第33話

「美味しいっ」

 そう、蒜山バスの一件で支給されると聞いていた「危険手当」が、この待遇だったのである。

「嘘は言わん」

 勧めたがハートは疑っていたのか、と言わんばかりだ。

「だって運動した後だもん。おなかすいてたんだよね、これが」


向かいにはストラヴィンスキーも腰かけている。

 「ルート66」から始まるアメリカンな雑貨に、店内はざっくばらんと飾り付けられている。厨房とを隔てるカウンターには洋酒が並べ置かれ、店内奥の壁にはテレビが掛けられるとロック歌手がシャウトしていた。会話と食事が進むテーブルはほかにも六つ並んでおり、遠慮ない盛り上がりが時に笑い声を爆発させる。

 揺さぶられて百々もスプモーニの赤いグラスを傾ければ、酔いもスムーズにまわってゆくようだった。

「ん。相変わらず美味しいですね」

 向かいでマルゲリータを頬張るストラヴィンスキーの笑みも絶えない。

「だよね」

「アルコールは大丈夫なのか」

 届くなり半分、飲み干したビールを手に、ハートが投げる。

「強くはないけど、飲めまぁーすっ」

 そこへと運ばれてきたのは鉄皿に盛られた自家製ソーセージと、黄金色に積み上げられた皮つきフライドポテトだった。さらには半透明からのぞくエビの朱色が涼やかな生春巻きに、取り分け用の木製スプーンが添えられたタコライスもオールスターとなだれ込んでくる。立ち上る香りは食欲をそそり、もうたまらないと百々は皿から皿へ目を泳がせていった。

「おいしそうっ」

「遠慮はするな。実際お前はよくやった。俺からの労いだ。今日はたらふく飲んでたらふく食え」

「はいはい、百々さん。お箸、こっちです」

 促すハートにストラヴィンスキーも、早速、取り皿を配ってくれる。前にすれば遠慮なんて失礼というもので、いの一番に百々は生春巻をつまみあげていた。

「いっただきまーすっ」

 合図にクロスするような具合で手を伸ばしたハートが残るピザを引き上げてゆく。ストラヴィンスキーもポテトをつまみ上げるとその先で、ケチャップをすってみせた。

「ホント、後で聞きましたけど昨日は大変だったみだいですね。お疲れ様でした」

 かじりながらペコリ、百々へ下げたのは頭だ。

「あぁ、最後は二本とも引き抜いちゃったけど、解除番号、間違えてなくてよかった。うん」

 思い出して百々はため息をつき、なら聞いてもらいたい話はもっとほかにあると口を開く。

「だってさ、あたししかいないんだから。任せようったってさ、レフはおばあちゃんにかかりっきりだし。おかしいよ。バイクで飛び移って来るくらいなんだから絶対実力行使だと思ってたのに、やたらめったら優しいんだから」

 とは言え、責め切れない成り行きがあったことも忘れてはならない。

「って、車、運転できなかったのはあたしだし。おばあちゃん、重すぎて動かせなかったのもあたしなんだけど」

「百々さんがそこまで言うのはどうかと」

 自虐が過ぎる、と眉を下げ、ストラヴィンスキーは二本目のポテトをかじる。早くも二杯目らしい。店員を呼び止めたハートは隣でビールを注文していた。

「それはそれで悔しいな」

「そういうところ、見習いたいものです」

 言葉はただただこそばゆく、まぎらし百々は残りの春巻きを口の中へ押し込む。入れ替えた気分で改め、最大の疑問を口にした。

「ってさ……、レフっておばあちゃん子とか何かなの」

 とたん届いたばかりの二杯目へ口をつけたハートが、吹き出さんばかりにつんのめる。

「どうしてそう思うんです」

 ストラヴィンスキーもどこか怪訝だ。

「だって、おばあちゃんが日本人なんだって聞いた。漢検一級も取りたいってスゴんでたし。バスでだって……」

「相変わらず勤勉な人ですね」

 こぼす面持ちは瓶底眼鏡に窪むと、感心しているのか問題視しているのかがつかみ辛い。

「何かこう日本とかさ、おばあちゃんにこだわりあるのかなって思って。でないとあたしの頭じゃ、非常時のあの行動は理解できないよ」

「ヤツはそんなことまで喋っているのか」

 今度こそ二杯目を口にした、それはハートの問いかけだ。

「精一杯の世間話ですけど」

 返したとたんむっ、と口を結ぶ。かと思えばおもむろに伸ばしたごつい腕で骨付きのソーセージを鉄板から掴み上げた。噛めばパリッと音のしそうな先端を、ポテトのケチャップへ突っ込み豪快とすくい上げてみせる。

「あっ、ハートはまたそれをする。ほら、いっぺんに減っちゃったじゃないですか」

 のぞき込むストラヴィンスキーは悲しげだ。

「俺はヤツを認めん」

 放ってかぶりつくハートは我関せずだった。

「そう、なの?」

 言葉に、次の皿を物色していた百々こそ振り返る。

「やつはもともとファイアーマンだ。それもロシア軍下のな」

 咀嚼に紛れ話すハートの目は、ただ前を睨みつけていた。

「ロシア国土の大部分は湿地帯だ。自然発火に人為的過失。何にせよ、そこに眠る泥炭へついた火を消すことがヤツのそもそもの仕事だった。俺たちとは畑が違う」

「ハート、それ個人情報漏えいです」

 そんなこんなでポテトは諦めたらしい。仕方なさげとタコライスを取りわけ始めたストラヴィンスキーがいさめて言う。

「フン、内部の者なら誰もが知っている話だろう。ならドドも知る権利がある。そもそもヤツがばあさんのことを漏らしたなら、かまう必要はない」

「まぁ、それはそうですけれど」

 平らげたハートが残った骨を放り出した。渋々認めてストラヴィンスキーも、タコライスの盛られた小皿を百々へと差し出す。

「そういえば」

 受け取った百々に蘇ったことがあるとすれば、いわずもがなのあの一幕だろう。

「バスに乗り移ったとき、知り合いに空軍がいて助かった、とかって言ってた」

「ええ、その火事、一旦、燃え出したら数か月続くこともある大規模火災だってことですよ。聞くところによれば広大な焦土の真ん中にパラシュートで降下。空輸を受けながら現場でキャンプを張って火を追いかけつつ消火するらしいです。消防士とはいえ一種のレンジャーって具合ですね。空軍に知り合いがいてもおかしくないかなと」

 どうやらハートには取り皿が必要ないらしい。小皿へ自分の分を確保し終えたストラヴィンスキーは、残り全てをハートへ向けている。

「な、なんだかスゴい」

 とはいえレフなら似合っていそうで、違和感がないといっても間違いではなかった。ともかくよそってくれたストラヴィンスキーへ礼を言う。百々はタコライスを口に運んだ。

「そんなヤツが野っ原で火を消している間だ」

 などと、どうやら全ては前置きだったらしい。

「そのばあさんは庭園美術館の爆破事件で、施設ごと焼けて死んだ」

 百々の動きはそこで止まる。

「SO WHAT だ」

 持ち上げたきりの箸先から飯粒が、ぱらぱらこぼれて落ちていた。

「おばあちゃん子か」

 呟いたハートがジョッキをまたあおる。

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