったレタスは張りつき、つまみにくくて仕方ない。それでもさらえて溜息もろとも、百々はそろえた箸をテーブルへ置く。

「あさっての件、はずされて抗議したらしいな」

 などと切りだしたのはハートだ。

「そのあと非常階段でヤツに追い回されただと?」

「へ、なんで知ってるの」

 百々は伸び上がり、向かいで頭を下げるストラヴィンスキーに気がつく。

「すみません。口、軽くって。あ、でもハートにしか言ってませんよ。オツさんにはバレた、かな? そうしたらこうなりました」

 果てに知らされたのは、そうまで気にかけてもらっているという事実だろう。

「気に病むな。今回ばかりはヤツを遊ばせておけるような状況でなくなった。残念な部分もあるだろうが、ドドはヤツのせいで振り回されただけだ」

「ええ、チーフもやり方が紙一重です」

 いい具合に落ち着いた腹をなでつけストラヴィンスキーが、のけぞるように椅子へ身を反り返らせていた。

 そこへボトルでバーボンは運ばれてくる。

 受け取ったハートがグラスを二つ、体の前へと並べ置いた。まるで儀式だ。琥珀色した液体を、やたらめったら慎重な手つきできっちり均等に注ぎ入れてゆく。

「でも、なかなかの名コンビじゃないかって僕は思ったんですけどね」

 眺めつつ言うストラヴィンスキーの声は、どこか眠たげにも聞こえてならない。

「え?」

「いえいえ、阿吽って意味じゃないですよ。百々さんに危険についてを納得させたのはレフです。示しておいて自分がおろそかには出来ないじゃないですか。だからいいバランスだと僕は思ったんです」

 言われように百々はあんぐりし、グラスを満たし終えたハートがかすかと鼻で笑う。

「ふん、反面教師か」

「ええ。狙ったところとはずれていても、百々さんがアグレッシブな分、良いおもりと見させていただきました」

 とはいえそれが「お守り」を意味しているのか、果たして「重り」のことなのか、百々には全く区別がつかない。ただはぁ、とだけ返す。

「なるほど。でかしたぞ、期待のストッパー!」

 その背をハートに叩きつけられていた。

「うわぁ」

 勢いに体は前へ放り出され、百々のグラスもちょうどそのとき運ばれてくる。

「これで少しは安心して仕事ができるというわけだ」

「って次、待機なんですけど」

 聞かず豪快と笑うハートの機嫌は元通りだ。

「まま、欠席裁判もここまでってことで」

 ぶり返さぬうちに、とストラヴィンスキーが巧みと話を切り上げる。

「ようし、仕切り直しだ」

 応じるハートがグラスを持ち上げた。ならってグラスを掲げたストラヴィンスキーも一同を見回す。

「じゃ、何に乾杯を」

「え、えっと」

 百々もグラスを手に空を仰いだ。ならよほどめでたい出来事らしい。提案はストラヴィンスキーからこう出される。

「チーフには悪いですが、名コンビ誕生にとか」

 いやいや、それだけはいただけないだろう。却下すべく思い巡らせた百々の脳裏に、みあう一大事はそのとき蘇る。

「そうっ。おかげであたし、あさっての舞台挨拶に来る人たちのお出迎えスタッフ、することになったんですよ」

「ほう」

「へえ、誰が来るんですか」

 ハートが眉を跳ね上げ、瓶底眼鏡の向こうでストラヴィンスキーも好奇に目を光らせた。

「スタンリー・ブラック監督ですっ」

 と、時は止まっていない。単に反応が返ってこなかっただけだ。

「だ、誰です? ブラック監督って」

「ええっ、知らないんですか。妥協のない完璧さで作品数は少ないんですけれど、その度に話題独占の大巨匠、超有名監督ですよ。じかに会えるなんて俳優さんより確率、低いんですから」

 自慢だっただけに問い返されるなど心外でならない。

「すみません。こういう仕事してると、どうも流行にはうとくなっちゃうみたいで」

「今度のアカデミー賞候補で、もしかしたら取っちゃうかもしれないんです。今夜、ノミネートの公式発表があるって」

 百々は店の時計を仰ぎ見た。

「同じ、あさってか……」

 巡る思いにハートも分厚い唇をすぼませ空を睨んでいる。かと思えば引き戻してみせた。

「なら映画の大入りと、移送の無事完了を願って乾杯はどうだ」

 百々とストラヴィンスキーが顔を見合わせたことはいうまでもない。次の瞬間だ。悪くない、と宙でグラスは鳴らされていた。

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